縦長の大きな八枚ガラスで構成された、多角形に張り出したアトリエは、本邸に比べてよりサンルーム的な趣になっている。煌々とした室内に居る3人は、夜の屋外に立つ警官達から見れば、まるで舞台に立っているように見えた。
 「どうしてここに、ポスターは無いんですかな?」
 「そう言えば、本邸のアトリエにも絵は掛かっていませんでしたね」
 「ええ、父は自分の作品を描く時は集中力が欠けると言って、他の方の作品をアトリエに置くのは好みませんでしたから」
 役者達は三人三様の台詞を喋りながら、室内を見回している。本邸のアトリエと違いイーゼルは全て壁に立て掛けられ、様々なサイズのキャンバスやクロッキー等は大きな棚に整頓されている。その隣にはmahoganyの大きな両開きの戸棚があった。鍵のない扉には、銅製の渦巻きを崩したような大きな流線模様が、左右対称に装飾されている。
 腕組みをして戸棚の前に立っていた剣持は、湊の了承を得て扉を開けてみる。と中には油絵の具や、洗浄用の油に木炭等の画材が収まっていて特に目を引く物は無く、扉はすぐに閉じられた。
 「やっぱり鍵の無い所に大事な物はないか…」
 肩を落とした剣持の呟きを、明智が引き取る。
 「何が鍵かは問題ですけどね。先ずは駒を見つける事が先決でしょう。ここは一度探してますよね?湊君」
 「ええ、その通りです。この部屋は一度探しました。でもほぼ元通りに戻したと思いますが…」
 駒が出てくるための位置関係を気にして湊が答えると、明智は首肯した後、吊り下がっている白い布に目を留めた。
 「湊君、この白い布は?」
 「埃除けの布ですよ。僕が探しに来た時もそうなってました。そのサイズですから絵は無いと思って、中は見てませんけど…」
 湊の言葉通り、纏められたカーテンの様に細長く垂れた白い布を、明智は外してみる。とそこには壁から突き出た真鍮製のバーの上に立つ、ブロンズ製の天使が居た。
 「また天使ですか…。以前からいましたか?湊君」
 「いいえ、いなかったと思います」
 その言葉を聞き改めて見ると、今度の天使は右手を天に伸ばし、下げた左手には月桂樹のリースを持ち、大きな羽は緩く広げられて、月桂樹が型押しされたバーにまで届いていた。
 「警視!こっちにもいました」
 明智の動きを見ていた剣持は、ふと思い立ち戸棚近くの壁に掛かっていた麦藁帽子を取ってみた。するとそこにも、ブロンズ製の天使が立っていた。こちらの天使は下げた両手でリースを持っていたが、他はまったく同じ姿だった。
 「すぐに消してみますか?警視」
 そそくさとスイッチまで移動した剣持は、期待に目を輝かせて振り返る。
 「待って下さい剣持君。光り無くして影は出来ませんよ。湊君、ここに掛けられるようなランプはありませんか?」
 「成程、ちょっと待って下さい。見てきます」
 足早に湊が出て行き、出端をくじかれた剣持は、明智に言われて慌てて連絡を入れる。程無くしてスリッパの足音が近付き扉が開くと、湊が笑顔をのぞかせる。
 「さすが明智さん、ちゃんとありましたよ」
 両手に二つのランプを掲げて、湊は片目を瞑った。
 「ご苦労様でした湊君。では早速明かりを入れましょう」
 笑顔で迎えた明智はランプを受け取り、すぐに火屋を外す。そして湊がマッチを擦って火を灯し、明かりの点いたランプは天使が持つリースに下げられた。
 「では消しますぞ」
 待ち惚けを食わされていた剣持の、嬉々とした声で明かりが落ちると、暖かみのあるランプの炎が揺らめき部屋は夜に同化する。が

 ――― アルファベット、出てきませんなぁ」
 期待が外れてあからさまな落胆の声を上げた剣持は、ちらりと上司を見る。と明智は天を指さす天使を見つめていた。
 「この辺りですね」
 天井に伸びる、示された影の真下へと移動した明智は辺りを窺うと、自身の顔が夜の鏡にぼんやりと映っていた。
 「そうか、
――― 判りましたよ」
 明智は振り向き、先程外した白い布を見た。
 「警視、やっぱりこの部屋にアルファベットは…」
 幾ら待っても出てこない駒に、ここは無いと判断して明智を見た剣持は、レンズの下の強い眼光に射抜かれて思わず言葉を飲み込んだ。
 「いいえ、ありましたよ。今からお目に掛けますので剣持君、その白い布を取って下さい」
 「え?!これが関係あるんですか?」
 剣持はスツールの上に置かれた白い布を急いで手渡し、受け取った明智は悪戯な笑みを浮かべる。
 「この布、変だと思いませんでしたか?」
 「は?」
 すぐにアルファベットが見られるものと思っていた剣持は、突然の質問に面喰う。その前で明智は白い布を広げる。
 「埃の掛かっていないこの布は、違う用途があったのですよ」
 バサリと白い布が翻り、明智はマントのように羽織り体を覆う。
 「私の正面にある窓をご覧なさい。Rです」
 「!!」
 夜の鏡となった窓には、天使が照らす垂直部分になった明智の白い姿と、もう一人の天使が光らせている曲線部分の戸棚の装飾とが、映し出されていた。
 「
―――― いや、驚きましたな。そこに警視が立つ事によって、片側の模様が隠れる訳ですか。すごいもんですな」
 「本当に、鮮やかでした。明智さん」
 大きなRの文字に口をあんぐりと開けた剣持と、感嘆の溜息を吐いた湊に、自分を見つめる明智を、夜の鏡は同時に映し出す。しかし
 「どうしました?明智さん。これはRookで合っていたんですよね。確かにこの部屋ではありませんでしたけど…」
 夜の闇のせいだけではない翳りを見た気がして、湊が声を掛けると、明智は憂いた表情を垣間見せた。
 「ええ、その筈です。ただこの布は、もしかしたら使わずに済んだかもかもしれないと思っただけです」
 そう言って明智が白い布を脱ぐと、喪服のスーツが闇に溶け込む。それは葬儀から直接舟生邸に行き、そのままこの山荘まで来た結果だったが、普段は明るめのスーツを着る事が多かったことを思い出させた。
 「でも明智さん。このゲームのお陰で、こんな風に父を感じる事が出来るんです。きっと父は、次の一手を待っていると思いますよ」
 「……そう、ですね。すみません湊君。では次は一階に残っている客室に移動しましょう。あそこにはポスターが掛かっていましたからね」
 白い布が置かれると明かりが点いて、顔を上げた明智にもう翳りはなく、その方がらしいですよと湊は微笑んだ。
 「
――― では戻りますか、明智警視」
 いつもの表情に戻った明智に剣持も安堵すると、元来たアトリエの扉を開いた。