「お待たせしました、八戒。狼を捕獲してきましたよー」 何だそれはと顰め面をした三蔵を出迎えたのは、不安そうな顔をした八戒だった。 「あの、ご迷惑ではありませんでした?」 「いや、朝食ってないんで助かる」 「良かった」 見たかった翠の瞳が柔らかく細まり、ふわりと羽根が舞うように微笑んだ八戒を見て三蔵は、それだけで自分の選択は間違ってなかったと思えた。 「じゃあ改めて紹介しときましょうか。この金髪タレ目が三蔵です。因みに不機嫌な顔はいつもなので気にしないで下さい。大学の友人ってとこですか。それでこっちのサラサラこげ茶髪で翠の瞳と笑顔が最高なのは八戒です。僕の同居人です」 ニコニコと流麗な口調で天蓬はお互いを紹介したが、三蔵と八戒はなんだかな文面に思わず見つめ合ってしまう。 しかし八戒は長く見る事が出来ずに、頭を下げて三蔵の真っ直ぐな視線から逃れた。 「……あの、八戒です。宜しくお願いします」 「あ、あぁ…宜しく」 視線が外れた事により三蔵は、いかに自分が無遠慮に見ていたかを知って、きまり悪そうに横を向く。それを黙って見ていた天蓬は、合コンというよりもまるでお見合いのようですねと思ったが、仲人になるのは真っ平ご免だったので手の平を一つ強く打った。 「という訳で、早速ピクニックにしましょう。八戒準備はいいですか?」 「はい。じゃあ僕はサンドイッチを持ってきますから、天蓬は葡萄酒の方をお願いします。どうぞ、三蔵さん座って下さい」 言われてみればラグの上には、既に3人分のクッションとワイングラスが用意されている。つまりは事後承諾だったと気付いて三蔵が2人を見れば、八戒はキッチンへと消え、コの字型の真中に座った天蓬は早速コルク抜きを手にしていた。 「とっとと座ったらどうです?すぐに八戒がランチを持ってきてくれますよ。それとも待っているのは八戒ですか?」 憮然とした三蔵は、コルク抜きで示された場所に座ってから漸く口を開く。 「そっちから誘っておいてやけに突っかかるな」 「誘ったのは八戒であって僕じゃありませんから、そこの所をお間違いなく。大体どうして断らなかったんですか?人付き合いの悪い超絶面倒くさがり屋の貴方が誘いを受けるなんて、予想外もいいとこですよ。雹でも降りますかね?」 「普段、人の事をひねくれ者とさんざん言ってたのはどこのどいつだ?」 「何もこんな時に発揮しなくても良いんです。しかも自認してるし」 「何と言おうと、お前の口から招待したんだからな」 「ここまで言って帰らないのは、筋金入りのひねくれ者だからです?それとも嫌がらせですか?」 天蓬はそう言いながらも、開けた葡萄酒を3つのグラスに注いでいる。三蔵は怒りを通り越し、半ば呆れたように天蓬を見た。 「貸し借りがチャラになると言ったのはお前だろーが。後悔してるからって、今更俺に当たるのはよせ」 「だって八戒は気立てもいいし器量良しですし、お料理もとっても上手なんです。やっぱり貴方に見せるのは勿体ないと思っても仕方ないでしょう」 なかなか諦めきれない天蓬が肩を落として大げさな溜息を吐くと、三蔵はそんなに嫌なら最初から誘うなとごちた。ここまで言われたなら、逆に帰る気も失せるというものだ。とそこへトレイを持った八戒がキッチンから現れた。 「お待たせしました。天蓬、大丈夫ですか?そんなにお腹空かせてたんですね」 項垂れている天蓬にすみませんと言って八戒は、パセリやプチトマトの添えられたサンドイッチの乗った皿を次々と置く。そしてすぐにキッチンへ戻ろうとした八戒を、天蓬は腕を取って引き止めた。 「天蓬?その様子だと、これだけじゃ足りないでしょう」 「取り敢えずはこれで十分ですよ。先ずは乾杯しましょう、ね?」 誤解も解かずに天蓬が甘く微笑むと、八戒は天蓬がそれで良ければと腕を引かれるままに座った。そして葡萄酒を注いだグラスを八戒に手渡し、天蓬も自分のグラスを手に取った。 「では初めてのピクニックに乾杯〜」 先程までの不平不満はどこへやら、手の平を返して楽しそうにグラスを上げた天蓬に、八戒はにこやかに、三蔵は呆れを通り越した仏頂面のままグラスを合わせる。軽やかな音が鳴り、日に透けて鮮やかな赤い液体を揺らせてから、3人はほぼ同時に葡萄酒を飲んだ。 「うーん、昼間のお酒も良いもんですねぇ。これ、そんなに高いものじゃないんですけど、値段以上に美味しく感じます」 「そうですね。なんだか贅沢してる気分です」 「確かに夜とは違う感じだな」 たとえ山野に行かなくても、開放的な気分をお手軽に味わえる昼酒の意外な効果を知った3人は、改めて葡萄酒を口にした。そしてすぐにグラスを空けた天蓬は八戒に葡萄酒を注いでもらうと、昨夜話していたオープンサンドを手に取った。 「これが昨日言ってたやつですね。ん〜香ばしい匂いがまた美味しそうです。いただきまーす」 ガーリックバターが塗られたフランスパンの上には牛肉に溶けたチーズ、そして刻みパセリが散っていた。天蓬はサクリと音を立てて噛り付き、ゆっくりと味わい咀嚼すると満面の笑みを浮かべる。 「本当ですね、これすごく美味しいです。この葡萄酒のセレクトは正解でした」 嬉しそうに再び葡萄酒を飲む天蓬の横で、三蔵は別の物が乗ったフランスパンを手にする。星型のにんじんにブロッコリー、アスパラと鶏肉、そしてうずらの卵がカラフルに乗せられ、仕上げは細いラインのマヨネーズが格子状にかけられていた。 「あ、それはマヨネーズも軽くオーブンで焼いてみたんですけど、大丈夫ですか?」 言われて見ればマヨネーズは小さな泡を立て、香ばしい匂いを漂わせている。三蔵はトッピングされた物が落ちないよう気をつけながら、オープンサンドを食べてみた。きちんと下味の付いた食材に好物のマヨネーズがうまくマッチしていて、三蔵は全部食べ終えると美味いと呟いた。 「良かったです。それと牛肉の乗ったオープンサンドは、冷めないうちに食べた方が美味しいと思います」 三蔵が食べ終わるまでどこか緊張した面持ちをしていた八戒は、ほっとした笑みを見せると漸く自分の分を手にした。それを見ていた天蓬も笑みを零すと、三蔵と同じ物に手を伸ばす。 「確かに、冷めたら普通のマヨネーズになっちゃいますもんね。家でするピクニックの利点ですね。温かい物が冷めずに食べられますから。それにしてもこれ、賑やかで可愛いですv」 「嬉しいです天蓬。実はそれ、天蓬みたいだなぁと思いながら作ってたんです」 一瞬三蔵が動きを止め、天蓬はそれを視界の端に捉えながら葡萄酒のボトルを持つ。 「何です、三蔵。貴方も美味しいって言ってたじゃないですか。さ、早く八戒も僕のオープンサンドを食べて下さい。本当に美味しいですから。それにこっちも進んでないですよ?」 天蓬にボトルを傾けられて八戒は、グラスに残っていた葡萄酒を飲み干す。そしてめでたく”てんぽう”と名前の付いたオープンサンドを手に取った。 最初に用意した分がすぐに無くなったため、八戒はキッチンへと立ち、すぐに残りの分を持ってきた。並んだサンドイッチの中から三蔵が最初にツナサンドを手にしたのを見て、八戒はふと訊ねた。 「三蔵さんって、もしかしてマヨネーズがお好きなんですか?」 「さすが八戒、よく気が付きましたねぇ。この人ご飯にマヨネーズどころかラーメンにも入れるし、果ては刺身にまで付けて食べるマヨラーなんですよ」 「それは……凄いですねぇ」 本人に代わって天蓬が説明すると、八戒は目を丸くして感心したように呟く。先程からどうもマヨネーズが使われたものから先に手が伸びている、と思ったのは間違いないようだ。 「………悪いか」 子供のような偏食と言われたようできまりが悪く、三蔵はそれこそ拗ねた子供のようにぶっきらぼうに返す。すると八戒が慌てて頭を横に振った。 「いえ、そういう事ではなくて、マヨネーズを使ったものはそれで最後でしょう?パンはもうないので、良かったらマヨネーズを使ったサラダをお持ちしようかと思って」 「八戒ずるいです。三蔵に甘すぎですよ」 間髪いれずに今度は天蓬が拗ねた風に言ったので、八戒はおかしくなって思わず笑みを零した。なんだか母親のような気分である。 「天蓬にはいつもリクエストにお答えしてるでしょう?三蔵さん、実はツナやポテトサンドに使った余りがあるのでそれで宜しければ、という話なんです。どうされますか?」 「貰おう」 「判りました。天蓬、貴方が食べる分もちゃんとありますし、三蔵さんは天蓬のお友達で大事なお客様でしょう?」 八戒ににっこりと微笑まれてしまっては、天蓬も渋々ながら承諾するしかない。八戒はもう一度小さな笑みを零すと、キッチンへと向かう。それを見送った天蓬は大きな溜息を吐くと、据わった目で三蔵を見つめた。 「やっぱりやめておけば良かったですねぇ。あんなに可愛いい八戒の笑顔は貴方には目の毒ですよ。本当、勿体無いです」 そんな天蓬をちらりと見た三蔵は、ポケットから煙草を取り出し口に咥える。 悔しがる天蓬の気持ちも判らなくはない。鏡に映る花のような笑みを見せたかと思えば、今のようにひどく優しい笑みも見せる。笑みの中にあれだけの表情を見せる八戒を、天蓬は今まで独り占めしてきたのだ。しかしそう思う一方で、三蔵の中に疑問も湧いてくる。これほどまでに大事にし、且つ独占している八戒を何故こうも簡単に自分と引き合わせたのか、という事だ。 三蔵は紫煙を吐き出すと、煙草を唇から離す。 「 ――― おまえ、どうしてペットを飼ってるなんて言ったんだ?」 「だって同居人なんて言えば、下手な詮索をされますからね」 「………」 三蔵の質問に天蓬は最もな答えを返す。だがまるで用意されていたような答え方に、三蔵は片眉を上げた。 「何です?やけに拘りますね。そんなに八戒の事気に入りました?」 「とぼけるな。貴様、どうして俺をここへ来るように仕向けた?」 「さすが三蔵、気付かれちゃいましたか」 天蓬はいともあっさり認めると、グラスを軽く掲げて葡萄酒を飲んだ。その悪びれない態度に三蔵は眉間に深く皺を刻む。最初から天蓬が自分に伝えなかった事に、もっと疑問を持つべきだったのだ。こうなれば捲廉が天蓬の指図で動いた事は明白だ。捲廉への報復は後でじっくり考えるとして、今は目の前にいる天蓬である。見えない理由に苛ついて三蔵が瞳を眇めれば、天蓬はやれやれと言って空になったグラスを置いた。 「八戒のリハビリのためですよ。暫らく僕以外の人間に会っていないので、一番人付き合いの悪そうな貴方で試してみたんです。口が堅いのも理由の一つでしたけど」 「勝手に白羽の矢を立てるんじゃねぇよ」 「何言ってるんですか、満更でもないくせに。大体僕は八戒を見せびらかして終了の予定だったのに、まさか貴方が家に上がりこんで、しかも一緒にピクニックをする羽目なるなんて思ってもみませんでしたからね」 「そっちが先に仕組んだんなら、イーブンじゃねぇか!」 「何言ってるんですか?おつりがくるの間違いでしょう。こうしておかわりまで要求してるのは、どこのどなたです。八戒は確かにお料理上手ですけど、それだけじゃないんでしょう?」 「……どういう意味だ?」 「判りません?」 まるで好奇心丸出しの猫のような目で天蓬に見られ、三蔵は不快感も露わに睨み返した。ここに来させられた理由は判ったが利用されたのには違いない。しかも自分自身判らない事を勝手に決め付けられているのだ。迷惑千万と三蔵の紫煙が多くなると、天蓬も煙草を取り出し口に咥える。やがて2本の煙草から吐き出される煙が暗雲へと変わり、二人の背後に龍虎が現れ始めたところへ、菩薩ならぬ八戒がサラダを持って現れた。 「お待たせしました…ってどうしたんですか?お二人共。煙草を吸うくらい待ちきれませんでした?」 八戒がにこやかにツナとポテトのサラダを置くと、天蓬は煙草をたぬきで消してからにっこりと微笑んだ。 「食間の一服ってやつです。ところで八戒がこんなにお料理上手で可愛いいと、僕心配ですよ」 そう言って天蓬は隣に座った八戒を後ろから抱き締めると、甘えるように肩に頭を乗せる。すると八戒は不思議そうな顔して振り返った。 「どうしたんですか?天蓬。一本空けた程度じゃ酔わないでしょう」 言われてみれば確かに葡萄酒のボトルは空になっていて、天蓬はさっき飲んだのが最後だった事を思い出した。再び立とうと動き出した八戒を強く抱き締めて、天蓬は替わりに自分が立ち上がる。 「今度は僕が持ってきますから、八戒はちゃんと食べて下さい」 そして三蔵を一瞥してから、もう一度八戒に顔を寄せる。 「狼に襲われそうになったら大声を出すんですよ」 いいですね、と念押しするやけに真面目な天蓬の顔に八戒はきょとんとしたが、意味を理解した途端くすくすと笑い出した。 「何ですか?それ。大丈夫ですよ。大体僕に言うのは変じゃありませんか?」 「自覚がないから困るんですよねぇ」 未だ笑いつづけている八戒の頭を宥めるように軽く叩くと、三蔵にもう一度しっかりと牽制眼を送ってから天蓬はキッチンへと足を向けた。 「ちっ、あの野郎。人を狼狼と連呼しやがって」 「あぁ、それはこういう事です」 やっと笑いを治めた八戒は、観葉植物の脇にあったバスケットを引き寄せ蓋を開けて見せた。そこに入っていたパイを見た三蔵は、八戒の言わんとする所を理解した。 「 ――― って事は、お前は赤ずきんか?」 「やっぱりそうなりますか?幸い口にはしなかったので、その格好は免れましたけど」 少し困ったような笑みを浮かべた八戒を、三蔵は改めて見つめる。天蓬の破天荒に巻き込まれているのは何も自分だけではないらしい。 「お前も案外苦労してるんだな」 「そんな事ありませんよ。天蓬はすごく優しいですし、一緒にいて楽しいし、それに感謝もしているんです」 そう言って透き通るように微笑んだ八戒は雰囲気を一変させ、三蔵は紫暗の瞳を眇める。 初めて見た時と同じ笑みだった。何故天蓬が居ない時に限って、この笑みを見せるのだろうか。三蔵は天蓬の口車に乗ったふりで、もう一度会いたいと思った理由を思い出す。確かめたいと思ったのは、この笑みの理由なのか、それとも今目の前にある不確かな存在なのか。 ――― それだけじゃないんでしょう? ――― 先程言った天蓬の言葉が何故か蘇えり、三蔵はそれ以上深く考える余裕もなく八戒から目が離せないでいた。 「ちょっと三蔵、貴方本気で八戒に穴を開けるつもりですか?」 リビングに戻って来るなり天蓬は凄い勢いで八戒に駆け寄り、三蔵から守るよう葡萄酒ごと抱き締めた。 「天蓬、ありがとうございます」 ボトルを受け取った八戒は、先程までの笑みを一瞬で柔らかなものに替えて天蓬に微笑む。その有り様は印象深く三蔵の目に焼きつく。 「三蔵、いくら触っていないにしろ、そんな目で見るなんて視姦も同然です。八戒大丈夫です?どこか減ってません?」 頬を両手で包み心配そうに覗き込む天蓬に、八戒はくすくすと笑いながら答える。 「大丈夫ですよ天蓬、どこも減ってません。ところでボトルが2本あるという事は、三蔵さんもイケル口です?」 「貴方ほどじゃありませんよ。三蔵はそこそこです」 完全犯罪者扱いに口をへの字に曲げていた三蔵は、その言葉を聞いてぎょっとした。天蓬の底なしを良く知っているだけに、そのお墨付きを貰った八戒も相当なものである。人は見かけによらないと思えば、天蓬もそうである事を思い出した。自分は酒に強い方であると思っていた常識を、天蓬によって完全に覆されたのである。 「でも、この位は大丈夫ですよね?」 「当り前だ」 八戒がコルク抜きを手にしたのを見て、三蔵はグラスに残っていた葡萄酒を呷るようにして飲み干した。 |
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2005/03/17