「いたぞ、こっちだ!」
 「逃がすな!」
 「追え!金髪の小僧だ」
 怒号や叫び声が飛び交う中、三蔵は人形の手を取って荒野を走る。舞い上がる砂埃で口の中はざらつき一層乾くが、今はそれを気にする余裕もない。声が近付いてきて徐々に後ろとの距離が詰まってくる。と奇怪な岩が地面から突き出ているのが見えてきた。三蔵はその岩陰に人形を座らせる。
 「いいか…、ここを、…動くなよ」
 荒い息の下なんとかそれだけ言うと三蔵は、自分を追ってくる妖怪へと逆に向かっていく。
 「ほぅ、いい心構えだな」
 「俺達に経文を渡す気になったのか?」
 周りを囲むようにして立った妖怪達に、三蔵も構えながら睨みつける。
 「お前達が聖天経文を奪ったのか?」
 「はっ、何言ってやがんだ。経文を持ってるのはお前だろ」
 「…そうか」
 「おら、とっとと寄越しな!」
 叫びながらナイフで降りかかってきた妖怪を、三蔵は錫杖で突いて仕留める。それを切欠に妖怪達は一斉に三蔵へと襲い掛かった。何度かやりあっているうちに長い錫杖はすぐに折られたが、三蔵は投げて切先を妖怪に突き刺す。
 「ぐわあああぁ」
 「てめぇっ」
 背後から声がして三蔵は、懐から銃を取り出そうとして腕ごと蹴られた。嫌な音と共に吹っ飛ばされ、転がったところを囲まれる。そして立ち上がろうとする前に、殴られ蹴られ成す術がない。暫らくして動かなくなった金髪が掴まれ、三蔵の体が引き上げられた。
 「ったく、手間取らせやがって。経文はもらっていくぜ」
 そう言って懐を探ろうとした手よりも早く、三蔵の血塗れの手が動いた。経文を奪おうとした妖怪が撃たれ、それに驚き金髪を掴んでいた妖怪の手が緩み三蔵の体が地に落ちる。その反動を利用した三蔵は体を丸めて転がり体勢を立て直すと、その場にいた妖怪全てを撃ち殺した。返り血を浴びた三蔵は、肩で息をしながらそのままうつ伏せに倒れこむ。何もない荒地をずっと歩いていたところを妖怪達に発見されて、二日間食べていない上でこの重労働である。体力も限界に近く荒い息はなかなか治まらない。息苦しさを覚えてゆるゆると仰向けになると、全身に激痛が走る。見れば右腕は変な方向に曲がっていて、しかも蹴られた時に音もしたので折れているのだろう。他人事のように思っていると、ぽつぽつという音が乾いた地面から聞こえてくる。目を開ければ手が届きそうな所にどんよりとした灰色の雲があり、雨が満遍なく落ちてきた。
 (そう言えばあいつ、…大丈夫だろうか)
 胸に手を当てて無意識に経文の無事を確認しながら、人形の事を思い出す。迎えに行かねばきっと、いつまでもあの岩陰で雨に濡れて自分を待っているだろう。起き上がらねばと思うのだが体は痛み、力も入らず思うように動かないまま雨は益々強くなる。一度閉じた瞼は開かず、冷たい雨に打たれたまま三蔵の意識が遠のいていく。と
 「おい、死んでるのか?」
 見知らぬ声にムッとして、普通は生きてるのか?と声をかけるべきだろうと心の中で反論した後、そのまま意識を失った。




 物騒な物音を察知して叶は眉を顰める。片目がないため人より音に敏感な耳が、銃声を捉えた気がしたのだ。良からぬ気配に向かって叶が足を進めると、大きな岩陰から声がした。
 「こんな所にもう一人いたとはな…」
 「随分ときれーなお嬢ちゃんだな。先ずはたっぷり可愛がってから経文の在り処を聞こうか?」
 下卑た笑い声をたてながら着物の合わせに手を伸ばそうとした丁度その時、銃声が轟く。妖怪は一体何が起こったか分からず、驚愕に目を剥いたまま倒れそのまま動かなくなった。
 「よぉ、大丈夫か?」
 動かなくなった妖怪を足で蹴り脇に転がした叶は、岩陰に蹲っていた子供に声を掛けた。真っ直ぐなこげ茶髪を揺らして顔を上げた子供は、この辺りでは最も大切な緑の瞳をしていた。しかしその珠玉の大きな瞳は濡れたように揺れて、整った顔立ちは不安に白くなり、華奢な細い体は小さく蹲り震えている。怯えた綺麗な小動物の姿は恐らく、余計に妖怪の嗜虐を煽ったのだろう。叶は転がる妖怪に顔を顰めて立ち上がり、少し離れていた所に落ちていた笠を拾ってきた。そして未だに岩陰から動かない子供にそっと差し出す。
 「ほら、俺は取って食ったりしない」
 長身を屈めて目を合わせれば、子供はじっと叶を見つめてから笠を受け取り、合わせていた緑の瞳を、森を映す湖水のような美しい色へと変えた。
 「これはまた、随分と別嬪さんだな」
 思わず口笛を吹いた叶は唇の端を上げる。その笑みに釣られるように、子供は安心したのか漸く立ち上がった。すると埃に塗れた墨染めを着ているのに気付いて叶は眉を顰める。確かに自分が渡した笠には相応しいが、この子供には不似合いな気がした。
 (もしかして男の子なのか?というかこれで坊主なのか?)
 顰め面したまま凝視し立ち尽くしている叶の横を、子供はすり抜け急に走り出す。
 「あっ!おい、待てって。せめてこれを被れ」
 雨が降り出したにも拘らず、渡されたばかりの笠を投げ出して走っていったので、叶はその笠を持って後を追う。と妖怪が数人転がっている所へと子供はまっしぐらに走っていく。それに気付いた叶は再び銃を取り出し構えながら子供を追いかける。やがて子供は妖怪達の中心で仰向けになっている、同じ墨染めを着た金髪の子供の傍に膝を付いた。どうやら仲間らしいその子供も目立つ金髪に整った顔をしていたが、何より叶を驚かせたのは銃を握っていた事だった。周りに転がる妖怪達を注視すると、どうやら絶命しているらしくぴくりとも動かない。状況から察するにこの子供が一人で片付けたのだろう。傍らに座り心配そうに金髪の子供を見つめている子供の上から、叶は立ったまま声を掛けた。
 「おい、死んでるのか?」
 しかし返事はない。叶はしゃがみこみ顔に手を翳すと息が掛かる。頬に手を当てれば温かく、心音を聞こうと胸に耳を当てようとして固い物に当たる。
 (何だ?)
 懐を探って取り出してみれば金冠と経文が出てきた。
 「一体これは……」
 自分の聞きかじりの知識ではこれは高僧の持つ物だ。しかし持っていたのはどう見ても年端もいかない女の子と間違えそうな綺麗な子供で、しかも銃まで持っている。不釣合いを通り越した異様な組み合わせに叶が唖然としていると、強い視線を感じて我に返る。こげ茶髪の子供がそれをどうするのか、と見張るような瞳でじっと見つめていたのだ。
 「あぁ、大丈夫だ。取ったりしない。何ならお前が持ってろ。俺はこっちを運ばなくちゃならないからな」
 金髪の子供を見た叶は、持っていた金冠と経文、そして銃もこげ茶髪の子供に渡した。
 「大事な物なんだろ?ならこいつがしてたみたいに、懐にでも入れておけばいい」
 こげ茶髪の上に笠を被せた叶は、今度こそ倒れている子供の胸に耳を当てて心音を確かめる。規則正しい心音と体温に安心した叶は、金髪の子供を抱えようとして右腕が不自然な方向に曲がっているのに気付いた。
 「こりゃ完璧にいってるな」
 まだ完全に出来上がっていない柔らかい子供の骨である。まともに衝撃を喰らって折れたようだが、幸い骨は外に出ていない。しかも触れてみた感じでは綺麗に折れているようだ。
 (まぁ意識のない時のほうが楽だな)
 叶は転がっている妖怪から上着を剥ぎ取ると布を裂き、折れた錫杖も拾ってきた。それから骨を引っ張り元の状態に戻してから、錫杖の添え木を当て裂いた布で固定する。出血している左腕も止血し、応急処置が終わった細い体を抱き上げると、下から翠の瞳が不安そうに見つめてくる。
 「大丈夫だ。こいつは生きている。この腕も暫らくしたら治る。だがこのままここに放っておくわけにはいかないから、俺の家まで運ぶんだよ。家なら薬もあるからな」
 安心させるように笑みを浮べて説明してやると、こげ茶髪の子供は叶の後を付いてきた。
 「ところでお前、名前は?」
 「…………」
 雨の中を歩きながら叶は付いて来る子供に訊ねたが、答えは返らない。思い返すと、この子供の声を一度も聞いていないのに気付いた。
 (そういえば大きなショックを受けると声を出せなくなるとか、聞いた事あるなぁ)
 先程の出来事を思い出して叶は、今度は抱きかかえている金髪の子供を見る。
 (こっちはどうかな?)
 見た目と違い銃を扱うほどの豪胆なヤツらしいこいつに聞けばいいか、と叶は溜息を吐く。今日は隣の大きな街に道具を買いに行ったのだが、結局取り寄せになり、代わりにこんな物騒な土産を持ち帰ることになるとは思ってもみなかった叶だった。


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2007/04/10