甘藍を刻み、もやしを洗い、長葱をななめに切り、豚肉を生姜で炒めて、更に卵も用意する。たっぷりの野菜と麺が入った鍋の中に殻を割って卵を割り入れる。この卵が崩れず円形を保ったまま、しかも半熟の状態でどんぶりに盛れた時は料理の腕が上がった気になる。フライパンで炒めた豚肉と支那竹をのせて自信作、野菜と肉がたっぷり入ったラーメンを子供の前に置いた。 「悟浄サマ特製のぶっこみラーメンだ。食うか?」 子供は目の前で湯気を立てているラーメンを見つめて翠の瞳を丸くする。そして興味津々といった有様で匂いを嗅いでみたり、又角度を変えて覗き込んだりと、まるで初めて見た物体だと言わんばかりにしげしげと観察し始めた。 「………いや、無理にとは言わねぇけど。金持ちの子供っぽいから初めて見るのかも知んねーけど、これは一応食い物なんだ。お前、本当に腹減ってないのか?」 やはり林檎だけではどうかと思い、悟浄はラーメンを作って出してみた。しかし子供は、食べ物と認識しているかどうかも怪しい風情でラーメンを見つめている。心の中ですっかり自信を失いながらも重ねて訊いてみたが、やはり子供は空いていないと頷くと、またラーメンをじっと見つめる。 「……お前が食わないんなら、俺が食うからいいんだけど…。置くと麺がのびるし。じゃあ食っちまうからな」 少しばかりの後ろめたさを持って子供の前からどんぶりを自分の前へと移動させた悟浄は、箸でラーメンを掬うと音を立てて食べ始める。 (もしかしてラーメン見たのも初めて…とか?俺が思ってるよりもすげぇ金持ちの子供なのかもな) 自信作のラーメンは当然美味しく、不思議な子供は目の前で綺麗な翠の瞳をくりくりと丸くさせていた。 すぐにラーメンを食べ終えた悟浄は席を立ち、室内に干した子供の服を見に行った。一応出掛ける事も考えていたからだが、光沢のある上等な子供の服には、一見しただけでは分かりにくい細かな織で模様が入っていたり、手の込んだ刺繍がしてあったりするせいか生乾きの状態だった。これをこのまま着せて夜の外出となると、子供は風邪をひくかもしれない。しかしだからといって、サイズの合わないぶかぶかのTシャツを着せて外を歩けばこれまたよからぬ事になりそうである。世に性犯罪者を増やすか、もしくは自分の方が犯罪者扱いされる可能性が大である。あまりに美人なこの子供は、普段はまったくその気の無いような人間でさえも惑わすような危険な色香があるのだ。夜という時間帯や、連れて行く場所が酒場や賭場という事を考え合わせれば、危険度は五割増とするのが妥当だろう。もう一つの方法として、子供を家に置いて出掛けるというパターンもある。しかしこの場合、死んだ輩達の生き残りがまだこの森にいないとも限らないため、これも又危険である。あらゆるパターンを考えた悟浄は結局、今日は出掛けるのをやめて明日一緒に出掛けるという選択肢を取った。 方針が決まった悟浄は早速食後の一服だと、煙草を咥えコーヒーを淹れて居間へと戻る。すると子供が小さな箱をテーブルの上に置いて待っていた。 (やべっ、ゴム置いてあったっけ?) 一瞬焦ってコーヒーを零しそうになった悟浄だったが、良く見ればそれはトランプの入った箱だった。子供はその箱を手に取って、これは何なのかと瞳で訴え見上げてきた。 「これはトランプが入ってるんだ。トランプ、知らないか?」 悟浄の問いに子供は深く頷くと、好奇心で翠の瞳をキラキラさせて再び見上げてくる。いや本当参るよなと胸を撫で下ろした悟浄は、子供の願いを叶えるべくソファに座った。 習うよりは慣れろという事で、悟浄はカードを出して一通り子供に見せてからシャッフルを始める。そして慣れた手捌きでカードを二手に配り、テーブルの上に重なったカードの山を持つと見事な扇状に広げた。 「先ずは持っているカードを相手に見せないで、同じ数字のカードを見つけるんだ。そして二枚揃っていたら捨てる。こんな風に」 悟浄は持っているカードからダイヤとハートの8を抜くと、テーブルの上に数字を見せて置いた。そしてテーブルの上に置いてあったもう一山のカードを纏めて子供に手渡してやる。すると子供は悟浄を見習ってカードを手に持つと、始めてとは思えない綺麗な扇状にカードを広げ、スペードとクラブの6をテーブルの上に置いた。 「そうそう上手いぞ。そうやって捨てていくんだけど全部は二枚ずつ揃ってないだろ?揃ってないカードだけになったらゲームスタートだ」 悟浄の言葉に子供は頷くと、次々と数字の揃ったカードを捨てていく。同じように悟浄もカードを捨てていくと、テーブルの上にカードが散らばる。そして残り少なくなったところで二人の手が止まった。 「もう無いな?でこれからが本番。先ずは俺からカードを引くな。そうしたら手持ちのカードの中に数字が合うのが出て来る。そうしたら捨てる。で、今度はお前が引いてさっきと同じ様に数字が合ったカードを捨てる。で最後に絵札のジョーカーを持ってた方が負けだ。OK?」 子供は頷くと扇状に広げられたカードを差し出してきた。 (やっぱ初心者なお子サマにはババ抜きだよな?) 喋れない子供とのコミュニケーションには持ってこいだし、と上機嫌でカードを引いた悟浄の手元にジョーカーがやって来る。思わずカード越しに見ると綺麗な子供は、美しい翠の瞳を細めて可愛らしく微笑んだ。 日中三蔵と悟空が街を歩き回り得た情報は、宝石や金品などを盗まれたという話だった。盗まれたという話も一つや二つではなかったため、どうやら単独ではなく盗賊団らしいという噂が立っていた。しかし八戒に関する情報は皆無で、人形のにの字も聞けない。苛立つ三蔵と腹ペコの悟空は休憩も兼ねて飯店へと入る。すると待ち合わせていた天蓬が既に席に座っていて、軽く手を上げてきた。 「どうでした?って聞くまでもないみたいですねぇ、その様子じゃ。収穫なしですか」 どっかりと椅子に座るなり、煙草を吹かして眉間に深い皺を刻んだ三蔵を見て、天蓬が溜息を吐く。注文を済ませた悟空も空腹でテーブルに突っ伏していた。 「もう1つ悪い情報を差し上げます。実は店に貼ってあった、貴方が書いた護符が無くなってました。普段なら別にさしたる支障ではないんですが、このタイミングですからちょっと心配なんですよね」 「天ちゃん、どういうこと〜?」 「悟空、貴方が付いていながら八戒は居なくなったでしょう?もしも連れさられたとすれば何か術でも使ったのかもしれない、という事ですよ。最高僧である三蔵の護符を術として使ったとすれば、有り得る話だと思ったんです」 テーブルに突っ伏したまま力なく見上げてくる悟空に天蓬が説明をする。それは同時に八戒に憑いている護法の力も当てには出来ない事を示唆していた。天蓬の言わんとしている事に三蔵も気付き、煙草のフィルターをぎりりと噛み締める。 「僕も仕事の区切りがつき次第、八戒の事当たってみます。何かあったら自宅の方に来て下さい」 そう言って天蓬が鍵を三蔵に渡したところで、注文した料理が次々とテーブルに運ばれてきた。項垂れていた悟空はよだれを垂らして飛び起き、運ばれてくる料理を見事なスピードで平らげていく。あまりのスピードと量の多さに、その飯店の店員は悪夢を見る事になった。 「うそだろ?また俺の負けかよ」 思わず手からカードを落として悟浄が零したのも無理はない。ババ抜きで一度も勝てなかった悟浄は7並べやイライラ、そして大人気なくもポーカーまで教えて勝負を挑んだのだが、なんと未だに一度も勝てないのだ。これで食べている悟浄にとっては、プライドをみじんこにされたような悪夢である。ちらりと向かいを見れば、天使の笑顔で微笑む鬼のように強いそれはそれは綺麗な子供が、ぶかぶかのTシャツを着て可愛らしく座っている。愛らしくも美しいこの子供が、実はトランプよりも難易度の高い碁を打てるだけでなく、タイトル保持のプロと同等の強さを持つ天蓬にもその実力を認められている、などとは当然露ほども知らない悟浄である。そのため初心者の子供に侮られてはと、ギャンブラーの血をキャーキャー言わすほどたぎらせていた。 「な、もう一回やろうぜ」 ウィンク付きで軽く誘ったその実は、土下座してお願いをしているのと変わりない心境である。素晴らしい手捌きで得意そうにカードをシャッフルする気の毒な悟浄に、美しくも優しい風貌でありながら、実は負けん気も相当強い子供は楽しそうに頷いた。勝った後のご褒美を子供が考えていたなどとは、思いもよらない悟浄だった。 日が落ちた街には明りの灯った大小の赤いランタンが並び、夜の風景へと様変わりする。通りに長く並んだ屋台を、悟空は目移りしながら嬉々として覗いている。そして自分の分と頼まれたものを買い漁っていた。その近くの広場にはたくさんの椅子とテーブルが並び、皆屋台で買ってきたもので飲み食いしている。多種多様な人々が常に入れ替わり話し声が絶えないその一角に、目立つ風貌の二人がいた。しかしあまりの雑踏に紛れてしまい、好奇な視線に晒されない二人は人の目をまったく気にせず会話ができた。三蔵が先に買ってきた缶ビールをテーブルに置いて眉を顰めたのは、開放的な気分になった人々が調子良く大声で飛ばしている言葉に交叉して、聞き間違いかと思ったからだ。 「市?」 「そう、市です。闇市のね。人身売買の市の情報を買ったんですけど、どうやら八戒は出品されてないようです。素人ですと人形と人間の子供の区別はつきませんから両方の線で聞いたんですけど、ダメでしたね」 夜になってもう一度合流した天蓬から聞かされた話は、落胆と驚愕を三蔵にもたらした。 「この都で売ってないものはない、とは聞いたが人間までか…」 「東で最も栄えている都ですから人が集まるだけでなく、ありとあらゆるものが交易されてる訳です。まぁこういった闇も存在するからこそ大きな都とも言えますけどね。だから僕の商売も成立しているところもありますし。プランツドールは高額な品物なのでアフターサービスの一環で、こういった情報もかかせないんですよ。高額な品物故にローンが払いきれなかったり、育ってしまった人形を勝手に売買したりする事もよくある事なので」 そう言って天蓬は煙草を取り出して咥えた。甘い香りのする紫煙が辺りに霧散していくのを、三蔵は黙って眺める。 「そこに出品されてれば逆に取り戻せたんですけど、困りましたねぇ。人買い市は頻繁に行なわれるものではないので、こうなると以前と同じように行方不明になる可能性が一段と高まったという事です。それから惨殺死体の情報も今のところ無いですしね」 「………それは俺も聞かなかった」 「嫌がる八戒を無理に自分のものにしようとすると、護法が働く仕掛けなんですよね?封滅は無理でしょうから護法が封じられてるか、もしくは……。成る程、それで不機嫌に輪がかかってる訳ですか」 ずばり図星を指された三蔵は無言でビールを呷る。惨殺死体が出れば護法が働いた事になり、それは即ち八戒の身柄が守られた証拠でもある。そうなれば八戒は自分の元に戻るだろう。しかしもう一つ、八戒が気に入ればその人物は殺されないのだ。そうなれば八戒を手離すとは考えにくく、自分の元には二度と戻ってこないだろう。実はその事を一番懸念していると天蓬に見抜かれたのだ。三蔵は空になったビールのアルミ缶を片手で勢いよく握り潰すと、ゴミ箱に向かって投げた。不恰好にひしゃげた空き缶はゴミ箱に入ることなく、縁に当たって地面の上に音を立てて落ちる。一連の動作を見送った天蓬が目を合わせる事なく口を開いた。 「………で、この後どうします?」 「まだ一日目だ。見つかるまで探すだけだ」 「流石八戒が選んだ相手ですね。分かりました、じゃあ今日はこれで。また明日落ち合いましょう」 そう言って天蓬は新たな煙草を取り出す事もなく席を立ち、夜の喧騒の中へと姿を消す。その直後、両手に山ほど料理を持った悟空が現れた。 「あれぇ、天ちゃんは?」 「遅ぇんだよ、このサル!!」 テーブルの上に並べられた大量の料理の数に呆れて、三蔵は雑踏の中でも一際大きな怒声とハリセンの音を響かせた。 |
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2008/03/08