その4 茶の湯とインターネット

 1998.5.10(日)、東京は畠山記念館において画期的な茶会が開催された。茶会を開いたのは、インターネットを通じて知り合った様々な流派に属する人々。客もまた、多くは”ネット仲間”である。

 茶の湯とインターネット。伝統と時代の最先端。一見、最もほど遠いモノ同士の感があるが、実はそうではない。

 いつの時代でもその担い手は進取の気象に富むもの、要は新しもの好きである。鉄砲をいち早く戦に取り込んだ信長しかり。飛行機や電話、テレビが出現した時、その可能性を理解し、今日の世界を想像出来た者はどれくらいいたことだろうか。今の時代で言えば、まさにインターネットがそれに当たるだろう。

 その時代々々の文化人を代表した茶人もまた、常に新しいものを取り入れ、自己の美意識の表現を目指した。そういう観点から見れば、現代において茶人がキーボードをたたいている姿も決して違和感のあるものでは無い。

 もちろん、様々な試みが洗練され、一定の所作や約束に集約されて今に至ったものが各流派の茶道であり、それを大きくはずれた奇抜な発想はなじまなかったり、かえってわずらわしかったりする。その辺の頃合いを計りつつ創意を凝らすのも茶人の力量だろう。

 

 さて、この茶会にはもともと客の一人として参加するつもりだったのだが、人手不足ということで開催者側に廻ることとなった。雑用係のはずだったが、濃茶席の水屋という大きな役目を仰せつかることになってしまった。もちろん、1人でという訳では無く、大ベテランの方と一緒にだったが。

 また、この席の趣向は素晴らしかった。流派の茶会であれば、そのような道具組はありえないものであったが、これからの地球を考えるという壮大なテーマに統一された取合せになっていた。本来、静寂の中で行われる濃茶の席に現代宗教音楽を流す試みも見事にはまっていた。

 

 後日、先生にこの茶会の件を話した。先生曰く、そういう気楽な雰囲気で茶を楽しむことも良いことだ。でも、怖いもの知らずで茶会を開くのも余程注意しなければならないと。事実、茶室を借りて炭で粗相をし、畳を総取替えさせられたケースもあると言う。家元の所だったりすると、1室だけでは済まず全室を替えさせられたそうだ。畳ならまだ交換できるが、2つとない道具を壊しでもしたら・・。

 そういう恐さを新たに自覚しつつ、精進を続けようと肝に命じるのだった。

 

茶人への長い道に戻る

茶の湯の世界に戻る