「ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン」
 忙しくチャイムが鳴り響き、八戒は持っていたワイングラスを置いた。
リビングを覗くと天蓬は丁度椅子を持って移動中だったため、八戒はインターホンに手を伸ばす。
 「待って下さい八戒。こんなに気の短い鳴らし方をする人物に心当たりがあります」
 椅子を置いた天蓬は八戒を制してインターホンの受話器を手に取る。
 「やっぱり貴方でしたか。ちょっと待って下さい、今開けますから」
 予想通りの人物に応答すると、天蓬は受話器を置いた。
 「八戒は準備の続きをしていて下さい。僕はちょっと預かり物を渡してきますから」
 「判りました」
 天蓬はすぐに自室に行きレポートを手に取ると、玄関へと向かう。そしてロックを外し扉も開けると、そこには煙草を咥え不機嫌な顔をした金髪の美形が立っていた。
 「何だってお前が俺のレポートを持ってるんだ」
 「お言葉ですが三蔵、僕はわざわざ預かってあげたんですよ。感謝して欲しいくらいで、文句を言われる筋合いはありません」
 たれ目には相応しくない睨むような鋭い視線を受けても、天蓬はまったく意に介さない。
三蔵と呼ばれた金髪の美形は苛立ちを募らせ眉間の皺を深く刻んだ。
 「俺は捲廉に渡したはずだが?」
 「ええ、そうですよ。でも捲廉が返却しようとした日、貴方大学に来なかったんですよ。だから泊りがけのツーリングに行く捲廉に頼まれて、僕が預かってあげたんです」
 「なら、どうしてそれをすぐに知らせなかった?捲廉から天蓬に預けたからそっちに回収に行ってくれと、今日連絡があった」
 「だってそれをするのは借りた捲廉でしょう?ところでどうして今日になったんです?」
 「お前が連絡したかと思ってた、と言っていた。携帯も繋がらない所にヤツは行ってて、こっちからは連絡出来なかったんでな。宿の電話を見て一応かけてみたと言ってやがった」
 「じゃあやっぱり捲廉の落ち度でしょう。それとも返却日に大学に来なかった貴方を責めればいいんですか?」
 反論する手立てが失われたどころか、厄介なヤツに借りを作ってしまったと三蔵は舌打ちをする。
 「判っていただければ結構です。貸し1つですね、三蔵」
 勝ち誇った笑みでレポートを手渡され、三蔵は嫌々それを認めて不機嫌な顔のまま無言で受け取った。念のため紙を捲り中身を確認すると、落書きこそなかったが一枚足りない事に気付いた。
 「…おい。一枚足らねーぞ」
 「え、預かったのはそれだけですよ。うーん、でも万が一って事もありますから一応見て来ます」
 少し考える素振りをしていた天蓬は、三蔵を置いて自室へと探しに戻った。残された三蔵はイライラと煙草を吸って待ち、瞬く間に伸びた灰を落とそうとしてふと気が付く。以前訪れた時と違い、玄関も廊下もかなり綺麗に掃除されている。三蔵は再び舌打ちをすると、これ以上嫌味を言われないために、灰皿を求めて靴を脱いだ。どうせリビングに灰皿はある筈だし、序にそこで待とうと三蔵は勝手知ったるとばかりに廊下を歩き、扉を開けたところで足を止めた。そこにはまったく予想していなかった先客がいて、向こうも同じように驚いていた。白シャツにベージュのコットンパンツを穿いた、長身痩躯の美人が、印象的な翠の瞳を大きく瞠り立っている。人が居たことにも驚いたがそれ以上に、その容貌に言葉が出ない。そして翠の瞳の美人も突然の来訪者に声を無くして固まっていた。
 暫らくお互いを見つめたまま時間が止まっていたが、指先にある物を思い出した三蔵が漸く口を開いた。
 「すまんが灰皿を」
 「え……、あ、はい。ちょっと、待って下さい」
 声を聞いてやっぱり男だったか、とどこか遠くで思う三蔵の前で、美人はぎこちなく視線を外すと、すぐにたぬきの灰皿を持ってきた。煙草の灰はかなり伸びて頭を垂れており、危うく落ちるところを間一髪、美人の持った灰皿が受け止める。間に合った安堵感でお互い肩の力が抜けたところで、再び目が合い間近で見つめ合う。緊張感が取れたせいか、硬質的な冷たさが薄れ、線の細い整った容貌が際立ち儚くも見える。そしてこげ茶色の髪から覗く翠の瞳は、澄んだ透明感があるにも関わらず不思議な趣を持つ深い色で、三蔵は瞬きをするのも忘れて見入った。
 と唐突に廊下から荒々しい足音がしたかと思ったら、勢いよくリビングの扉が開いた。
 「八戒!」
 慌てた様子の天蓬は急いで美人に駆け寄り、三蔵から引き離すようにして抱き締めた。
 「大丈夫ですか?八戒」
 「あ、はい。……ちょっと、驚きましたけど平気です」
 「本当に?」
 「ええ、大丈夫だったみたいです。あんまり綺麗な方が突然現れたので、びっくりしましたけど」
 普段どおりの八戒の様子に天蓬は安堵の溜息を吐く。そして額をくっつけるようにして話していた顔を、まるでからくり人形のような動きで三蔵に向けた。
 「ちょっと何です、三蔵!勝手に上がったりしてどういう了見ですか」
 「先客がいるとは思わなかったんでな。それに玄関を汚しても構わなかったか?」
 「あの、天蓬、この方灰皿を探しにきたみたいで…」
 そう言って八戒は持っていたたぬきの灰皿を天蓬に見せると、腹の底には確かに灰が落とされていた。
天蓬は大きな溜息を吐くと、もう一度八戒を抱き寄せる。
 「とにかく、貴方が無事でほっとしました」
 「てめぇ、俺をあのエロ河童と一緒にするんじゃねぇよ。ところでレポートはあったのか?」
 「ああ。ありましたけど、玄関に放ってきちゃいました」
 悪びれもせず天蓬は言うと、腕の中にいる八戒の頬にキスをした。
 「すみません、八戒。僕の不注意で狼を乱入させてしまって」
 「誰が狼だ」
 「不法侵入者の貴方に決まってます」
 青筋を立てた三蔵をちらりと見ると、天蓬は玄関へと向かう。
 冷ややかな視線を受け止めた三蔵は、瞳を眇めて天蓬の背中を見送った。

 ――― やけに絡むじゃねぇか ―――
 これほどまでに感情を露わにする天蓬を初めて見る。その要因であろう美人に目を向けると八戒と呼ばれていたその美人が近付いてきて、三蔵の脇にあるテーブルに灰皿を置いた。
 「…どうぞ」
 「あ、あぁ」
 言われるままに今度は余裕を持って灰を落とした三蔵は、ここにきて漸くおかしな所に気が付く。
 「そういや、何だってこんなにソファやテーブルが端に寄ってるんだ?」
 「これからピクニックをするからです」
 「ここでか?」
 「えぇ」
 そう言って済まなそうに微笑んだ八戒は、まるで鏡に映った花のようで三蔵は眉を顰める。いくつかの疑問が浮かんだが結局三蔵は口に出さず、改めてリビングを眺めた。広くなったスペースにはラグが敷かれ、その上にはクッションが数個置かれている。観葉植物の脇に置かれたバスケットを見つけて成る程と思う。
 「邪魔をしたな」
 「いいえ、まだ始まってなかったですし…」
 軽く首を横に振って否定した八戒は、瞳を伏せて視線を逸らす。どこか考え込むような仕草に三蔵は、もう一度その瞳を見たいと思って見つめていると、後ろから小突かれた。
 「こら、八戒に穴が開いたらどうするんですか」
 反論しようと振り向いた三蔵に、天蓬は一枚のレポート用紙を突きつける。
 「これですね?」
 「あ、あぁ」
 有無を言わせず天蓬は押し付けるように手渡し、受け取った三蔵は目を通し間違いない事を確認すると、持っていたレポートと一緒に一まとめにした。そして煙草をたぬきの灰皿で潰すと、もう一度八戒を見てから玄関へと向かった。
 黙って去っていく三蔵の後姿を見つめる八戒を、天蓬が後ろから抱き締める。
 「三蔵のこと、気に入りました?」
 「え、どうなんでしょう?綺麗な人だとは思いますけど。どうしてですか?」
 「だって何か言いたそうに熱い視線を送ってたじゃないですか。僕、嫉妬しちゃいますよ」
 「あぁ、それはあの人が真剣な目でバスケットを見てたので、お腹が空いてるのかと思ったんです。それなら一緒にピクニックはどうかな、と思っただけです」
 天蓬は目を瞠ると、腕の中の八戒を強く抱き締めた。
 「すごい進歩ですね。僕びっくりしちゃいました」
 「外に出るのとは違いますし、天蓬のお知り合いの方だったからかもしれませんけど、あの人は大丈夫でした」
 「成る程、じゃあ狼を招待するとしましょうか」
 顔を覗き込まれた八戒は、きょとんとした目をするとクスクスと笑い出す。
 「でもご迷惑じゃありませんか?何か急いでいるように見えましたけど」
 「大丈夫ですよ。あのレポートの提出日は今日じゃありませんからね。折角の貴方のお願いですから必ず叶えてあげますよ」



 靴を履いた三蔵は、玄関のドアノブを掴んだところで後ろから呼び止められた。
 「三蔵、貴方お腹空いてません?」
 「あぁ?」
 「真剣な目でバスケットを見ていた貴方を、八戒が心配しましてね。一緒にピクニックをしませんか?と言ってるんです」
振り返った三蔵は眉間に皺を寄せ、腕組みをして立つ天蓬を睨んだ。
 「別に食い物の事を考えてたわけじゃねーよ。それに俺は馬に蹴られるのはご免だ」
 「それが判っているのなら結構です。なら口止め料として八戒が作ったランチを食べる、というのはどうです?そうすれば貸し借りはチャラになりますけど」
 「あの美人の事を黙ってろと?」
 「そういう事です。どうせ貴方は家の中でピクニックをする不自然さを考えていたんでしょうから、特別に教えて差し上げます。八戒は家から出たがらないんですよ」
 微笑を浮かべている天蓬を、三蔵は瞳を眇めて見つめる。
 「そういやお前、最近ペットを飼い始めたようなことを言っていたが…」
 「ピンポーン、正解です。ちょっと前に拾ったんです。凄い美人で羨ましいでしょう?」
 「そう言うのは同居人って言うんじゃねーか?……待てよ、拾った?」
 「ええ。落とし主が現れないんで僕が貰っちゃいましたv」
 「…………」
 眉間の皺を更に深く刻み、探るような視線を向けたが、結局三蔵はそれ以上訊くことはしなかった。
 「で、どうします?」
 端的な天蓬の質問に、三蔵は靴を脱ぐ動作で答える。
 
 正直に言えば天蓬の確信的な笑みは気に食わないし、面倒事に首を突っ込むのもご免だ。
 けれどそれでも尚、去り際に見損ねた翠の瞳をもう一度見たいと思ったからだった。



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2005/03/02