もち料理・おはぎ・いなか大福

甘味処


  5月5日は言わずと知れた「端午の節供」である。一関町方年中行事記から書き出してみるが、ほぼ全国的に同様の年中行事となっている。

 鯉の吹き流しを立て5月人形を飾り、菖蒲と蓬を軒にさす。菖蒲湯と称して湯にも入れる。男は菖蒲で鉢巻きをし又小片を酒に入れて飲む。女子は菖蒲の根の赤き部分を簪(かんざし)に附す。但し菖蒲に関する事は宵節供と称して4月の宵に為すと人形は5月1日より5日迄是を為す。「城内方にては旗幟(はたのぼり)を立てる」

 この日の餅としては、「粽を供え柏餅などを食べてお祝する。・・・一関地方の年中行事(昭和22年頃)」「朝は餅、夜は山芋を掘ってとろろご飯、酒、魚で祝う。・・・舞川地区」「餅をついてお祝をする。・・・弥栄の里」という記述が一般的であるので、柏餅を今月はお届けする。

 「かしわ」の名前は「炊ぐ葉」「炊葉(かしきば)」からきている。葉には吐血、血痢止めに用いられるなど薬効があるので、古来より食べ物を盛る器として、食物を包んで蒸す時に使われていたようです。
 同時に柏の葉は新芽が出始めてから古い葉が落ちるので、家系が途絶えない縁起の良い葉として喜ばれ、端午の節句に盛んに使われるようになりました。ところが関西はサンキライの葉で包むところもあるという。

 柏餅は餅米を使った本来の意味での餅ではなく、上しん粉を用いて作られた餅菓子の一種です。団子・外郎・州浜・切山椒・お茶餅などがあり、また、しん粉もちの仲間には笹餅などもあります。
 中は小豆あんか味噌あんが一般的ですが、鹿児島の柏餅はむらさき芋の餅を包んだものもあるといいます。


 立春から数えて八十八日目。現在は5月2日頃に当るが、旧暦では4月になるので、あえて4月の餅のところに入れる。
八十八夜によもぎ餅を食べると中風に当たらないといわれ、今月も危なく草餅になる所だったので、先月ちょっとメモした草大福をとりあげる。
 一年間の農作業を記した厳美村郷土教育資料によると、
「田打ち・八十八夜前後、ぶなの木の葉の鳥がくれの時分」
「野菜の種蒔・八十八夜前後、霜のおそれがなくなってから直後」
とあるように、農作業の重要な目安の日であった。
 中国では餡を包んだ餅のことをアンピンと発音し、日本でも一部の地域で「あんぴん餅」といいます。
 大福餅は1772年ごろ創製されたといいます。焼くと膨れ上がることから「腹太餅」と呼ばれ、腹が太いが転じて福々しい、大福餅となったとされます。

「雛人形を飾り白酒を供え草餅として蓬の入れたる餅を作る。此の日、野ガケと称して近郊の山野に瓢箪に酒を入れ草餅を持参して遊びこれを食すればこの年健やかに過すと称す」と一関地方町方年中行事記(昭和初期)にある。
 ここには「ひなまつり」「野遊び」のふたつの行事が書かれているが、ひな祭りの方が良く知られ、ひな祭りに供える菱餅は、江戸時代初期にはヨモギを使った草餅でした。幕末近くになっても、草餅中心の菱餅を色とりどりに三重、五重に飾ったといいます。昔は3月3日を「草餅の節句」ともいう。
 本来は上巳(じょうし)の節句として、厄払いの行事を行うもので、厄除けの意味で、香りが強い草餅を食べる習慣がありました。
ひしもちではなく草餅を供えるというのはより古い形になり、一説では江戸時代に新井白石がヨモギを草餅に用いる風習を朝鮮から伝えて以来ともいわれます。
 食べ方には2種類があり、搗いた餅にきな粉をまぶして食べる方法(当店の草餅)なかに小豆餡をくるむ方法(草大福)があります。
 店頭にはなかなか出せませんが、餡をくるんだ大振りの草餅は鮮烈なよもぎの香りと供に春を知らせてくれる一品です。
 そうそう、草餅といえば「ヨモギ」というのがあたりまえですが、平安時代には、母子草で草餅が作られていたといいます。現在ではほとんど見ることが出来ませんが、年輩の方の中には「ハコモチ」といえば、うなずいてくれます。

 旧暦2月はとりたてて餅を食する日はないのだが、あえて言うならば「氷餅・凍み餅」であろう。
 小正月の頃から冷え込みが強くなるので、このころ、氷餅をつくる。作り方はいたって簡単、餅を搗き切り餅にして10個くらいを藁で編んだものを1セットにし、それを水に漬けてから軒先や戸外でさらして十分に凍らせてから乾燥させる。おおよそ1ヶ月で完成。どちらかというと食感はサクっとした歯触りが命で、農作業の合間に間食(小昼−こびる)として食べていたと言う。
 一関地方は現在ではほとんど作られていなくて、めったに食べることが出来ないが、全国的に生産されていて、中でも信州・東北では土産物として売ってる所が多い。大正から昭和の初期には中尊寺名物として売られていたと言う記述もあるほどだ。
 基本的な種類は白もち・豆もち(黒豆・くるみ・青豆)が基本だが、よもぎ・ヤマゴボウの葉・栗やカボチャ、しその葉を入れて色餅にすることもあるようだ。そのまま食べることも多く兵糧や携帯食になったゆえんである。また醤油で味つけした油で軽く揚げたり、焼いたりしていただく所もある。お湯をかけるとやわらかくなるので、砂糖醤油やきな粉をつけて食べるのもよいし、味噌風味の雑煮もまた格別。近畿地方ではゴマ、砂糖、青海苔、干しえびを入れる。煎餅やおかきの原形とも言える食べ方である。
 旧暦6月1日に歯固めもちとして食べるのはよく知られている話であるが、「氷餅−江戸時代、信州諏訪高島藩の名産として歴代将軍に献上されたもので、私造は禁止されていた。餅米を砕いて汁にし、煮て糊状となったものを型に流し込み、寒気に晒して凍らし、さらに短冊状に切って紙に包みわらで連ねて長期間乾燥させたもの、和菓子の材料として東京・大阪・京都などの和菓子屋さん販売している」というのは、ここに出てくる氷餅とは別物と考えたほうがよい。

地場の原物がないので、凍らせる前の熨斗餅の写真


正月(1月1日)

 正月の欠かせない一品といえば誰がなんといっても「雑煮もち」である。日本全国どこにでもあるが、それぞれのお国柄が出ているのもまた雑煮もちのようだ。
 一関地方の雑煮もちといっても家庭事に微妙に違うのだが、ここでは「聞き書き 岩手の食事」から引用してみよう。
----雑煮もちは野菜のひきな(千切り)を具にした汁もちである。だしは鶏かはぜや赤はらなど干魚を使う。野菜は、大根、ごぼう、にんじんのひきなが主体、せりの青味が香りを添える。味は澄ましか醤油味である。この中にもちを食べやすい大きさに切っていれる。----
 なかなか内容までを記したものは少ないので、覚えている限りでいうと、だしは昔はよく「きじ」や「やまどり」でとった。川魚は生よりも干したほうがおいしいので、冬場囲炉裏の上のベンケイに串ざしにして薫製を作りつかったものである。どちらも、今では手にいれることすら困難である。幸い年末に知り合いから分けてもらうことが時々あるのでご相伴にあずかれるのは望外の幸せである。
 ご祝儀、不祝儀のもち膳には欠かせない一品なので、不祝儀のときは昆布だしにするのが正式のようである。また、肝心のもちは暮れの28日についてのしたもちを焼いていれる。
 正月用もち膳の内容は3・5品が主流で「小豆もち」「雑煮もち」に「くるみもち」「ごまもち」「納豆もち」を組み合わせ、「なます(大根おろし)」を加えるのが多い様である。

※私事になるのだが、ここ20年間に集めた資料を先秋に紛失してしまった。何処に置いたのか、あるいはコピーやノートの切れはしだったもので間違ってごみに出してしまったのか?情けなや・・・・
(写真は当店の田舎雑煮で正月膳の雑煮もちではありません)

NEXT
最初もちアルバム配達・テイクアウトメニューご注文リンク・更新履歴

無断転載・使用を禁じます。Copyright by youji shimakawa. All Rights Reserved.