それから様子を見に部屋に何度か訪れたが、八戒が目を開ける事はなかった。それが寝た振りである事に三蔵は気付いていた。そして三蔵がいなくなると八戒は、ベッドの下に隠した、宿のおかみに借りた家庭の医学書を読むのだった。
 夜になって三蔵はおかゆが入った櫃と水菓子の乗った盆を持って部屋へと入った。そしてサイドテーブルに盆を乗せると椅子にどっかりと座り、懐から煙草を取り出した。
 「おい、いい加減狸寝入りはやめろ。俺が嫌なら出てってからちゃんと食え」
 そう言うと八戒は慌てて目を開けて上半身を起こした。
 「ち、違います。三蔵が嫌なんて事は…」
 「ならどうして猿と河童が来た時はちゃんと起きて飯を食った?顔色もそんなに悪くなかったと聞いたぞ」
 「それは……」
 自分が様子を見に行った時は、顔は赤く熱も高そうでいつも容態が悪そうだった。だが2人が見に行った時はそうではないらしい。2人がこの事で嘘を吐いているとは考えにくく、狸寝入りも考え合わせれば、自分だけが拒絶されているのだと気付くのは簡単だった。そして今も熱で火照った顔を俯かせ、言葉を探している。三蔵は煙草を吸う事なくへし折ると、立ち上がった。
 「出てってやるから、ちゃんと食えよ」
 「待って下さい三蔵!実は僕、貴方にお話が…」
 必死で言い募る八戒の顔がさっきまではあれほど赤かったのに、今は白いくらいに青褪めている。三蔵は尋常ではない八戒の様子に片眉を上げると、椅子に座りなおし新たな煙草を取り出した。その様子にほっとした八戒は、握った拳を心臓の上に当てて意を決して顔を上げた。
 「僕をここに置いていって下さい」
 「………」
 その言葉に三蔵は瞳を眇めたが、そのまま煙草を吸い続ける。
 「僕、病気なんです。ですからこれから先、旅の足手纏いになります。だから…」
 「病気が何だか判っているのか?」
 あまりにも断定的な言い方に三蔵は言葉を遮る。
 「いえ、何の病気かは判りません。でも原因は判ってます」
 「それは何だ?」
 八戒は一度息を吸い込むと、真っ直ぐに翠の瞳を向けた。
 「三蔵、貴方です」
 予想した答えに三蔵は黙って聞く。八戒は少し俯いて視線を外すとそのまま続けた。
 「貴方の事を見たり考えたりするだけで、動悸、息切れ、目眩に食欲不振、それに発熱おまけに疼痛まであるんです。ある特定の人物によって起こるそんな症状なんて家庭の医学書に載ってませんでした。きっと一般的な病気じゃないんだと思います。ですから…」
 三蔵は先程までの不機嫌を遠く彼方へ追いやり、ちょっと待ってくれと心の中で呟いた。聞いてるこっちが恥ずかしくなると思わず口元を覆い、誤魔化すように煙草を指で挟む。
 「……お前それ、一般的な病気だぞ」
 「三蔵、判るんですか?」
 「あぁ、多分な」
 翠の瞳を丸くした八戒に、三蔵は近付いた。
 「ちょっと、近寄らないで下さい三蔵。これ以上僕の脈拍を上げてどうするんですか」
 真っ赤になって必至に言い募る八戒は至って真剣だ。三蔵は表情が出ないよう口元を引き締めてベッドの傍に立った。
 「嫌なら逃げればいいだろう」
 「こんなに熱があるんですから逃げるなんて無理です。あまり病人を苛めないで下さい。今だってこんなに胸が痛くて苦しいのに…」
 胸を両手で押さえて俯く八戒は頬を染めて恨めしい視線を送ってくる。潤んだような瞳は、本人の意思とは関係なく誘うような色香がある。三蔵はこげ茶の髪を分けて額に触れてみる。すると八戒の身体は大きく震えて過剰に反応する。
 「確かに熱いな」
 「触らないで下さい。余計に熱が上がります」
 そう言いながらも手を払うことはせず、八戒は身を固くして動かない。睨み上げてくる翠の瞳が一層美しくなる。お前が悪い、と三蔵は心の中で呟くと頤に手を掛け上向かせる。
 「だが俺にしか治せない病気だぞ」
 「え?」
 三蔵は病名を言う替わりに口付ける。触れるだけの一瞬のキス。
 八戒はこれ以上開く事の出来ないくらい目を見開いて、時間が止まったように固まってしまった。
 「どうだ、治ったか?」
 声を掛けられて三秒後、八戒は火を噴いたように全身を赤く染め上げた。
 「な、な、な、何するんですか!前より酷いです」
 怒りのピークを過ぎ、逆に力が抜けてぐったりとしてしまった八戒を、三蔵は抱き締める。八戒は諦めたように凭れかかりされるがままになっている。
 「三蔵は僕を殺す気なんですね」
 抵抗がないのを確かめて、三蔵はこげ茶色の髪に口付ける。
 「こうされるのは嫌か?」
 「いいえ。でも頭がぼーっとしてきて…きっともう、このまま高熱で死ぬんですね僕」
 確かに熱い身体を抱きすくめて、三蔵は八戒の耳元に囁いた。
 「死ぬ前に何か聞こえねぇか?」
 「三蔵の声が…」
 「他はどうだ?」
 耳元で囁かれる三蔵の声は、思考と身体を麻痺させる力があるらしい。意識が遠のいていく中で、目を閉じた八戒は規則正しく刻まれる音を聞いた。
 三蔵の鼓動だ。
 耳を澄ませれば自分と同じ早い律動が響いてきて、八戒は安心するような温かさに包まれる気がした。
 「三蔵の心臓の音が聞こえます。僕と同じように早いですね。聞いてると気持ちいいです」
 「動悸があるのはお前だけじゃねぇってことだ」
 溶けかけた八戒の頭は冷水を浴びせられたようになり、顔色を変えて三蔵を見上げる。
 「三蔵も僕と同じ病気なんですか?」
 「そうだな。そしてお前にしか治せん」
 「え?」
 再び驚愕で固まった八戒に三蔵は口元が緩むのを止められない。
 「早く大きくなれ八戒。そうすれば判る」
 言いながら三蔵はもう一度口付ける。啄むように何度も何度も、離れては口付ける。やがて触れるだけでは飽き足らず、唇を舐めて舌を差し入れる。腕の中の身体が跳ねたのは判ったが、三蔵はそのまま戒めて構わずキスを深くしていく。怯えて縮こまる舌を撫でて誘い、吸い上げて思うままに蹂躙する。やがて硬直した身体が弛緩し、再び完全に自分に預けるまで。
 口付けが解けた八戒は、唇を閉じる事も出来ずに荒い息を吐いて、端から含みきれなかった透明な滴を零している。熱に浮かされた身体は三蔵の支えがなければ崩れ落ちるほどで、完全に溶けて涙を湛えた翠の瞳は壮絶な艶を放っていた。
 三蔵はここにきて自分が失敗をした事を悟った。
あまりの愛しさについ手を出したが、これはあの八戒ではない。いくら大きくなってきたとはいえ、精神的にはまだ子供である。しかしながら育ってきた身体は多少小さいとはいえ八戒である。子供でありながらこの色気は反則だろう、と三蔵は自分の理性となけなしの道徳心で戦わなければならなかった。
 そして戦いの終わりは訪れる。
 「
――― 三蔵」
 この声に三蔵は一度も勝てた事がない。そして据え膳を前に三蔵が武士の覚悟を決めた時、間近で人の気配がした。
 「やーい、ショタコン」
 「………誰だ、貴様は」
 三蔵はまな板の八戒を抱き締めて隠すようにしながら、懐から銃を取り出し、露出狂の女に照準を合わせた。
 「キスした相手にご挨拶だな。俺はお前の命の恩人だぜ」
 確かに神に命を救われた事は八戒から聞いていた。しかしこんなヤツなのか、いやその前に本当に神か?と三蔵は胡乱な目つきになる。そんな三蔵を面白そうに見遣り、観世音菩薩は人の悪い笑みを浮かべた。
 「そこの天蓬…じゃなくて今は八戒の誕生日に”主婦の休暇”をプレゼントしてやったんだよ」
 「何だソレは」
 「この旅の一番の功労者を労ったって訳だ」
 「あれのどこがだ?」
 三蔵がいくつ青筋を立てても、観世音菩薩はどこ吹く風とにやけ顔である。
 「小さくなれば何もしなくて済むからな。しかも誰かの相手をして体調不良になる事もねぇーし。ま、でもお前がキスしちまったから休暇は終わりだ。」
 見れば腕の中の八戒は言われた通り元に戻っていた。
 「卵と羽根はオプションだ。どうだゆっくりできたか?八戒」
 「……お陰様で。自分でした方がジレンマとストレスがない事を再確認出来ました」
 八戒は三蔵の胸に手を付いて観世音菩薩にニッコリ笑ってみせた。
 「良かったな玄奘三蔵、犯罪者にならなくて」
 ニヤリと質の悪い笑みを残して観世音菩薩は、部屋から唐突に消えた。
 「何だったんだ、今のは」
 「貴方の命の恩人、観世音菩薩さんですよ。前に話したでしょうって、貴方見てなかったんでしたね」
 「お前アイツと密約でも交わしたのか?」
 「まさか。ただ夢に出てきて、お前に誕生日プレゼントをやるから有り難く受け取れって尊大に言われて、後は貴方も知っての通りです」
 「ちっ、たく傍迷惑なヤツめ」
 「うーん、そう言えばお前にキス出来なかったから趣向をこらしてやる、って言ってたような」
 「…て事は」
 「貴方のおまじない、本当に効いてたんじゃないですか?でも最後のは…子供にするキスじゃないんじゃないですか?」
 軽く睨むようにしてくる翠の瞳に三蔵は人の悪い笑みを浮かべる。何しろ今は2人共ベッドの上で、しかも八戒はシャツ一枚の格好である。そして睨んでくる本当の気持ちは子供の八戒に教えて貰ったばかりである。すらりと長く白い足が誘うように、惜しげもなく晒されていて、三蔵はそこに手を這わせながら八戒を抱き寄せた。
 「元に戻れたのに不満なのか?」
 「違います!ディープキスである必要が本当にあったのかって言ってるんですよ。別に普通のキスでも戻れたんじゃないですか?幼気な子供にセクハラする悪徳生臭坊主の行動を非難してるんです」
 そう言って八戒は不埒を行う手をピシャリと叩く。けれど腕の中から出ようとはせず、能面のような笑みを向ける。しかし三蔵は喉の奥で笑った。
 「死ななくて良かったな、八戒」
 一瞬で全身を赤く染めた八戒は思わず顔を背けて、三蔵の腕の中から出ようとした。が三蔵がそれを許す筈もなく、強く抱き締めて片手をシャツの下に滑りこませる。唇は首筋を辿り鎖骨の下に止まり紅い跡を付け、片手は背中からわき腹、そして足の付け根へと感じるところを辿る。足掻こうとしていた身体は、三蔵の愛撫が進むにつれて抵抗がなくなっていく。反応がよくなり身体の力が抜けてきたところで、三蔵は八戒を押し倒した。そして耳をカフスごと甘噛みしながら囁く。
 「身体だけは素直なままだな」
 過敏に反応した身体と首筋が赤くなるのを楽しんで、三蔵は八戒の着ているシャツのボタンに手をかける。
 「……ちょっと、三蔵…」
 「散々待たされたんだ。もう待てん」
 八戒の言葉を先に取って宣告すると、三蔵はシャツを取り去り腕の中に閉じ込めた。小さくても大きくても全て自分のものだと言うように。そして瞳を覗き込めば、翠は緩やかに綻んだ。
 八戒は今までの自分を思い返し、顔から火が出るほどの恥ずかしさで抵抗しようとした。が全て知られてしまっている三蔵に通用するわけもない。元より小さな頃からずっと好きだった三蔵に求められて拒めるわけもない。子供の自分に見せてくれた優しい紫の瞳を思い出す。
 八戒はゆっくりと両手を上げ、三蔵の首に腕を絡めて片膝を上げる。
 「そうですね、貴方にちゃんと治して貰いませんと」
 「そうだな、ちゃんと大人にしてやるよ」
 「……ちょっと、すけべ過ぎません?その言い方」
 「お前が言ってた病状の方が恥ずかしいんじゃないか?」
 至近距離で顔を赤らめた八戒の鼻先にキスを落とすと、三蔵は口角を上げた。
 「安心しろ、大人になっても可愛がってやるよ。誕生日に祝えなかった分も含めてな」

 ほどなくして三蔵は、嬌声がどんな声か八戒に身を持って思い出させた。



end.
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2005/09/22