黒い影になった木立が重なり連なり闇となって辺りを覆っている。真っ暗な静けさである筈の森の中に、ばか騒ぎのような笑い声と明りがあり、あまりのにぎにぎしさに獣達も避けているようだ。しかし焚き火の周りに輪となって座り、酒や食べ物を口にしながら肩を揺すったり、また手を叩いたりしながら騒いでいる男達こそが獣じみた表情をしていた。 「それにしても今日はいい仕事ぶりだったな!」 「まぁな。宝石、時計、すったバッグにゃ金が結構入ってたし。だが一番の収穫はあれだろうよ」 そう言って一人が木の根元にいる子供を見ると、その場にいた全員も同じ様に視線を向けた。 「あれは相当高く売れるぞ。着てる服もかなり上等だ。店主の話だと最上級品な上、希少価値な観用少年だと言ってたからな。さぞや物好きな上客が値を吊り上げてくれるだろうよ」 「まったくだ。にしてもあんな金づるがすんなり手に入るたぁ、かわいそうな俺達に盗人の神サマが恵んでくれたとしか思えねぇな」 「違いねぇ」 げらげらと卑下した調子で男達が笑いあう。長安での仕事は上出来で、盗んだ金品はかなりな額で売れると会話が飛び交う。その最高値である人形をいかに上手く攫うことが出来たか、男達は今日の仕事振りを自慢げに振り返り始めた。 「しっかし、ここに観用少女を売ってる店があるとはな。さすが長安だぜ」 「あぁ、何しろ目ン玉が飛び出るくらい高けぇと聞いちまったら盗るしかねぇだろ。だがあの店、古く見せかけてはいたが中はしっかり防犯してやがって俺も焦ったぜ。お札まで貼ってやがった」 「お前も客のふりすんの上手くなったよな〜」 「まぁな、お陰で下見が出来て盗みの失敗が減ったじゃねぇか。ただの茶がえれぇ高かったぜ」 「払ったからにはそれ以上いただかねぇとな。店の様子を見てたら、人形がガキと2人だけで出てきた時はしめたと思ったぜ」 「まったくだ!あんな所で高けぇ人形買えるヤツは大抵車だろうに歩きときた。こっちも驚いたぜ」 「ただ金を払うのはしゃくだから、あのお札だけ盗ってきたのには俺も上手くやったもんだぜ。思うにこのお札のお陰じゃねぇ?こうもすんなり事がうまくいったのは?」 「何だお前、カミサマ信じてんのか?」 「盗人の神サンはアリじゃねぇ?何しろあの人形かっさらった時、あのガキ全然気付かなかったからな〜。お札のご利益さまサマってわけだ」 「あのガキ、途中俺達が後をつけてるのが分かったみてぇに人ごみの中を、右に左にちょこまか歩きやがってかなりイラつかせてくれたからな。上手くいった時ぁスカッとしたぜ!ざまぁみろだ!」 「やっぱガキはガキだったな。あんな金づるを、さぁ俺達に盗ってくださいと道の真ん中に置いてくれたんだからな」 「くくく。俺たちの懐をあったかぁ〜くしてくれんのに協力してくれたんだろ〜が?いいガキじゃねぇか」 再び大きな笑い声が起こり辺りに響く。焚き火の炎に照らされている男達は、大きな口を開けてばか笑いする者や、皮肉めいてくつくつと笑う者など様々だったが、一様にして赤くまた同時に強い影も浮かび、彼等の欲望がそのまま現れているようだった。 「俺は今すぐにでも、あったかぁ〜くしてもらいてぇな〜」 そう言って赤ら顔になった男が酒を飲み干し、ゆらりと立ち上がる。するとその男に向かってあちこちから野次が飛んだ。 「服は破るなよ。壊したら売り物にならねぇんだから加減しろよ。分かってるな?」 「ちっ、わぁってるよ。服を破る時の顔も楽しみてぇんだが、値が下がって取り分減らされたら敵わねぇからな」 「お前も好きだよなぁ〜。人形でもOKてか」 「そう言いながら、お前らだってどうなってんだか興味あんだろ?」 「まぁ人間の女と違ってヤッても子供は孕まねぇしな」 「仕込んだ方が高く売れる時もあるぜ」 「おい、具合教えろよ」 「2人いっぺんに教えんのもアリじゃねぇ?」 「じゃあお前、手伝えよ。裸にむいてからもう1回縛り直すからよ」 「それだと抵抗された時、縛ったトコが傷んなって価値が下がるんじゃねぇ?明日売るんだろ?俺が手で抑えててやるから、次は俺にヤらせろよ」 「そういやお前、無理やりヤんのが好きだったな」 「あぁ、特におきれェ〜な顔が恐怖に歪む顔なんて、たまんねぇだろ?泣きながら絶叫して嫌がる姿なんて最高だぜ」 話しながらにやつく二人の男が、少し離れた木の根元で横たわっている八戒の元にやってきた。八戒は後ろ手にされ、手首と足首を紐で縛られ、口には布の猿轡を噛まされている。二人の男が傍にきてしゃがみ込み、その一人は八戒の顎を取って舌なめずりをした。 「今から気持ちよ〜くさせてやるからなぁ」 「そうそう、病み付きになんぜ〜」 すると二人の男達の背中から盛大な野次が飛んで来た。 「おいおい、お前にそんなテクがあんのかよ?」 「そうそう、あんまり下手にして傷モンにすンなよ!?値が下がるぜ」 「お前らだけで楽しむなよ。こっちに連れて来て俺達にもおきれェ〜な顔を拝ませろ!」 「そうだ、そうだ!どんな体になってんのか、俺達にもじっくり見せろよ」 「わぁったよ!俺のテクもじっくり拝めよ!」 「誰がてめぇのお粗末なモンなんか見てぇかよ!」 短い応酬に男達の笑い声が重なる。酒も回ってきて一段と機嫌が良くなっているようだ。しゃがみ込んだ二人の男は、一人がナイフで紐を切ろうとするのを、もう一人がそれを制した。 「待て、傷つけたらヤバイんだろ」 「明りならここにあるぜ」 そう言って焚き火の周りに座っていた男の一人がカンテラを掲げる。しかし火が点いていなかったため、ポケットをさぐりライターを探したが入っていなかった。仕方なしにカバーを外して焚き火から芯に火を点ける。その時男の体からハラリと何かが落ちて、あっという間に炎に焼かれてしまった。 「おい、何だ?今の?」 「あぁ…、お札だな。あれがポケットから落ちて焼けちまったみてぇだ」 「何だよ、それだって良い値で売れたかもしれねぇだろ。気を付けろよ!」 「もう燃えちまったモンはしょうがねぇだろ?それに今回はあの人形が俺たちを大金持ちにしてくれんだからいいじゃねぇか」 火の点いたカンテラを持った男はもう一度ポケットを探ってお札がない事を確認しながら、しゃがんでいる二人の男に近付いた。 「おぅ、待たせたな。オイ?何だよオネンネすんにゃあ早ぇだろ。それとも待ちきれなくてもう突っ込んじまったか?」 「何だと!最初をゆずってやってんだから抜けがけすんなよ」 「そうだぜ。こっちに来て俺たちにも人形見せろ!」 焚き火の周りから冷やかしと非難の声が浴びせられたが、輪から外れた男達は人形の傍にうずくまったまま動かない。そこでまた一人がふらりと立ち上がり、人形の傍へと歩いていく。 「何してんだよ、てめぇらだけでイイコトしてんのか?とっととこっちに人形持って来いって言ってんだろ。それとも自分のモンに自信が無くて見せらんねぇって……」 歩いていた男が急に動きを止めたかと思うと、そのまま糸が切れたように倒れる。その不自然な動きに火の周りで浮かれていた男達は顔色を変えて、一斉に構えた。 「何だ、一体…」 「とにかく火を消せ!このままじゃあいい的だ」 水をかけて焚き火を消すとジュワッとした音と共に白煙があがり、辺りは暗闇へと戻る。カンテラの火もいつの間にか消えていて、異様な静けさの中で血の匂いが立ち込めていた。 (くそっ、まだ目が慣れねぇ) (……敵、か?) (だが音も何も…) (人形に目がくらんで誰か裏切ったか?) (一体、どこから狙ってやがんだ……) 残った男達はナイフや銃を構えたまま辺りを窺う。しかし人影どころか気配すら掴めず、殺気立った緊張感が空気をぎりぎりと軋ませる。その中でまた誰かが倒れる音がした。ドサリという音に向かって銃を撃った者もいたが、それにより何かが動く気配は感じられず、男達は暗闇の静寂に圧迫されて呼吸が荒くなっていく。見えざる敵と音のない兇器に、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた男達の武器を持つ手に汗が滲む。ある者はナイフの柄を握りなおし、またある者のトリガーにかかった指は微かに震えていた。暗闇に慣れてきた目に、迫ってくるような黒い木立の影と地面に盛り上がる黒山が見えた。 (まったく気配がねぇなんて、こんな事初めてだ…) (誰が敵か味方か分かりゃしねぇ、離れるか) (……ここはひとまず、逃げた方がいいな) (人形だけでも持って…) 一人が人形の方に近付こうと動いた。するとふいに不自然な体勢になり、そのまま声もなく倒れて動かなくなる。また一人仲間が殺られたのを感じて、脂汗だけではなく冷や汗も肌を伝っていく。やがて沈黙の恐怖に耐え兼ねた者が震えた声で怒鳴った。 「…だ、誰だ!でで、出てきて姿を見せやがれっ!!」 闇雲にナイフを振りかざし、男はうおおぉという怒号を発しながら見えない敵に向かって切りつけながら突き進む。と急にその動きを止めたと思う間もなく崩れ落ちる。敵の動向がまったく分からないまま仲間が次々とやられ、生きているのは元いた人数の半分以下になっていた。遂に恐怖は頂点に達し、残った僅かな者はそれぞれ別の方向に向かって、ある者は叫び、又ある者は音を立てずに見えない敵から逃れようと走り出す。しかしまるで黒い木立に立ち塞がれたように男達は次々と倒れ、呻き声を上げることなく誰も動かなくなった。 その日悟浄はカードゲームで勝っていたのだが、ちょっとした不愉快から早々に賭場を出てしまっていた。早いといっても深夜ではない程度の時間である。店を替えて飲みなおしても良かったが、どうもそんな気になれず、悟浄は夜の街をすり抜けていった。そして家に向かって暗い森の中を歩きながら、髪を一房摘んでみる。これだけ暗ければ色の判別はつかないが、先ほどいた取り巻きの女の声が甦ってきた。 「きれぇな髪ね、か」 皮肉めいた笑みを浮べて煙草を取り出すと、片手で覆いながら火を点ける。息を吸えば火口が赤々と燃え出し闇の中にかすかな明りが付いて、悟浄はライターをポケットに突っ込んだ。しかし入れた筈のライターが、ポケットに入っていた煙草にぶつかり弾かれて落ちてしまう。しかも運の悪い事に落ちた拍子に石か何かに当たった音がして、転がってしまったようだ。 「オイオイ、これ以上勘弁してくれよぉ〜」 手に馴染むような感覚のあるこのジッポーは悟浄のお気に入りである。参ったなぁ、とぼやきながら悟浄は身を屈めて手探りでライターを探し始める。と、鼻を突くような匂いに気付いた。 (何だ?この匂い。これは……) 風もなく月もなく星もない暗い森の中で、異様なくらい血の匂いが充満しているのに、悟浄は気付いた。 (何だって、こんな……) 殺気も人の気配も感じられないのを確認した悟浄は、すかさずしゃがみ込んで地面の上を手探りする。そして指先に触れた金属の感触を拾い上げ、使い慣れたライターの蓋を開けてすぐに火を点けた。僅かな明りに目を凝らしながら地面を照らすと、頭をこちらにして人がうつ伏せで倒れているのが見えた。 「おーい、生きてんの?」 足先でつついてみるが反応はない。そこでしゃがみ込み、肩に手をかけて仰向けにしてみると、目と口を極限まで開けた恐怖顔の男が、腹の辺りから大量の血を流して死んでいた。 「なっ……!?」 男の表情に驚いたはずみで煙草が唇から離れ、地面に落ちた瞬間ジュッと小さな音を立てて火が消えた。ライターを近付ければ、辺りは黒い血に染まっている。言葉もなく死体を見つめていた悟浄だが、ふと振り返ってみるとまた別の黒い固まりが地面の上に落ちている。 (……ちょい待ち、一人じゃねぇのか〜?) 悟浄は立ち上がり、少し離れた所にある固まりが人影だと確認してから声を掛けるが、先ほどと同じ様に反応がない。そしてライターの火を近づけてみると、恐怖に怯えた顔の男がやはり腹から血を流して絶命していた。二つ目の死体を冷静に見つめた悟浄は、先ほどよりも血の匂いが強くなっているのに気付く。道から外れて匂いの強い木立の中へと更に入っていくと、地面に不自然な黒山が出来ているのが見えた。そこに向かって歩きながら悟浄は、こんな夜の森の中に大勢でいる理由なんてろくな事じゃねーよなと考えていた。身なりや顔を見た感じでは、自分と似たりよったりの輩のようだ。そして大きな悪事を働くために徒党を組む事はよくある事と、身を持って知っている。寄せ集めのチンピラに信頼関係がない事も。 (おいおい、まだあんのかよ?なんだよ仲間割れかぁ?) その山に近付こうとして足に何かが当たり、金属の音がやけに響いた。しゃがみ込んで確認すると、それはカンテラで悟浄は早速それを使わせてもらう事にした。カバーを外して芯に火を点けると、先ほどよりもずっと辺りが照らされる。カンテラの明りに浮かんだ地面に転がるおびただしい黒い影に、悟浄は絶句する。 (………な、何だよコレ。派閥争いで共倒れかよ?) 悟浄は黒い影の中で生きている者がいるかどうか、カンテラの明りを翳しながら一人づつ確認し始める。すると不思議な事にどの顔もみな驚き恐怖に歪んだような顔で、何故か全員腹から大量の出血をしていた。 (何で、どいつもこいつも腹をやられてんだ…) 地面に転がっている武器はナイフや銃などそれぞれなのに、何故同じような殺られ方なのか不思議に思っていると、死体で築かれた黒山の向こうに異質なものがあるのに悟浄は気付いた。カンテラの明りにも光沢を放つ上等な服を着た子供が横たわっていたのだ。猿轡を噛まされ手足を紐で縛られた子供に、無事を確認する声を悟浄はすぐにかけられなかった。惨殺死体に囲まれ黒い血の海に浮かんだその子供の瞼がゆっくりと開き、真っ直ぐに見つめてくる瞳の美しさに悟浄は言葉が出なかったのだ。それは今、この瞬間にある凄惨な光景を全て忘れさせるほどの美しさだった。 息を忘れたように立ち尽くす悟浄の頭上から、雨がぽつりぽつりと落ち始めていた。 |
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2008/01/24