「悟空、悟空、起きて下さい。もう帰らないと真っ暗になっちゃいますよ」 「う〜ん…」 悟空がまだ眠たい目を擦りながら起きると、眼鏡をかけた天蓬の顔があった。 「あれ?天ちゃん」 「起きましたか?囲碁は終わりましたし、八戒も待ってますよ」 何度か瞬きをすると天蓬の肩越しに八戒の姿も見えて、悟空は今自分が店に来ていたのを思い出した。 「あ〜寝たら腹減ったぁ。そっか、終わったんだ。そう言えば本はいいの?八戒」 「それも選び終わりましたよ」 天蓬が卓の上に積み重ねられた本を指差したので、寝椅子から降りた悟空は重そうな本の山を片手でひょいと持ち上げた。 「じゃ、八戒帰ろ」 「あ、ちょっと待って下さい。そのままだと持ちにくいですから袋に入れますよ」 そう言って天蓬は用意していた袋に本を入れ、更に紙袋も一緒に悟空に手渡した。 「これは帰り道で食べて下さい。お土産の金銭餅です」 「わっ!さんきゅ天ちゃん。でも八戒にはやっちゃいけないんだよな」 「そうです。八戒はここで砂糖菓子を食べましたから大丈夫です」 八戒も肯定するように微笑むと、悟空も遠慮なく全部食べてもいいのだと笑顔になる。 「分かった。じゃあ八戒帰ろう!暗くなるまでに帰って来いって、すげー三蔵に言われたし」 「でしょうねぇ、寄り道しないでそのお菓子を食べて下さいね」 「おう!待たな天ちゃん」 「ええ、又来てくださいね」 店の外まで見送ってくれた天蓬に手を振って、悟空と八戒は人込みの絶えない賑やかな街を歩き始めた。 街を抜けてもまだ遠い寺院までの道を歩いていると、西に傾いた夕日が大きく赤く膨らんできた。 「う〜ん、暗くなっちゃうかなぁ」 自分一人なら走って帰ってもいいが、八戒が一緒では長く走っていられない。いざとなれば自分が八戒を背負って走ればいいか、と悟空はのんびり考える。八戒が大丈夫かと見つめてきたので悟空は胸を張って平気だと答えた。何しろ初めて八戒とのお出かけである。三蔵のいない寺で待つより天ちゃんの店の方がずっと居心地がいい。またこうして二人で出かけたいしなぁ、と思っていた悟空の足が急に止まる。 「ちょっと待ってて!八戒。あの実すげー甘くてうまいんだ」 寺院が近付くにつれて民家が少なくなる代わりに道の両脇には木々が増えていく。普段山まで遊びに行く事の多い悟空は満たされない空腹のため、よく木になっている実を食べていた。中でも美味しい実は良く覚えていて、そのよく知った赤い実を木々の間に見つけたのだ。荷物も持ったまま悟空は道から少し入った木をめがけて一目散に走っていく。天蓬からもらったお菓子は街を出たところで、とうに食べ終えていた。新たなおやつを見つけてまさに猿の動きでするすると木に登り、幾つかの実をもいであっという間に降りてくる。ここに三蔵がいたならば呆れたようにやっぱり猿だな、と溜息を吐いただろうが今は怒られる事もない。木の根元に置いた荷物も忘れず持った悟空は、夕飯までの美味しいおやつを見つけて笑顔で戻って来た。 「ごめんな八戒、待たせちゃって……あれ、八戒?」 言ってから悟空は慌てて辺りを見回す。道の脇に立つ林となった木々の間や、寺院に続く遠い道や歩いてきた街へと続く道も目を凝らして見た。しかしかなり先まで見通すことの出来る目を持ってしても八戒の姿が見えない。乾いた道の上にたくさんの本が入った袋がどさりと落ちて、その向こうに実がころころと転がっていく。日が西へと沈みかけた空は夕焼けにならず、水色から紫そして藍色へと忙しく色を変えて夕闇がせまってくる。 道には一人残された悟空の影だけが黒く長く伸びていた。 「まだ帰ってないだと?」 「は、はい。左様にございます」 本日門衛の任に着いていた僧兵は運が悪かった。恐らくおみくじを引いたならば絶対に大凶と出たであろうし、ともすればハズレだったかもしれないし、下手をすれば敗訴と出たかもしれない位の最悪さだ。残念ながら今日の占いでラッキーアイテムを見損ねた僧兵に避ける手立てはない。例えそれがハート柄のリボンであったとしても絶対に身に付けたいと思う位、最大瞬間風速50m/s以上で吹き荒れる猛烈な怒りのオーラはそれは恐ろしいものだった。例えるならば住家の屋根がはぎとられ、弱い非住家は倒壊し、大木が倒れたりねじ切られたりする程である。正直これ程怒れる三蔵を見るのは初めてで、眼前の災害に僧兵は持っていた作振を支えにして、冷や汗吹き出る手で握り締め必死に耐える。既にロックオンされている僧兵は自分のために読経をしたいのだが、口を上手く動かすことが出来ず、ただ顎をかくかくと開閉させ始める。しかし紫の台風の目はふいと視線を外して暗闇を睨むとそのまま離れていく。 「サんゾう様、ど、どちらへ…」 「うるせぇ死ね」 最接近の峠を越えた安堵感から余計な一言を言ってしまった僧兵は、三蔵が帰ってくるまで余分な緊張感を強いられる事になった。まさに油断は大敵である。 (あれほど日が落ちる前に帰れと言ったのに、まだ帰らないとは何かあったか?) 眉間にくっきりと皺を刻んだ三蔵は猛烈な怒りのオーラを吹き荒らしながら夜道を急ぎ歩く。生憎と月も星も出ていない闇では見通しが悪い。辺りに注意を払いながら昼間悟空達と別れた二股道まで来たがやはり人影はない。三蔵は膨らむ嫌な予感を払うために一度ハリセンの柄を握り締めると、更に足を速めながら街へと続く道を急いだ。左右に迫るよう立ち並ぶ黒い木々は、更に視界を狭めて闇を濃くする。とそこからがさりとした物音が聞こえて三蔵は銃を構えて静止した。しかし知った気配を察知して、そこに向かって大声で怒鳴る。 「おい悟空!何でこんな所にいやがる。日が暮れる前に寺へ帰れと言っただろーが!」 銃口を向けた木の影から小さな影が出てきて三蔵は銃を下ろす。 「三ぞ、ごめん……八戒が…はっかいが……」 暗くて表情は分からないが半泣きの悟空の声に、三蔵は眉を吊り上げた。 「八戒がどうした?」 「いなくなっちゃったんだ!だから俺すごい探して……」 「詳しく話せ」 「うん。ここにすげぇ美味い実がなってるの見つけて、それを取って戻ってきたら八戒がいなくなってたんだ」 「長い時間だったか?」 「ううん!だって一つの木になってた実を少しだけだったから、ほんのちょっとだよ。それに道からそんなに離れてない木だったし」 悟空の話を聞いて三蔵は黙り込んでいたが、やがて顔をあげると街へと向かって歩き出した。 「三蔵どこ行くんだよ!八戒探さなくていいのか?」 「だからこれから探しに行くんだ。先ず天蓬の所に行く」 「何で?八戒はここでいなくなったんだぜ?」 「この辺りはお前が隈なく探したんだろ?お前の目と鼻で見つからなかったとなれば、ここにいる可能性は低い」 「そっか、でも何で天ちゃんのとこ何だ?」 「街中に住んでるあいつなら何か情報を持ってるかもしれねーからな。ところで今日店にいた時、八戒を買いたいと言ってきた客はいたか?」 「ごめん三蔵。俺、寝ててわかんない」 「つまりそういう話をあいつから聞きだすって訳だ」 言い終わるなり歩き始めた三蔵を悟空は慌てて後を追う。 「でも俺、三蔵にすげぇー怒られると思ってた」 「お前を叱るのは後だ。安心しろ、八戒を見つけたら望み通りにしてやるよ」 「げっ!」 三蔵の言葉に飛び上がった悟空だが、どちらかと言えばいつものようにハリセンで叩かれていた方がマシだった。怒りよりも不安が大きいのを感じて、悟空は八戒が楽しみにしていた本が入った袋をぎゅっと握り締めた。 街に着けば昼間とは違った喧騒がある。かなり遅い時間であるにも拘らず店先に並んだ大きな提灯の明りを頼りに人は行き交うが、流石に子供と年寄りはいない。その中を白い法衣の三蔵と見た目は少年の悟空が歩く姿は毛色の違いもあって大変目立っていたが、掛けられる冷やかしの声には殺気で答え、逸る気持ちのまま天蓬の店に辿り着いた。しかし夜もかなり更けた時間であったため店は閉まっている。三蔵は顔を上げると窓の明りを確認し、店の上にある居住区に繋がる階段を昇った。八戒が本を借りるために何度も訪れていたため行く事に躊躇はないが、まさかこんな用件で訪ねる事になるとは、と三蔵は奥歯を噛みしめる。扉の前まで来ると三蔵は遠慮なく扉を叩き声を掛ける。暫らくすると扉が開き、天蓬が驚いた顔を見せた。 「どうしたんです?三蔵こんな時間に。悟空も一緒ですか。おや、八戒はどうしました?」 「その事なんだが、今日ここからの帰りに八戒が消えたらしい。お前、心当たりはないか?」 いつもなら八戒に捨てられたんですね、と言って茶化しそうなものだが三蔵の顔色を読んだ天蓬は、真剣な顔で拳を顎に当てて考え込む。 「そう言えば今日、八戒に興味を持ったお客様が一人来ましたね。気に入った割にはやけにあっさり引き下がってましたけど…」 「通いの客か?」 「いいえ、初めていらしたお客様ですよ。最初はうちのお茶をと言って来たんですけど、八戒を見初めましてね。お茶も買わずに帰りそうになりましたよ。その方が八戒を攫ったと?」 「可能性がないとはいえねぇだろ。悟空の話だけ聞くと神隠しのようだがな」 「その話、僕にも詳しく聞かせて貰えませんか?取り敢えず中にどうぞ」 「いや、ここで…」 断ろうとした三蔵の声を掻き消すように大きな腹の虫の音が響く。天蓬と三蔵は二人同時に音の発生元を見ると、悟空がお腹を押さえて萎びている。八戒失踪の一大事に夕飯も食べずに八戒を探し、またその足で天蓬の店へと戻ってきたので空腹がMAX状態だったのだが、自分のせいもあって言い出せなかったのだ。 「貴方がよくても悟空がダメなようですね。どうぞ、2人共中へ。悟空、ラーメンならすぐ出せますけど」 「天ちゃん、俺何でもいいよ。腹減って死にそう」 情けない声でしゃがみ込んだ悟空に、三蔵は無言でハリセンを取り出し容赦なく強打した。 取り敢えず天蓬がインスタントのラーメンを作って出してくれたのだが、当然悟空はそれだけでは足りず、結局出前を取って三人で食べた。そして食後のお茶を飲みながら、今までの状況が説明された。 「成る程、それで神隠しですか…」 天蓬は煙草を取り出し火を点けた。それに習うように三蔵も自分の煙草を咥え、すぐに二人分の紫煙が部屋に充満する。 「確かに八戒が忽然と消えたのは事実ですが、やっぱり後を付けられていたと考えるのが妥当でしょうね。悟空に気配を悟らせなかったというのが問題ですね」 「ああ。攫った方法は分からんが、かなりの手練だな。手際が良すぎる」 「盗賊団か、はたまた術者か。盗賊団なら誘拐して身代金を請求するリスクよりも、売りに出すでしょうね。術者ならば最 高僧の法力が破られるとは考えにくいですけど、八戒の護法を滅せられたら厄介ですね」 自分も思いついた最悪のパターンを言葉にされて、三蔵はおもむろに立ち上がり玄関へと向かう。今最も必要なのは情報だ。どうやら天蓬は有力な情報を持っていないらしい、だとすれば聞き込みをするしかない。それに八戒は一度盗難された経歴があり、めぐり巡って自分と出会ったのだ。このまま再び会えない可能性も十二分にある。しかし三蔵はその考えを吹き払う。 (絶対に見つけ出してやる) 強い決意で鬼気迫る三蔵に、悟空も慌てて後を追い更にその後ろから声が掛かる。 「待って下さい三蔵、僕も行きます。この時間ですと開いているのは酒場や賭場ですから、貴方よりも顔の利く僕もいた方が良いと思いますよ」 そう言って優雅に立ち上がった天蓬だが、その身のこなしは一分の隙もなく臨戦態勢の武闘者のようだった。殺気立つ気配は三蔵とまったく同じもので、悟空は肌に感じる黒い空気に身震いする。普段はあれだけいがみ合っている二人だが、八戒のために自然とタッグを組んだようだ。その息の合いように悟空は目を丸くする。 (もしかしてこの2人、似てるのかな?) 無言で夜の街を歩く見目麗しい二人は否応無しに人目を引いたが、殺気を伴った三蔵の睨みと天蓬の美しくも恐ろしい笑みに、空気を察した見物人は顔を引き攣らせて見るだけに留める。たまに正気のない命知らずな酔っ払いが絡もうとすると、護衛役の悟空が一撃で沈めてこれ以上の事態悪化を防いでいた。 |
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2007/11/02