牟呂 (概略地図

牟呂町坂津付近

奈良時代や平安時代の昔,
坂津には,志香須賀の渡しがあった
と伝えられています。
花田から牟呂町大西付近の牟呂用水は
自転車に乗った高校生の通学路になっています。
私の撮影中にも,通りかかりました。
近くには,三ッ山古墳があります。
花田方向を望む。

真裏口(ませぐち)橋付近


牟呂町一帯は区画整理事業を実施し,
新しい街に生まれ変わりました。
新しい住宅がたくさんならんでいます。



宗住寺付近


見事な紅葉と思いシャッターをきったところ
木の実でした。
夏は蝉が鳴き,秋は木々が色づく宗住寺付近です。
旧牟呂発電所は,
この下流50mほどのところにありました。

牟呂発電所址


豊橋電灯株式会社牟呂発電所は,明治28年,
県内最初の水力発電所として作られました。
出力は15キロワットで,予定の出力に足りず,
火力発電の施設を併設していたそうです。
今は,レンガの遺構が残るのみです。

大西公園から市民病院を見る 大西公園から神野新田方向を見る
豊川左岸の低位段丘面を西向きに流れていた牟呂用水は,大西公園付近で大きく左に折れ,
南に流れていきます。
大西公園のすべり台から北を見ると,
青竹町に新築移転した豊橋市民病院を望むことができます。(写真左)
すべり台の上から西を見ると,神野新田方向をみることができます。(写真右)

神野新田への分水工


神野新田への分水工です。
牟呂用水の水は,
ここから2〜3m低い神野新田に向かって
流れていきます。
写真の右方向が,神野新田です。
牟呂用水は,南に流れていきます。

中道橋付近

県道豊橋港線はこの中道橋を渡ると神野新田に入ります。
写真左側が神野新田になります。
牟呂用水の流れも,後わずかです。


牟呂用水最終樋門

牟呂用水の長い旅もここで終わりです。
この樋門から,水は柳生川(柳生運河)に合流します。
写真の左手には市杵嶋(いちきしま)神社古墳があります。
柳生運河対岸には,神野新田干拓の歴史を証言する
神野新田資料館があります。

写真の右に見える石碑は,神野新田紀徳の碑です。

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牟呂用水/地域と自然
 ☆牟呂用水/流域紹介
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