休講により空き時間を図書館で潰していた三蔵の前に人影が立った。 「貴方、好きなスパゲティーは何ですか?」 三蔵は面倒臭そうに、読んでいた本から顔を上げる。 「納豆と烏賊のスパゲティー」 「貴方、しみせんべいとか好きでしょう?」 「普通のせんべいも好きだが」 「やっぱり、好みが年寄りですよね。の割には何でマヨネーズも好きなんですか?せんべいにもきっとマヨネーズを付けて食べるんでしょうね」 「俺の好みに文句をつけにきたのか?貴様」 事実を言い当てられた三蔵は、不機嫌に眉を寄せて尊大に腕組みをしている天蓬を睨んだ。 「招待しに来てあげたんですから感謝して欲しいですね。この僕がわざわざリサーチしに来て差し上げたんですから。明日は12時に家に来て下さい。勿論正午です」 又しても否応なく承諾させられたが、残念ながら三蔵に断る理由も予定もない。何より気になる存在が関っているのだ。料理の腕もさる事ながら、この天蓬を動かす事の出来る翠の瞳の美人を思い浮かべた。 「分かった、昼だな」 「当り前です。僕と八戒の楽しい夜の時間を邪魔されたくはないですからね」 「だがお前、まだものにしてないだろう?」 棘だらけの台詞への報復として鎌かけ半分言ってみると、天蓬の笑みが非常に美しいものへと変わった。 「貴方に報告する義務はありません」 「そんな顔をするってことは事実らしいな。まぁあれで手を出したら犯罪だがな」 「その罪を犯したのはどこの誰です?普段あれだけ付き合いを断る貴方が会ってすぐの人間にキスするほど手が早いだなんて、暴行罪に値するんじゃありません?」 「それならお前は監禁罪か?付き合いは広く浅く主義で人を近くに寄せ付けないお前が、あれだけ執着する人間が出来るなんて、お前が振ったやつらの涙で海が出来そうだな」 激しい応酬が始まりこの二人の近くに座っていた生徒達は、気温低下に耐え切れず寒さのあまり逃げ出した。 天三冷戦勃発により発生した図書館大寒波は急速に広がりをみせ、図書館内にブリザードが吹き荒れるという異常気象が発生した。突然の氷河期到来に人々は助け合いながら図書館激戦地から決死の脱出を図る。無事館外に避難できた人々は、互いに生還を喜びあい窓越しに戦況を見つめた。また偶然そこを通りかかった生徒達も、一体何事かと館内を覗く。そこには非常に美しい笑みを浮かべた天蓬と、普段口数の少ない三蔵が二人っきりで楽しく歓談しているのが見て取れた。タイプは違えど元より目立つ二人はそうしているだけで名画になる。しかし近くで見れば天蓬の笑みは怒りの裏返しで、三蔵の額には青筋が幾つも出現していると判るのだが、残念ながらバナナで釘が打てるほどの極寒の地に赴く装備と勇気のある者はいなかった。後にこの光景を見た者の話と戦地からの生還者達が聞いた会話の一部とが交錯し、尾びれどころか背びれ胸びれ腹びれおまけに鰓まで付いて波紋のように広がり、やがて巨大なビッグウェーブとなって二人に返ってくるのだが、そんな未来など露ほども知らない天蓬と三蔵は未だ戦闘を続けていた。 「大体人の事をどうこう言ってやがるが、お前だって会ってすぐ手を出したんじゃねぇのか?」 「まるで見てきたように言わないで下さい。眠り姫を目覚めさせる王子様のキスのどこが犯罪ですか。言わば人工呼吸、人命救助ですよ?貴方のキスとは訳が違います」 「礼をしただけと言っただろうが。それに嫌がってる素振りもなかったしな。あいつにとっては挨拶程度のものなんじゃないのか?」 「まぁ確かにそういう風にでもなればいいんでしょうけどね」 「何?」 予想外に反論されず肩透かしを喰らった三蔵は、片眉上げて聞き返す。しかし天蓬はにっこりと微笑みそれに答えなかった。 「そう言えばかぼちゃが平気か訊かなければいけないんでした。貴方、かぼちゃのプディングは食べられますか?」 「……あぁ」 「では明日のデザートはそれです。嫌いな物があれば先に言っておいて下さい。残されて八戒が悲しむ顔を見たくはありませんから」 「分かった」 話をはぐらかされたのは判ったが、これ以上訊いても無駄であると三蔵も踏み止まる。 あれだけ激しかった戦争はあっけなく終結し、天窓からは氷河期の終わりを告げる光が射し込み、ブリザードの止んだ図書館は氷解し徐々に元の姿を取り戻していった。 「遅れずに来て下さいね」 「お前がそれを言うか」 遅刻常習犯が何を言う、と三蔵が返しても天蓬は涼しい顔だ。 「招待しているのは僕ではなく八戒ですから」 これにて用件は終了と、天蓬は早々に図書館を立ち去る。それを見送りながら三蔵は厄介な招待を断れない自分に溜息を吐く。そしてわざわざ三蔵を探し出して伝言を伝えた天蓬も、同じように溜息を吐いていた。 翌日約束の時間に天蓬宅の玄関を開けた三蔵は、後ずさるのをかろうじて堪えた。 「天蓬、新手の嫌がらせか」 「失礼ですね、今の貴方の言葉の方がよっぽどですよ。こんなに似合ってる僕に向かって何てこと言うんですか」 だからそれが一番の問題であり、天蓬の性格を知る三蔵にとっては嫌がらせにしか思えないのだ。 玄関には結い上げた髪に花を飾り、スリットの入った黒のワンピースを着た美女が立っていた。モデルクラスの綺麗なお姉さんは喋れば天蓬だった。しかもいつもの眼鏡すらかけていない。固まっている三蔵に顔を近付けた天蓬はアイメイクも完璧に、真紅のルージュをひいたフルメイクを見せつけた。 あまりの違和感のなさに三蔵は目眩を覚える。 「おまえ…そういう趣味があったのか」 こめかみを押さえ襲ってくる頭痛に耐える渋面の三蔵の前で、天蓬は頬を膨らませて細腰に手を当てた。 「これは八戒作なんです。八戒は手先が器用で何でも出来るんですよ。僕の髪を梳かして遊んでいるうちにこんなに美しく作ってくれたので、どうせならと思って他も髪型に合わせて完璧にしてみたんです」 どうです綺麗でしょうと言って天蓬が一回転すると、ワンピースの裾が金魚の尾ひれのように優雅に翻り、三蔵は起立性貧血に見舞われて健康のためにこのまま帰ろうとした。 「三蔵さん?」 後ろ手でドアノブを掴んだ丁度その時、天蓬の後ろに八戒が顔を覗かせたのが見えた。八戒の髪型はそのままだったが、天蓬と同じく耳の上には花が飾られ、壁の影から見えるのは同じデザインらしい白いワンピースの裾だ。 「やっぱり変ですよね。三蔵さんきっと呆れて帰っちゃいますから止めようって言ったんですけど、天蓬が序でだからって…」 言葉のない三蔵に呆れられていると思った八戒は、壁に隠れて俯いた。 ――― 似合ってるから変なんだ ――― とは思ったが流石にそのまま口にするのは八戒相手には憚られ、三蔵は視線を外して言葉を探す。 「こいつの悪ふざけに付き合わされただけだろう。別に構わねーよ」 そう言って靴を脱ぎ始めた三蔵に、八戒はあからさまにホッとした表情をすると、ようやく壁の影から姿を現した。 黒の天蓬とは色違いの白いワンピースの裾を軽やかになびかせて、歩み寄る八戒のメイクも完璧で、ピンク系のルージュをひいていた。腰に手を当てた天蓬の後ろに八戒が立つと、白と黒のコントラストも鮮やかに、一層華やいだ美人姉妹に見えて三蔵は再び襲ってきた目眩に耐える。 「まったく素直じゃないですねぇ。良く似合ってるくらい言ってみたらどうです?」 「確かに天蓬は似合ってると思いますけど…」 「八戒もすごく可愛いですよ。そんな不安そうな顔をすると可愛さ倍増です。だからこれ以上狼に近付いちゃいけません。腹ペコなんですから丸呑みされちゃいます」 まるでお母さん山羊のように天蓬は八戒を抱き締めると、狼から距離を取る。天蓬に運ばれながら八戒は腹減左衛門狼三蔵(はらへりさえもんのおおかみさんぞう)に声を掛けた。 「三蔵さん、パスタが冷めても伸びてもいけないと思ってこれから茹でるんです。少し待ってもらうんですけどいいですか?」 「あぁ、こっちはご馳走になる身だしな」 「じゃ僕パスタを茹でてきますから、ちょっと待ってて下さい。天蓬もお腹空いたでしょう?」 花のような笑みに天蓬がしぶしぶ腕を解くと、八戒は踵を返しキッチンへと向かった。その動きに白いワンピースの裾がふわりと翻り、スリットから覗いた足首は細くいつにも増して華奢に見えた。 「何処見てるんですか、この腹ペコ狼。涎垂れ流して八戒を見ないで下さい」 「お前があの格好をさせたんだろうが!」 「ええ、そうですよ。まずは否定してから反論してみたらどうです?スケベ親父丸出しですねぇ。貴方と同じに思われたくないですから言いますけど、八戒はここに籠りきりですからね。気分転換にでもなればと思って着せてみたんですけど、予想を遥かに上回る可愛さに僕も困りました。何せ腹ペコ狼がナイフとフォークを持ってやって来るんですから」 まったく心配した通りになりました、と天蓬が大袈裟な溜息を吐いたので、三蔵はこめかみを引きつらせた。 「それでお前がここで出迎えて門前払いを食わせようとしたのか、やっぱり嫌がらせだったんじゃねぇか」 「何を言うんです。素晴らしい目の保養が出来て幸せでしょう?貴方はこれから美女2人に囲まれてのランチですよ。これ以上美味しく食べられる食事なんて滅多にないですよ。なんて幸運なんでしょうね」 真紅に塗られた唇を引き上げ艶やかに微笑んだ天蓬を見た三蔵は、devil’s luckという単語が頭に浮かんだ。 |
top/back/next |
2005/07/04