八戒は朝の光が眩しすぎてうっすらと目を開ける。と更に眩しい金色の光が目に入り、もう一度ぎゅっと目を閉じた。再びそっと開けばそれは人の髪の毛で、目の前には三蔵の寝顔があった。
 ――― どうして?! ―――
 心臓が飛び出るほど驚いた八戒は、真っ赤になりながらもその寝顔を見つめる。
いつも眉間に寄ってる皺はなく、端正な顔立ちは朝日を浴びていつもより幼く見える。蜂蜜色の長い睫毛が少しだけ動いたが、三蔵に起きる気配はない。八戒は息をするのも忘れて見惚れていた。

 ――― 綺麗…ですね ―――
 見つめてくる紫暗の瞳がないため、今はずっと見ていられる。その事が嬉しくもあり、また淋しくもあり…。と八戒は息苦しさを憶えて慌てて深呼吸した。そして何故同じベッドで寝ているのか、昨夜の事を思い出し始めた。が昨夜の記憶がない事に気付く。
 ――― えっと確か新聞を一緒に読んで、クッキーも一緒に食べて、それから、それから… ―――
 その後を思い出せない。という事はどうやらそのまま眠ってしまったらしいと思い至る。がどうして一緒のベッドに眠っているのかは判らない。困惑しながらも更に見つめていると顔がどんどん赤くなり、更には胸の鼓動も早くなってくる。
 ――― ど、どうしよう…。あっそうだ、僕歯磨きしてないんじゃないですか。早くしなくちゃ ―――
 パニック状態になってきた八戒はとにかく起きようとして、逆に身体が固まってしまう。どうやら自分は三蔵に抱きかかえられて寝ているのが、今ここにきて判ったからだ。けれど腕を退かして三蔵を起こすには忍びない。
 ――― 三蔵起きて!早く起きて下さい〜 ―――
 八戒はあまりの動悸に三蔵の寝顔を見ていられなくなり、固く目を閉じて心の中で叫び続けた。すると願いが通じたのか三蔵の眉間に皺が寄り、眉が寄り、いつもの3分の1程度に瞼が開いた。が三蔵の低血圧ですぐに目が覚める筈もなく、もう一度目を閉じると温もりを確かめるように八戒を抱き寄せる。
 ――― えええっ!?ちょっと待って下さい ―――
 八戒はますます動悸が激しくなり、息苦しさで呼吸困難に陥り、遂には全身を真っ赤にして硬直してしまった。
 ――― 三蔵の匂い、じゃなくて煙草の匂い、じゃなくて!えっと、えっと… ―――
 必死に落ち着こうとするも逆上せた頭でそれは難しく、火傷しそうなほど体中が熱くなっていく。やがて八戒の意識は朦朧としていった。



 寝惚けたままの三蔵がやっと起き上がり傍らの八戒に気付く。まだ眠っているのかと思ったが、寝ているにしてはやけに頬が赤い気がする。
 「………八戒?」
 呼びかけても返事はない。そっと触れてみると額や頬は火のように熱く、苦しそうに吐き出す息が指に当たった。三蔵は動かない頭でなんとか横向きになっている身体を仰向けにしてやると、八戒がまた少し大きくなっているのに気付いた。




 「心配だなぁ…」
 荒い呼吸を繰り返す八戒のタオルを替えてやりながら、悟空が憂い顔で呟く。
 「また急に大きくなった事と関係あるのかねぇ」
 枕もとに立った悟浄も八戒の顔色に眉を曇らせる。
 「何で?」
 「前の時はたくさん寝てただろ?今回それが無ぇからさ」
 「あ、そっか。それでこんなに熱が出たんだ」
 「さぁな、それは判らんがいずれにせよ今日の出発は無しだ」
 腕組みをして椅子に座った三蔵が、暫らく様子見だと付け加える。
 「うん……早くよくなるといいな、八戒」
 「おら、飯食いに行くぞ。今の八戒には安静が一番だろ」
 「ん、三蔵はどーする?」
 「俺も行く」
 今これ以上出来る事はないと、三蔵も椅子から立ち上がった。
 「ジープも来いよ」
 ベッドの端でやはり心配そうにしていたジープに声をかけると、後ろを振り返りつつ悟空の肩に止まる。そして長い首を伸ばしてまだ八戒を気に掛けている。
 「食ったらまたすぐに来ればいいだろ」
 「ピー」
 「八戒が起きたら食べられるもの頼んどこーぜ」
 「食欲があればいいがな」
 「医者の方はどうなってんのよ?」
 いつもに比べて何倍も静かに喋りながら3人と一匹は部屋を出て行く。静かになった部屋には意識のない八戒が取り残された。



 人の気配がなくなり暫らくすると、八戒は目を覚ました。

 ――― あれ?…僕は ―――
 額の上にひんやりと冷たいタオルが乗っている。頭の下も冷たく動くと氷の音が聞こえくる。少し冷たすぎる気がしてタオルを外すと八戒はゆっくりと起き上がった。サイドテーブルには氷水の入った盥があり、八戒はタオルをそこに置いた。
 「どうしたんでしたっけ……」
 と唐突に三蔵の寝顔と抱き寄せられた事を思い出して、八戒は1人で赤くなる。
 「そうだ、それで熱が出て意識がなくなったんですね」
 今周りに人がいない事にほっとしながら、頬が冷めるようペチペチと叩く。それよりもと八戒は思い立って、先程のタオルを頬に当てた。ひやりとした感触が心地好い。火照りが治まってきたところで八戒は、お腹が空いているのに気付いた。
 「皆ご飯を食べに行ったんでしょうか…」
 自分も食べに行こうとベッドを降りようとして、ふと違和感を憶える。今自分が着ているのはぶかぶかのシャツ一枚だけなのだ。
 「僕、こんな格好で寝ましたっけ?」
 もう一度思い返してみてもそんな記憶はどこにもない。ということは…。考えついた事で八戒は又真っ赤になった。三蔵に着替えさせてもらったという事実に気付いて、ますます顔を赤らめる。

 ――― ちょっと待って下さい。何で僕、頬が赤くなるんですか!?別に男同士だし、だから何ってわけでも ―――
 そう思いながらも三蔵の姿を思い浮かべるだけで八戒は胸がドキドキし始めた。
 ――― ど、どうしてですか!?だって今は膝の上に乗ってるわけじゃなし、すぐ近くに寝顔があるわけでもなし…。落ち着いて下さい自分! ―――
 必死になって八戒は目を瞑り、心臓の上に手を当てる。けれど動悸は一向に良くならず、心臓は更に早鐘を打ち、悪い事に痛みまででてくる。
 ――― どうしよう、これはきっと病気なんですね。早く治すにはどうしたら… ―――
 と顔を赤くしながら1人で焦っていると扉が開いた。
 「!!」
 「八戒!熱があるのに起きてちゃダメじゃん」
 「え?えーっと…」
 一番最初に悟空、次にジープと悟浄、そして最後に三蔵の姿を見て、八戒はまた全身火に包まれたように赤くなった。
 「ほら、早く横になって。あ、そーだお腹空いてない?おばちゃんがおかゆ作ってくれるって」
 悟空にそっと押されて八戒はまた氷枕の上に頭を乗せる。そして布団を肩まで掛けられえ、又冷たく絞ったタオルを頭に乗せられた。
 「空いてます。けど…」
 「じゃ俺、作ってもらってくるな!」
 八戒が食欲があるのが嬉しくて、悟空はすぐに部屋を出て行った。
 「なんか医者が遠くの村に行ってて、帰ってくるのが明日か明後日なんだと。飯食えるんだったらその後の方がいいよな。宿のおばちゃんが解熱剤くれたからさ」
 そう言って悟浄がサイドテーブルに薬包を置いた。三蔵は少し離れた椅子に座り煙草を咥えている。何気ない風を装っていながらも、視界に八戒を入れて気に掛けている。その八戒は熱が上がる原因が三蔵である事に気付いて、逆になるべく視界に入れないように努めた。けれどそうする一方で目は勝手に三蔵を追ってしまう。困り果てたところに扉が開いて、悟空がおかゆを持って戻ってきた。ほっとしておかゆを食べ始めた八戒だったが、お腹は空いているものの、胸が一杯であまり食べる事が出来ない。それでも薬を飲んで横になった。薬が効けばいいと願いながら、多分効かないのではないかと心の片隅で思いながら目を閉じた。



 1人にして欲しいと言われて三蔵は渋々悟浄と悟空の部屋へと移動した。が当然ご機嫌が麗しい筈もなく、恐ろしい仏頂面で新聞を広げた。八戒の傍には自分が付いているものと思っていたところ、拒絶されたからだ。自分が付き添うとは口に出してはいないが、八戒は当然判っているものと思い込んでいた。新聞を広げてはみたものの、目は一向に文字を追ってはくれず、替わりに煙草を吸うペースは異様に早くなっていた。
 「お、俺八戒の体に良さそうな物買ってくるよ」
 「お前に判るのかよ猿、仕方ねぇから俺が付いてってやるよ。解熱剤も買い足しといた方がいいしな」
 増大していく不機嫌オーラに恐れをなした2人は、とばっちりが来る前に逃げるが勝ちを選択した。
 「三蔵、八戒に何かあったら頼むな」
 「たまの様子見くらい大丈夫だと思うぜ」
 置き去りにするのも気の毒かとジープも伴い、2人は手を取り合うように部屋を出て行った。
 「ちっ、あいつら」
 残された三蔵は八つ当たりの対象に逃げられて悔しそうに舌打ちした。


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2005/09/22