鬱蒼とした森は確かに妖怪が隠れるには絶好で、悟浄と悟空の争いも徐々に小さくなる。いつもならばそれ程変わらない面々だが、今回は八戒がいつもと違う。会話がなくなる事こそなかったが、それでもいつもより静かにジープは走り続けた。しかし警戒している中に敵は現れず、森の出口が見えたその時、突然木が何本も倒れてきた。 「やぁーっとおいでなすったぜ」 「まったく遅ぇよ!あんなに殺気立ってたくせに」 悟浄は次々と倒れてくる木を避けながらハンドルを切り、悟空は如意棒を使って木々を打ち返した。三蔵は八戒のカフスを1つ外してポケットに入れると、背中のシャツを捲り上げて翼を出させる。そして正面で向かい合わせに抱き上げて、止まったジープから飛び降りた。今までよく泣いていた八戒だが、今は声も立てずに固い顔で三蔵の瞳を見つめている。 「いいか、いざとなったら飛んで逃げろ」 言うなり三蔵は懐から銃を取り出し、敵をなぎ倒しながら倒木の向こうまで進み、竜の姿になったジープを呼んだ。 「ジープ、八戒を乗せて森を抜けろ」 「ピィッ」 言われてジープはすぐに車に変身すると、エンジンをかける。 「なーる、そいつぁいいな」 聞きつけた悟浄も援護に回り鎌を飛ばして敵を切り刻み、ジープの進む道を作ってやる。 「ぐわっ」 「ぎゃあああっ」 怒号や悲鳴、銃声などが飛び交う中、八戒は泣きもせず後部座席に乗せられて三蔵を見つめる。 「行け!」 三蔵の声でジープが走り出すと、三蔵は行く手を遮ろうとした敵を撃ち殺して振り返る。そしてうんざりするほど数の多い敵と向き合った。 「……さんぞ」 シートに掴まった八戒は遠ざかる三蔵の姿にみるみる涙を溜めていく。そして姿がまったく見えなくなると、遂には我慢出来なくなり大声で泣き出した。ジープは驚いたものの追手の来ない所まで走り続け、見晴らしのよい小高い丘の上でようやく止まった。 「ピ――― 」 困り果てたジープが車のままで声を出しても八戒は泣き続けたままだ。 「ふぇ……う…さんぞ…ひっく…ぅ」 やがて八戒はぐいっと瞼をこすると翼を動かし始めた。 「キュ!?」 「…さんぞ…とこ……いく」 声と同時に八戒はふわりと宙に浮くと、遠くに見える森をめがけて飛び立った。 「ピィッ」 ジープも慌てて竜の姿に戻ると八戒の後を追って飛んでいく。八戒は初めての飛行に方向を苦労しながらも、徐々にスピードを上げていく。しかし森に辿り着く前に、飛行に関しては上をゆくジープが追いつき、八戒のシャツを咥えてストップをかけた。 「やぁーっ…さんぞ…とこ…いく!」 手足をばたつかせ必死の抵抗で、八戒は泣きながらジープを見る。困ったジープは仕方ないと咥えたシャツを放すと、替わりに飛び方を教えるように前を飛んでやる。そして1人と一匹は揃って森を目指した。 「まぁったく、どうして今日に限って多いかね」 「八戒いないからチャンスだとでも思ってんじゃないの?」 「ちっ、たくいい迷惑だ。関係ねぇんだよ」 ぼやきながらも3人は八戒が心配なため、次々と屍の山を築き上げていく。 「ピィ―――ッ」 今聞こえる筈のないジープの鳴き声に驚いて、3人はそちらを見た。するとジープの横を小さな八戒がこちらに向かって飛んできている。一瞬唖然とした3人だが、すぐさま敵を倒す速度をあげた。 「ちっ、飛んで逃げろとは言ったが、戻って来いとは言ってねぇんだよ!」 三蔵は怒鳴りながらも、八戒に近付こうとした妖怪を銃で撃ち抜く。が八戒に気を取られて背後を妖怪に取られたのを感じた。 「うらぁぁあぁぁっ!」 「さんぞっ!あぶな…」 声高な悲鳴のような声に三蔵は目を瞠った。八戒の前にそれは巨大な光が膨れ上がったのだ。後ろからの攻撃をすんでの所で躱すと、三蔵は2人に聞こえるように叫んだ。 「避けろっ!」 三蔵の声に反応した2人は巨大な光に気付き、いつもは銃弾を避ける素晴らしい反射神経を披露した。その直後、閃光が辺りを覆ったかと思うと、耳をつんざくような爆音と全てのものを吹き飛ばすような爆風が襲ってきて、3人は地に臥せて体を吹き飛ばされないように耐えた。それらが過ぎ去った後には土煙が高く昇り、辺り一面を白くする中で、八戒の泣き声が聞こえてくる。三蔵達はそろそろと顔を上げて妖怪の気配が無くなっているのを確認すると、ゆっくりと立ち上がった。そして一瞬にして景色の変わった風景に呆然としている2人を置いて、三蔵は急いで声のする方に向かった。 「うぇ…ん…ひっく…さんぞ…ぅ…う」 土埃の舞う中、目元に腕を当てて泣き続ける八戒が地面に座り込でいた。傍らには困り顔のジープがずっと涙を舐めている。 「八戒」 声を掛けると八戒はビクリと身体を震わせて恐る恐る顔を上げる。すると涙で潤んだ瞳に三蔵の姿を映し出した。 「さんぞっ!」 涙に濡れた手を精一杯伸ばされて、三蔵は小さな八戒を抱き締めた。 「うわーん、さんぞ、さんぞっ…」 首にしがみつき泣き続ける八戒の背中を、三蔵は優しく叩いてやる。しかし翼が邪魔なのに気付いてポケットからカフスを取り出し嵌めてやる。するとカチリという音と共に翼が消えた。 「俺は大丈夫だ。あんな奴らにやられやしねぇよ」 「ふぇ…さんぞ……よかっ…うぇ…」 優しく髪を撫でて背中を宥めるように軽く叩き続けると、八戒のしゃくり泣きが治まってくる。落ち着いてきた八戒にほっとして、ようやく辺りを見渡すと、そこには変わり果てた荒涼な景色が広がっており、三蔵は絶句した。目の前で同じ様に立ち尽くす2人の声が聞こえてくる。 「……………敵どころか、木も吹き飛んでるってのは…どうよ」 「地面もへこんでるぜ、俺達よく生きてるよなぁ…」 土埃が風に流され徐々に治まっていくにつれ、敵は元より森の一部も消失し、更には地面にクレーターまで出現しているのが判った。 「なぁ、小さい方が八戒って強ぇの?」 「さぁな、力をセーブ出来ねぇのかもしれねーし……そういや飛んでたな。カフスが1つ外れたせいか?」 カフスを3つ外したところを思い出した2人は、互いに顔を見合わせて体を震わせた。そして怖々と八戒を振り返ると、翼の消えた身体を三蔵に抱きかかえられて、天使のような顔で眠っていた。 それから翌日も翌々日も、八戒は眠り続け目を覚まさなかった。一応医者に連れて行き診てもらったが、異常はないと言われて帰ってきた。 「…何かやばくねぇ?本当に大丈夫なのかよ」 「だよなぁ、こんなに長い間何も食わなくて平気な訳ないよ」 早く起きないかなと悟空が軽く頬をつついてみても、八戒は小さな寝息を吐き出すだけだ。けれど弾力のある柔らかい頬は心地良く、悟空はもう一度つついてみた。 「美味そう。なんかマシュマロみたい」 そう言って唇を寄せて舐めようとした悟空に、容赦ないハリセンの制裁が下る。 「ってえ!」 「食うんじゃねぇっ、猿!」 「舐めようとしてみただけじゃん、食わねぇよ!」 「あーやめとけ猿、今のはお前が悪い。大体お前が言うと冗談に聞こえねーんだよ」 「だから食わないって言ってるだろ」 段々と声の大きくなる2人に三蔵は青筋を立て、容赦なくハリセンをお見舞いする。そしていつでも次が繰り出せるように肩に担いだ。2人は頭を押さえながらすごすごと下がり小声で話し始める。 「………にしても八戒起きねぇな」 「うん、こんなに煩くしてても全然反応ない」 眠る八戒は三蔵の膝枕で本当に良く眠っている。片膝を立てて寝顔を見守りながら、三蔵はハリセンの替わりに煙草を取り出し、咥えて紫煙を吐き出した。 「まぁこの体であれだけの気功を放った反動かもしれねぇな。それほど負担が大きかったのかもしれん」 「いつもよりずっと大きかったもんなー」 「足手纏いどころか最終兵器だったな、アレは」 向かいの椅子に座った悟空と悟浄は、思い出して顔色を変える。そんな2人を尻目に三蔵は袂からゴールドカードを取り出した。 「出発は明後日だ。今のうちに買い物をしておけ」 「何で明日じゃないの?」 「天気予報じゃ明日は雨だ」 「なーる、それで今のうちって事ね。仕方ねぇな、行くか猿」 「だから猿じゃねぇっての!」 「余計なモン買ってくんなよ」 「へぇへぇ。お留守番と子守りをよろしくねん、良い子の三蔵サマ」 こんな状況下なので文句を言うことはなかったが、代わりにからかうと、即座に銃弾が飛んで来た。 「っぶねーな」 「ちっ外したか」 「ジープ、店までちょっとあったし一緒に行こーぜ」 悟空が誘うとベッドの隅で丸くなっていたジープは、パタパタと飛んで悟空の肩に止まった。 「起きたらすぐに食えるように何か買ってくるからな、八戒」 「おい、お前が食いたいモン買うんじゃねぇんだぞ猿」 「判ってるよ、ケーキとか肉まんとか」 「それ今お前が食いたいモンじゃねぇの?」 「違うに決まってんだろ、河童」 「てめぇ」 「…いいから貴様らとっとと行って来い!」 堪忍袋の緒が切れた三蔵に怒鳴られ、2人は慌てて部屋を出ていった。 「ったくお前のせいで、煙草が増えてしょーがねーだろ」 二本目を口に咥えて三蔵は、相変わらず眠りつづける八戒に思わずぼやいてしまう。判ってはいた事だが、旅を続ける上で八戒の存在と有り難さが身に染みてしまう。食事の支度にジープの運転、ルートの相談に買い物、洗濯、果ては繕い物までこなし、その上気功を使って怪我の手当てもしてしまう。勿論そういった物理的な事だけでなく、皆の精神的拠り所であるのも間違いない。旅を始めて常に傍にいるようになってから、八戒の存在が日々大きくなり、他の誰とも違う事に気付いたのはいつだっただろう。 「いつまで俺を待たせんだ八戒。俺が短気なのは知ってるだろう」 文句を言いつつもその声はどこか甘く、全身を預けて眠る八戒の髪をそっと撫でる。厄介だと思いつつもありのままに感情と執着を向けてくる八戒に、三蔵の瞳は柔らかく細まる。八戒の安らかな寝顔を見ながら三蔵は、煙草を灰皿に押し付け眠りの渦に巻き込まれていった。 |
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2005/09/22