「脂下がってるゾ」 「当り前です。こんなに素直に甘えられたのは初めてですからね。ところで僕にも火をくれません?」 煙草を咥えて向かいの椅子に座った三蔵に、天蓬はにっこり微笑む。何しろ膝上には大事な黒猫が酔いつぶれて眠っているので、起こすには忍びない。三蔵もそれが判っているので、舌打ちをしながらもライターを投げて寄越す。天蓬はそれを片手で受け取り、スカートのポケットから煙草を取り出し咥えた。 「これ以上待ってても仕方ねぇだろう。帰るぞ」 「八戒との約束を反故するんですね?」 「………」 「本当なら諸手を上げて喜びたいところなんですが、八戒が悲しむ顔は見たくないので、今夜は特別に宿泊を許可してあげます」 「嫌だと言ったら?」 大体ここまで付き合った事自体三蔵にとってみれば出血大サービスである。その要因たる八戒は眠ってしまい、しかも自分の手元にいるわけでもない。ここにいる義理はこれっぽっちもない、と三蔵は睨め付ける。が天蓬は平然と笑みを浮かべた。 「このままこの子猫を食べちゃうまでです」 「なっ!?」 まさに魔女の笑顔で言い切った天蓬に、三蔵は目を瞠る。 「何を驚いているんです?貴方だってこんなに可愛いく無防備に眠る八戒を見て何とも思わないわけないでしょう?僕だってご主人様と呼ばれてかなりきましたからね。当然でしょう」 「貴様、俺を理性のストッパーにしようって魂胆か」 紫煙を燻らせている天蓬に、三蔵は呆れたように紫煙を吐き出す。 「まぁ有り体に言えばそんなとこです。何しろ八戒は一度も抵抗した事がないんですよ。例えばこんな事をしてもね」 そう言って天蓬は八戒のスカートの下に手を入れると、慣れた仕草で下着を取り去ってしまう。それは三蔵が来たので、八戒がはき直した下着だった。 「おいっ、てめぇ!」 「ほらね、充分その役目を果たしてくれるでしょう?」 寝てる人間、ましてや八戒に何をすると三蔵が語気を荒げても、天蓬はどこ吹く風とばかりに下着を放り投げる。だがそれ以上手を出す事もなく、更に八戒を抱き寄せる。 三蔵にはそれ程までして手を出さない天蓬の気持ちは判らない。意識のない八戒を抱くのは天蓬のプライドが許さないのだろうか。ただ判るとすれば天蓬がひどく八戒を大事にしているという事くらいだ。八戒を見つめる鳶色の瞳は、真摯と優しさと愛しさに憂いを帯びた複雑な色をしている。だが思えば天蓬が手を出さないでいるのは自分にとっても好都合なのだ。手の上で踊らされるのは非常に気に食わないが、八戒との約束もある。あどけない黒猫の寝顔を見て、三蔵は短くなった煙草を灰皿に押し付ける。 「帰りますか?」 これ見よがしの上目遣いで見上げてきた天蓬を、鼻先であしらうように三蔵は新たな煙草を咥えた。 「ライターを返せ。煙草が吸えねぇ」 「それは失礼しました」 天蓬はにやりと笑いテーブルの上に置いたライターを投げ返す。三蔵はそれに黙って受け取ると、すぐに火を点け紫煙を吐き出した。 お互い話すことなくただ煙が立ち込めていく中、八戒のかすかな寝息が静かに時を刻んでいく。やがて壁掛けの時計が長針と短針を重ね合わせる。すると八戒に付いていた猫耳としっぽが消え、三蔵の頭からも違和感が取れる。そして八戒の睫毛が震えてゆっくりと翠の瞳が現れた。 「………天、ぽう?」 「お目覚めですね。どうです?気分は悪くありませんか?八戒」 「え、えぇ…大丈夫ですけど。三蔵さん?」 まだ寝惚けまなこな八戒は、しきりに瞬きをして不思議そうに三蔵の姿を見つめる。 「お前が帰るなと言ったんだろうが」 「え…えーと、そう…でしたっけ?」 「八戒、貴方猫耳としっぽが付いたせいで猫化してワインに酔ったんですよ。覚えてますか?」 「――― すみません。食事をしていたところまでは覚えてるんですけど…」 そう言って八戒はふるりと軽く頭を振り眠気を飛ばす。とテーブルの上に置かれた水滴の付いたコップが目に入る。 「飲みますか?」 「…はい」 天蓬は煙草を灰皿で揉み消すと、コップを取り八戒に手渡す。半分ほど残っていた氷の溶けた水を八戒はすぐに飲み干す。 「もう少し飲みます?」 「はい」 と返事したところで八戒は自分が天蓬の膝上に乗っている状況にやっと気付いた。 「あっ、すみません天蓬。重かったですね」 「大丈夫ですよ。それは可愛い黒猫に懐かれてすごく嬉しかったですから。じゃ、ちょっと待ってて下さい」 そう言って隣に座った八戒から空のコップを受け取ると、肩に手を置いてふわりとキスをする。 「天蓬?」 「お目覚のキスですよ。これでもう起きるでしょう?」 片目を瞑った天蓬は上機嫌でキッチンに向かう。その理由が判らず天蓬を見送った八戒は、黙々と煙を吐き出している三蔵を見つめた。 「あの…僕、何かしました?」 「そうだな」 「何をしました?」 「俺の膝上にも乗ってきたな」 「えっ!」 「他にも聞きたいか?」 唇の端を上げた三蔵に八戒は嫌な予感がして眉を曇らせ胸に手を当てた。 「………いえ、いいです。すみませんでした。忘れて下さい」 「そうか」 八戒が天蓬にした告白は是非ともそうしようと、三蔵は短くなった煙草を消す。なんとなく居心地の悪い八戒は話題を探して、ふと気が付いた。 「そういえば三蔵さんの角、無くなっちゃいましたね」 「お前の猫耳としっぽも無くなってるぞ」 言われて八戒は自分の頭に手をやり、ついで振り返りスカートを見つめる。 「あ、本当ですね」 「魔法は12時までと相場が決まってるんですよ。シンデレラもそうでしょう?」 氷水の入ったコップを持って戻ってきた天蓬は、八戒の隣に座る。 「成る程…」 受け取った冷たい水を飲んで八戒は自分を取り戻す。元々この程度では酔わない体質だ。 「それでどこまで食べたんでしたっけ?」 「デザートとコーヒーがまだだ」 「えっ!本当ですか?すみません、すぐに用意しますね」 完全に酔いから醒めた八戒は、三蔵の言葉に慌ててキッチンへと向かう途中ピタリと足を止める。目にしたのは先程天蓬が脱がせた、はいていた筈の自分の下着である。そこで漸く自分の状態を理解した八戒は火が点いたように全身を赤く染めた。 「天蓬〜〜〜」 「だって最初に今日はずっとそのままの格好でいて下さいね、ってお願いしたのに八戒が約束を破るからです」 天蓬は悪びれもせず言うと、真っ赤になっている八戒に目を細める。 「もう日付は変わってます。大体しっぽはもう無いんですから」 「俺の目の前で取ってたぞ」 「!!」 追い討ちをかける三蔵の言葉で、八戒は頭から湯気が出そうなほど茹で上がり、床にあった下着をひったくるようにして取ると、脱兎の勢いでリビングから出て行ってしまった。 「本当に八戒は可愛いですね。猫も良かったですけど次はウサギもいいですね」 「その時は呼ばれてやらんでもない」 「何言ってるんですか。呼んでもいないのに勝手に来たくせに」 「喜んでボジョレーを飲んでたのはどこのどいつだ」 「八戒が喜ぶのならと、ボジョレーに憑いてきた悪霊に目を瞑って家に上げてあげたじゃないですか。まぁ髪の先程度は楽しませてもらいましたけど」 「あれだけ好き勝手しやがって何ほざいてやがる」 「貴方こそ折角ひよこにしてあげて少しは可愛くなるかと思いきや、よくも八戒を食べようとしましたね」 「あの八戒を見て手を出さないのは男じゃねぇと詰寄ったのは貴様だろうが」 癒し効果のあるメイドがいなくなった途端そこは不満の溜まり場となり、天蓬と三蔵は自分の方がより不幸だと応酬する。そろそろ腸が煮え繰り返ろうかという頃、八戒がそれは素敵な笑顔で現れた。 「大変お待たせして申し訳ありませんでした、ご主人様。デザートのご用意が出来ましたのでこちらへどうぞ」 非の打ち所が無い笑顔を浮かべたメイドがダイニングへと案内し、有無を言わせない迫力に2人は無言でついていく。するとテーブルの上にはかぼちゃの明かりに照らされたデザートが待っていた。大きなプレートの上には栗のアイスに葡萄のムース、そしてかぼちゃのプディングとワッフルがのっていて、ミントの葉がアクセントになっている。そして全てを統一するようにチョコレートソースがきれいな模様を描いている。よくよく見ればそれは文字になっていてtrick or treat? と書かれていた。 「……八戒、これは?」 「…………」 「だって僕は言われるばかりで2人に言ってなかったと思いまして。さ、どうぞ召し上がって下さいご主人様」 どれか外れがありますよと笑顔に書いた八戒を見つめて、2人は美味しそうなデザートを見つめて固まる。 「さぁ、いただきましょう」 巨大なハートマークを語尾に付けたメイドさんは楽しそうにデザートナイフとフォークを手に取った。後にはデザートと睨めっこをするwitchと元悪魔。 後に待つのは格別に美味しいコーヒー 例えばこんなHalloweenの夜 |
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2006/07/08
2007/10/10