2本目のボジョレー・ヌーボーが空けられ牛ヒレ肉がお腹に収まった頃、天蓬と三蔵は八戒をじっと見つめた。
 「八戒、どうしました?熱でもありますか?」
 立ち上がって天蓬は、頬を染めた八戒の額に手を当てる。
 「天蓬…顔が熱くてぼうっとして、でもなんだか気持ちいいんですけど」
 「もしかして酔ってるんじゃねぇか?」
 「「ええっ!?」」
 三蔵の指摘に天蓬と八戒は同時に驚きの声を上げる。何しろ2人は夜通し飲んでいてもお互い相手が酔っているのを見たことがなかったので、まったく思いつかなかったのだ。
 「だってまだ2本空けただけですし、しかも3人で飲んでるんですよ?」
 「いえ、待って下さい八戒。もしかしたら原因はこれかもしれません」
 と言って天蓬は八戒の猫耳に触れる。
 「やっ…なんか変な感じです天蓬。体も火照ってきて熱いです」
 とろんと少し潤んだ瞳で八戒は傍らにいる天蓬を見つめる。
 「八戒、大丈夫ですか?横になります?」
 天蓬の声がいつもより甘く聞こえて八戒は、伸ばされた手に促されるまま胸元に顔を埋める。そのまま髪を撫でられればいつもとは違う感覚に、うっとりと目を閉じる。
 「ゴロゴロゴロゴロ」
 「……おい、ちょっと待て。天蓬、お前体質まで変えやがったのか?」
 思わず聞こえた喉を鳴らす音に、三蔵は持っていたフォークを取り落としそうになる。
 「う〜ん、貴方の時と同様で上手く魔法がコントロール出来なかったみたいですねぇ。八戒の場合はちょっと効き過ぎたみたいです」
 こげ茶色の髪を梳くようにして撫でていると、腕の中の八戒が顔を上げる。
 「天蓬、お水が飲みたいです」
 熱い吐息交じりで呟くと、天蓬は名残惜しそうにゆっくりと腕を解く。
 「判りました。氷も入れたほうがいいですね」
 「はい、お願いです」
 こっくりと頷く八戒に天蓬は目を細めると、背凭れに体を寄り掛からせて、キッチンへと水を取りに行った。その直後、天蓬という支えを無くした八戒はずるずると椅子に沈み込む。
 「おい、大丈夫か?」
 「はい、平気です」
 三蔵が心配して声を掛ければ、八戒は目が覚めたようにしゃきっと背筋を伸ばして椅子に座り直す。が、すぐにまたくったりしてしまう。
 こんな玩具があったな、と思いながら三蔵は口の端を上げて溜息を吐く。と八戒がまた起き上がる。
 「……今、笑いましたね」
 「溜息を吐いただけだ」
 「嘘です。今三蔵さんは笑いました」 
 いつも穏やかでそつ無く振舞う八戒がまるで子供のようだ。なのに据わっている目はとろんとして艶めいている。目の毒だなと思いながら、三蔵は今度こそはっきりと口角を上げた。
 「だとしたらどうなんだ?」
 「三蔵さんは意地悪なひよこです」
 酔っ払いは脈絡がない。しかも八戒はどうやら絡み上戸のようである。これは適当にあしらうしかないな、と三蔵はもう一度溜息を吐いた。
 「八戒、お前ソファで横になった方が良いんじゃねぇか?」
 又してもずるずると椅子に沈み込んだ八戒に、三蔵は手を貸してやろうと椅子を引く。と猫耳をピンと立てた八戒は、テーブルに両手を付いて勢いよく立ち上がる。
 「どうした?八戒」
 突然の事に三蔵が驚いていると、八戒はそのまま勢いよく床を蹴った。そして音もなくテーブルの上を軽々と跳んで、三蔵の膝上に無事着地する。白いパニエを覗かせて横向きに座った八戒は、三蔵の首に腕を回して抱きつく。
 「嫌です。お願いですから帰ったりしないで下さい。だってまだデザートとコーヒーをお出ししてないんですから」
 必死になって懇願する八戒の翠の瞳からは今にも涙が零れ落ちそうで、頬は桜色に染まっている。絡みにくわえて泣き上戸か、と三蔵は埒も無いことを考え本能に従わないよう無駄な足掻きを試みる。だが手は正直で、しっかりと腰に回り八戒の体を抱き締めている。猫耳はこれでもかというぐらい寝て、誘うようなしっぽが揺らめき、極めつけに潤んだ翠の瞳から大粒の涙が一粒零れて、三蔵は遂に陥落した。先程ひよこになった事など忘却の彼方へ追いやり、熱さのために少し開いた唇を塞ごうとすれば、八戒もゆっくり目を閉じる。と
 「三蔵、今度はひよこじゃなくて七面鳥になりたいんですね?判りました。でしたら遠慮なく腹をかっさばいて内臓を取り出し香草を詰めて丸焼きにしてメインディッシュにして差し上げますよ」
 静かで抑揚のない声が響き、凍気にやられて三蔵が氷結する。が被害のない八戒はそのまま冷たくなった三蔵にしな垂れる。骨の無いぬいぐるみのように、ふにゃりと力ない八戒の肩に手が置かれた。
 「八戒大丈夫ですか?ほら、お水ですよ」
 溶けたメロン飴のような瞳を天蓬に向けると、八戒はうっとりと微笑む。
 「天蓬…」
 そして動かない三蔵の首から腕を解くと、今度は天蓬へと手を伸ばす。
 「三蔵さんはひどいんです。まだデザートとコーヒーが終わってないのに、帰ろうとするんです」
 「貴方の料理を最後まで食べずに帰るなんて極悪非道人ですね。人類の風上にもおけません。きっと本当は機械の体だったんですよ。今度砂鉄の海に沈めて、五寸釘でも打ち付けて試してみましょうね。安心して下さい八戒。そんな血も涙もないサイボーグなんかに家の敷居を二度と跨がせませんから」
 しがみ付く八戒を安心させるように天蓬が優しく髪を撫でてやると、八戒は頬を涙で濡らしながら三蔵を振り向いた。
 「三蔵さん、僕の料理美味しくありませんでした?」
 八戒の涙で氷解できた三蔵は、やっと口が利けるようになる。
 「そんな事はねぇ。さっきも帰ろうとしたんじゃなくて、お前をソファまで運ぼうとしただけだ」
 「本当に?」
 「あぁ」
 「本当に、本当に?」
 「あぁ、そうだ」
 「……良かった」
 とろけるような笑みを浮かべた八戒は、天蓬の首から腕を解くと三蔵の唇に可愛らしいキスをする。
 「じゃ用意しますので、ちょっと待ってて下さい」
 今度は七面鳥にならずに済んだが、紫暗のタレ目を円くしたまま再びフリーズした三蔵に気付かず、八戒はぴょこんと膝から降りる。が立てずにへなへなと座り込んだ。
 「あれ?」
 「ほら八戒、貴方相当酔いが回ってるんですよ。兎に角これを飲んで少し休んでから用意して下さい」
 大きな溜息を吐いて一緒にしゃがみ込んだ天蓬は、氷水の入ったコップを差し出した。八戒は天蓬の手の上から手を添えると、そのままこくこくと半分ほど飲む。
 「もういいですか?」
 「はい、天蓬抱っこです」
 「え?」
 「抱っこして下さい」
 予想外の言葉に鳶色の瞳が円くなると、翠の瞳は瞬く間に潤みだす。
 「だめですか?」
 「いいえ、喜んで」
 そう言って天蓬は八戒をふわりと抱き上げる。姫抱きされた八戒は首に腕を絡めてしっかり抱きつくと、盛大に喉を鳴らし始めた。
 「ほら八戒、そんなにしがみついたら降ろせませんよ」
 「やです。降りたくありません」
 八戒は人肌が心地好くてますます天蓬にしがみつく。
 「困りましたね」
 そう言いながらも困った素振りはまったくなく、天蓬は軽い溜息を吐いてリビングまで移動しソファにかけた。そして体重を支える必要のなくなった手でこげ茶色の髪を優しく撫でる。と八戒は離れずにいられる安心感と、手の心地好さにうっとりとして、首筋に埋めていた顔を上げる。
 「天蓬、大好きです」
 極上の微笑みの仕上げは触れるだけの口付け。大きくなった鳶色の瞳に満足すると、八戒はなつく猫そのままに肩に頭を乗せて安心したように目を閉じた。


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2006/06/16