開拓農家の年表 | ||
年 | おもなできごと | |
1945(昭和20) |
8月15日,戦争が終わる。 食糧難で、都会の人たちは買い出しを行った。 10月1日,豊根村出身の人たちが,岩西開拓団へ入植した。 (豊根村出身者が24人,浜池地区へ入植した。) 開拓者40人が共同で開墾した。 浜道町の公民館で,40人が共同生活した。 |
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1946(昭和21) |
春,浜道の農家の鳥小屋を数人で借りて住んだ。 サツマイモを植えた。親指の頭ほどのイモがと取れた。 夏,演習しょう舎に住んだ。 年末,石油の配給があった。月に1升。電気のつくまで。 21〜23年,日雇いで,梅田川の改修工事の仕事をした。 |
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1947(昭和22年 |
かじやで,かいこんぐわを作ってもらった。 22〜27年,日雇いで,粘土掘りの仕事をした。 1日120円ぐらいであった。 家をたてた。 |
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1948(昭和23) |
春,農地が仮に配分がされた。 秋,庭に井戸を掘った。 でんぷん工場ができる。たくわん作りが始まる。 岩西開拓組合ができる。 名古屋や静岡県から,貨車で二川駅までじんあいを輸送 してもらい,トラックで配分した。 |
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1949(昭和24) |
春,開拓した土地の測量が始まる。 夏,農地が配分がされた。最初は,サツマイモを作った 秋,県から農地が売り渡された。麦をまいた。 御幸神社ができた。 24・25年 炭酸マグネシウムや消石灰が国から支給された。 |
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1950(昭和25) |
1月,花祭りが行われた。 春,にわとりを飼った。(28年ごろまで) 鋳物のポンプを井戸につけた。 人ぷんを大八車で集めるようになった。 秋,電気が通った。 25・26年,ごみを豊橋の町まで集めに行くようになった |
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1951(昭和26) | 26・27年,硫安・塩化カリ・過リン酸カリウムが支給された。 | |
1952(昭和27) | 27〜28年,前芝の豊川放水路の工事に日雇いで行った。 | |
1953(昭和28) | 13号台風で被害を受ける。 | |
1955(昭和30) |
梅田川の草を刈ることが許された。 くらしが少し良くなってきた。 高師東保育園ができた。 |
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1957(昭和32) |
夏 らっかせい・ばれいしょ・かぼちゃを作り始めた。 10月,西幸町ができた。 冬,大根を作り始めた。最盛期は34年で40年まで。 県のあっせんでお金を借りて,牛を買った。 |
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1959(昭和34) | 9月,伊勢湾台風で被害を受ける。 | |
1960(昭和35) |
このころから,作物が良く育つようになってきた。 日雇いをせず,専門で農家の仕事をするようになった。 |
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1961(昭和36) |
夏作に加工用トマトを作った。 人ぷんが大量に出回るようになってきた。 |
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1962(昭和37) |
西幸町にと畜場ができた。この頃、水道がひけた。 ぶたを飼うようになった。多い時70頭。 |
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1965(昭和40) |
6月,豊川用水が一部通水された。 この頃,米作りを始めた。耕うん機を使い始めた。 冬,白菜・キャベツを作るようになった。 |
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1970(昭和45) | ビニルハウスをたてた。 プリンスメロンを作った。 |
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1972(昭和47) | すいかとエンドウを1年おきに作った。 | |
1974(昭和49) | 4月,高師台中学校ができた。 | |
1975(昭和50) | 生食用トマトを作った。メロンを作った。 | |
1977(昭和52) | 52年4月,幸小学校ができた。 | |
1980(昭和55) | いちご作りを始めた。 | |
※ この年表は西幸町の平均的な開拓農家の聞き取りをもとに作ったものです。 ※ この年表は,学習用以外には使用しないでください。 学習で使用される場合は,管理者までご連絡ください。 |
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★あっちこっち愛知 ☆高師・天伯原の開拓 ●幸・開拓かるた |