「お、三蔵じゃん」
 講義が終わりキャンパスを歩いていると、一緒にいた捲廉が声を上げる。眼鏡の下から天蓬も言われた方向に目を凝らすと、確かに金髪がこちらに向かって歩いていた。
 「あの人目立ちますもんね」
 「お前もな」
 「何言ってるんですか?僕あんな目立つ髪色じゃありませんよ」
 「目立つのは髪だけとは限らないだろう」
 「こんなに地味な僕のどこが派手だと言うんですか?」
 「そういうとこ」
 主張する天蓬の身なりは白シャツにカーキー色のパンツと確かにシンプルではあるが、その性格と美貌は人目を引くには十分、というか有名人である。それを本人も自覚しているのを知っているため、捲廉はにべもない。そも地味とは、というお題で漫才が始まる前に、三蔵が近付いてきて2人の前で立ち止まった。
 「三蔵、昼食会は明日ですよ?時間も教えましたよね」
 「あぁ、だから今日これから付き合え」
 「は?」
 三蔵は有無を言わせず天蓬の腕を取ると、捲廉に挨拶もなく引きずるようにして連れていってしまった。残された捲廉は手を振り見送りながら、随分と仲のよろしいことでと呟いた。
 「ちょっと三蔵、判るように説明して下さいよ」
 この強引さは何を言っても連行されると思った天蓬は、引きずられるまま尋ねた。
 「明日必要な物を買うんだが、それにはお前の意見が必要なんだ」
 「三蔵、なら最初から買い物に付き合えって言えばいいじゃないですか。どうせ八戒絡みなんでしょう?それなら僕は断りませんよ」
 その言葉を聞いて三蔵はピタリと足を止めると、やっと手を離した。
 「そうか、なら最初からそう言え」
 「貴方が説明しないのが悪いんですよ。で、何を買うんです?」
 「それは店に行けば判る」
 その後、連れて行かれた店の前で天蓬は爆笑した。




 「八戒、遅くなってすみません。今帰りました」
 「お帰りなさい天蓬。電話をもらいましたから、心配はしてませんでしたけど……て、どうしたんですか?それ」
 天蓬が大きな紙袋を持って帰宅したのを見て、八戒は軽く目を瞠る。
 「お礼だそうですよ」
 「は?何のですか?」
 「後で説明します。でもその前に八戒のご飯が食べたいです。僕お腹空きました」
 子供のように抱きついた天蓬に八戒は笑みを零す。
 「はいはい、判りました。今夜はミネストローネですよ。じゃあ手を洗ってきて下さい。勿論うがいも忘れずに。お皿によそっておきますから」
 まるで母親のように促す八戒の頬にキスをすると、天蓬は荷物をリビングに置いて洗面所に向かった。
 スキップをしながら鼻歌交じりで戻ってきた天蓬は、上機嫌でダイニングテーブルに着くと、サラダ菜で飾られたきつね色の丸いボールを指さした。
 「これは何ですか?」
 「コロッケですよ。普通のもありますけど、カレーコロッケやチーズ入り、クリームコロッケに明太子や牛肉が入ったものもあるので、食べてのお楽しみなんです」
 「へぇ、それは楽しみですね。じゃあ早速いただきます」
 「どうぞ召し上がれ。あ、熱いですから気を付けて食べて下さいね」
 「え、揚げたてですか?」
 「えぇ、帰る時間を聞いてましたから、頃合を見計らって。だって揚げたての方が美味しいですから」
 よく見れば、確かにまん丸なコロッケボールからは湯気が立ち昇っている。
 「………僕、八戒以外のご飯が食べられなくなっちゃいそうです」
 「リップサービスは結構ですよ。僕も揚げたてが食べたかっただけですから」
 天蓬は勿論それが八戒の照れ隠しだと知っている。遅くに帰る自分を待って、一番美味しい状態で料理を出してくれたのだ。目の前で手を組み、いただきますをしている八戒に、天蓬は顔を綻ばせる。作った笑みではなく自然と浮かぶ笑みが増えてきているのを天蓬は自覚していた。合わせて天蓬もいただきますをすると、早速フォークをコロッケボールに突き刺した。
 「あ、チーズでした」
 サクリと一口齧るとほくほくのじゃがいもの中から、とろりとチーズが出てくる。
 「舌、大丈夫ですか?火傷しないようにゆっくり食べて下さいね」
 「はい、おいひーです八戒」
 長く伸びるチーズを楽しむように天蓬がコロッケを食べると、八戒も嬉しそうに微笑んだ。
 夕食を食べ終えて天蓬はリビングに、八戒はキッチンへと立つ。ソファに座った天蓬が紙袋から平たく大きな箱を取り出していると、八戒が茶器を持ってやってきた。蓋碗にお湯が注がれ、茶海によって味を均一にされたお茶が茶杯へと注がれていく。
 「良い香りですね」
 「今日は桂花茶です。ところでそれ何ですか?また明日、この前みたいに女装するんですか?」
 箱の形状から服だと察した八戒は、天蓬の前に茶杯を置きながら尋ねる。
 「八戒、ここに座って下さい」
 お茶を淹れ終えた八戒を手招きして、自分の横に座らせた天蓬は、緑のリボンに飾られた箱を手渡した。
 「はい、これ三蔵からです。食事のお礼だそうですよ。明日、着て欲しいそうです」
 「え、僕にですか?」
 「えぇ、そうですよ。でもってこれが僕宛です」
 八戒が目を瞠っている横で、天蓬は青のリボンに飾られた同じ大きさの箱を取り出した。
 「でも僕は作っただけで、いただく訳には…」
 「八戒の料理の腕前は貰うに十分値しますよ。でもって材料費を出している僕にもくれた訳です。ここで断ったらあの狼は、他のお礼と称して貴方に何をしでかすか判りませんから、是非受け取って下さい。でないと貴方の身の安全を第一に考えて、僕はこれから三蔵を昼食会に呼ぶ時は、手枷、足枷、口枷、首輪で拘束し、尚且つ錘のついた鎖を括り付ける事を検討しなくちゃいけません」
 「………天蓬、口枷をしたら食べられないですよね?」
 「えぇ。でも今のところ一番不埒な事をしているのは口ですから、ここは譲れませんよ」
 真剣な瞳でにっこり笑った天蓬に、八戒は全ての拘束具を付けた三蔵をリアルに想像して、それから箱を膝上に置いた。
 「判りました。ありがたく頂戴します。それで、開けてもいいですか?」
 「勿論です。だって明日用ですから、先に開けないと」
 受け取らせるのに成功した天蓬は勝利の笑みを浮かべると、自分の箱を開け始める。八戒もリボンを外し、テープを丁寧に剥がして包装紙を取ると、箱を開ける。
 「え?」
 入っていたのは立衿に紐釦のチャイナ服だった。深い緑は艶やかに光る繻子織で、絢爛たる牡丹が金の糸で刺繍されている。八戒はそれを手に取り、恐る恐るといった様子で広げてみると、上衣と下衣になっていて安堵の溜息を吐いた。その様子を見ていた天蓬は思わず笑い出す。
 「あはは、僕が一緒に行って選んだんですから、チャイナドレスは有り得ないですよ」
 「だってあまりに豪華な刺繍がしてあるから、女性用かと思いましたよ」
 「当ててみて下さい。その色と刺繍、絶対似合う筈ですから。ほら、僕のは長衣なんですよー」
 天蓬もチャイナ服を取り出し見せると、光沢のある紺の繻子織の上には銀の龍が昇っていた。
 「素敵ですね、天蓬。良く似合いそうです。でもどうしてチャイナ服なんですか?」
 「八戒、この前三蔵が来た時の会話覚えてますか?ほら、チャイナ服を着ましょうか、て言ってたでしょう。三蔵は僕にチャイナドレスを着せないために先手を打ってきたんですよ。ま、本当のところは、いつもお土産まで用意してくれる貴方に、お礼がしたかったんでしょうね」
 「でもお礼ならこの前して貰いましたけど……」
 八戒が唇に指を当てたのを見て、天蓬の笑みが固まる。
 「あれは…言わば口実ですからね。それよりも八戒、その服僕も選んだんです。ちょっと着てみたらどうですか?」
 「え、三蔵さんが買ってくれたのに天蓬も選んだんですか?」
 「えぇ、だってサイズとか貴方に似合う色やデザインは、僕の方が熟知してますから。三蔵と僕で、これならいいだろうって選んだんです。それに三蔵だけに選ばせて、チャイナドレスでも買ってこられたら困りますからね。だから僕の服は手間賃でもあるんですよ」
 にっこりと微笑んだ天蓬はどうせだから僕も着てみましょうか、と自分にも当てて見せた。
 「そうだったんですか…判りました。じゃあ、着てみますね」
 八戒はチャイナ服を持って立ち上がると、自室に入り扉を閉めた。そしてすぐには着替えず、ベッドに座りプレゼントされた服を見つめる。
 きっとこれを買うために天蓬と三蔵は一緒に買い物をしたのだろう。そう思うと何故か気持ちが沈んでいく。服をプレゼントされた喜びよりも、そちらが気になり八戒は重い溜息を1つ吐いた。決して服が気に入らない訳ではない、むしろ嬉しい筈なのに何故こんな気持ちになるのか。八戒は戸惑いながらも服を見つめて、複雑な表情を作った。
 暫らくすると控えめなノックが扉から聞こえてくる。
 「八戒、着替え終わりました?」
 「…あ、すみません。まだです」
 「着方が判りません?手伝ってあげましょうか。ドア、開けてもいいですか?」
 「
――― はい」
 天蓬が扉を開けると部屋は暗いままで、八戒はチャイナ服を持ったまま顔を上げた。
 「どうしました?八戒、明かりも点けずに」
 部屋の明かりを点けて、天蓬は八戒の隣に座る。
 「気に入りませんか?それ」
 「あ、いいえ。そうじゃないんですけど……」
 顔を覗きこまれて八戒は、慌てて首を横に振る。
 「何か…その、苦しくて……」
 「え?!具合悪いんですか八戒。だったら早く言って下さい。すぐに横になって、あ、ちょっと待って下さい。先にパジャマに着替えた方が良いですね。熱はないですか?」
 額を合わせて熱を測った天蓬は、大丈夫ですねと言って、確認するように今度は八戒の項に手を当てる。
 「パジャマはどこです?八戒」
 「あの、天蓬。僕大丈夫ですから」
 「だめです。八戒の大丈夫はあてになりませんから」
 間近にある鳶色の瞳は本気で心配していて、前科のある八戒はそれ以上言えなくなる。
 「…そこの、クロゼットの中です。右端の方に」
 「あぁ、これですね」
 クロゼットを開けた天蓬は、きちんと畳まれたパジャマを持ってくる。
 「具合が良くならないようでしたら、明日の昼食会は中止にしましょう」
 「え!あの大丈夫です。だって凄く楽しみに…」
 「もし貴方が無理をして料理を作ったら、僕はちっとも嬉しくありません。それは三蔵も同じだと思いますよ」
 「でも……ん…」
 尚も言い募ろうとした八戒に、天蓬は口止めのキスをした。
 「だったら今日は早く休みましょう。治れば問題ないわけですから、ね」
 「………はい」
 良く出来ましたと言って、天蓬は鼻先にキスをすると、八戒のシャツのボタンを外し始める。されるがままになって、八戒はシャツを脱がされ俯いた。天蓬は手早くパジャマを着せてボタンを掛ける、と
 「天蓬……」
 呼ばれて見上げた先には、不安に揺れる翠の瞳。自分で思うよりもずっと雄弁に語る美しい瞳に、天蓬は手を伸ばす。そして頬を両手で包むと額に口付けた。
 「大丈夫ですよ、今夜も一緒に寝ますから。
――― 傍にいます」
 そのまま八戒を胸に収めて抱き締めると、背中に手が回るのを感じた。


 2人は温もりを確かめあうように、抱き合い目を閉じる。
 それはまるで、何かに怯えているようにも見えた。



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2005/11/28