9月9日(釜石→織笠) 
 全駅間歩き1日目(37.1km)

距離 着時 発時
1 釜石(宿) 6:35
2 両石 9.1km 8:30 8:55
3 鵜住居 2.6km 9:30 9:50
4 大槌 4.7km 10:47 11:05
大槌北小 1.3km 11:22 12:30
5 吉里吉里 6.1km 13:45 14:10
6 浪板海岸 2.9km 14:43 15:05
7 陸中船越 6.8km 16:25 16:50
8 織笠 2.7km 17:19 17:40
宿屋 1.1km 17:56
 三陸海岸全駅間歩き、いよいよスタートです。
 昨日は、釜石駅を対岸に見るホテルに泊まりました。
 釜石駅からホテルまでは、前日に歩いて移動したので、
 (釜石駅から500メートルもありませんが。)
 今日はホテルから直接スタートしたいと思います。

 このホテルも津波によって被害を受けたそうですが、
 震災から2ヶ月後の昨年5月には営業を再開しました。
 ホテル入り口に掲げられている「全旅連」の看板が
 不自然(異常)に曲がっており、
 津波によって1階部分は完全に浸水したようです。
 それだけの被害を受けても、2ヶ月で営業再開したのは
 やはり凄いと感じてしまいます。


 次駅の両石は、市街まで迫る山の向こう側にあります。
 最短ルートは、釜石市街で国道45号に合流し、
 鳥谷坂トンネルを越えるルートですが、
 鳥谷坂トンネルは自動車専用道路となっており、歩行者が通過することはできません。
 (他の方が歩いた記録を見てると、このトンネルを通過している方もいるようですが。)
 そのため、迂回ルートの鳥ヶ沢トンネルを通るルートをとることにしました。
 

 山が市街地まで迫っているため、ホテルを出ると、すぐに峠越えの道に入ります。
 峠越えの道に入ると、家並みはすぐに途絶えてしまうので、人通りも少ない(…てか皆無)と思いきや、
 朝の散歩でこの道を歩いている住民を意外なほど多く見かけました。
 どうやら、釜石市街から峠の頂点(鳥ヶ沢トンネルの入口)までは、市民の散歩コースになっているようです。

 峠道の途中からは釜石市街を眺めることができるポイントが2〜3カ所ありました。
 まだ7時になるかならないかという時間なのに、製鉄所からは煙が上がっています。
 昔ほどの勢いはなくなったとはいえ、今でも釜石の製鉄所は街のシンボルといえそうです。
 

 ホテルから歩くこと30分余り、峠の頂点となる鳥ヶ沢トンネルに着きました。
 この峠道は県道なのですが、トンネルの道幅は車1.5台分あるかないかという感じです。
 トンネル内は素堀りのうえに、暗く、おまけに一部がぬかるんでいました。
 この中で車とすれ違ったら嫌だなと思いながら歩きましたが、
 幸い、一台の車ともすれ違うことなくトンネルを出ました。

 トンネルを出てからは、下り坂が続きます。
 途中からは道幅が片側1車線程度まで広がり、
 工場や採石場が点在するようになりました。
 そして、右側から山田線の線路が近づいてくる頃、
 こんな看板が目に飛び込んできました。

 この看板は、ここだけではなく、
 主要道路が低地にさしかかる地点すべてに設置されています。
 今回は、全体的にアップダウンが多いルートだったため、
 一日に何度も見ることになりました。
 この「津波浸水想定区域」自体は、
 今回の震災以前に策定されたものでしたが、
 随分内陸寄りに設けられている印象を持ちました。
 しかし、今回の震災では、この想定区域のすぐ手前まで津波がやってきたというので驚きです。
 場所によっては、想定区域を越えて浸水した場所もあるそうです。

 しばらく歩くと国道45号と合流します。
 目の前に、青い海が目に飛び込んできました。両石湾です。

 両石の集落は、このリアス式海岸の奥に位置しています。
 リアス式海岸は、天然の良港として知られていますが、
 同時に津波災害に対しては、津波の波高を高めてしまうこともあり、脆弱といわれています。
 両石集落にも津波は押し寄せ、集落の入口にあった堤防を破壊し、
 低地部の集落を根こそぎ流し去っていきました。

 海は、あれだけの災害をもたらしたと思えないほど、穏やかにたたずんでいました。

 復旧作業が続く堤防を右手に見ると、
 まもなく両石集落に入ります。
 両石集落はそのほとんどが低地部に位置していたため、
 家屋はほとんど無くなってしまいました。
 家の土台のみが、
 かつてそこに家屋が存在したことを物語っています。
 
 集落があった場所の奥に目を向けると、
 高台部分に駅らしい構造物が見えました。
 高台の構造物は駅であることは分かりましたが、
 どのように行けば駅に着けるのか分かりません。
 集落内に残る小道を歩いてみますが駅に着けません。
 
 


 あまり広くはない集落をさまようこと数分、
 ようやく駅につながる小道のようなものを見つけ、
 高台にある両石駅にたどり着くことができました。

 両石集落の大半は、津波で流出してしまいましたが、
 高台に位置している両石駅は津波の被害を免れました。

 列車がこの駅に来なくなってから1年半が過ぎました。
 駅も線路もあまり手入れがされていなかったためか、草が赤さびた線路を覆い隠すように茂っています。

 駅のホームからは、
 両石の集落を見下ろすことができます。
 国道(右写真中央)沿いの民家は、
 すべて流出してしまっています。
 道路と家の土台を残してすべてが消えた光景は
 何度見返しても衝撃を覚えます。

 駅の待合室は立ち入りができないよう、
 窓も含めて板で完全に塞がれていました。
 待合室外側のベンチには、
 両石集落が津波に襲われたときの写真が
 並べられていました。
 待合室の傍らには、
 地域の復興を願ってか千羽鶴がつるされていました。


 両石駅を後にして、国道まで戻ることにします。
 震災以前は、しっかりとした道だったと思われる両石駅につながる小道も、
 今となっては完全な獣道と化しています。
 水道管かガス管かが道を塞ぐように転がり、
 道の一部は津波によって削り去られてしまっています。

 右の写真は、小道の入口(集落側)から駅に向かう方向を撮ってみたものですが、
 一見しただけでは、これが道になっているとは気がつかないでしょう。



 両石集落を抜けると、国道は上り坂にさしかかります。
 この小さな峠道は「恋ノ峠」と呼ばれているそうです。
 しばらく歩くと、道は下り坂となり、
 視界の先には鵜住居の集落が現れました。


 鵜住居の集落も、
 平野部のほとんどが津波の被害を受けました。
 写真手前の高台にあたる部分の家は残っていますが、
 写真奥に広がっていた家々は、
 そのほとんどが無くなってしまいました。

 写真からは海の位置は分かりませんが、
 写真奥に見える山々の東側(右側)は
 リアス式海岸の大槌湾に面しており、
 震災の津波もそこから浸入したと思われます。


 
 集落の中心があった平野部に降りると、被害の大きさが分かります。
 国道沿いの民家はほとんどが土台を残して無くなっています。
 また、かろうじで流出を免れた建物も、そのほとんどは使用できずに放置されている状態でした。
 左写真は駅周辺の国道から、右写真は駅前から撮ったものです。
 いずれの場所も、震災前は民家や商店が建ち並んでいたのだと思われますが、
 今となってはその面影はほとんど残されていません。
 

 山田線の鵜住居駅は、鵜住居集落の中心部にあります。
 高台にあった両石駅とは異なり、低地にあった鵜住居駅は、
 津波によって、地下道とホームの一部を残して流出してしまいました。
 ホームにつながっていた地下道には数十センチ程度の水がたまり、通行できなくなっていました。

 陽もだんだんと高くなるにつれ、気温も上昇してきました。
 日陰で休憩したかったのですが、周囲にまともに日陰となる場所はなく、
 ホームに繋がる地下道の入口近く、高く茂った雑草の陰で休憩することにしました。
 それでも顔には容赦なく直射日光が届きました。

 休憩していると、一台の車が駅前に止まり、観光客とおぼしき人たちが降りてきました。
 被災地の現状を目に焼き付けたいと思うのは、私だけではないようです。



 次の駅を目指すことにします。
 鵜住居駅近くでは、数十人の大学生がボランティア活動をしていました。
 土木作業のセットを運んでいたグループもいました。

 集落内の瓦礫は概ね撤去されています。
 そして、その瓦礫は集落ごと・地域ごとにまとめられています。
 鵜住居の集落にも、特設の瓦礫置き場が設けられていました。
 国道脇から見た瓦礫の集積場は、かなりの面積を占めており、
 震災被害の大きさを物語っていました。


 今回の全駅間歩きは、一部を除いて、概ね国道45号線に沿って歩きます。
 鵜住居から明日の目的地、宮古までは45km、
 最終目的地の久慈までは134kmあります。

 まだ1日目も始まったばかりですが、
 134km先の目的地まで本当に歩けるのか少し不安になってしまいます。

 鵜住居の集落を抜けると、道は上り坂になります。
 道の片側に続いていた歩道が無くなると、まもなく上り坂の頂点にさしかかり、トンネルに入ります。
 国道のトンネルは先ほどのような素堀りのトンネルではなく、
 高速道路にあるトンネルのようにしっかりと造られたトンネルでした。

 …欲を言えば、トンネルの中にもちゃんとした歩道がついていればいいのですが…

 国道のトンネルだけあって交通量は多く、
 トンネル内には、常に車が通過する音が響き渡っていました。
 大型車両が通過すると、ひときわ大きな轟音が響き、自分のすぐ横を通過すると少し怖くなります。
 トンネルを抜けた先は大槌町です。


 大槌町に入ると、道は下り坂に変わります。
 林を抜けると、目の前に大きなショッピングモールが現れます。
 大槌市街の端に位置する「シーサイドタウン・マスト」です。
 震災後に新しく作られたのかと思ってしまうほど
 新しい建物に見えますが、
 ショッピングモール自体は、
 震災以前からこの場所にありました。

 大槌を襲った津波は、このショッピングモールにも押し寄せ、
 長期間の休業を余儀なくされましたが、
 昨年の12月末から営業を再開したようです。

 まだ10時半という比較的早い時間でしたが、
 駐車場には多数の車が止まっており、
 ショッピングモールの中は賑わいを見せていました。
 津波で甚大な被害を受けた大槌町も、少しずつではありますが、生活の基盤を取り戻しつつあるようです。

 テレビ等でも取り上げられているように、大槌市街は壊滅的な被害を受けました。
 海岸線と接する低地部の家屋は、そのほとんどが流出してしまいました。
 市街中心部を横切る県道の両側には、震災以前、多くの家屋・商店が建ち並んでいましたが、
 今となっては、そのほとんどが無くなってしまっています。
 しかし、県道に沿って仮設の商店が点在しており、復興に向けた1歩を歩み始めています。

 県道に沿って、市街の中心付近まで歩いてきました。
 しかし、大槌駅らしい構造物は見あたりません。
 そのとき、右写真のような案内板が目に飛び込んできました。

 道路は右方向に分岐しているのに、その先には何もない。
 …というか隠されている。
 もしや、と思い近づいてみると、まさにその「もしや」でした。

 案内板から、大槌駅への道しるべが消されていたのです。
 (この看板が、震災後に再建されたものであれば、
  駅が復活した時にも使えるように、地には駅を載せてある
  という捉え方もできますが…どうなんでしょ)

 写真の分岐点で右に折れ、大槌駅があった場所を目指しました。
 

 分岐点から少し歩くと、駅前広場のと思しき空き地の先に、大槌駅のホームが現れました。
 駅のホームは、唯一残った大槌駅の構造物でした。
 駅のホームも津波の被害を受けてか、半分以上削られている箇所もありました。
 それ以外のもの、駅舎・跨線橋…そういったものはすべて無くなってしまいました。
 
 かつて、駅のホームの前後左右には多くの家屋が立ち並んでいたはずです。
 今はそのほとんどが無くなっています。
 周囲は、かつてそこが市街だったことを忘れたかのように草が茂っています。
 大槌駅の周りは時が止まったかのように静まりかえっていました。

 大槌駅を後にし、大槌北小学校を目指して、少しだけ北に向かいます。
 市街地にある家のほとんどは流出してしまいましたが、大きな建物などは流出を免れています。
 上写真のビジネスホテルもそのひとつです。
 左写真からは見えにくいのですが、3階中央の窓の下には中写真のようなものが記されていました。
 これは津波が線の場所まで達したことを示していると考えられます。
 
 ホテルの壁面には、大槌町のシンボル「ひょっこりひょうたん島」の上に架かる虹が描かれています。
 この絵は、震災後に描かれたものかもしれませんが、見る人たちに希望を与えてくれます。

 海岸線から1km弱に位置する大槌病院も2階天井まで津波が押し寄せました。
 病院の機能は、この地点から1km余北西に作られた仮設診療所に移り、
 この建物には、今もなお人の気配は感じられません。


 大槌駅から歩くこと15分、
 大槌北小学校に到着しました。
 この大槌北小学校にも津波は押し寄せ、
 今はここから離れた所に作られた
 仮設校舎で授業が行われています。

 今回、あえてここまで寄り道したのは、
 大槌の仮設商店街に立ち寄りたかったからです。
 「大槌北小 福幸きらり商店街」と
 名付けられた仮設の商店街は、昨年の12月、
 大槌北小学校の校庭にオープンしました。

 丁度昼食時間になったので、
 商店街にある食堂で食事をすることにしました。
 休日ということもあってか、地元住民のみならず、観光客やボランティアの人たちも数多く見かけました。
 12時の時報が「ひょっこりひょうたん島のテーマ」というのも大槌らしさを感じます。

 
 
 昼食も終わったので、先を目指します。
 大槌北小学校の前を走る通りを南東に下り、まずは海岸線の方へ向かいます。
 このあたりも民家のほとんどは、津波被害を受けて無くなってしまっています。
 道路は地震によって地盤沈下したためか、かさ上げ工事を行っているようです。
 左の写真でも、車道と歩道の高さが違う様子が分かります。

 しばらく歩くと、「ガード下」という停留所に着きました。

 「ガード下」といってもそれっぽいものはない…と思いきや、
 その後ろに鉄道の盛り土のようなものが見えました。山田線の線路です。
 山田線は、ここから市街地に向けて高架を下っていく形となっていました。
 この道路の上には高架橋が架けられていたのですが、津波で高架橋も流出してしまったようです。
 中心市街の方を見てみると、橋を失った高架橋のポールだけが、市街地に向かって伸びていました。
 

 やがて、大槌湾が右手に見えるようになりました。
 漁港そばの大槌湾上には、小さな島が浮かんでいました。
 「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった島、蓬莱島です。
 津波は、この島を飲み込むように襲いかかったと思われます。
 島の右側にあった灯台は破壊されてしまいましたが、左側の神社は奇跡的に流出を免れました。
 かつては、堤防伝いに蓬莱島に歩いて渡ることもできましたが、
 今は堤防がなくなっているためにできなくなっています。

 しばらく歩くと赤浜集落に着きます。
 この赤浜地区では、津波によって流された釜石の遊覧船が、二階建ての民宿の上に乗り上げたことが
 テレビや新聞等でもしきりに報道されていました。
 民宿も遊覧船も今は撤去され、その場所(方向)を示す小さな看板だけが残されていました。
 赤浜地区では、ボランティアの人たちが活動を続けていました。

 赤浜地区から峠を越えて、次の駅を目指します。
 少々時間が押し気味になっていたので、少し早歩きで峠道を越えました。
 峠を越えると吉里吉里(きりきり)の集落にさしかかります。
 峠道と国道の合流地点は標高が比較的高いため、震災の被害はあまり受けていないように見えます。

 吉里吉里駅も高台に位置しているため、大きな震災被害は受けていません。
 …と思いきや、実は駅入口にあった駅舎が震災後に解体されていたんですね。
 どうやら、震災被害というよりは老朽化が理由のようですが。

 釜石線〜釜石市・大槌町内の山田線の駅には、エスペラント語による愛称がついていますが、
 この駅の愛称は「レジョランド(王国)」です。
 井上ひさしの小説「吉里吉里人」にちなむものと思われますが、
 今回歩いたときには「独立の気配」を感じることはできませんでした(汗)。

 吉里吉里の集落も、低い場所は津波の被害を受けています。
 高台から低地に向かって集落が広がっているため、
 津波被害の範囲を嫌が上にも見せつけられてしまいます。
 集落にあった郵便局も震災の被害を受けたためか、仮設の局舎が建てられていました。
 郵便局の近くでは、ボランティアによる地域イベントが行われていました。


 集落の北端で国道と合流し、次の駅を目指します。
 小さな峠を越えると、次駅・浪板海岸駅がある
 波板の集落が見えてきました。
 波板の集落も川沿いの低地を中心に大きな被害を受けています。

 川に架かる橋も一部が津波で流され、
 周囲の道路と併せた復旧工事が進められていました。



 浪板海岸駅もやや高台に位置しているため、一見すると大きな被害は受けていないように見えます。
 しかし、この駅の入り口にはロープが張られ、立ち入りができなくなっています。
 なぜかと思い、ホームの先をよく見てみると、ホーム吉里吉里寄りの線路が崩落しています。
 この先にあった山田線の鉄橋も流出してしまっています。
 周囲にも津波被害の痕跡が残っており、駅ホームの高さくらいまで津波が来たと考えられます。

 駅に入ることができなかったので、駅の階段に腰を下ろしたのですが、
 西日が厳しく、とてもじゃないけど座っていられる状態ではありませんでした。
 そこで、すぐ近くの和菓子屋さんに逃げ込み、休憩代わりにかき氷を食べることにしました。
 とても新しいお店だったので、震災後に再建されたのかもしれません。
 水分補給もできて、とても助かりました…。


 浪板海岸からは、国道に沿って北東に進みます。
 ずっと海岸線に沿って進むため、時折船越湾が見えるのですが、
 周囲の林に邪魔されてしまい、思ったほど海が見えるわけではありません。
 このあたりは数キロにわたって断崖が続く「四十八坂海岸」と呼ばれる場所ですが、
 国道からはあまりその姿を見ることができず、町境ということもあり、やや単調な道が続きます。

 浪板海岸から1時間余り。山田町に入り、ようやく船越の集落が見えてきました。
 国道沿いの集落は高台にあるため、大きな被害は受けていないように見えます。
 しかし、遠目に見える海岸沿いの集落は、津波の被害を受けています。

 岩手船越駅は、船越集落の中心近くにあります。
 他の駅同様、待合室は板で塞がれています。
 実は、この駅が本州最東端の駅なんだそうですが、
 岩手県に「本州最東端の駅」があるというのは意外な感じがします。

 津波は、この駅のすぐ手前まで押し寄せたそうですが、
 この駅自体は特に震災被害を受けた様子はなく、静かにたたずんでいました。
 近くの商店も通常通り営業しており、大きな被害を受けなかった場所では、
 少しずつ日常が戻りつつあるのかも知れません。

 休憩を終え、今日最後の駅・織笠を目指します。
 岩手船越を出る頃には、
 すっかり日も傾き、陽も完全に陰ってしまいました。

 岩手船越駅のあった高台を下り、織笠駅へと続く道に入ります。
 織笠駅に続く道路は現在も復旧工事が続けられており、
 所々舗装が無くなっている場所もありました。
 また、地震の影響で周囲の地盤も沈下したようで、
 海水面が道路のすぐ下まで迫っていました。
 大潮になれば、満潮時に道路が冠水してしまいそうです。

 陽は西の山に徐々に近づいていました。
 

 織笠駅に到着しました。
 駅舎は土台を残して流出してしまい、ホームの土台の一部が辛うじて残っている状態でした。
 駅周辺に建物らしきものは一切見あたりません。
 ホームの反対側に回ると、道床が完全に流されてしまっている様子が分かります。

 1年半経ってもなかなか進まない復旧の現状がそこにはありました。


 今日の駅間歩きはここで終了です。
 これから今日の宿屋に向かいます。
 今日の宿屋は、岩手船越と織笠の間に最近新しくできたホテル
 「ビジネスインやまだ」です。

 さっき来た道を戻って国道に合流し、
 岩手船越駅のある高台まで登るとすぐにホテルに着きます。
 オープンからまだ2ヶ月ということもあって、
 ホテルの中も客室も真新しい感じがしました。

 夕食は、ホテルの食堂で食べることにしました。
 ビジネスホテルの中にある食堂だったので、
 大して期待はしていなかったのですが…

 夕食に注文した浜処定食(1200円)です。
 これだけ海の幸があってこの金額であれば、文句はありません。味もGOODです。
 ビジネスホテルの食堂だからといって、なめちゃいけませんね。
 ちなみに、2500円の定食もあったのですが、1200円の定食でこんな感じなので、
 どんなものが出てきてしまうのか、ちょっと興味がありました。
 お品書きには「漁師の家のふるまい料理」的なことが書いてあったような気がしましたが…。

 1日目はなんとか足に豆を作ることなく歩ききることができました。
 明日は、岩手県三陸海岸の中心都市・宮古を目指します。
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