小さな八戒とジープが木の下で楽しそうに遊んでいるのを三蔵、悟浄、悟空の3人は雁首そろえて眺めている。
 「八戒、戻らないなぁ」
 「まぁ今は問題ねぇけど、いつ襲われるともしれねぇし。本当、どうすんのよ三蔵さま」
 色違いの瞳に見つめられて三蔵は、煙草を指で挟み紫煙を吐き出した。
 「仮に八戒を置いていくとして、ジープが俺達と一緒に来ると思うか?」
 「「あ」」
 3人は再び宿の窓から中庭で遊ぶ八戒とジープを見た。以前に一度だけジープが行方不明になった時、この旅における必要性は充分に理解させられた。そのジープは小さくなった八戒から、以前にも増して傍を離れなくなっていた。今まで世話してくれた恩返しのように小さな八戒のために成っている実を取ってきたり、遊び相手になってやったりと常に離れず、もしかしたら騎士のように守っているのかもしれなかった。
 「そうだよな。離れるくらいなら俺、絶対八戒のこと守ってやるよ」
 「お前に出来るのは、せいぜい遊び相手の間違いじゃねぇーの?」
 「何だよ悟浄、自信ないのかよ」
 「ばぁ〜か、イイ男はここで言うまでも無いって決めるんだよ」
 「さっぶ〜。河童のくせに何言ってんだよ」
 「何だと、いつも八戒に世話かけてる猿に言われたくねぇな」
 「それは悟浄の方だろう」
 「いいや、絶対お前の方が…」
 八戒が聞いていればどっちもどっちですと答えるところだが、2人はいかにお互い八戒に世話をかけているかを言い争い始めた。あまりのくだらなさに三蔵は、容赦なくハリセンを繰り出す。小気味よい乾いた音が辺りに響き、一瞬で静けさを取り戻す。とその音に気付いた八戒とジープが宿の窓を振り返った。
 「さんぞー」
 悟浄と悟空が頭から煙を出して沈没したため、窓際に1人立つ三蔵に八戒は嬉しそうに笑顔を向ける。
 「おーご指名だぜ、三蔵さま」
 「本当、いっつもずりぃよな」
 床から聞こえる呟きに当然だと答えるように三蔵は、ブーツで床を高らかに鳴らしながら足早に部屋を出て行った。起き上がった悟浄と悟空が、開け放たれた窓にもう一度寄りかかる。とそこには中庭に出た三蔵が八戒を抱き上げているところが見られた。
 「まー、あれじゃ置いていくのは有り得なぇけどな。素直じゃないねぇ三蔵さまは」
 「本当、本当。だって八戒、三蔵じゃないと泣き止まないし」
 「お前が一番泣かせてるよな、猿」
 「悟浄だってこの前高く上げすぎて泣かせてたじゃん」
 「何だと猿、お前のでかい声で八戒がびっくりして何回泣いたと思ってんだ」
 「あれは悟浄の耳が遠いのが悪いんだろ。だからでかい声になるんじゃん」
 「人のせいにする気か、コラ」
 そして飽くなき言い争いが再び始まる。その喧騒が外まで聞こえてきて三蔵が眉間に皺を寄せた。
 「さんぞ?」
 「あぁ、何でもねぇよ。それよりお前眠いのか?」
 手の甲で目をゴシゴシと擦りながら八戒は頷く。
 「あの馬鹿共を静かにさせねぇとな」
 舌打ちする三蔵を待たずに八戒は、着物を掴んだまま眠りに落ちていた。


 部屋へと戻った三蔵は眠る八戒を見せて一睨みすると、悟浄と悟空は連れ立って外へと出掛けていった。静かになった部屋に付いてきたジープの羽音が響く。三蔵はブーツを脱いでベッドに上がると片膝を立てて座り、足の上に八戒を寝かせた。着物を掴む手が子供ながらにしっかりとしていて、まったく離さなかったからだ。
 「いつもはそんな事しねぇくせにな」
 ぼやく三蔵の瞳に険はない。そして八戒の寝顔を眺めながら懐から煙草を取り出した。
小さくなった八戒はよく泣き笑いそして眠る。普段の八戒は笑みを絶やさない食えないヤツだが、泣いた顔はベッドの上以外一度も見た事がない。しかし小さな八戒は、まるで普段抑圧している喜怒哀楽を全開で表現しているようだ。そのためによる疲労なのか、それとも危険な旅による慢性睡眠不足を解消するためなのかは判らないが、八戒はよく眠った。暫らく様子を見るため宿に連泊していたが、結局理由も原因も判らず、状況は変わらなかった。今のところ敵の襲来が無かったのは幸いだったが、それもいつまで続くかは判らない。
 「おい」
 短くなった煙草をサイドテーブルに乗った灰皿で揉み消しながら、三蔵は声をかける。その声に答えるように向かいのベッドで丸くなっていたジープが、長い首を擡げた。
 「明日ここを出る。もし敵に襲われたら俺が囮になるからお前が八戒を守れ。車になって八戒を乗せたまま出来るだけ早く、遠くまで走れ。いいな」
 「ピ」
 新たな煙草を咥えながら話かけてくる三蔵に、ジープは神妙に頷く。
 「やつらに買い物をさせる。だから呼んで来い」
 「ピィ」
 ジープは心得たと頷いて羽根を広げると、すぐに窓から飛んでいった。部屋に残った三蔵は、溜息のように紫煙を吐き出すと眠る八戒の柔らかい髪を撫でる。
 「ったく、早く元に戻れ。美味いコーヒーが飲みてぇんだよ」
 そう文句を呟いても、返るのは穏やかな寝息だけである。騒がしい2人が帰ってくるほんの一時、コーヒーブレイクの替わりに静かな一服の時間を過す。普段にはない八戒の昼寝を見守る三蔵の顔は満更でもなく、手は優しく髪を撫で続けていた。





 三蔵は頬を叩かれて目を覚ました。といっても強い力ではなく、弱く小さな力でペチペチと何度も叩かれる。
 「…さんぞ、…さんぞぅ」
 自分を呼ぶ声としつこく何度も頬を叩かれて、三蔵はようやく瞼を開ける。とそこには大きな翠の瞳がじっとこちらを見ていた。なんとか瞼をこじ開けて薄目を合わせると、翠の瞳が細まり嬉しそうに笑う。そしてまた小さな手を頬に当ててきた。
 「さんぞ、はよー」
 小さくなった八戒は三蔵からほとんど離れないため、同じベッドで眠っている。一緒に寝るにしてもする事がないため、三蔵は多少不満に思いながらも添い寝をしてやり、必然的に早い就寝となっていた。子供の高い体温に触れて眠るのは思いの外心地よく、寄り添ってくる八戒をゆるく抱いて三蔵は、深い眠りを味わえた。その代り起こされるのは声だけではなく、直接的な行為を伴うことになってしまったが。
 「
―――――
 まだ言葉を発するほど目が覚めていない三蔵は、無言のまま八戒の腕を取って生きている目覚まし時計を止める。そしてのっそりと上半身を起こすと、片膝を立てて軽く頭を掻く。目に映る八戒は未だ小さく、夢から覚めてないないらしいと三蔵が寝惚けた頭で思っていると、八戒が抱きついてきた。
 「はよー、さんぞ」
 無意識に抱き締めてやると八戒は嬉しそうにしがみついてきて、ふっくらとした頬をすり寄せてくる。小さな温もりを抱き締めていると心地良くて、再び睡魔に襲われ瞼が下りてきたところで、三蔵は頬に柔らかい感触を感じた。驚いて何とか目を開けると、八戒が頬に唇を押し付けているのだった。今度は驚いて声が出ない三蔵を、八戒は小首を傾げてじっと見つめてくる。
 「さんぞ、おきた?」
 「……………………………………………………あぁ」
 朝から見るには可愛すぎる姿をたっぷり10分以上見つめて、三蔵は起きぬけの掠れた声でなんとか答える。と八戒はとびきり嬉しそうな笑顔を見せて三蔵に抱きついた。
 「…やっぱ小さくなっても八戒は最強だわ」
 「うん。確かにあの笑顔には勝てないよなー。俺達が起こしても三蔵絶対1回で起きないもん」
 「おーおー、鼻の下伸ばしまくってるぜ三蔵サマ」
 八戒を心配してあまり眠れなかった悟浄と、お腹が空いて起き出した悟空が三蔵を起こしに来たものの、いらぬお世話だったと扉の隙間から一部始終を眺めていた。それに気付いた三蔵が寝起きで凶悪な瞳を扉に向けると、銃を撃ってこないと判っていながらも2人は条件反射で逃げ出した。



 「もう一人の方はどうされました?」
 チェックアウトの際、宿の主人に不意に聞かれて3人は動きを止めた。小さくなった八戒を同一人物だと当然教える訳にもいかず、預けられた子供だと説明していた。こんな時は最高僧の効験あらたかで、三蔵の姿にすんなり納得してくれていた。しかしいなくなった八戒の説明はしていなかった。
 「あー…、この子の親を探しに一足先に出発したんだ」
 「大変ですね。でもこんなに可愛いお子さんなんですから、きっと見つかるでしょう。お坊様も大変ですね」
 悟浄の言葉がにこやかに三蔵へと返されて、今度は抱かれている八戒が笑顔で答える。その笑顔に釣られて主人も微笑むと八戒に飴を差し出した。
 「大丈夫だよ坊や、きっと親御さんは見つかるよ」
 笑顔で受け取る八戒に目を細めた主人は三蔵を見て、少し声を落とした。
 「西へと向かわれるのでしたらこの先に森があります。妖怪が出るともっぱらの噂ですので、くれぐれもお気をつけて」
 まぁどこも治安は悪くなっていると聞きますが、と言い添える主人に悟空が胸を張った。
 「大丈夫だよおじさん。俺達けっこー強いんだぜ!」
 「それは頼もしいですね」
 そう言って主人は悟空にも飴を差し出した。



 「相っ変わらず笑顔が武器だよなー八戒は。今日の戦利品は飴玉か」
 「俺も貰ったぜ、飴」
 「それは八戒をしっかり守ってやれって事だ」
 「あーきび団子みたいなもんね。そういやあの中に猿いたよな」
 「何だよそれ?貰ったのは団子じゃなくて飴だろ?河童はどうなんだよ」
 「その中に河童はいない」
 「だから飴もらえなかったんだ。だっせー悟浄」
 「誰が飴玉なんか欲しがるかよ!食い物に釣られる猿にだけは言われたくねーな」
 「オイ、やる必要ねーぞ。河童はいらんそーだ」
 「「え?」」
 西へと走るジープは悟浄が運転し、たまにはと悟空が助手席に座っていた。そして思わず後ろを振り返った2人が目にしたのは、三蔵の膝上で飴をあげようと手を伸ばしたまま固まった八戒だった。
 「オイ、前見て運転しろ」
 「やばっ」
 ハンドルを切りかけて悟浄は慌てて前を向いたが、バックミラーには肩を落として項垂れる八戒の姿が映し出されていた。
 「あー八戒かわいそう。大丈夫だよ俺が貰ってやるから」
 「ふざけんな猿、誰がお前にやるかよ!八戒、俺それすげー欲しい」
 「………ごじょ、いる?」
 「あーいるいる。すっげーその飴食いたい」
 そう言って悟浄は運転しながら器用に左手を後ろに伸ばした。すると八戒は頭を上げてにっこり笑うと、精一杯小さな手を伸ばして大きな手に飴を乗せた。
 「サンキュ、八戒」
 「良かったな、八戒」
 2人に言われて八戒は嬉しそうに笑う。目の縁に涙が少し溜まっているのを見つけた悟浄は、安堵の溜息を吐くのだった。満足そうに微笑んだ八戒は頷くと、また1つ飴を取り出し包み紙を剥がし始める。けれど突然不穏な空気を感じて、その原因たる不機嫌オーラを放つ最高僧様を見上げた。
 「さんぞ?」
 呼ばれて三蔵は眉間に皺を寄せたまま八戒を見下ろすと、そこには緑の飴玉があった。
 「さんぞ、もたべる?」
 もみじのような小さな手に飴玉を差し出され、三蔵は咥えていた煙草を投げ捨てる。
 「あぁ」
 そのまま口を開けば八戒がコロンと飴を入れた。
 「おいし?」
 じっと見つめてくる大きな翠の瞳を見ながら、マスカットの飴を充分に味わってから三蔵は頷いた。
 「よかった」
 三蔵の眉間の皺が消えたのを見て八戒は嬉しそうに笑うと、もう1つ飴を取り出した。包み紙の中から出てきた黄色の飴を口の中に入れて、八戒は嬉しそうに舐め始める。
 「さすが八戒だよなー」
 「でもあんなに小せぇ八戒に世話を焼かれてるってのも、どーよ?」
 「悟浄、人の事言えねぇじゃん」
 上機嫌な後部座席とは対照的に、前の2人はいつもの言い争いを始める。いつもの賑やかさとは少し違う4人を乗せたジープは、やがて宿の主人が言っていた森の中に入っていった。


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2005/09/22