天蓬の案内で今回はダイニングテーブルに着いた三蔵の元に、八戒がトレイを持ってやって来た。テーブルの上にサラダボウルと取り皿を置く八戒は、ミントグリーンのエプロンを着けている。どうやら普段から使用しているようで、ワンピースと相俟ってしっくりと馴染んでいる。あまりの似合いぶりに三蔵が複雑な表情を浮かべると、今度はフリルとレースがふんだんに使われたピンクのエプロンを着けた天蓬が、同じくトレイをもってやって来た。おおよそ料理で服が汚れないように、という用途とは明らかに違うデザインに三蔵は非常に険しい顔つきになる。とタイマーが鳴り、八戒は慌しくキッチンへと戻っていく。残った天蓬はテーブルの上にスープ皿を置いてから、顰め面した三蔵に声をかけた。
 「あまりの似合いぶりに言葉がありませんね?三蔵」
 「お前に関しては呆れて物が言えないだけだ。それを着けたいがために手伝ってるんじゃねーのか?」
 「だって運ぶ途中で零れて服が汚れたら大変じゃないですか」
 「この距離でか?」
 まさに目と鼻の先、のキッチンからダイニンングテーブルまでの距離を三蔵が目で指し示すと、天蓬は空になったトレイを胸に抱えて当然ですと言い切った。そんな言い草が通用するかと三蔵は片肘を付いて紫暗の瞳を眇める。
 「大体服は揃ってるのに、どうしてエプロンは違うんだ?」
 「貴方を前にそんな危険な真似をする訳がないでしょう」
 ニコニコと笑う天蓬に三蔵は片眉を上げる。
 「まさかお前、違う用途でそのエプロンを使ってるんじゃねぇだろうな」
 「そんな風に考える狼がいるから、僕とお揃いのエプロンを八戒に着けさせられないんです。何なら貴方が代わりに着けてみますか?用意したのは白ですが」
 「三蔵さんもエプロンを着けたかったんですか?」
 メインのスパゲティーを持ってきた八戒にまで追い討ちをかけられて、三蔵はテーブルの上に突っ伏すのを何とか堪える。
 「何でそうなる…」
 「嫌ですねぇ、こんな事で遠慮するほど奥ゆかしい性格じゃないでしょう貴方。仕方ありません、特別に持ってきてあげましょう」
 腰を浮かしかけた天蓬に三蔵はいらん!と声を荒げる。
 「これから食べるのに何でエプロンが必要なんだ」
 「それもそうですね、三蔵さんはお客さんですし。あ、ナプキンが必要とか」
 「いや、それもいい」
 「じゃあ冷めないうちにいただきましょう」
 「そうしましょうv」
 にこやかな美人姉妹に三蔵は急激な疲れを憶えたが、目の前の誘惑には勝てず無言でフォークを手に取った。



 「サラダを取り分けますね。三蔵さん、嫌いな物は入ってないですか?」
 サーバーを持った八戒に訊かれて三蔵はサラダを一瞥した。
サニーレタスの上には豆腐とツナとスライスされた玉葱が乗っている。更にはプチトマトに海老と貝割れ大根がトッピングされ、その上には刻み海苔がかかっていた。
 「あぁ、無いな」
 「じゃ適当に入れちゃいますね」
八戒は全ての食材を入れて手際よく盛り付けると、三蔵の前にサラダディッシュを置いた。そして三蔵さんにはこれですよね、と言って脇に置いてあったソースポットも添える。
 「もしかしてこれも作ったのか?」
 少し変わった色のマヨネーズを見て三蔵が訊ねると、八戒は微笑んだ。
 「ええ。だって今回は和風サラダですから、マヨネーズもちょっと和風にしてみました」
 「貴方には普通ので十分だと言ったんですけどねぇ」
 同じく八戒からサラダディッシュを受け取りながら、天蓬は口を尖らせる。
 「でもマヨネーズを作ったのは今回初めてですから、出来の方は保証しかねますよ?一応味見はしましたけど」
 「食べてびっくりです、三蔵」
 不安気な翠と面白半分な鳶色の瞳に見つめられる中、三蔵は市販のものより少し茶色がかったマヨネーズをかけてサラダを口にした。
 「どう、ですか?」
 「美味い。ちゃんと豆腐にも合ってる。だしが入っているのか?」
 「正解です、かつおだしと薄口しょう油が混ぜてあるんです。良かった」
 安心したように微笑む八戒に天蓬は片目を瞑ってみせた。
 「だから大丈夫だって言ったでしょう?でもだしが判るほどの舌が、三蔵にあるとは思いませんでした。やっぱりマヨネーズには拘りがあるんですねぇ」
 「薄口しょう油は判らなかったがな。普通と違う事ぐらいは俺でも判る」
 三蔵がマヨネーズをかけ足していると、八戒は天蓬の前にもう1つのソースポットを置いた。
 「天蓬にはこちらもどうぞ。梅肉と青じそのドレッシングです」
 「八戒、僕にも作ってくれたんですね」
 「えぇ。だって天蓬はマヨネーズよりも、どちらかと言えばさっぱりした方が好みですもんね」
 「すごく嬉しいです」
 天蓬は引き寄せられるように八戒の頬にキスをした。
 「おい」
 「あ」
 「あー、やっちゃいましたね」
 まだ食事前だった天蓬の唇が、八戒の頬にくっきりとキスマークを付けてしまった。
 「お前、絶対わざとだろう」
 「そんな事ありません。これはいつもの癖でついやっちゃったんです。すみません八戒、すぐに拭きますね」
 そう言って席を立とうとした天蓬を、八戒は引き止める。
 「別に構わないですよ、天蓬。だって某お料理番組でも気に入った料理を作ったチームは、いつもキスマークを貰えるでしょう?だから凄く嬉しいです」
 「それは食後じゃなかったか?」
 「何を言ってるんですか?三蔵。八戒が僕のために作ってくれたドレッシングですよ、不味い訳がないでしょう。だからこれは前払いです。ね、八戒」
 「ありがとうございます、天蓬。良かったら三蔵さんもこちらのドレッシングをどうぞ」
 そう言って八戒は自分用のサラダを取り分け、天蓬も早速ドレッシングをかけて食べ始める。
 三蔵はキスをしているのはいつも女性ゲストだと思ったが、今は女性にしか見えない二人を前に何とも言えない表情を浮かべた。



 コンソメスープを飲んでいると、八戒が嬉しそうに自分を見ている気がして三蔵は視線を合わせた。
 「何だ?」
 「それ、三蔵さんみたいだなと思って作ってたんです」
 白い陶器の中には透明な金色のスープが入っている。
 「この髪か」
 「ここまで透明な色になるまで八戒は何度も濾してたんですよ。脳髄に染み渡るまで味わって欲しいですね」
 一滴たりとも残したら僕が許しません、と顔に書いて微笑んだ天蓬から八戒へと視線を移す。
 「そんなに大変なのか?」
 「確かにちょっと手間はかかりますけど苦じゃなかったです。寧ろ楽しかったですよ」
 言われてもう一度澄んだ金色のスープを味わう。透明な単色と違い、舌の上には海老をベースとした上品で奥深い味わいが広がる。
 「気に入った」
 「ふふ、天蓬が言ってくれたからだとしても嬉しいです」
 「それだけ長く俺の事を考えてたって事だろう」
 「え」
 言われて八戒は大きく目を瞠り、スプーンを取り落としそうになった。
 「ちょっと三蔵。貴方八戒相手だと性格変わりません?こんな所で口説かないで下さい」
 「え?僕口説かれてるんですか?」
 フォークを構えた天蓬と翠の目を丸くした八戒の前で三蔵は、唇の端を引き上げる。
 「さぁな」
 三蔵は上機嫌で再び金色のスープを口に入れた。



 「人は見かけによらぬもの、とは言いますけど、今日その言葉の意味を実感するなんて思ってもみませんでした」
 愚痴をこぼしながら蛤仔と烏賊のスパゲティーを美味しそうに食べる、という器用な真似を天蓬はしてみせる。
 「僕の読みが甘かったって事ですけどね」
 「天蓬、心の呟きが声になってるぞ」
 「いえ、これはわざとですから」
 にっこり微笑んだ天蓬と、烏賊と納豆のスパゲティーを食べる三蔵との間に火花が散る。しかし八戒には線香花火に見えて、鱈子と烏賊のスパゲティーを食べながら綺麗だなぁと思っていた。
 「そういえば確かにそうですね。三蔵さんがマヨラーで、洋食よりも和食好みで甘い物好きだなんてちょっと意外でしたから」
 何となく辛党のイメージでした、と八戒が話を戻すと天蓬も頷く。
 「それは言えてますね。顔のせいじゃないですか?いつも不機嫌な仏頂面に甘党のイメージはないですよ」
 「そう言う天蓬もあんなに世話好きなのに、自分の事は凄いずぼらですよね。そのギャップが意外でした」
 「天蓬が世話好き?」
 三蔵は生まれて初めて聞いた言葉を、空耳ではないかと八戒に訊き返した。
 「ええ、だってお風呂で髪や身体を洗ってくれますし、耳掃除もしてくれるんです。あと髪も梳かしてくれますし、爪も切ってくれますね。それから…」
 「天蓬、貴様
―――
 八戒に皆まで言わせず、三蔵は持っていたフォークを曲げてマジックを披露しそうになった。普段は不精を笠に着て人を顎でこき使うこの男から、どこを取ったら世話好きという言葉が出てくるのか。八戒にしている行為は、世話好きというより趣味の一環だろうと天蓬を睨みつけた。
 「だって八戒って綺麗好きなのに、僕ほどじゃなくても自分の事に割と無頓着なんですもん。だから僕が手塩にかけて構うんです」
 文句があるならベ○サイユへいらっしゃい、と今の格好に相応しく三蔵に言い放つと、八戒には同意を求めるようにねぇと首を傾げた。
 「そうなんです、天蓬は他人の僕に凄く優しいんですよ。ちょっと優しすぎるくらいです」
 微苦笑を浮かべた八戒を、天蓬と三蔵は凝視する。困ったような戸惑うような、苦笑とも取れる複雑な笑み。
 「迷惑、でした?」
 「いいえ。迷惑をかけているのは僕の方なのに、どうしてそんなに優しいのかなぁと。ちょっと不思議で…」
 「不満があるなら言っておいた方がいいぞ。尤もこいつが遠慮という言葉を知ってるかどうかは別だがな」
 「失礼ですね、僕みたいにデリケートな人間を掴まえて何て事言うんですか。貴方こそデリカシーに欠けてるんじゃないですか?八戒、何かあったらすぐに言って下さいね」
 「えぇ。天蓬、三蔵さんもありがとうございます」
 今度はふわりと微笑んだ八戒を見て、天蓬が何故そこまで構うのか三蔵は何となく理解した。


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2005/07/22