翌日は予報通り朝から雨だった。止みそうもない雨に早々と延泊が決まり、4人は1つの部屋に集まり暇を持て余していた。三蔵は新聞を広げ、他3人はトランプに興じている。 「クスクス、また悟空がババですね」 「本っ当弱ぇーよなぁ、お前」 「あーもう八戒、小さくても何でそんなに強いんだよ」 「そりゃーお前、小さくても八戒だからだろ」 ニコニコと笑う八戒に、悟空はそれだけで納得してしまう。小さい頃からこんなに強かったのかなぁと思っていると、八戒にポンと肩を叩かれる。 「負けた人は勝った人の言うこと聞くんでしたよね」 「お、おうっ」 全勝した八戒はよいしょとベッドの上から降りて、悟空の手を取った。 「じゃあ、行きましょう」 「どこ行くんだ?八戒」 「ちょっとそこまで、です」 「ふーん、じゃあ肩車してやるよ。そこまで」 「僕が勝ったんですよ?」 「あ、嫌だった?」 「いいえ、じゃあお願いします」 律儀に頭を下げる八戒を、悟空は軽々と肩に担いでしまう。 「どう?」 「高いです。物が違って見えて新鮮ですね」 天井は近くなり、テーブルは低くなり床が遠のく。大きくなれたような見え方に嬉しくて部屋を見回していると、眼鏡を掛けて新聞を読んでいた三蔵と目が合い、笑みが零れる。悟空は手っ取り早く大きくしてくれたのだと判って、お礼を言うとお兄さんの笑顔が返ってきた。 「もっと高い所から見たけりゃ俺がしてやるぜ」 「だめだよ悟浄、俺が一番負けたんだから俺がするんだよ。な、八戒」 「はい」 八戒の笑みが嬉しくて、悟空は得意げな顔になる。普段は子供扱いされているので、自分より小さくなった八戒の面倒をみるのが嬉しいのだ。八戒の足をしっかり持って、悟空は上目遣いで八戒を見た。 「で、どこ行くんだ?八戒」 「先ず部屋を出て下さい」 「いってらっさぁ〜い、気ぃつけてけよ」 ヒラヒラと手を振る悟浄に八戒も手を振り返す。 「すぐに戻ります。ちょっと待ってて下さい」 「へへん、良い子でお留守番してろよ、悟浄」 「てめぇ、猿が言うな」 仲良く笑いながら2人が出て行くと、部屋は喫煙室になる。悟浄もハイライトを取り出し火を点けた。 「ま、アレだな。小さくなるのも悪い事ばっかじゃねぇな」 返事を期待してるわけではないので、悟浄は紫煙を吐き出し続ける。 「こんな雨の日でも八戒の笑顔は全開だからな」 「雨の日でも笑うようになってきたじゃねぇか」 上っ面の笑みではなく、馬鹿話をしている最中でも本当に笑うようになってきた事を三蔵は知っていた。その回数が少しづつ増えている事も。 返事が返るとは思ってなかった悟浄は片眉を上げて、新聞から目を上げない三蔵を見た。 「ま、そりゃそーなんだけど、さすが三蔵様。よく見てらっしゃること」 「隣にいれば嫌でも判る」 舌打ちしながら新聞を捲る三蔵を、悟浄はにやにやしながら見ていた。そして不穏な空気が険悪になる前に、廊下から楽しそうな声が聞こえてきた。 「ただいま帰りました」 「うわっ何だよ、部屋真っ白じゃん」 「三蔵サマと2人じゃこうなるって。ところでコーヒーブレイクか?それは」 悟浄が窓を開けて振り返ると、悟空の持った大きなお盆の上にコーヒーメーカー一式とマグが4つあるのが見えた。 「そ、八戒おばちゃんに淹れ方教わってきたんだぜ。俺にこれを運んで欲しかったんだって」 悟空がお盆をテーブルの上に置くと、八戒はさっそく準備に取り掛かった。 ポットにコーヒーが落ちるまで、悟空と八戒は仲良く蜂蜜入りホットミルクを飲んでいた。 「やっぱりお子さまにはホットミルクってか」 「何だよ悟浄飲みたいのかよ。やらねーからな」 「誰がそんなお子さまな飲み物いるかよ」 「甘いのだめだもんな、悟浄。俺が八戒とお揃いだからひがんでんだろ」 「おい猿、人の言う事聞いてんのか?」 「だからやらねーって言ってるだろ。八戒、美味いよなーコレ」 「はい、昨日三蔵が同じものを作ってくれたんです」 「へーほー、三蔵サマがねー」 途端にニヤケ面になった悟浄に、三蔵は懐に手を入れた。 「涼しくなりてぇらしいな」 「お、八戒ほら、コーヒー落ちきったぜ」 わざとらしく大声で悟浄が言うと、八戒は自分のマグをテーブルの上に置いた。 「はい。今淹れますからちょっと待ってて下さい、三蔵」 八戒は椅子の上に立ち足りない身長を補うと、コーヒーメーカーからポットを取り出しマグへとコーヒーを注いだ。そしてミルクポットを持った八戒に悟浄は慌てた。 「あ〜、俺はそのままでいいぜ」 「でも体に悪いんでしょう?」 心配しながら叱るように言う八戒は、いつもの八戒のようで悟浄は言葉が詰まる。そこを狙い済ましたように三蔵が呟いた。 「八戒、入れていいぞ」 「はい」 そうして悟浄が止める間もなく、八戒は嬉しそうにとぽとぽとマグにミルクを注いだ。 「あってめ三蔵、八戒使って嫌がらせかよ」 「じゃあお前は八戒の好意を無駄にする気か?」 「どうぞ」 可愛らしい笑顔で差し出されたマグの中には、カフェオレのように白くなったコーヒーが入っている。しかし悟浄は受け取ることしか出来ない。 「……いただきます」 ニコニコと満面の笑みに見つめられながら、悟浄は心で涙しつつ残せないコーヒーを飲み始める。苦行に励むようにコーヒーを飲む悟浄を見て、やっぱ八戒ってすげぇと悟空は呟いた。上機嫌で振り返る八戒に、三蔵は新聞を畳む。 「俺はお前のでいい」 「砂糖は入れますか?」 「お前のが甘いからいらねぇだろ」 「飲みかけですけど、いいですか?」 「あぁ、構わん」 「じゃあ、どうぞ」 そう言って八戒は自分のマグを手渡す。受け取った三蔵は少しだけミルクを飲むと、次に渡されたマグからブラックコーヒーを飲んだ。その様子を目を丸くして見ていた悟浄は思わず叫ぶ。 「何だよソレ、ずりぃだろ三蔵!」 「要はミルクを摂取すりゃいいんだ。そうだな?八戒」 「はい、お腹の中で混ざっちゃいますから」 「馬鹿だなー、悟浄」 「……お前にだけは絶ってぇ言われたくねえよ猿。八戒じゃあもう一杯、今度はブラックを淹れてくれよ」 「だったらそのミルクポットのミルクを飲めよ。これ以上八戒の飲む分を減らすな」 三蔵に言われて八戒を見れば、実に美味しそうにホットミルクを飲んでいる。マグを口から離した八戒に上目遣いで見られて悟浄はうっと固まる。いつもは45度の脅迫まがいのおねだり目線なら、これは傾斜角30度の絶対服従目線だと悟浄は思った。身構える悟浄を見ながら八戒が口を開く。 「これ、飲みたいですか?」 「いや、いいって。それはお前が飲めよ。その代りもう一杯淹れてくれない?」 強請られなかった事に心底ほっとした悟浄に、八戒は天使の笑顔を見せる。ちきしょう可愛いじゃねぇか、と心の中で叫びながら悟浄は空になったマグの底を見せた。すると悟空も立ち上がって手を上げた。 「あ、俺も飲む。その余ったミルク全部俺のに入れてくれよ八戒。後砂糖も入れて」 「はい、判りました」 空のマグを置かれて八戒は嬉しそうに再び椅子の上に立ち、オーダー通りのコーヒーを2つ淹れた。悟浄と悟空がそれぞれマグを受け取ると、三蔵が口を開く。 「てめぇらそれは部屋に帰って飲めよ」 「え?何でだよ」 「そーよ、どーしてよ?」 「八戒はこれから昼寝だ」 たくさんの眠りの後に八戒が大きくなった事を思い出した2人は、同時にあっと言った。 「でもこの前、俺達が煩くしててもずっと寝てたじゃん」 「あれは寝た後だろうが」 「そっか」 「ま、もうちっとこの姿見てたいってのもあるけど、そういう訳にもいかねぇしな」 悟浄が八戒の頭をくしゃりと撫でると、悟空も椅子から立ち上がる。 「じゃーな八戒、いっぱい寝ろよ」 「コーヒー、サンキュな」 2人がそれぞれマグを持って部屋を出て行くと、八戒は困った顔で三蔵を振り返る。 「あの…三蔵、僕今眠くないんですけど」 「俺が静かにコーヒーを飲みたかっただけだ」 事も無げに言うと三蔵は読みかけの新聞を開く。八戒は瞳を丸くして三蔵を見たが、やがてふわりと微笑んだ。 「もう一杯飲みますか?三蔵」 「あぁ」 声は違えど以前と変わらない言葉遣いに、三蔵も同じように返事をした。 |
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2005/09/22