Stanley MeltzoffとPaul Lehr

SFの洋書を集め始めて間もなく、神田の古本屋街をほっつき歩き、ペーパーバックの山をひっくり返して知らない本を見つけては興奮していた頃の話。殆どのSFが、PowersやEmshの表紙で飾られていた中で、数は少ないがSignet Booksだけは一種独特の(野田大元帥のお言葉を借りれば、ドラクロア張りの)ムードを持った絵で異彩を放っていた。その絵を描いていたのがMeltzoff(とLehr)だった、というのは後で知ったことで最初は全部Lehrの絵だと思っていた。何故かというと、Signet Booksは表紙の画家の名前を出していなかったので、絵に入っているサインしか手掛かりがない。Lehrは割と見やすいサインが殆どの絵に入っているのに対し、MeltzoffはSF画には殆どサインをしていない。この2人の絵は非常に良く似ているのでてっきり全部Lehrの絵だと思っていたのだ。どれくらい似ているかと言うと下の左右の表紙を見比べて頂きたい。

Stanley Meltzoffの表紙

Paul Lehrの表紙

こりゃ殆ど剽窃だ(すべて右のLehrの方が後に出ている)と思っても良いくらいだが、それには背景がある。これらの本が出版された1950年代半ばにはMeltzoffは既に高級雑誌の挿絵画家として名をなしており、ペーパーバックの表紙画家(SFだけではない)としても一流の存在であった。当時MeltzoffはブルックリンのPratt Instituteで絵画の教授をしており、Lehrはそこの学生だった(この時John Schoenherrも一緒にMeltzoffについて学んでいたので、LehrとSchoenherrは兄弟弟子ということになる)。Lehrは一時Meltzoffと一緒に寝起きしながら勉強した事も有るらしいから、かなりの愛弟子ということになる。従ってMeltzoffがこれらの表紙を知らない訳はなく、先生公認の作であろう。ひょっとすると先生がこの様に描きなさいと言ったのかも知れない。

MeltzoffはもともとSF画家ではなく、それ程SFが好きだったようにも思えないから、適当な所で足を洗いたかったのではなかろうか。実際Lehrがペーパーバックの表紙に登場した1958年を最後にMeltzoffは(少なくともSFの)ペーパーバックの表紙から手を引いてしまった。Lehrを後継ぎにして止めてしまったように見える。

上の絵を見る限りでは絵の上手さではMeltzoffの方が1枚も2枚も上だが、先生と生徒では比べる方が酷なのだろう。Lehrはその後60年代にスタイルを変え始め、70年代には自分のスタイルを確立しSF画の大家として大量の表紙絵を描く事になる。Meltzoffはその後Fine Artsに転じ趣味のスキンダイビングを生かして海中シーンを得意とする自然画家になった。

→ Stanley Meltzoff

→ Paul Lehr