血塗れの子供を連れ帰った悟浄に、驚愕の事実が待っていた。 服を脱がせて傷がないかどうか確かめていた悟浄の手がピタリと止まる。しかし気を取り直し、すぐに風呂に入れて血を洗い流してやると、艶やかで滑らかなこげ茶髪、真珠のように輝く白い肌に華奢な体つき、そして極めつけの憂いた美しい翠の瞳が露わになり、将来有望絶対間違いなし折り紙付き美人だと判明する。序でにもう一つの事実も。 「…お前、男だったのか。もし女だったら俺、将来絶対お願いしてたぜ〜」 どこか残念そうな口調で、しかし心臓をバクバクと動かしながら悟浄はシャワーを使って子供の体を洗ってやる。それまで大人しくされるがままに俯いていた子供が、ふいに濡れた顔を上げて悟浄と目を合わせてきた。間近で見つめてくる翠の瞳は今まで見た事のない色であり、又憂いた様も相乗効果となって独特の艶を放ち時を止めるほどの美しさだ。 「オイオイオイ、とんだ美人だなぁ〜お前。まったく目の毒だよ」 ご馳走さんとウィンクを一つした悟浄は、シャワーヘッドを壁に掛けてお湯を止める。そして大きなバスタオルで子供を包み拭いてやった。すると手首や足首にうっすらと縛られた跡が赤く残っているのが目に入る。 (こんな美人じゃ攫われるよなぁ……) 白い肌に浮かぶ赤い跡を苦々しく思いながら、悟浄は濡れて艶やかなこげ茶の髪をくしゃりと撫ぜてやる。するとあまりにも滑らかな触感が指に残り、悟浄は赤い目を円くして思わず手の平を見つめた。 (な、何か凄いんですけど…) 下にも置かないってのはこーゆー事かねぇと思いながら、寝間着替わりにサイズの合わない自分のTシャツを着せてやる。そして袖を捲くってやっていると子供が目を擦り始めた。 「確かに子供はもうおねんねの時間だな。こっちにベッドがあるからそこで……」 言いかけた悟浄の前で、子供はソファに体を凭れさせていつの間にか寝入っていた。微かな寝息が規則正しく聞こえて、悟浄は軽い溜息を吐く。寝顔は安心したように穏やかで、印象的な目は閉じていてもやはり美人だ。 (そうだよなぁ、恐い目にあってよっぽど疲れたんだろうな) 絶命していた奴らを思い出して悟浄は眉を曇らせる。カンテラの明りに浮かんだ男達はどう見ても悪党面で、決して善人には見えなかった。中にはチャックを下ろしていた者さえいたのを悟浄は視認していた。 (ったく、突っ込めれば相手はお構いなしとは、もてない男はヤダネ〜) 確かに自分も美人は好きだが合意の上である。抵抗出来ない、ましてや子供を犯すような獣にあの姿は当然の報いかもしれない。しかし相当な数の悪党を一体誰が倒したのか。又そんな状況で何故この子供は置き去りにされていたのだろう、と多くの謎を考えながら悟浄は長い髪を掻き上げた。 (チッ、また雨か……) 体に纏わりつく雨を忌々しく思いながら、三蔵は目にかかる前髪を鬱陶しそうに掻き上げた。最初に大事な人を失った時もこんな雨が降っていた。そして雨が再び大事なものを奪っていくような気がしてくる。辛さ、哀しみ、絶望、虚無、そして闇。八戒がいたからこそ癒されていた苦い想いが、八戒がいなくなった事で再び甦ってくる。今傍らには天蓬と悟空がいて、あの頃とは違い一人ではない。しかし八戒でなければ満たされない空虚が存在する事を三蔵は既に知っていた。持覚がいた頃、一度離れて思い知ったのだ。あんな想いは二度とごめんである。一度目の時の自分は小さくて、何も出来ずに目の前で師匠が殺されるのを見ているしかなかった。しかし今度こそ守りたい。なくしたくないのだ。無意識に手は懐に入り、小銃のグリップを強く握りしめていた。 「三蔵、次の店まで少し距離がありますけど…」 「構わん」 「行ってみようよ、天ちゃん」 「…分かりました」 天蓬の問いに三蔵は即答し、悟空もまた同意の声を上げる。傘も差さずにずぶ濡れになって歩く三人は更に足を速め、足元では水しぶきがより一層音を立てた。 悟浄は薄暗い部屋で目を覚ました。何度か瞬きをして時計を見る。時間を確認した悟浄は頭の中で反芻すると、もう一度時計を見てガバリと上掛けをはねのけた。 「やべっ、もっと早くに起きるはずだったんだけどな〜」 閉めきったカーテンはオレンジ色に染まっている。これから明るくなっていく夜明けではなく、日の落ちていく夕焼けである。昨夜は子供を拾って風呂に入れ、それから自分もシャワーを浴びて、更には子供の着ていた血塗れの服も洗濯してから寝たのだ。まったくの予定外に時間は過ぎて、結局寝たのは明け方近くだったような気がする。そして今日は昼に起きて、件の子供を連れて親探しをしようと予定を立てていたのだが、この起床時間では予定通りに事を運ぶのは無理そうである。 (う〜〜〜、この時間に出掛けるとなると、酒場や賭場しか開いてねぇーよな。まぁ仕方ねぇか…) 長い髪を掻き上げてから、悟浄はベッドを降りて着替え始めた。そして昨夜の事が夢だったかどうか確かめるべく部屋を後にする。キッチンや居間を覗くと子供の姿はない。次に昨夜子供を運んだ部屋へと何故か忍び足で向かう。一応ノックしてから扉をそっと開けて中を覗く。果たして子供は、夢のように綺麗な寝顔で眠っていた。真珠のように輝く白い肌も子供ながらに整った顔立ちも、艶めいて輝く真っ直ぐなこげ茶髪も、確かに現実であると教えていた。閉じられた長い睫毛に見惚れていると、瞼がピクリと動く。そして悟浄の気配に気付いたのか、何度か瞬きした後ゆっくりと瞼が開き、極上の美しい翠緑の瞳がのぞく。生命ある貴石にゆっくりと感情が映り、焦点が定まり自分を認めて一際色鮮やかになる瞬間を、言葉も時間もなくして見入る。そうして子供がゆっくりと上体を起こし、改めて顔を見つめられて悟浄は我に返った。 「…あ、えーっと、その、腹減ってる〜よな?」 何となくその場を誤魔化すように言ったのだが、これは的を射た言葉だと反芻する。そうだ先ずは腹ごしらえだと思い立ったところで、悟浄は傍と気付く。辛党である自分が、子供が好むような食べ物など買ってくるわけもないという事実に。 (さて困ったぞ。ミルクもジュースもお菓子もねぇし、パンは切らしちまってるし、米はあるが炊くには時間かかるしなぁ。やべぇ、どうっすかなぁ…) 自分はいいとしても相手は子供だ。きっとすぐにでも食べたいだろう。取りあえず台所へと移動しながら悟浄は思案を巡らす。そして流しの前で腕組みをしたまま、う〜んと低い唸り声を上げていると、Tシャツの裾が小さな力で引っ張られた。 「うん?!」 振り返った悟浄の見たものは、昨夜着せてやった寝間着代わりのTシャツを着た子供が不思議そうに見上げてくる姿だった。大きすぎるTシャツの襟回りは落ちて片方の白い肩を露わにさせ、いくつも折った袖口と相俟って子供を更に華奢な姿に見せている。しかも多くのひだが出来た身丈は丁度ワンピースのようになっていて、小首を傾げて何とも言えない表情で見つめてくる姿は、どこからどう見てもとびきりの美少女である。 (勘弁してくれよぉ〜。俺はロリの趣味はないし、ましてや男ってそりゃ詐欺っしょぉ) 何に対して許しを請うているのか分からないが、取りあえず謝りたい気分でいっぱいになった悟浄は、とんでもなく手触りの良いこげ茶髪をくしゃりと撫ぜた。 「何とかするから、そこの椅子に座って待っててくれ。な?」 悟浄が大人の見栄を発揮し精一杯のさりげなさで食卓を指すと子供は頷き、とことこと歩いて大人しく席に着いた。ほんの少し離れただけなのに、悟浄は体中から集めた大きな溜息を吐いて脱力してしまう。自分の嗜好が変わらなかった事への安堵感なのか、極上の美人振りに柄にもなく緊張したせいなのか、いやちょっと待てよ、もしかして今萌たのか俺?などと様々な思いが複雑に絡み合ってはいたが差し当たり、強制わいせつ罪を犯す犯罪者にならなくて良かった、と心の底から思ったのは間違いがなかった。大人の女限定な俺でさえこれ程惑わされる末恐ろしい美人に、悟浄は心の中でくわばらクワバラと唱えると同時に、昨夜から一言も喋っていないのが気に掛かっていた。 「まったくもって不本意ですが、今日はこれからドレスとミルクのお届けがあるんです」 雨上がりの翌日、開口一番不機嫌極まりないと天蓬は眼鏡のブリッジをついと上げてレンズを光らせる。結局昨夜はどしゃぶりになった時点で捜索を一旦打ち切り、開いてる宿もないためそのまま天蓬宅へとなだれ込んで一泊した三蔵と悟空である。超絶低血圧で朝は大変機嫌のよろしくない三蔵であるからにして、叩き起こされた上にこちらもご機嫌麗しくない天蓬とご対面ともなれば、最大風速(秒速)51m以上の超強台風発生は当然避けられない。空は晴れ渡っている筈なのに暴風雨警戒域に入った悟空は、土砂災害や河川の氾濫、低地の浸水や高波、更には落雷や突風にまで厳重に警戒するはめになった。 「で?」 最低の音域で発声した三蔵に、天蓬もそれは恐ろしい笑顔で答える。 「僕無しで探せるとは到底思えないんですが、健闘を祈りますね。因みに玄関の扉は自動施錠ですから好きな時間に出て下さい。僕は先に出掛けますけど」 「今日は宿を取る」 「だったら夕飯を食べる時にでも落ち合いますか?それまでに見つかればいいですけど、もしまだ見つからなかった場合は情報交換をすれば効率がいいですし」 「…分かった」 それだけの会話をなんとか成立させると三蔵は、再びくっつきそうになる瞼をなんとかこじ開けて洗面所へと向かう。こんな時こそ朝一番で八戒の笑顔を見たいのだ。部屋の隅には、避難したはいいが再び鼾をかいて二度寝を始めてしまった悟空が、毛布に包まり丸まっている。部屋を出る際、三蔵は紫の瞳を真一文字にしたまま、八つ当たり気味に蹴飛ばし悟空を起こす。どこもかしこも本で溢れ返ったこの家を、本を借りにくる度に綺麗に掃除したのは八戒である。顔を洗い棚に積まれた真っ白いタオルを手に取れば、このタオルを洗い畳んでいた八戒を思い出す。何をしてもそこかしこにある八戒の気配を感じ、そうして思い出す度に喪失感はより一層深まり、それに反比例して焦燥感はますます募る。三蔵は鏡に映る自分自身を殴りたい衝動に駆られ、タオルを引き千切るほど強く握り締める事でそれに耐えた。拳は白く震えていた。 「さて、と…俺ならこのまま食っちまうんだがなぁ」 悟浄は手にした物をポンと空中に投げるともう片方の手で受け取る。それから庖丁を取り出した。 「ほい、待たせたな」 そう言って悟浄は白いお皿に乗った、皮を剥いた林檎を子供の前に置いた。赤い皮を剥かれてクリーム色になった林檎は八等分に切られ、フォークが添えられている。それを子供はしげしげと眺める。 「林檎だけど……嫌いだったか?」 皿の上の林檎を物珍しそうにじっと見つめる子供に、もしかして桐箱に入ってるような林檎しか食ったことないのでは、と不安になって悟浄は尋ねる。見ているこちらが緊張する位長い時間、子供は林檎を見つめてからやっとフォ−クを手に取る。そして悟浄が凝視する中、フォークを刺した林檎をスローモーションのようにゆっくりと食べ始めた。シャクリと軽い音を立てて齧り、珊瑚のような唇を結んで咀嚼しゆっくりと飲み込む。それから悟浄を見つめて、可憐な白い林檎の花が咲くようにふわりと子供は微笑んだ。初めて見た笑顔はただ綺麗なだけでなく、子供が持つにはどこか大人びた艶のある美しさも備わっていて悟浄は息をするのを忘れて見つめる。そんな悟浄の視線を気にする風もなく、子供は再び小さな口を開けてゆっくりと林檎を食べていった。 「え?もういいのか?不味かった?」 二切れ食べたところで子供がフォークを置いたので、心配になって悟浄は聞いた。しかし子供は首を横に振り否定すると、満足そうな顔をして悟浄を見つめてきた。 「マジでこんだけでいいの?俺は他にも食う物あるから、別に遠慮しなくていいんだぜ?」 念を押して悟浄が尋ねてくるのに、子供は大丈夫だというように首肯して口元に笑みを浮べる。美人の笑顔にたじろきながらも、悟浄は覗くようにして子供と目を合わせる。 「う…いや、別に腹がいっぱいになればそれでいいんだけどよぉ。色も変わっちまうから残り俺が食っちまうけど、マジ平気?」 最後通告にもやはり子供は首肯したので、悟浄は納得しないながらも残りの林檎を食べる。そして機嫌よく見つめてくる子供を横目で見ながら、やはり一言も喋らないのは昨日のショックのせいなのか、それとも生まれつきなのだろうかと考えていた。 |
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2008/02/15