幸・開拓かるた
★かるたは,平成2年6月に作成。
かるた本文 解説


赤土に何もできない高師原
開拓者は荒れた原野の開墾に途方に暮れるのでした。


石をひろって,農園作り
荒れ地を農園にするため,石拾いをしました。


牛のふんは,だいじな肥料
やせた土地を肥やすために,道ばたに落ちている牛糞を拾うこともありました。


えん助を県や市から受けた農家の人々
貧しい生活のため,公的な援助をもらって開拓を行いました。


大きく育て,さつまいも
開墾当初は,親指大ほどのサツマイモしかできませんでした。


開こん楽しい太陽農園
苦しかった学級農園の開墾も,楽しい体験でした。


協力しあった太陽農園の開こん
自分たちの農園を作ろうと学級がまとまりました。


くらしを豊かに豊川用水
水が乏しい台地の農家は水やりに苦労しました。豊川用水ができて農業が安定しました。


けんこうな体でがんばる入植者
朝早くから,夜遅くまで働いた入植者は健康だからこそ開拓をやりとげることができました。


肥えてる土に,みみずがいっぱい
太陽農園からは,みみずがいっぱい出てきました。ミミズがいると土地が肥えます。


ささの根を,一生けんめい掘りました
戦後の高師・天伯原は,小松と笹が生えるだけの荒れた土地でした。


上手にできた,太陽農園
太陽農園には,サツマイモのつるをさしました。


すいとん食べてまずかった
開拓当時の食生活を体験するために,すいとんを作って食べました。


戦争終わって,まずしい生活
終戦後,働くところがない人たちは,夢を持って開拓に挑みました。


そまつにしない食べ物や水
開拓当時は,食べ物や水がとても貴重でした。


食べ物や水にこまった開こん当時
おなかがすいた人たちは,種の麦を食べてしまうほどだったといいます。


力いっぱい,あれ地を開く
1日に10uぐらいしか開墾できないこともしばしばでした。


土とたたかう男たち
1軒あたり,1haの土地を与えられましたが,すべてを開墾するのは,大変なことでした。


てくてく歩いてごみ集め
幸から豊橋の市街地まで,大八車で民家のゴミや屎尿を集めました。


豊根村から大ぜい入しょく
西幸町には,豊根村から大勢の人々が入植しました。


なかなか持てない,重たいこえおけ
どれだけ重いか体験するため,肥え桶に水を入れて担いでみました。


にこにこしながら,食べたすいとん
自分たちで作ったすいとんは,結構おいしく食べることができました。


(主のない畑,くやしさにじむ) 
開墾のつらさに耐えかねて,離農する入植者も数多くありました。


根っこが長いぞ,どんどんほれほれ
開墾の体験のとき,木の根を掘るのが大変でした。


農業をかえた,豊川用水
水が乏しい高師・天伯原の農業も,豊川用水の水が来て一変しました。


花祭り,つかれを忘れて楽しくおどろう
豊根村出身者は,御幸神社でふるさとの「花祭り」を楽しく踊りました。


ひとくわひとくわたがやした
開拓のはじめは,機械を使わず,手作業で開墾しました。


二川駅からじんあい運び
名古屋のゴミを貨車で二川駅まで運び,それを開墾した畑にまいて土地を肥やしました。


へいたいが,馬でかためた演しゅう地
軍隊の演習地で,軍馬にかたく踏みしめられた大地を耕すのは,大変なことでした。


盆おどりで苦しさ忘れた開拓者
盆踊りは,苦しい開拓の合間の,数少ない楽しみの一つでした。


まがってしまった,びっちゅうぐわ
土地がかたく,笹の根がからむ荒れ地を耕す
ために,かいこんぐわを特注しました。


みんなでつくろう,豊かな幸
開拓した人だけでなく,後から来た人も一緒に豊かな幸校区を創りあげたいものです。 


昔の人のあせがしみこむ高師原
今は豊かな高師原も,多くの開拓者が流した汗がしみこんでいるのです。


めまいするほどつらい夏の開こん
夏の暑い時期は,本当にめまいがするほどつらいものだったのでしょう。


(もっこ担いで,日雇い作業) 
農作物の収益だけでは生活できず,日雇い労働までする過酷な毎日でした。


(来年こそはと,願いを込めて) 
わずかな収量に挫折感を味わいながらも,来年こそはとがんばって開墾を続けるのでした。


りっぱにできたハウスのいちご
開拓地のハウスでは,毎年おいしいいちごがたくさんできます。


(るすばんも仕事,開拓の子) 
子供たちは,開墾する父母を助ける立派な働き手でした。


(連絡あれば,磯まで直行) 
表浜海岸で地引き網がある日には,手伝いにいったそうです。


老人クラブと楽しく交流
西幸の老人会のみなさんに開拓の苦労を聞きながら,一緒に歌ったり踊ったりしました。


やっぱりうまい開拓者のくわづかい
太陽農園の開墾では,開拓に携わった方にくわの使い方を教えていただきました。


夢をかなえた、開拓者
努力した開拓者は,「おなかいっぱい食べたい」という夢を叶えることができました。


よそう外に苦しい開拓者の生活
農業経験がほとんどない人にとっては,この開拓はとてもつらいものでした。


 

わいわいにぎやか正月四日の花祭り
 
御幸神社の「花祭り」は,毎年1月4日に行われます。
※ このかるたは,平成2年度,豊橋市立幸小学校4年2組の子供が作ったものです。
※ 本文の個人名については,開拓者または入植者などの表現にかえてあります。
   ( )のかるたについては,HP公開にともなって,萩さんが追加したものです。
※ このかるたは学習用以外には使わないでください。
   学習で使用される場合は,管理者までご連絡ください。
あっちこっち愛知 ☆高師・天伯原の開拓 ●開拓農家の年表