姫街道 H66-1浜松道
浜松市中区連尺町〜紺屋町〜高町〜
鹿谷町〜布橋2丁目〜城北3丁目〜
和地山2丁目〜和合町〜和泉1・
2・3丁目(幸1丁目〜萩丘1丁目)〜
葵東1・2丁目
ふらっと旧東海道
連尺交差点は,姫街道の浜松起点と
なっている。姫街道は,連尺交差点を
西進(国道257号=写真を直進)する。
連尺交差点は,浜松城の大手門跡である。
写真右へ行くと,東海道舞阪方面。
見付方面(国道257号)は左前方へ。
02hamamatsu-takamachi02s.jpg/高町・正福寺 02hamamatsu-takamachi07s.jpg/高町・信号右折
ひくま坂を登っていくと,右手に正福寺
がある。方広寺別院正福寺といい,
正面階段横には,奥山半僧坊里程石が
二基ならんでいる。
正福寺から奥山半僧坊まで5里16町。
ひくま坂を登り切り,高町信号交差点を
右折(北進)する。
02hamamatsu-takamachi10s.jpg/鹿谷・公園前交番 03shikatani02s.jpg/鹿谷・亀山トンネル
坂を下ると公園前交番北交差点に出る。
この付近が,名残番所跡・浜松憲兵隊
庁舎跡である。写真右手にもどると,
浜松城・作左(さくざ)曲輪跡がある。
鹿谷町には,遠州鉄道旧奥山線の
亀山トンネル跡がある。
旧奥山線は,遠鉄浜松から金指を通り
奥山までを結ぶ軽便鉄道だった。
04saiga-gake01s.jpg/犀ヶ崖交差点 04saiga-gake14s.jpg/犀ヶ崖古戦場
姫街道は浜松北高東交差点を北進する。
左折(西進)は,舘山寺街道。
写真右に犀ヶ崖(さいががけ)資料館が
見える。
交差点手前(南)に,名残追分があり
庄内道との分岐。
犀ヶ崖公園には,三方原古戦場犀ヶ崖
の石碑のほか,三方原の戦いで,
しんがりを務めた本多肥後守忠真顕彰碑
もある。
04saiga-gake05ss.jpg/犀ヶ崖古戦場 04saiga-gake17s.jpg/犀ヶ崖古戦場・夏目
犀ヶ崖は,三方原の戦い当時,東西
2km,幅50m,深さ40mの崖で,
多くの武田軍の兵士が落ちたと
伝えられている。
崖の上には,かつて戦死者を弔う宗円寺
があったが,老朽化のため取り壊され,
資料館が建てたれている。
今でも遠州大念仏が行われる。
犀ヶ崖資料館のそばに,夏目次郎左衛門
吉信旌忠碑がある。夏目吉信は,三方原
の戦いで敗走する徳川家康を逃すために,
武田軍の中に突撃し,討ち死にしたという。
このあたりを布橋といい,犀ヶ崖に白い布
で橋をかけ,武田軍を追い落としたという
言い伝えが残る。
05wajiyama08s.jpg/和地山 06azukimochi15ss.jpg/小豆餅
姫街道を北上すると,城北交差点。
静岡大学浜松キャンパスがある。
和地山・和合町などを通り,
萩丘の小川を越すと,航空自衛隊
浜松基地の敷地が見える。
そして,浜松葵郵便局を過ぎると,
小豆餅銭取本舗・御菓子司「あおい」が
ある。三方原の戦いで敗走する徳川家康
が,途中の茶店で食べたのが小豆餅。
代金を払わず去った家康を追いかけて
お金を取ったので銭取。
小豆餅や銭取の地名が残る。
07hamamatsu-oiwake04s.jpg/三方原追分 07hamamatsu-oiwake09s.jpg/三方原追分
いよいよ三方原追分の元追分交差点が
見えてきた。正面のアピタ初生店は,
2017(平成29)年10月1日に
閉店し,ラフレ初生となるらしい。 
後ろは,奥山半僧坊大権現の里程標
手前は,三方原追分の道標。
「右みやこだ 中かなさし 左きが道」
とある。
写真右は,国道257号金指へ。
写真左は,姫街道(県道261号)気賀へ。
★浜松道のルート
 連尺追分〜ひくま坂〜高町〜名残番所跡〜犀ヶ崖古戦場〜
 銭取〜小豆餅〜三方原追分 約8km 2時間30分
 平成29年11月4日(土)


★姫街道 【西】東大山一里塚 ← (浜松道) → 【東】三方原追分一里塚
★東海道 浜松宿