――― その日、八戒は誕生日だった ―――
 




 朝起きると、何故か俺はベッドの中で卵を抱いて寝ていた。
誤って生んでしまったにしてはちょっと大きすぎる卵は両腕に抱えるのにちょうど良く、有り体に言うならば、卵を温めている状態で俺は目が覚めた。
 「………」
 さっぱり判らないと言うよりは、これはまだ夢の中だと判断した三蔵はそのままの姿勢で再び目を閉じた。が何も温める必要性はないと気付いて、眉間に皺を寄せると卵から手を離しゴロリと寝返りを打って、上掛けの中に潜り込んだ。
 数秒後
―――
 
 「!」
 まるで見捨てるなとでも言うように卵に擦り寄られて、三蔵は上掛けを飛ばし跳ね起きた。そして開いているのか判らないくらい瞳を眇めて卵を睨みつける。
 この新たなパターンの悪夢がとっとと覚めないものかと思った丁度その時、卵がかすかに揺れ動いた。ピシリという小さな音と共に卵はひび割れ、割れ目から小さな手が殻を突き破って出てきた。三蔵が固唾を呑んで見守る中、開いた穴からもう1つ手が出てきてゆっくりと穴を広げ、卵にひび割れが大きく走る。やがて殻の一部が剥がされ、そこにこげ茶色の髪が覗き、そろそろと上げられた顔には見知った大きな翠の瞳があった。
 卵の中から現れた小さな子供の風貌に、三蔵は茫然とした。
 「……八戒…か?」
 卵の縁に手をかけた子供は、三蔵の問いに不思議そうに首を傾ける。そしてそのまま這い出ようとして卵が大きく傾いた。
 「ちっ」
 バランスを崩してベッドの上に頭から落ちそうになった子供に、三蔵は慌てて手を伸ばす。間一髪抱き留めると、小さな子供は腕にすっぽりと収まり、子供特有の高い体温が胸に温かく広がる。心音を聞くよう胸にぴたりと頬を寄せた子供は、まるでそこが世界で一番安全な所のように三蔵に体を預けた。触れる柔らかいこげ茶色の髪を梳くようにして撫でれば、子供は気持ちよさそうに体の力を抜いてゆっくりと顔を上げた。自分を見つめる紫の瞳と目が合うと、嬉しそうに微笑んで再び三蔵へと身を寄せた。
 「ったく困ったヤツだな」
 吐いた悪態とは裏腹に三蔵は口元に笑みを浮かべると、子供を守るように抱き締めて頭を撫でた。柔らかい髪の感触を確かめるように何度も指で梳きながら、三蔵の目は子供の背中をじっと見つめていた。
 そこには普段の八戒には無い白い小さな翼が生えていて、撫でられるたび嬉しげにパタパタと羽ばたいていた。


 ――― さて、どーしたもんか… ―――

 髪を撫でてやりながら、三蔵は途方に暮れた。
昨夜一緒に過した相手が見当たらず、替わりに自分が温めたらしい卵から小さな子供となって現れたとくれば、昨夜はヤリ過ぎたか、などと三蔵様が混乱をきたすのも無理からぬ事である。しかし特徴である髪や瞳、更には腹の傷跡まであってはやはり八戒としか思えず、三蔵は撫でていた手をいったん止めると、肩に手を置いて子供と向き合った。
 「おい、これは一体どういう事だ?」
 「?」
 言葉を理解出来ないのか、八戒はきょとんとした大きな瞳で三蔵を見つめたまま首を傾ける。その仕種と表情に三蔵は目眩を起こしかけてふと気付く。いつもは3つ付いている妖力制御装置が2つしかない。
 「まさか……」
 三蔵はすぐにベッドの上をくまなく探し、ようやく枕の下からカフスを見付け出した。
 「これが外れたせいか?」
 昨夜確かにカフスの付いた耳に舌を這わせたり、甘噛みした記憶はあるが、どんなに八戒が感じても外した憶えはない。眠っている間、何かの拍子に外れてしまったのだろかと思案していると、泣き声が聞こえてきた。
 「……ふぇ…ひっく…ぅ…」
 「おい、どうした?」
 最中に泣かれるのとは訳が違い、三蔵は慌てて八戒のそばに戻り頬に触れる。
と潤んだ大きな翠の瞳に見つめられ、八戒は両手を伸ばしてきた。三蔵はふわりと抱きしめ膝の上に乗せてやると、安心したのか八戒は泣き止み笑みを見せた。
 普段は見られないそれらの仕種に三蔵は苦笑すると、目線が合うようにして八戒を抱きかかえる。
 「反則だぞ、八戒」
 すると八戒はとびきりの笑顔で応え、本当に反則だなと呟きながら三蔵は頬に口付けた。
そのまま嬉し気に首にしがみついてきた八戒の耳にカフスを付けると、翼は跡形もなく消えた。しかし八戒の姿は元に戻らず、小さな子供のまま三蔵の膝上に乗っていた。


 その後、服を着るためにそばから離れた三蔵は再び八戒に泣かれ、慌てた拍子に過って又カフスを1つ外してしまった。





 ドアノブを掴もうとしていた手を、悟空はピタリと止めた。
 ――― 子供の泣き声? ―――
 目の前の扉に付いたプレートを見上げてやっぱり間違っていない事を確認する。確かに三蔵と八戒がいるはずの部屋だ。だいたい真向かいの部屋で間違えようもない。聞き間違いだったのかな、と思った悟空の耳に再び子供の泣き声が届いた。
 今度は迷う事なくドアノブを掴むと、ノックもせずに悟空は勢いよく扉を開けた。
 「三蔵、八戒!今子供の泣き声が
―――
 「うるせぇ猿。静かにしやがれ」
 じろりと睨まれたが怒鳴る声はいつもの半分以下。しかし悟空はそれすら聞こえなかったように大きな口を開けて、ありえない光景に固まってしまった。
 窓から差しこむ朝日を背景に、三蔵が泣きぐずる小さな子供を抱きかかえ、宥めるように頭を撫でていたのだ。三蔵の腕の中にいる小さな子供は潤んだ大きな瞳は悟空に向けた。            
涙を浮かべた大きな瞳は吸い込まれそうなくらいきれいな翠で、撫でられているさらさらの髪はこげ茶色だった。
 「もしかして……八戒?」
 何とかそれだけ口にすると、悟空はふらつくようにに近付き、まじまじと子供を見つめた。大きな瞳を更に大きくして悟空を見つめていた子供だが、やがて恥ずかしそうに三蔵の胸に顔を埋めた。その拍子に包まれていたタオルが少しずれ、小さな翼が背中から現れて体を隠すように広げられた。
 「うわっ……とと」
 驚いて大声をあげかけた悟空だが、途中三蔵の視線に気付いて慌てて口を塞いだ。そして両手をそっと外すと上目遣いで三蔵を見つめる。
 「ど、どーしたんだよ三蔵、これ八戒だよな?」
 「どーも、こーも……」
 と言葉が途切れた三蔵の視線の先には、部屋の入り口でこれ以上ないくらい目を見開いた悟浄が突っ立っていた。
 「どーしちゃったのよ、三蔵サマ!それお前の子供?」
 「わーっバカ、悟浄!」
 驚愕のあまり出した悟浄の声は大きく、止めようとした悟空の声は更に大きかった。
結果、突然の大声に驚いた子供は泣き出し、青筋を幾つも立てた三蔵は、怒鳴れない分も含めて威力の増したハリセンを2人にお見舞いしたのだった。
 「痛いか?」
 頭から煙を出して倒れた2人に、三蔵はしれっと声を掛ける。
 「「痛いに決まってんだろっ」」
 「そうか」
  ダメージを残しながらも起き上がった2人は、まだ泣いている子供を目にして、怒鳴り返したいのをぐっと堪えた。
 「ふぇ…ん…ひっく…」
 「ごめんな八戒。大っきい声出して」
 「八戒?」
 しゅんとして項垂れる悟空の横で、悟浄はこの場にいて然るべき男の姿がない事に、この時ようやく気付いた。
 「おら、もう平気だろ?」
 囁くよう静かに声を掛けた三蔵は、泣いている子供の耳にカフスを付ける。
 「カチリ」
小さな音と共に背中にあった白い小さな翼は跡形もなく消え去り、悟浄と悟空は目を丸くした。
 「いいかげん、泣き止め」
 剥き出しになった背中を隠すようにタオルで包み直した三蔵は、翼の消えた背中を軽く叩いて子供を宥める。と三蔵の声に安心したように子供は泣き止んで、胸に埋めていた顔を上げた。大きな瞳はまだ潤んでいて、三蔵は目の縁に溜まった涙を拭ってやる。
 目の前で起きている信じられない光景に、茫然としていた悟浄と悟空はぽつりと呟いた。
 「おい猿、おまえの事殴っていいか?」
 「俺も、今すぐ悟浄の事殴りたい」
 「バキッ」
 お互いの意見が一致したところで見事なクロスカウンターが決まり、これは夢ではない事を無事確認しあえた2人だった。

 「で、どーなのよ?」
 「何がだ?」
 「八戒っしょ?」
 「恐らくな」
 「なぁなぁ、何でこんなに小さくなっちゃったんだよ?」
 「知るか」
 「知らないって、あーたね」
 「朝起きたら、アレから出てきやがったんだ」
  三蔵の視線の先を追うと、ベッドの上には殻の残骸があった。
 「卵?」
 「そうだ」
 「はぁ〜?」
 「出てきた時はカフスが1つ外れていた。戻してもこの通りだ」
 大きな溜息と共に悟浄はテーブルに沈み、悟空は?マークを頭の上にたくさん並べた。
一方三蔵もようやく夢ではない事を認識したところで、説明などできよう筈もない。こういったアクシデントに一番冷静に対処し、分析かつ説明できる八戒が子供となってしまった上に応答できないのでは話にならない。 三人寄れば文殊の智慧、とばかりにテーブルを挟んで膝を突き合わせてはみたものの、舵取りなくして事態は暗礁に乗り上げようとしていた。
 「コッコツ」
 暗雲渦巻く3人が顔を上げると、窓ガラスを叩くジープの姿が見えた。どうやら朝の空中散歩から帰ってきたらしい。
 「おかえり、ジープ」
 悟空が窓を開けて入れてやると、ジープは八戒を探すようくるりと旋回してからテーブルの上に降り立った。
 「ピッ!?」
 そして三蔵の膝上に座る小さな八戒を見つけて、翼を広げたまま固まってしまった。
 「おー、おまえもびっくりだよな」
 髪を掻き上げながら同情の目を向けた悟浄の前で、ジープは長い首を伸ばして八戒の顔を覗き込む。
 「ピー?」
 大きな目をくりくりとさせて不思議そうな顔をしていた八戒は、小さな手をそっと伸ばしてジープのたてがみに触れた。そして感触を確かめるように撫でるとにっこり微笑んだ。
 「ピィッ」
 ジープは嬉しそうに鳴くと、小さな八戒を抱き込むように首を曲げて翼を羽ばたかせる。
気持ちは判るが、目の前でバサバサとやられて三蔵は眉間に皺を寄せると、ジープの巻きついた八戒を抱き上げた。そしてテーブルの真中に置くと、八戒は嬉しそうにジープと戯れ始めた。
 「あ、いいなージープ。俺も俺も」
 楽しそうな雰囲気に交ざろうと、悟空は八戒の頭を撫でた。
 「さっきはごめんな八戒。俺のこと判る?八戒」
 「………はっかぃ」
 「え?」
 小さな八戒の呟きは部屋の時間を止めるには充分だった。きょとりとつぶらな瞳で時間の止まった空間を眺めていた八戒は、後ろから頭を撫でられる。
 「なぁーるほどな。俺は悟浄、悟浄だ」
 大きな掌で髪をくしゃりと撫ぜられ、八戒は自分を見つめる赤い瞳に向かって口を開いた。
 「……ごじょ…」
 「そうだ、よくできたな」
 言葉が判ったのか八戒が満面の笑みを浮かべると、悟浄は空いていた手で拳を握りガッツポーズをした。それを見ていた悟空もテーブルの上に身を乗り出す。
 「あーっ判った!八戒、俺、悟空。悟空って言ってみて?」
 「…ごくー…」
 「うわー、八戒可愛い」
 あまりの嬉しさに悟空は思わず八戒を抱きしめた。が突然の事にびっくりした八戒は、大きな瞳を歪めて息を吸い込んだ。
 「ふえーっん」
 「うわっどーしよ。俺加減したつもりなんだけど、ごめん八戒痛かった?」
 「このバカ猿が…」
 オロオロとする悟空から、泣き出した八戒を抱き取った三蔵は、背中を軽く叩いて髪を撫でる。すると八戒はすぐに泣き止み、三蔵は至近距離で目を合わせた。
 「三蔵だ」
 「さんぞ…」
 涙を拭われ天使の微笑みを披露した八戒は、そのまま三蔵に抱きついた。
 「うわー、三蔵さまったらアレで無表情のつもりかしら。これ以上たれてどーすんのよってくらい目じり下がってるって」
 「だよなー、だって三蔵まだ一本も煙草吸ってないし」
 「おおっ、遂に三蔵様禁煙?!まっあんだけ八戒に素直に甘えられたら、そりゃ上機嫌になるわな」
 「あんなに可愛い八戒独り占めしてずりーよなぁ。でもこれからどーすんの?」
 「あ」
 「………」

 悟空の一言でようやく現実を見据えた三蔵一行だった。


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2005/09/22