三蔵が玄関の扉を開けると、またしても天蓬に出迎えられる。昨日買わされた長衣のチャイナ服を着て腕組みをして立っている。色白の肌に紺碧が映えて、きらめく光沢の海を銀の龍が昇る柄は、普段女性にも間違えられる天蓬を玲瓏に見せていた。 「どうです?」 「シンジケートの幹部」 「似合ってるでしょう?」 「俺が金を出したからな」 「貴方、リップサービスも出来ないんですか?」 「根が正直なんでな」 今回は予め天蓬の服を知っていたので、三蔵も余裕で靴を脱ぎ始める。その態度に天蓬は不服そうに溜息を吐いた。 「やっぱりチャイナドレスくらい着て出迎えないと満足出来ないんですね。仕方ありませんねぇ、サービスですよ」 そう言って長衣の裾を持った天蓬に、三蔵は目を瞠る。 「待て天蓬、サービスって何だ?!もしかしてその下にチャイナドレスでも着てやがるのか?」 焦る三蔵の前で天蓬は、上衣の裾をウェスト近くまで引き上げ捲った。 「チラッ」 「………………」 「もう、ちょっとだけですよ」 あからさまに頬を染めた天蓬は、背けた顔を恥ずかしそうに両手で隠す。そのあまりにもわざとらしい仕草で、なめらかな光りを放ちながら繻子織の布地がストンと落ちる。 因みに天蓬はしっかりと衣服を身に付けていた。そのため見えたのは生足では無かったが、チャイナドレスでもなく、上衣と揃いの下衣である。捲る意味など、嫌がらせ以外何ものでもない。呆れを通り越して言葉も出せずに固まっている三蔵に、天蓬は艶やかに笑う。 「三蔵ってば僕の悩殺ポーズにやられちゃいましたね?やっぱり昼から刺激が強すぎましたか」 そう言って天蓬は再び顔を赤らめると、ほぅと息を吐いた。 「 ――――――― 貴様、そんなにチャイナドレスが良かったのか?」 あまりの仕打ちに怒りが心頭し過ぎた三蔵は、肩を震わせ項垂れる。 「何を言うんです。三蔵ったらそんなに僕に着せたかったんですか?それなら我慢せずにお店で言ってくれなくちゃダメじゃないですか。あれは ちゃんとサイズが合ってないと綺麗に着れないんですよ。それとも試着する僕を待つのが恥ずかしかったんですか?貴方がそんな照れ屋さんだったなんて、大きなタライでも落ちてきそうですね」 「貴様な…」 そこまで言うならいっそ買ってやればよかった、と三蔵は青筋を立てるが、ふと思いつく。 「その言い方からすると、俺が贈った服がよっぽど似合ってるんだな?」 「当り前です。なんせ僕が選んだんですから」 にっこりと微笑む天蓬の服からは龍が、一方三蔵からは髪と同じ色の虎がどこからともなく現れ睨み合いを始めたところ、リビングの方から声が聞こえてきた。 「天蓬、三蔵さんじゃなかったんですか?」 そう言って廊下を歩いてきた八戒も、贈られたチャイナ服を着ている。 「三蔵さん、素敵な服をありがとうございました」 天蓬の横に立った八戒は、礼を述べるとはにかむように微笑んだ。 色白の肌に深い緑はよく映えて、その瞳に伴い静かな美しさを醸し出している。その上に咲く金色の牡丹は八戒の笑みを華やかに飾った。 「でもこれ高かったんじゃないですか?僕の料理には見合わないと思うんですけど…」 照れくさそうに八戒が着ている服に目を落とすと、三蔵も気恥ずかしそうに目線を外す。 「別に、今日1回って訳でもねーだろ」 「でしたら見合うまで作らなきゃですね」 「お前の気が済むまでな」 「ちょっと三蔵、何気に確約取り付けてません?そういう下心があったから、僕が選ぶのにも文句を言わなかったんですね」 魂胆に気付いた天蓬が間を割って目を尖らせたが、三蔵は涼しい顔だ。 「八戒に一番似合うのはこれです、と言って嬉々としてその服を選んだのはお前だろうが。今のも八戒が言い出した事だ。文句はあるまい」 してやったりと三蔵が唇の端を上げると、天蓬はすぅっと目を据わらせた。 「本当はチャイナドレスが良かったくせに。貴方、何気に見てましたよね?」 「店の中を一瞥しただけで、そこまで言われる筋合いはねぇな。大体そこまで拘るあたり、単にお前が着たいだけじゃねぇのか?」 「何言ってるんですか。この服を買ってくれた御礼に出血大サービスした悩殺ポーズに満足してくれなかったくせに。斯くなる上はチャイナドレスを着るしかないじゃないですか」 言われて三蔵は、誤って頭の中で先程の悩殺ポーズをリプレイさせてしまい、それだけで再び大きなダメージを受ける。 「……確かに。お礼参りをされて文字通り脳を殺されそうになったな。大体あれのどこがサービスだ。迷惑の間違いだろーが」 三蔵の反撃に天蓬は思いっきり眉を下げると、くるりと向きを変えて八戒に抱きついた。 「はっかい〜〜〜、三蔵ったらひどいんです。僕が恥ずかしいのを必死に我慢して、出血大サービスした悩殺ポーズじゃ満足出来ないって言うんです。チャイナドレスのない今、後はもう脱ぐしかありません〜〜」 最初からこれが狙いだったのかと、三蔵が舌打ちをする。 「そんな事一言も言ってねぇだろーが。誰がお前にサービスしろと言った?」 「僕です」 「あ?」 三蔵は思わず紫の瞳を円くして、天蓬の頭を撫でている八戒を見つめた。 「服を買ってくれた御礼をどうしましょう、と天蓬が言ったので、気持ちを込めれば何でも良いんじゃないですか、と僕が提案したんです。すみません、出血大サービス悩殺ポーズは三蔵さんのご期待に添えなかったかもしれませんけど、天蓬も一生懸命だったと思うので、大目に見てもらえませんか?」 悪意の固まりだったがな、と言う代わりに三蔵は、すまなそうな八戒に手を伸ばす。 「なら、これでチャラにしてやる」 頤に手をかけて三蔵は、八戒に触れるだけのキスをする。そして俊敏に離れた直後、天蓬の肘が空振りをした。 「ちっ、外しましたか。三蔵、この服は料理のお礼ですよね?」 「あぁそうだ。今のはお前のサービス不十分を発案者に責任を取らせただけだ。これ以上するようなら八戒にサービスしてもらうからな」 「やっぱり八戒にチャイナドレスを着せる気だったんですね」 「貴様いい加減そこから離れろ。でないと今度こそ本当に買ってくるからな」 再び睨み合いの始まった二人の間にいた八戒は、困ったように口を開いた。 「そんなに2人が拘るんでしたら、3人でチャイナドレスを着れば丸く治まるんじゃないですか?」 その恐ろしい提案に2人はぴたりと口を噤み、ぎしぎしと歯車をいわせながらからくり人形の動きで八戒を見つめた。 「三蔵さん、天蓬もお腹空きませんか?」 「soudana」 「そうでしたぼくねてましたからあさもたべてなくてぺこぺこです」 2人揃って棒読みすると八戒は花も恥らう微笑みを浮かべた。 「良かった。それでしたら美味しく食べられますね」 「どうぞ」 三蔵の前に八戒は、取り分けたサラダを置いた。その横には当然のように、自家製マヨネーズの入ったソースポットも置いてある。そして天蓬の前にもソースポットは置かれていた。 「このドレッシングはかぼすを使ってみたんですけど、良かったらどうぞ。天蓬のは、かけてしまっていいですか?」 「ええ、お願いします」 生のほうれん草の上には軽く炙られたマグロと、烏賊ときゅうりにラディッシュが乗っている。そのサラダに八戒がかぼすのドレッシングをかけると爽やかな香りがぱっと広がる。 「はい、どうぞ」 天蓬の前にもサラダディッシュが置かれ、八戒も自分の分を手早く取り分ける。食事の準備が整い天蓬がいただきますと声にする横で、八戒は手を組み、三蔵は一度軽く目を閉じてから無言で食べ始めた。早くも皿を開けた天蓬を見ていて、三蔵はふと気付く。 「お前、ここでは必ず言ってるのか?」 「何をです?」 「食事の挨拶」 「あぁ、だって八戒が作ってくれた料理ですから」 「ありがとうございます天蓬。そうなんです、天蓬っていつも言ってくれるんですよ。それで僕気付いたんですけど、相手がいるから成り立つんですよね。当り前の事ですけど」 「禅では問答を交わして、相手の悟りの深浅を試みることも挨拶と言うらしいからな」 「へぇ、そんな風に取ると意味深いですね。思えば人と人との間にあるものですからねぇ」 「天蓬が気付かせてくれたんですよ、感謝してます」 さらりとした口調の中に重みを感じて三蔵は、思わず八戒を見る。と八戒は雪解けの花のように柔らかく微笑んでいた。触れてみたい、と走った気持ちに三蔵は戸惑いを覚える。八戒を前にすると今まで自分になかった不可解な衝動に駆られる。その気持ちを自覚しつつも、どうしていいか持て余す。 「あの…三蔵さんにも勿論感謝してますよ。わざわざ僕の料理を食べに来てくださるし、服までプレゼントしていただきましたし」 戸惑いながらもはにかんだ笑みで視線を合わせてきた八戒に、三蔵は自分が凝視していたと気付かされる。 「まったく、そんな風に睨まれたら言わせてるのも同じでしょう。嫉妬は見苦しいですよ、三蔵」 呆れたように溜息を吐く天蓬を、三蔵は今度こそ意志を持って睨んだ。 「何だそれは?」 「自覚がないのも困りものですね」 自覚はある。でなければ今も八戒に触れていただろう。普段はまったく思いもしない事だが、八戒を前にすると何故か触れたい、という気持ちが湧き上がる。この衝動を抑制しているにも拘らず、天蓬の知ったような笑みが気に入らない。口元は微笑んでいるのにその瞳はまったく笑っていないからだ。だが今はそれ以上に気になる事があり三蔵は、もう一度八戒に視線を戻す。と、八戒はやおら立ち上がった。 「どうしました?八戒」 天蓬がフォークを持ったまま声を掛けると、八戒はにこやかに答えた。 「サラダが終わりそうなのでトマトスープを持ってきますね」 はーい、と良い子の返事をする天蓬の横で、三蔵は八戒の後ろ姿を目で追っていた。 |
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2007/10/10