もち料理・おはぎ・いなか大福

甘味処


名月(9月15日)

 陰暦9月15日、中国は仲秋節として大いに祝いますが、日本はそれを取り入れた宮中の行事以前に「初穂祭」という農耕行事として古来から行われてきた「名月」の行事でで、芋、団子、枝豆、薄の穂を供え収穫を感謝する日です。
 枝豆といえば豆打餅(ずんだもち)。
「ずんだ餅」は茹でた枝豆をすり潰して お砂糖などを加えてつります。枝豆を打って作ることから豆ん打(ずんだ)というのが語源といわれていますが、伊達正宗公が陣太刀で 豆をつぶしてお餅と一緒に食べたことから 陣太餅と呼ばれるようになったという説。米糠に塩を加えて発酵させたものを「じんだ」と呼び糀ともち米に塩を加えてならした「じんだもち」(これに枝豆の餡をつけて食べる)という説などがあります。
 一関地方はもとより宮城・山形・福島・新潟・山梨などにもじんだん、ぬた、まめずり、ごた」などと呼ばれています。
 餅、団子、おはぎなどにからめて楽しめる夏の終わりから初秋の味です。
 また、「茄子のずんだ和え」などもたべられています。宮城県栗駒地方では「ずんだばっと」「ねっけ豆」などもあり。一関を含めた旧伊達藩地域の食の文化の代表でもあります。
 冷凍技術の発達で年中食べられるようになったのは嬉しいことですが、やはり旬の味は名月、秋彼岸などにじっくり味わってほしいものです。


八朔(8月1日)

 一関地方町方年中行事記(昭和初期)によると、八朔の苦餅(ぼたもち)を食す。この日以後、午睡がなくなり、夜なべが始まる。とあるので、今月のもちは間違いなく「苦餅」だ!と調べてみました。

 もともとは陰暦8月1日、この日の行事のことを八朔−たのみの節、たのもの節とも呼ばれ、農村の豊作祈願の行事である。この風習が各層に広く流行し、日頃の恩顧を感謝する行事として広まったようである。特に江戸幕府が天正18年の徳川家康の江戸入城がこの日であったのを重用し公式の祝日と定めたという。宮中では尾花粥を供御の献上する行事があった。

 一関地方では「山目・はっさく/たのみ、小豆粥を食べ豊作を願う」「一関・弥栄・八朔/カヤの尾花を新米の小豆粥の中へ三本立てて神にあげる。これは農作の神をまつるものだといわれる(おばな粥)」
あらら「舞川・八朔の一日/餅を搗いて作神に供える」「滝沢・中里・八朔/その年の新米を神様に供え感謝する日、ヤゴメを作って食べる」萩荘にいたっては「八月朔日/新穀を供え一般に業を休む」
 どこにもぼたもちはでてこな〜い!これは一関の町方のみの食べ物か・・・

 うん!さすがは餅の里「一関」だ!ということで、なかなか苦しい8月であります。

 おっと、なんだ今月は!という方の為にうんちくをひとつ
陰暦9月12日、日蓮宗では「御難の餅」といって胡麻のぼたもちを作って供えるそうです。


なのかび(7月7日)

 今月の餅を調べようとしてはたと気付いた、7月は餅が殆どなかったことに・・・
いや、旧暦のお盆には「お土産もち」というのがあることはあるのだが、単なる丸い餅だし、それにお盆は月遅れの方がしっくりくるし。もち・・・餅米つながりでおふかしの話をひとつ。

 なのかびは五節供のひとつで「七夕祭り」というのは皆さんご存知の話。学校で竹に願いごとを書いた短冊を吊るしたことはあるが、家ではついぞやったことのない行事でもある。一関の七夕祭りは仙台の次に大きいといわれているがこれは来月の行事。

 一関地方町方年中行事記によると「なのかび」には七夕飾りの竹の枝を払いて川に捨て、幹は物干竿として用ふ。竹の枝(飾紙付)を少し残して大根を蒔ける畑に虫除けと称して畑の四隅に立つ。この日こわ飯(ささげ入の)を炊く。「七度こわ飯を食ひ七度水浴びをすべしと云ふ」

 七回こわ飯を食べて七回水浴びをするのは、暑い夏場に身体壮健で眠気を水に流す「ネムリ流し・・・ねぶたまつり」に通じるものがあるようだ。上記ではささげ入のおこわを食べるが、中里では赤飯、山目では小豆飯と葉やき。舞川では葉焼きとまんじゅうということで「おこわ」をいれてしまいました。

 お赤飯、おこわ、おふかし、こわ飯など呼び方もいろいろある。餅米での晴食であり、めでたい席には欠かせない1品である。元来吉事には白おこわ、凶事には赤おこわだったのが、縁起直しの意味で逆になったという。場所によっては胡桃を入れることもある。

 珍しいところでは東磐井の山百合の百合根を使った「ゆりぶかし」などがある。餅米を使った味付け御飯も結構手間がかかるのでなかなか家庭でも作ることがなくなったせいか、五目ふかしがけっこう人気です。


むけのついたち(6月1日)

 一関町方年中行事記によると『六月朔日-むけぜっく。衣更え。ムキの朔日といい「歯がため」と称して、冬に作った氷餅(凍み餅)を食べる。前夜スノハという草の実を「蚤の舟」といって床にまく』(蛇や人が皮を脱ぐ日といわれ、この日は桑畑へ行ってはならない。)

 もともとは「氷室の節供」という、陰暦六月一日、宮中で臣下に氷室の氷を賜わった古例にならったもので、民間では氷のかわりに氷餅を食べ、特に山陰・北陸・東北ではこの餅を歯固めと称した。
 また「蚤の舟」は江戸の俗間で、陰暦四月八日にペンペン草の実と唐辛子を行灯の中に吊り夏虫を寄せない虫よけのまじないであったものに似通っている。

 これら2つの行事が永い年月の間に一緒になってしまったのではないだろうか。多少呼び方は違っていても「歯がため」の行事は市内全域に広がっているが、「蚤の舟」は萩荘・舞川・弥栄の資料には載っていない。

 また「この日、畑に行くと蛇のぬけがらを見るから行ってはだめだ」といういい伝えがあり、農家では仕事を休み、ごちそうに餅を搗き大根おろしで食べる。切り麦やはっと、麦香煎を食べるところも有る。厳美地方では「まんが洗い」といい、野遊びをする。

 こうしてみると、凍み餅かおろし餅が6月の餅という気がするが、今では話は聞いたことは有るが、実際にやっている家はほとんど聞いたことがない。

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