「森のくまさんグラタンが良いと思うんです」 確かに森を思わせるブロッコリーに、椎茸しめじに舞茸のきのこ群、そして隠れたように鶏肉がある。それらを彩る星型の人参とマカロニをフォークで刺しながら、天蓬はご機嫌な顔で言った。 「あはは、可愛いですね天蓬。そんな感じです」 「でしょう?三蔵のはそうですねぇ…田んぼのシャチドリアってとこですか」 「………何だ、それは」 三蔵のフォークを持つ手が思わず止まる。海老と帆立と明太子の組み合わせならば海の幸くらいが妥当ではないだろうか。まぁ千歩譲って田んぼとしよう。ならばせめてイルカと言えばいいようなものの、海のギャング鯨殺しの異名を持つシャチを選ぶあたり天蓬の悪意が感じられる。三蔵の眉間にくっきりと深い溝が刻まれたところで、八戒が口を開いた。 「天蓬、山海のシャチドリアじゃだめなんですか?」 まるで三蔵の心の声が聞こえたような八戒の質問だが、何故素直に海ではなくて山海なのだろうと更に疑問が増える。山にも無いわけではないが、どちらかと言えば田んぼは平地だろうと三蔵はループ思考に陥った。 「いいですか八戒、思い出して下さい。三蔵はわざわざライスグラタンと言ったんですよ。そこまで米に拘るのでしたら、やはりここは田んぼが相応しいですよ。海以外でも大丈夫ですよ。だって屋根の上にもいるじゃないですか」 「成る程、でしたらお皿の両端に海老のしっぽを立てるべきでしたね。どうですか?三蔵さん」 「………どっちでもいい」 「まったくノリが悪いですね、三蔵は。さて後は八戒のグラタンですね。これは何ですか?」 「豆腐とほうれん草のグラタンです。豆腐の中にひき肉と刻んだ葱と椎茸が入ってますけど」 「へぇ、美味しそうですね。着想を得るために一口食べさせて下さい」 「えぇ、どうぞ」 八戒がグラタン皿を差し出すと、天蓬は一口すくって味見をした。 「お豆腐のグラタンなんて初めて食べましたよ。凄く美味しいです、八戒。うーん、これは、どうしようかな……」 さっき八戒が言った名前でいいのではないか、と三蔵が思う横で天蓬は腕組みまでして考え始めた。そして八戒は冷めないうちに食べて下さいねと笑った。 その後、食事が進むにつれてなんともいえない微妙な空気が生まれ始めていた。結局天蓬が良い名前を思いつかなかった、という理由ではないその空気を一掃したのは、キラリと光るフォークだった。 「ちょっと三蔵、いくら八戒が可愛いからといって見惚れすぎですよ。これ以上凝視するようでしたら見物料を取り立てますから」 原因たる三蔵を天蓬がびしりとフォークで指差すと、八戒は困ったように眉尻を下げる。 「もしかして、三蔵さんもこれ食べたかったんですか?」 小首を傾げた八戒が、残り僅かなグラタンを差し出すために皿を持とうとした手を、三蔵は止めた。 「いや、そうじゃねぇ。もしかして、お前具合が悪いのか?」 「え…」 八戒と天蓬は目を瞠り三蔵を見つめる。が、三蔵はそんな事など歯牙にもかけない視線の強さで八戒を見つめた。 「僕、そんなに顔色悪いですか?」 「それほどでもねぇが、この前と違う感じがしたんでな。体調が悪いのかと思った」 「ちょっと、八戒」 ついと天蓬は腕を伸ばすと、八戒の額に手を当てて熱を測る。 「う……ん、少し熱っぽいですか?体温計を持ってきます。いや、それよりもすぐに横になった方がいいですね」 慌てて立ち上がった天蓬を、今度は八戒が止めた。 「大丈夫ですよ天蓬。気分は悪くないんです」 「でも貴方、昨夜もそう言って…」 「昨夜?」 心配そうな天蓬の言葉に三蔵の片眉が跳ね上がる。咎めるような視線を受けて八戒は困った笑顔になった。 「本当に大丈夫です。2人とも心配し過ぎですよ」 「…判りました。でも気分が悪くなったらすぐに言って下さい。いいですね?」 「お前が平気ならいい」 「………はい」 2人の言葉に八戒はふわりと微笑んだ。 キッチンでパフェを作っている八戒を見つめながら、天蓬は紫煙を吐き出した。 「貴方、よく判りましたね」 それが八戒の体調を差していると判り、同じくキッチンを見ていた三蔵は煙草の灰を落とした。 「この前食事した時と違う感じがしたんでな」 「成る程、それであんなにずっと見てたんですか。八戒も外に出さないタイプですから、貴方よく気が付きましたよね。ただのセクハラかと思ったら、結構ちゃんと見てたんですね」 「まぁ、よく見る分には申し分ないな」 「なんだ、やっぱりセクハラだったんですね。慰謝料を請求しなくちゃいけませんねぇ」 「それは八戒が訴えた場合だろうが」 「おや、やっぱり自覚ありですか」 天蓬は煙草を揉み消すと、立ち上がりキッチンへと向かう。三蔵は煙草を咥えたままそれを見送った。 「やっぱり貴方は自覚なしですね」 「どうしたんです、天蓬?もう少しで出来ますけど」 果物ナイフを持っていた手を急に握られて、八戒は驚いて天蓬を見た。 「貴方が我慢強いのは知ってますけど、こんな時はダメです」 溜息混じりに言うと天蓬は果物ナイフを取り上げて、八戒の額に手の平を当てた。 「熱があります。食欲がなければデザートもいいですけど、食べた後ですからね。パフェは熱が下がってからにしましょう」 「待って下さい、僕は食べなくてもせめて三蔵さんに。折角来てくれたのに」 八戒がダイニングへと視線を流すと、三蔵は紫煙を吐き出す。 「熱が下がったら食べてやる」 「あ……」 途端に翠の瞳が揺れる。すると三蔵はたぬきの灰皿に煙草を押し付けて、眉間に皺を刻んでキッチンへと向かった。 「すみません…すぐには無理みたいです。折角服までいただいたのに……」 項垂れた八戒の肩を抱くと三蔵は、そのままもう片方の手を膝裏に当てて体を持ち上げた。 「え?」 「おい天蓬、寝室はどこだ?」 「なかなかやりますね三蔵。今回は特別に許してあげます。こっちです」 天蓬は先を歩いて導くと、三蔵は八戒を横抱きにしたまま悠々と歩き始める。と、ここにきて唖然としていた八戒が我に返ってもがき出した。 「ちょっと、降ろして下さい」 「うるせぇ、そういう事は自覚してから言え」 「三蔵、降ろさなくていいですよ」 天蓬にまで言われた八戒は、味方をなくして諦めたように大人しくなる。そして体が辛いのかすぐに力を抜いて小さくすみませんと言うと、三蔵は溜息を吐いた。 「別に怒っちゃいねぇよ。青褪めたお前が作ったパフェを食って美味いと思うか?」 「すみません。この日が楽しみで中止したくなかったんです。無理してるつもりはなかったんですけど…」 「この状態でそんな事を言うな」 「…そうですね、すみませんでした」 「そうじゃねぇよ」 「え?」 予想外の言葉に八戒が驚いて顔を上げると、間近に自分を見つめる紫暗の瞳があった。強い視線、深く神秘的な美しい色、優しさと苛立ちの中に痛みを耐えるような複雑な感情を織り交ぜて見つめる瞳に、言葉もなく見つめてしまう。やがてその瞳が伏せられて近付くのをただ眺める事しか出来なくて。唇が触れ合うとそこだけが熱く感じた。 「早く良くなれ、そうしたら又食べに来る。それから敬称はもう取れ、いいな?」 「………はい」 耳元で囁かれた声は低く甘く響いて、八戒は夢のように答える。と急に顔が火照り熱と寒気が襲ってきて、八戒は三蔵の腕の中でぐったりとしてしまった。その間天蓬は、普段の彼からは想像も出来ないほど機敏に動いていた。部屋の扉を開けて上掛けを捲り、パジャマを用意して、タオルを巻いたアイスノンをキッチンから持ってきた。 「八戒、大丈夫ですか?顔も赤くなって、熱が上がってきたんですね」 「天蓬…あの、違うんです」 「何が違うんですか?ほら、やっぱりさっきより熱いです。今日はもうこのままベッドの住人です。いいですね」 ベッドの上に降ろされた八戒に、有無を言わせずおでこを合わせた天蓬は、聞き分けのない子供を宥めるように髪を撫でた。そしてくるりと振り返り、傍に立つ三蔵を睨む。 「まったく、いつまでここにいるつもりですか?八戒を着替えさせられないでしょう?」 「男同士で何言ってやがる。病人相手に無体はしねぇよ」 「そんな風に言うこと事態、信用出来ないんですよねぇ。兎に角、僕は狼の前に無防備な子羊を見せるつもりはありませんから。早く出てってくれませんと、八戒が横になれませんよ」 俺はケダモノじゃねぇ、とぼやきながらも三蔵は部屋を出る。廊下に出ると無性に煙草が欲しくなり、三蔵は灰皿のあるリビングへと急いだ。 三蔵を締め出した天蓬はエプロンを外すと紐釦に手を掛け、八戒のチャイナ服を脱がせ始める。 「天蓬、別に良かったのに……」 されるがままになっている八戒から上衣が取り去られると、腹部に大きな傷痕が現れた。枝葉を伸ばすよう横に走る傷痕は、決して綺麗なものではなく醜く広がっている。天蓬はそこを隠すように手早くパジャマを着せて、ボタンを留めていく。 「だめですよ。今の貴方は猫の前の鰹節、というかまな板の上の鯉みたいなものなんですから」 「天蓬は手を出してくれないのに?」 「こら、こんな時にそんな事言うんじゃありません」 天蓬は人差し指で額を軽く突いて睨む。そして肩を抱き八戒の身体を横たえ布団を掛けると、ぽんぽんと2回叩いた。優しい仕草に八戒は目を伏せる。 「天蓬、すみません」 「怒ってないです。だから早く良くなってください」 そっと前髪を撫でて分けると、天蓬は額にキスを落とした。受けて八戒は閉じていた目を開けて、うっすらと細める。 「天蓬もおまじないですか?」 「も?」 「三蔵……もしてくれたので」 「三蔵?」 「その…、敬称を取れと言われたので」 「ふーん、結構気にしてたんですねぇ。ところで八戒、念のため確認しておきますけど、何処におまじないをされました?」 「………唇です」 「判りました。八戒、ちょっと待ってて下さいね。あの男に僕からお礼を述べてきますから」 にっこりと微笑んで踵を返した天蓬の背中に、八戒は思わず声を掛けた。 「天蓬、無体はされてないんですよ」 「当り前です。そんな事をしてたら三蔵は出入り禁止じゃ済みません。八戒は大人しく寝てて下さいね」 冷たいタオルを持ってきますから、と言い置かれて八戒はベッドに沈むしかなかった。 |
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2008/01/19