毎日これだけ探しても荷物は見つからず、叶に隠し場所を問い詰めてもどこ吹く風で返す気配がない。骨折している右腕は固定さえしていれば痛みもなくなっていて、三蔵にとってはこんなのは治った内である。そんなわけで焦れた三蔵が、返さない叶と口論するのが日課となっていた。そんな二人を人形は、にこやかに見守り仲裁には入らない。ところが 「子供と同レベルで言い合いをしてるなんて」 急に聞こえた声に二人はぴたりと言い争いを止めると、三蔵は人形を振り返り、叶は玄関口を見た。叶の視線の先には栗色の髪の女が立っている。三蔵も最初は人形が喋ったのかと驚いたが、すぐに人の気配に気付いて玄関を見た。 「ノックをしたんですけど気付いてもらえなかったので、中に入りました。叶さんこちらは?」 「あぁ、見て分かる通りくそ生意気な坊主と、連れの別嬪さんだ」 叶の紹介に更にムッとした三蔵だが、名乗っていないのだから仕方が無い。これ以上子供扱いされるのも癪に障るので黙っていると、女は命と名乗り、口論の訳を尋ねてきた。 「こいつは右腕を骨折してるんだが、まだ完治していないくせに旅に出ると言うんで、俺が荷物を隠してるんだ。で、それを返せと言ってきたって訳だ」 「もうほとんど治ってる」 「今無茶をしたら元の木阿弥だろうが。……という訳だ」 二人の遣り取りを見た命は笑い出し、桜が綺麗に咲くからどうせなら春までいればいいと言って、三蔵の毒気を抜いてしまう。 「貴女はどう思う?」 笑みを浮べて人形を振り返った命に、叶がその別嬪はプランツドールだと説明した。 「まぁ、生きてるお人形なんて初めて見たわ。とても綺麗なのね。人間の子供とさほど変わりないようだけど」 「見た目はな。でも喋らないし、ミルクだけしか飲まないんだ。それ以外は確かにあまり変わらないが」 「そうなの。こんにちは、私は命よ。よろしくね」 命が視線を合わせて笑顔で挨拶をすると、人形もにこりと笑みを返す。 「わぁ、本当に可愛い。こんな綺麗な翠の瞳なんて見たことないわ。こんな妹がいたらいいわね」 「いや、命。確かに別嬪だが、男の子なんだ」 「え!本当に?!ごめんなさい、凄く可愛いから女の子かと思っちゃった。でもこんな綺麗な子なら弟でもいいわよね」 「命……」 叶は呆れたような苦笑を浮べ、命は楽しそうに微笑む。長い付き合いではない三蔵から見ても、二人は親しい間柄だと分かる。初対面の人間に笑いかけるのを見たことがない人形でさえも、笑みを浮べていた。何故人形が気に入ったのか、命を見ているうちに何となく三蔵にも理由が分かってきた。見た目は成人女性なのだが、中身は裏表のない少女のような性格だったのだ。手応えのない会話に疲れて椅子に座った三蔵に、人形が微笑みかける。一目で人柄を見抜く人形の慧眼に、感心した三蔵だった。 その後見送るように外に出た三人に、命は手を振って山道を帰っていく。桜並木の向こうにある屋形が住まいで、この街特有の宗教の巫女である命はそこに住んでいて、祭礼に使う儀杖や刀等を俺は作っている、と叶は説明してくれた。 「最もそればかりじゃなくて、街の皆が使う日用品も修理するがな」 言われて三蔵も小屋の中にあった雑品や雑具を思い出す。壊れた時計や庖丁にはさみ等があったのはそういう事か、と三蔵も納得する。しかし折角人形が小屋を片付けてくれたにも拘らず、未だに見つからない事実も思い出してムッとする。叶もそれが判ったらしく唇の端を上げる。 「何度も言うが、完治するまで俺は渡す気はないからな。精々頑張ってくれ」 そう言って鍛冶場の小屋へと仕事をしに行ってしまった。 やがて添え木が取れて右腕を動かせるようになった三蔵は、握力や筋肉がかなり落ちているのに愕然とした。腕を折ったのは初めてで、多少の事は覚悟していたのだが、それは三蔵の想像以上だった。叶に言われて持ってみた少ししか入ってない水桶も、手が震えるほどだ。 「子供だから骨のくっつきは早いがな。元の筋力を取り戻すにはそれなりの時間が必要なんだ」 もう痛みはないから返せとの三蔵の言葉に、叶はそう言って一蹴したのだ。 明りの落ちた部屋で寝台に座った三蔵は、自分の右腕をじっと見つめる。三蔵の中では完治に等しい。一刻も早く出て行きたいのだが、何処に隠したのか三点セットは未だ見つからず苛立ちが募る。すると隣に座っていた人形が右腕にそっと触れてきた。 「いや、大丈夫だ。負荷さえかけなければ痛くない」 その言葉を聞いても神妙な顔つきで、腕に手を当てる人形に三蔵はふうと溜息を吐いた。そして焦げ茶髪を黙って撫ぜると、人形は顔を上げてふわりと微笑む。穢れのない花のような微笑みは、三蔵の苛立ちを消してくれる。この家に来てからというもの、人形の笑みは更に輝きを増している。きらきらとした笑顔をじっと見つめていると、人形が寄り添ってきた。他の誰にも許さない行為を自然と受け止めると、三蔵は人形を抱きとめる。いつもならばそれに留まるのだが、今日に限って三蔵は肩に顎を置き、背中に腕を回して抱き締めた。人形はその行為にうっとりと宝石のような翠の瞳を細めると、幸せそうな笑みを浮べて目を閉じる。しかし三蔵の紫暗の瞳は閉じられることなく、鋭利な輝きを持ったまま一点を見つめ、腕はしっかりと人形の体を抱き締める。 その夜、二人はお互いの体温を感じたまま眠りに就いた。 朝の日課となってしまっているので、三蔵も黙って右の袖を捲って見せる。少し細くなってしまっていた右腕は、今や左腕と変わらない。負荷のかかる水汲みや、穀物の入った袋も難なく持ち上げ、骨折する前と同じ日常をこなせる程度に回復した。 「もう痛まないな」 「とっくだ」 右の手の平を握ったり開いたりした三蔵は、完治を宣言して腕を袖の中に仕舞う。 「そうか」 そう言って口元に笑みを浮べた叶は、三蔵の隣にいる人形を見た。すると人形は、懐の中から経文金冠小銃の三点セットを順に取り出し、唖然としている三蔵へと渡した。 「………お前らグルだったのか」 押し殺した声で怒りのオーラを発する三蔵に、叶は笑って答える。 「いやいや、いつも別嬪が持ってた訳じゃない。ただ今日辺りお前が言い出すかと思ってな」 完全に目を据わらせた三蔵に、叶は人形の分も含めて弁明する。しかし含み笑いをしている叶に三蔵は舌打ちをした。 「ところで人形の名前、いい加減決まっただろ?」 「………お前が付けろ」 「何だって?お前あれだけ時間があって、結局考え付かなかったのか?」 「そうじゃない。こいつをここに置いてくから、お前が付けた方がいいと言ってるんだ」 「!?」 驚きに琥珀の瞳を大きく見開いた叶だが、やがて困ったように大きな溜息を吐いた。 「お前、別嬪に聞いたか?」 「……言ってない」 隣にいる人形の顔もまとも見れず、三蔵は俯いて答える。 「そりゃ俺は別嬪さんを気に入ってるから構わんが、訳を言え。これは口の利けない別嬪さんの代わりに聞いてるんだぞ」 思わず顔を上げた三蔵は、叶の厳しい瞳と視線が合う。琥珀の瞳を真っ直ぐに見つめて三蔵は口を開いた。 「こいつは今まで俺の手以外からミルクを飲まなかったし、笑いもしなかった。だがあんたには懐いている。俺はこれからも旅を続けなきゃならないからだ」 「………お前、別嬪の顔を見て今の言葉をもう一回言ってみろ」 険しい顔で聞いていた叶が顎をしゃくって示したので、三蔵は意を決して人形と向き合った。見つめる大きな翠の瞳は、涙の膜を張って泣きそうに歪み、唇は耐えるように結ばれている。いつも笑顔を向けてくれる美しい顔が、哀しみに歪んでいるのを見て三蔵は、胸がぎしりと軋み、痛みのために言葉が告げない。かと言って目も離せず、本当に湖のようになって涙を湛える翠の瞳を見続ける。そしてどうしてこんなに胸が痛いのか、心の中で自問した。その痛いほどの空気を叶が溜息を吐くことで終止符を打つ。 「これで判っただろ?別嬪さんを泣かせるな」 叶がポンと肩を叩いたが、三蔵はまだ言い返せない。そして今にも泣きそうな翠の瞳に近付くと、人形が抱きついてくるのを拒めず、結局緩く抱きとめた。 「お前がどうしてそんな事を言い出したのか、想像は出来る。別嬪さんの安全を考えたからだろう。だが先ず別嬪さんに言うのが筋だろ?」 やれやれと言った風情で肩を竦めた叶は、一旦主家を出るとすぐに戻って来た。 「ほら、餞別だ」 そう言って卓の上に置いたのは銃弾だった。 「幾らあっても足りんだろうが、持って歩くにはそれくらいが限度だろ?」 仕事と称してこんな物まで作っていた叶に、三蔵は向き直る。 「世話になった」 返せる物などない三蔵にはその言葉が精一杯だ。しかし叶は、坊主に親切して徳でも積んどかないとな、と笑った。 「別嬪の名前、考えてあるんだろ?教えろよ」 「八戒だ」 「はっかい、ね。字は?」 「八つの戒めだ」 叶はオヤと片眉を上げてにやりと笑う。 「八戒、八戒ね。良かったな、八戒。これから名前を呼んで貰えるぞ」 三蔵に抱きついたままの人形に呼びかけると、名前を貰った八戒は振り返る。するとこげ茶髪を艶めかせ、潤んだ湖水のような翠の瞳をやんわりと細め、咲き誇る花のように微笑んだ。今まで見た中で一番綺麗な笑顔に、叶は思わず引き込まれるように見惚れてしまう。しかし床に何か落ちた音がして我に返った。 「よし良し。やっぱり別嬪には笑顔がお似合いだな。で、何か落としたか?」 床の上にしゃがんで音の正体を突き止めると、宝石のような丸い石が一粒落ちていた。 「何だ?」 「さぁ、人形の涙が石になったみたいだった」 真珠ほどの大きさだが、光を閉じ込めたように透明な金色の光を放つ玉を、指先で摘んだ叶がじっと見つめれば、三蔵も不思議そうに眺める。 「不思議な人形だな。涙もこんな綺麗な物になるんだ」 一体どんな成分なのかとしげしげと見つめる叶に、三蔵は一言やるよと言った。 「は?」 「こいつの代わりに言った。きっと礼を兼ねた餞別だ」 三蔵が隣に立つ八戒を見ると、八戒は肯定するように微笑んでいる。 「成る程、名前の礼って事か。分かった。ありがたく受け取っとくよ。そうだ、その人形の事だが、長安に行けばもっと詳しい事が解るかもしれないぞ」 「長安?」 「東で一番のでかい都だ。もしかしてその人形を扱ってる店があるかもしれないし、もし無くても、あそこなら人も多いから色々な情報が聞けると思うぞ」 言われたのは人形の事だが、もしかしたら自分の探す経文の情報も得られるかもしれないと、三蔵は紫暗の瞳を見開いた。今は経文を訊ね歩く旅をしているが、情報を得られた時には既に過去と化している。つまり時間差があるために折角の情報が生きず、効率の悪さを叶に指摘されたようにも思えたのだ。ここからは遠い地ではあるが、そこを目指すのも悪くないかもしれない。大きな都なら必ず寺もある筈だ。 三蔵が考えている間に叶はもう一つ長い物を持ってきた。聞き覚えのある音に三蔵が顔を上げると、叶は折れた筈の錫杖を持っていた。これも探している間見かけなかったので、やはりどこかに隠していたのだろう。 「ほら、これも元通りだろ。返してやる」 折れた自分の右腕と同じ様に、棒の部分が元通りになった錫杖を三蔵は右手で受け取る。そして卓の上に置かれた銃弾も懐に入れると、八戒を伴って主家を出た。その背中に叶が声を掛ける。 「またな」 次があるとは思えない三蔵は、声の替わりに一度地面を突いて錫を鳴らす。しかし八戒は振り返り笑みを浮べて手を振った。そんな二人を叶は手を上げて見送る。青空が晴れ渡る、その日はいい天気だった。 その後人形が残していった玉が、実は天国の涙と言って大変希少価値のある宝石だと、旅の商人から叶が聞いたのは随分と後の事だ。そしてその価値は、目玉が飛び出ると言われる人形本体よりも、更に高値だと聞いたのだった。 (あのくそ生意気な坊主にも驚かされたが、別嬪の八戒も相当だったんだな…) 図らずも自分が言った通り徳を積んでしまい、叶はやれやれと呆れたように溜息を吐いた。彼らに掛かった生活費なんぞ、この宝石を売ればおつりの方が遥かに多い。しかしそれを知っても宝石を売る気にはなれなかった。叶は酒を飲みながら、手の平に乗せた天国の涙を見つめる。光をそのまま閉じ込めたような透明に輝く金色の宝石。今頃無事でいればいい、と叶は酒を煽った。 |
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2007/04/25