自分の身体に何かが触れて、三蔵は気配で目を覚ます。 「あ、起きちゃいました?三蔵」 あぁ八戒か、と思いながら三蔵は目を開ける。目の前で毛布を掛けようとしている八戒は小さくて、何故だろうとぼんやり思う。だが大きな翠の瞳は間違いなく八戒で、にこりと笑って毛布を掛けてくれた。 「夕飯まで時間があるので、まだ寝てても平気です」 よく見れば八戒は小さく、着ている服は更に小さくて窮屈そうに見える。それが気になり三蔵は八戒の腕を掴んだ。 「お前、戻ったのか?」 「三蔵、まだ寝惚けてるんですね。ちゃんと横になって眠ったほうがいいですよ」 八戒は壁に寄りかかって寝ていた三蔵の肩に手を置くと、そっと横に倒した。そして呆気に取られている三蔵に毛布を掛けなおし、上からぽんぽんと2回叩く。 「僕付いててあげますから。それとも一緒に寝た方がいいですか?」 にこやかに笑っている八戒をまじまじと見つめると、どうやら少し大きくなっているようだ。言葉遣いでもそれが判る。中身は戻っているのではないかと見つめる三蔵の視線に、少し大きくなった八戒は、はにかむように俯いた。 「僕、急いで大きくなったんです。足手纏いにならないよう、三蔵を守りたくて」 どうやらまだ戻っていないと判断した三蔵は、上半身を起こし俯いている八戒の頭をくしゃりと撫でた。 「別に足手纏いじゃねぇよ」 「でももっと役に立ちたいんです。急ぎますから、もう少し待ってて下さい」 真剣な瞳で訴える八戒に、三蔵は先程までとは違う気持ちが生まれてくる。 「そんなに焦るな。どうなってるかは判らんが、また身体に負担がかかるかもしれん」 少しずつ大きくなっていく八戒に愛しさを込めて頬を撫でると、八戒の顔が真っ赤になった。 「どうした?」 「判らないんですけど、急にどきどきして…」 耳まで赤く染めた八戒は先程までの大人振りはどこへやら、照れてまた俯いてしまった。 「ほう、もっと小さい時は自分から抱きついてきたくせにな」 「え?」 真っ赤になったまま驚いて顔を上げた八戒を、三蔵は手を伸ばして抱き寄せる。 「え、え?!三蔵?」 「こんな風によく抱いてやってた」 更に赤くなり頭のてっぺんから湯気でも出しそうな八戒は、三蔵の腕の中で硬直してしまった。普段の八戒では絶対にないその様子に三蔵はほくそ笑む。嫌なら離れればいいものを、それも出来ずにますます俯き三蔵の着物を掴んだ。 「何か……恥ずかしいです」 消え入りそうな声で呟いた八戒の、身体から早い鼓動が伝わってくる。感情を露わにする八戒が可愛くて愛しくて、三蔵は想いのまま額に口付ける。 「三蔵っ!」 火が点いたように真っ赤になった八戒は、悲鳴のように叫んで慌てて離れる。慌てる姿に三蔵は唇の端を吊り上げた。 「早く大きくなるおまじないだ」 「ごまかさないで下さい」 口元を両手で押さえて林檎のように赤くなった八戒に、新しい楽しみを見つけた三蔵だった。 買い物から帰ってきた2人は少し大きくなった八戒に驚く間も無く、もう一度服を買いに行かされて、なんとか宿の夕飯に間に合うように戻ってきた。そして見た目よりも大人びた八戒に納得しつつも目を丸くした。 「で、もう三蔵さまは卒業なわけ?」 「卒業って、どうしてですか?」 「ん〜だってもっと小さい時は三蔵の膝の上で食べてたぜ。今だってその背じゃ食いにくいだろう?なのに席まで離れてるし、何かあったのかなーって思うぜ」 「そんな憶えてない事を言われても…」 鋭く突かれて八戒は少し頬を染めて俯く。その様子に悟浄は片眉を上げた。 「ふ〜ん、さすが最高僧さま。ちょ〜っと大きくなったからってもう手を出したのか。やる事早いねぇ」 「貴様にだけは言われたくねぇな、このエロ河童」 三蔵が悟浄に容赦なく銃弾を浴びせている横で、悟空は八戒にしゅうまいの皿を取ってやる。 「これも食えよ、八戒。でも本当に何か変な感じだな。何かあった?」 「ありがとう悟空。その、おまじないをしてもらっただけですよ」 「おまじない?」 「はい、早く大きくなれるおまじないです。ご馳走様、僕これ片付けますね」 ますます頬を赤らめた八戒は、空いた食器を手早く重ねると、ぴょこんと椅子から飛び降りる。そして慌てて調理場まで持って行くと、奥から坊や偉いわねぇという声が聞こえてきた。 「うわぁー八戒可愛い。真っ赤になって逃げちゃったよ」 「やっぱ手ぇ出してたんだな。よっ、さぁすが鬼畜生臭坊主」 「今日を河童の命日にしたいらしいな」 諌め役の八戒はいない。三蔵は遠慮なく至近距離で悟浄に銃口を向ける。 「ちょっ、おーい、三蔵サマ目がマジだって。軽いジョークだろ?」 悟浄は食事を悟空に食い尽くされる前に、両手を上げてみせた。 「でもまじないって、何で?」 「早く大きくなりてぇんだと」 「ふーん。これから八戒こうやって少しづつ大きくなって戻んのかな?」 「さぁな」 「にしても八戒遅くねぇか?部屋に戻るにしても鍵ここだぜ」 悟浄が調理場の方を見遣ると、丁度八戒と宿のおかみがデザートを持ってやって来た。 「はい、デザートお持ちどうさまでした」 杏仁豆腐にあんみつ、ごま団子等を並べながら、おかみは空になった皿を重ねて片付けていく。 「随分としっかりした可愛いお子さんですねぇ」 フルーツの飾られたプリンを前に、八戒はいただきますと手を組んでいた。その様子に目を細めてから、おかみは悟浄を流し見た。その目は俺が子持かよ?と思いながら残る坊主と猿を見て、それもそうかと悟浄は納得した。 「だろ?俺に似てすげぇ可愛いっしょ?」 「本当に。育て方がいいんですねぇ。うちにも同じくらいのがいますけど、手が掛かってしょうがないですよ」 ごゆっくりとおかみがテーブルを離れると、悟浄は冷たい視線を浴びる。 「ざけんな河童、誰がお前の子だ」 「いいっしょ?だっていちいち説明すんの面倒じゃん」 「良くねぇよ!八戒ショックで固まってるぜ」 え?と悟浄が見れば八戒はスプーンを持ったまま、今にも泣きそうな顔で硬直していた。 「おい八戒、それもひどくねぇか?」 「どこがだ。当然の反応だな」 そうだそうだと悟空にまで言われて悟浄は、八戒の頭にポンと手を置いた。 「悪ぃ八戒。違うって、本当はお前俺の子じゃねぇよ」 氷解の呪文を聞いた八戒は意識が戻り、怖々と首を巡らし悟浄を見た。 「本当に?」 「あぁ、本当だって。お前はここにいる誰の子供でもねぇよ」 「え?じゃあ僕は…」 「後でそこにいる最高僧サマが教えてくれるってさ。なぁ三蔵?」 「貴様…」 面倒事を押し付けられて三蔵の眉間に皺が寄る。 「だって俺の子供って言われてショック受けてるんなら、三蔵さまの説明ならばっちりっしょ?」 「確かに。悟浄の説明だと又八戒泣き出しちゃうかも」 「何かお前に言われるとすげー腹立つ」 「だって本当の事だろ?」 いつもの諍いが始まる中、八戒は物言いたげな目を三蔵に向ける。三蔵はハリセンを駆使した後、椅子に座りあんみつを食べ始めた。 「先に食ってからだ」 「…はい」 2人はデザートを食べると早々に部屋へと移動する。後には頭から煙を出して突っ伏している2人が、早く起きろとジープに突つかれていた。 「そうだったんですか…。僕元々大きかったんですね」 「あぁ」 「ごめんなさい。僕皆さんに迷惑をかけて」 「なっちまったもんは仕方ねぇし、原因も判らねぇんだからしょうねぇだろ」 「でも…」 部屋で説明を聞いた八戒は責任を感じて俯いてしまう。以前の八戒なら落ち込みを隠し通そうとするが、今は子供である。意地を張り通されても素直になられても、困るのは一緒だなと三蔵は溜息を吐いた。 「………三蔵?」 「ちょっと待ってろ。すぐに戻る」 「…はい」 不安に揺れる翠の瞳はそれでも縋りついてこない。やはり少し大人になっているんだな、と三蔵は少し淋しい気もしながら席を立つ。暫らくした後、部屋の扉が開くと三蔵が2つのカップを持って戻ってきた。 「三蔵」 「眠れなくなると大きくなれないんじゃねぇか?」 熱いぞと言い添えた三蔵は、八戒の小さな手に湯気の浮かぶカップを持たせる。真っ白いマグには白い液体が入っていて、縁には薄い膜が張っていた。 「ホットミルクだ」 「三蔵のは?」 芳ばしい香りはそっちの方から漂ってくる、と鼻を利かせた八戒は三蔵のカップを覗こうとする。三蔵は自分のマグに入っている褐色の液体を見せてやった。 「俺のはコーヒーだ。今のお前には美味いもんでもねぇぞ」 「でも良い香りがします」 「飲んでみたいのか?」 「はい」 小さく頷いた八戒に三蔵は知らねぇからなと言って自分のマグを渡し、八戒のマグを引き取ってテーブルの上に置いてやった。 「熱いぞ」 そのまま飲もうとした八戒に再度忠告してやれば、八戒はふうふうと息を吹きかけ湯気を飛ばす。そしてそろそろとマグに口を付けて、一口飲み込んだ。途端に眉、目、口と段階を追って八戒は顔を歪めていく。その様子に三蔵の口元も綻ぶ。 「今笑いましたね」 「忠告を聞かなかったお前が悪い。それでも砂糖入りなんだがな」 「これで?!」 驚きながらも片眉を上げた八戒の顔に三蔵はあからさまに笑ってしまった。普段の八戒は笑顔が凍ることはあっても、絶対にこんな顔をしない。貴重なものを拝めて三蔵はなんだか徳をした気分である。 「僕のこと面白がってるんですね」 「自業自得だろ。もう寄越せ、お前のはおかみが蜂蜜入りにしてくれたやつだ」 「嫌です。もう一口飲んでからにします」 頑なで負けず嫌いなところは変わらんな、と思いながらも口角が上がるのは止められない。八戒が苦味に我慢して耐えながら飲む姿に眦も下がる。 一体いつ戻るのか、不安はあるがそれでもこんな時間は悪くないと思う。こんな時、いつもコーヒーを淹れてくれた八戒を想う。そして今一緒に過している小さな八戒を見た。 「もういいだろう。あまり飲むと眠れなくなるぞ」 「どうしてこんなのが美味しいんですか?」 渋面の八戒が両手でマグを返してきたので、三蔵はホットミルクの入ったマグを持たせてやる。 「そうは言うが大きくなったお前は好きだったぞ。胃によくないと言ってミルクは入れてたがな」 「でもそれ入ってませんよ。体に悪いじゃないですか。じゃあこれをどうぞ」 そう言って受け取ったマグをもう一度三蔵に差し出した。 「……入れろってのか?」 「別々に飲んでもお腹の中で混ざるんじゃないですか?」 「まぁ、そうだが」 じっと見つめてくる翠の瞳は据わっていて、心配はしているようだが、からかった仕返しなのかもしれない。楽しんでいるのは事実なので三蔵は、甘んじてそれを受ける事にした。 「判った。貰おう」 小さな手からマグを受け取り一口飲む。確かに砂糖とは違う甘さが溶け込んでいて、これも美味い。これなら子供みは飲みやすいだろうと思っていると、大きな翠の瞳がまだこちらを見ていた。 「どうですか?」 「美味いが」 「…そうですか」 どこか神妙な態度の八戒に三蔵は眉を寄せる。 「お前ミルクが飲めないのか?」 大きくなったお前ならそんな事はなかった筈だが、という疑問に八戒は首を横に振った。 「いえ、蜂蜜入りが初めてなだけです」 「お前…俺に毒味をさせたのか」 「体が心配だったのは本当ですよ」 にっこりと笑う八戒に三蔵は悟る。やはり形は小さくとも八戒は八戒なのだと。 まったくと溜息を吐きながら三蔵は八戒の眼前にマグを突きつけた。 「俺に毒味をさせたんだ。絶対飲めよ」 尊大な三蔵に八戒は渋々といった風情でマグを受け取る。そしてじっと中身を見た後に、上目遣いで三蔵を見る。 「本当に美味しかったですか?」 「あぁ、大丈夫だ」 俺が信用出来ないのかと一睨みされて、八戒は観念して蜂蜜入りホットミルクを険しい顔で見つめる。そしてふーうと大きく息を吹きかけ湯気を吹き飛ばすと、さっきよりも何倍も慎重に口を付ける。遂には覚悟を決めてギュッと目を瞑り一口飲むと、零れ落ちそうなほど、翠の瞳を大きく見開いた。 「どうだ?」 「本当に美味しいです」 「だから言っただろう」 三蔵の言葉に八戒はきまり悪そうに笑いながらも、翠の瞳には嬉しそうな色が浮かんでいる。そして上機嫌でホットミルクを飲み始めた八戒を見ながら、三蔵も自分のマグに口を付ける。大きくても小さくても、2人で飲むコーヒーブレイクの良さは変わらないと、三蔵は口元を緩めてコーヒーを飲んだ。 |
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2005/09/22