「申し訳ございませんお客様。こちらの人形は生憎と、既に売れてしまったものでございます」 「何だって!じゃあどうしてここに置いてあるんだ。売約済みだというのなら私の方が多く払うが?一体幾らだ?」 「いえ、こちらの人形は大変デリケートなものなので、単にメンテナンスに来ているのです。因みにこちらのお客様にお買い上げいただきまして…」 そう言って店主がちらと視線を奥に走らせると、そこには白い法衣を着た金髪の男が凶悪な目付きで殺気を放っていた。鬼気迫る空気に客はたじろき、生唾を飲み込んで後退りしていく。 「そ…そうですか。いや、その、実に残念だ。貴方は大変な幸運をお持ちのようですな。いやはや全くもって羨ましい限りです」 思わず両手を前に突き出し、落ち着いて欲しいというジェスチャーをしながら客は更に後退する。そして後がなくなり背中に壁が着くと、一瞬体をびくりと膠着させて後ろを振り返り、大きな溜息を吐き出すと同時に肩を落とした。 「又良い人形が入ったら教えてくれたまえ」 「かしこまりました。又のお越しをお待ちしております」 がっくりと肩を落としたまま帰って行く客は、まだ諦めきれない様子でしきりにブツブツと呟いている。その客を天蓬は完璧な営業スマイルで見送った。扉を締めて店内へ戻った天蓬は不機嫌な紫のタレ目に睨まれる。 「これで何人目でしょうかねぇ?八戒を買いたいと言ってきたお客様は」 「俺が知るか」 「おや、そんな事はないでしょう。何しろ貴方と一緒でないと八戒は、このお店に来られませんからね。本当は数えてるんじゃありませんか?」 「……五人目だ」 「やっぱり数えてたんじゃありませんか。本当は一度八戒を見たお客様の中に、どうしても諦めきれないとか、本当にメンテなのかとか、色々と確認しに度々訪れるお客様もいらっしゃるので、延べ人数だともっと増えるんですよ」 「今日俺に振ったのは…」 「だってしつこそうなお客様でしたからねぇ。八戒に魔の手が伸びるのは困るでしょう?実際盗難にあってますし、あのお客様もきっと長生きしたいと思うので、お互いのためってヤツですよ」 いつもなら八戒の売値を書いて撃退させる天蓬が、今日に限って三蔵に振った理由をいけしゃあしゃあと種明かしする。そして笑みを浮べたまま仏頂面した三蔵の向かいの椅子に座った。 「こいつを招き猫に使うな」 「とんだ言い掛りですね。他の人形が売れなかったら、こちらとしては商売あがったりですよ。さて、続きを打ちましょうか?」 二人の間には碁盤があり、置いてある石の数はまだ少なく序盤戦である。黒の碁石を持った天蓬は、小気味よい音をさせて星の上に打つ。長考の時間があったため間を置かずに三蔵も白い石を打つ。暫らく碁石を打つ音だけが店内に響き、やがて動かなくなった三蔵からありませんという言葉が小さく洩れた。 「これでニ連勝ですね♪」 「…………」 「という訳で、今月もう一回八戒を連れて来て下さいね」 「いつ急務が入るか分からん」 「あ、いいですよ。そしたら僕がそちらに行きますから」 「それだけはヤメロ」 即答した三蔵の脳裏に嫌な記憶が甦る。店に行くのが嫌なあまり小坊主に使いを出した事があったのだが、その時天蓬は小坊主と一緒にわざわざ慶雲院までミルクや砂糖菓子を届けに来た。しかし帰った後、ある事ない事噂の嵐が寺中に吹き荒れたのだ。原因は天蓬の言葉と美貌と性格のためだったのだが、三蔵は言葉にするのも恐ろしい恋人疑惑のせいで、好奇やら嫉妬やらの目に晒され迷惑千万な思いをしたのだ。八戒を連れて行かなかった天蓬の報復措置は、三蔵に強かなダメージを与えていた。 「なら貴方が来て下さいね。勝ったのは僕ですから約束は守ってください。それにしても途中僕が接客に立ってからですよね、崩れたの。貴方早碁の方が勝率いいんじゃないですか?」 「…………」 これ以上は検討をされるのも御免だとばかりに、三蔵は碁石を片付け始める。負けた方が片付けるのは暗黙のルールである。嬉しそうに茶の用意をする天蓬を思わず睨むが、蛙の面に水でまったく効果がない。淹れられた美味しいお茶を三蔵は、眉間に皺を寄せてなんとも不味そうに飲む。その隣で八戒は出された砂糖菓子を美味しそうに食べ始めた。 さて、犬猿の仲である筈の天蓬と三蔵が何故か碁打ち仲間になっている理由と言えば、やはり八戒にあった。事の起こりは店の隅に置いてあった碁盤を八戒が興味深げに見ていたのが始まりだった。 「おや、八戒は碁に興味があるんですか?」 そう言って天蓬が碁盤と碁石まで出してくると、八戒は益々興味深そうに眺めたり、又石を持ったり置いたりし始めた。 「何だ?これも人形用なのか?」 「いいえ、これは僕用ですよ。以前こちらにいらしていたお客様で大変碁がお好きな方がいらしたので、そのお相手をしていたんです。ただ、そのお客様は遠くに引越されてしまったので、その時こちらを譲り受けたんです」 碁盤は黒い漆が光沢を放ち、煌めく螺鈿細工が美しくも繊細に施されている。螺鈿細工と同じ模様が碁筒にも施され、どうやら碁石の一つ一つにも細かい文様があるようだ。明らかな最高級品は人形を保有するブルジョアを意味するのか、それとも天蓬への好意なのかと三蔵が朧げに思っていると、八戒が碁石を持ったままこちらを見つめてきた。 「おや、八戒やる気ですね。教えましょうか?」 「やるなら連珠からの方がいいんじゃねぇか?」 「三蔵、貴方も打てるんですか」 「昔、手解きしてもらった」 「嬉しいですねぇ。そのお客様がいなくなってからは相手がいなくて打ってなかったんですよ。ちょっと打ってみませんか?八戒も興味を持ってるようですから喜ぶかもしれませんよ」 「随分と打ってねぇが…」 「それなら尚更思い出しておいた方がいいじゃないですか。寺院に帰って八戒に教えるのに都合がいいでしょう?」 天蓬の胡散臭い笑みから八戒へと視線を移すと、嬉しそうに微笑んでいる。結局三蔵は天蓬と碁を打つ破目に陥った。 三蔵はその昔光明三蔵から教わったのだが、亡くなって以来ずっと経文を探す旅の中で打った事はなかった。光明の面影を思い出しながら碁を打ち始めた三蔵だが、やがて光明の強さをも思い出す結果となった。光明とは打ち方が違うが、天蓬も同じくらいの強さだったのだ。 (こいつ、相手がいないと言ったのは、実力があるヤツがいねぇって意味だったんじゃないのか) 何とも苦々しく眉間に皺を寄せた三蔵は、件の客がタイトルを保持している有段者であったとは知らない。 「久し振りという割に貴方、結構打てますね。じゃあ護符一枚で手を打ちましょう」 「……何だ、それは」 「嫌ですねぇ、お金を請求しない僕の優しさが分からないんですか?久し振りと聞いたからハンデです」 「知らないうちに賭けてるヤツのどこが優しいだ」 聞いて呆れると三蔵は煙草を取り出し吸い始める。天蓬は灰皿を卓の中央に置いて自分も勝利の一服を始めた。 「じゃあもう一局打ちませんか?そうすればチャラになりますよ」 「…その手に乗るか」 「おや、自信ないんですか」 「次は金を取る気だろう」 「そんな事しませんよ、ハンデと言ったじゃないですか。一枚だけでいいです。僕も式神に、勝手に店の中に入られるのは二度と御免ですからね」 さり気なく八戒の後ろに目線を移した天蓬は笑みの種類を変える。どうやら店に不法侵入されて帳簿から八戒の残金を探られたり、又その残金を勝手に置いていったりされたのを未だ根に持っているようだ。三蔵が使役する護法となった現在ではそういった事はもうないが、目玉が飛び出ると言われている値段の人形がそこかしこに置いてある店である。店主としてセキュリティ強化をしたい天蓬の思惑を、三蔵も理解した。 「で、どうします?対局は」 天蓬が灰皿に吸殻となった煙草を揉み消したのを見て、三蔵も習うと碁石を握った。天蓬も口の端を上げて同じように握ってから、碁盤に握った石を並べ始める。 「……今度は俺が黒だな」 「そのようですね」 数子の碁石が片付けられてから、お願いしますの声で第二局が始まった。 そんな経緯で賭け碁が始まり、この店に来るたびに打つのが日常となっていったのだった。八戒も二人の対局を見ているのが楽しいようで、飽きもせずじっと碁盤を見つめ戦局を追っていたし、寺院にいるよりずっと笑顔が多く機嫌も良かった。そして三蔵も天蓬を苦手としながらもここのお茶を気に入っていたし、客を客とも思わない天蓬の態度は最高僧としての体裁をまったく必要としないため、この場所を案外気に入っていた。 「そう言えば、この前仏典の巻物を置いておいたら八戒が読んでいた」 お茶のお替りを要求した三蔵が思い出したように言うと、天蓬が茶杯にお茶を注ぎながら答える。 「それは凄いですねぇ。なら今度は筆と硯を与えてみたらどうです?文字も書けるようになるんじゃないですか?」 「そういうのも有りなのか?」 「有りですね。元々人形はそれぞれ個性を持っている上で環境に適応していきます。その過程は様々ですから、観用少 女なら折り紙やお手玉で遊んだりしますが、八戒は観用少年ですから読書や囲碁が遊びなのかもしれませんね。八戒、僕の所にも本がありますけど読みますか?」 茶海を置いた天蓬が話し掛けると八戒は頷き、翠の瞳をキラキラさせて嬉しそうに微笑んだ。 「ほら、喜んでるみたいですよ。じゃあお茶が終わったら書庫に行きましょう。貴方が気に入る本があれば良いですけど」 天蓬も鳶色の瞳を細めて柔らかな笑みを浮べると、店の上階の居住区へと三蔵と八戒を案内した。しかし連れて来られた二人は玄関先で立ち尽くす事になる。生活空間全てが本という本に埋もれていて、正に足の踏み場がないという状態だったからだ。呆然と立ち尽くす三蔵を尻目に八戒は、果敢にも堆く積まれた本の山に挑み始める。足場を確保するためきびきびと動く八戒に天蓬が歓声を上げ、そのため三蔵も我に返り成り行きで八戒を手伝ってしまう。そして天蓬もそれに習って指示を出したり本を纏め始めたため、結局三人掛かりで一部屋分の本を片付けてしまった。(因みに全部は到底無理な量だった) 「八戒って随分と手際がいいですね」 片付けた本の中からまったくジャンルの違う本を数冊持って、輝く笑みを浮べた八戒の頭を天蓬が撫でていると、疲弊しきった低い声が答えた。 「以前にも物置と化した小屋を一人で片付けてた事がある」 「……本当に、どうして貴方の所にいるんでしょう」 「こいつが選んだからだろう」 「三蔵」 本を持って嬉しそうに傍へ寄ってきた八戒のこげ茶髪を撫でて、三蔵は勝ち誇った笑みを浮べる。天蓬は見えない場所に青筋を立てたが、笑みを保ったまま八戒に向き直った。 「八戒、まだまだ本はたくさんありますから、又好きなのを貸しますよ」 本を抱えたまま八戒は力強く頷くと、キラキラを増して嬉しそうに微笑む。その上で三蔵と天蓬の間にも火花が散っていた。 |
top/back/next |
2007/08/18