プロフィール No.6
宮田西中時代
部活動(女子バレー部奮闘記)No.4
新チームは、2年生2人・1年生3人で、チームが組めません。しかし、バレーをしたいという生徒がいて、うまくなりたいという意思があるのでそれには応えたいと思います。
夏休みは、5人揃って練習することがあまりなかったです。そこで、宮中に合同練習にいきました。宮中も2人しかいなくて、合同で試合にでられることを想定して、練習に励みました。それでもやっぱり活気がないことが多く、やる気をそがれることが多かったです。また、新人戦は、合同チームは認められないという決断が下って、半分試合に出ることはあきらめました。
9月になっても練習試合に行くことはなく、ただひたすら学校での練習。運動会の練習もあるなかで、生徒の方もバレーに集中できていませんでした。
10月になって、女子陸上部がバレー部の灯を消したくないということで、練習に参加するようになりました。これで、合計12名のチームとなり、新人戦のめども立ち練習に活気が出てきました。
そして、鞍手南中で新チームとして初の練習試合に臨みました。ローテーションとかも十分に理解していない生徒が4人入っての試合ですから、結果は分かっていましたが予想以上に動けません。6セットしましたが、1・2セット目はアッという間に終わった感じです。4セット目くらいから慣れてきて、相手に助けられたというのが本当のところでしょうが、セットをとりました。そこから、5・6セットもとって、うれしさ半分、悔しさ半分という練習試合になりました。まあ、今年はうちに限らず、バレーのレベルが下がったというのを実感しました。それでも生徒にとっては、新人戦に向けてやる気になれた練習試合でした。
その後、2回ほど練習試合をしましたが、少し実力のあるチームとすると、全く歯が立ちません。しかし、今は結果を重視するときではないし、我慢しかありません。やはり、追い込んだ練習をしていないので、いざというときに弱いです。無理が言えないのが辛いですね。
そして、11月9日、新人戦です。相手は、光陵中と直方一中と鞍手南中。できれば2勝、最低でも1セットということでやってきましたが、現実は甘くなかったですね。直方一中には何とか勝って、公式戦初勝利を手にすることはできましたが、2日目をかけて、またもや鞍手南中とです。期待はしていませんでしたが、相手も素人集団で、何が起こるか見当のつかない試合です。1セット目は、中盤までリードされていましたが、後半追いつき先に24対22であと1点というところまで来ました。もしかするとと思った瞬間、弱気で返した球を決められ、サーブで連続3点とられて24対26でセットを失いました。こうなると、2セット目はあっさりでした。
光陵中とは、試合になりません。自力では1点もとれることなく終わってしまいました。
まあ今のチーム状態では、1勝できたことを良しとするということで納得しました。
新人戦も終わり、9月当初より社会教育課の方で、三校リーグの替わりに宮田町親善バレー大会を開催をしたいので協力して欲しいという要請があり、この機会を利用して宮中との合同チーム作りを始めました。
学校が休みでもないのに合同チームの練習をするのは、それは大変でした。まず、どちらかの体育館に集まらなければならない。そして、練習後の生徒の送迎の問題。随分と親も含めて苦労しましたが、結構練習しました。12月末には田川の練習会にも参加して、試合にでる苦しさと喜びを味わいました。
新年が明けて、合同チームとしての練習にも熱を入れるときでしたが、やはりインフルエンザのために、6人揃っての練習がなかなかできませんでした。それでも、生徒は黙々とよく頑張ったと思います。ジプシークラブといわれながら、試合にでられることだけを励みに頑張りました。
2月9日、第1回宮田町中学校親善バレー大会の開催です。実行委員会形式をとって、その代表ということで名前が挙げられたことにはちょっとびっくりでした。
前2週間はインフルエンザで思うように練習できなかったことと、前日も2年生が捻挫するという状況の中では、多くのことは望まずにやるしかないと思いました。
第1試合は、若宮Bチーム。宮中生にとっては初の公式戦ということで、表情の硬いこと堅いこと、足が地に着いていませんでした。それでもセットをとると、2セット目も苦戦しながらもとることができました。
次の小竹中戦は、結果は見えているので思いっきりやるように指示するだけでした。ところが、相手の調子が悪い。うちの調子は最高にいい。23対23までいき、そのまま第1セットをとりました。この時は、選手も大喜びしていましたが、こちらも思わず笑みがこぼれる状態でした。
そのまま2セット目に流れ込んで一気にいくようにしましたが、やはり相手も実力を出してきて一進一退の状態で23対23までいきました。ここで、ベンチに欲がでたと思います。今にして思えば、冷静さをなくしていました。それが選手にも伝わったようでサーブミスからあっさり25点目をとられてしまいました。
3セット目も粘って23点までいきましたが、2セット目と同じ結果に終わりました。試合には負けたけど、悔いのない収穫のある試合でした。明日からの練習につながる日にできたと思います。
次の目標は、菜の花カップです。
2月末の専門部会で「菜の花カップ」のことが話されるので、期待していきました。ところが、「合同チームは今回遠慮してください。」という一言でした。期待していただけに、がっかり来ました。と同時に生徒に期待させていただけに申し訳ないと思いました。それにしても「まさか」という思いです。どこにも怒りをぶつけられなくて悔しかったです。
2月の宮田町試合の後、ママさんバレーの人との交流ができて、土曜日には練習相手に来ていただいていました。そのメンバーの人も怒ってくれて、少しだけ悔しさがおさまるとともに、次を目指していくことにしました。夜のママさんバレーの練習にも参加して生徒に刺激を与えることにしました。
3月になって、「菜の花カップ」に参加しませんかという電話があり、「いまさら」と言う気持ちはありましたが、生徒に聞いたところ、「是非参加したい。」という返事を聞いて、大人の意地は捨てて参加することにしました。
卒業式前ということで十分な練習はできなかったので、多くのことは望まず、合同チームとして最後の試合ということで、思いっきりプレーすることだけを指示しました。最初は堅かったけど、最後の試合は声も出て、バレーの試合らしかったです。
この合同チームは解散するけれど、あくまで夏の大会に向けての通過点にしては、体育館を行ったり来たりと苦労は多かったけど、よくやれたなあと思います。お互いに新年度に期待したいものです。
<2003年度>
新年度になって1年生が6人入部しました。さらに、2年生も1人陸上部から転部してきました。(6月から1年生がもう1人入部)これで総勢13人となり、急に活気が出てきて、やる気になりました。宮中の方も新入生が7人入部して、廃部にならなくてよかったです。
今年の新入生はやる気があって、春休み中から練習に来ていました。その中でも1人だけ身長は小さいけど小学校のジュニア経験のある子がいて、その子を入れたチーム作りを始めました。4月当初より今までいけなかった練習試合に出かけました。負けてばかりでしたが、試合が出きる喜びがありました。
5月になって、直方市親善バレー大会。初の公式戦です。初戦は植木中。5位のチームとの試合で当たって砕けろの状態でしたが、相手も調子が悪い。しかし、うちの方がもっと緊張して試合にならない。1セット目は楽に落としてしまい、がっかりしましたが2セット目を取り返しました。そして、3セット目もうちがリードして23対20までいき、勝ちを意識しました。ところがここから1人のサーブであっさり逆転負けです。終わってぼろくそに言いましたが、課題がたくさん見つかりました。
6月になって春の大会です。相手は、植木中と光陵中と直方三中です。くじを引いた時点でこれほどいいくじはないと思いました。
生徒にもそのことをいい含ませて、本番です。植木中とは、1セット目からお互いにバレーにならない試合です。どうにか強気に攻めさせて、このセットをとりました。2セット目は植木中が切れたようで、途中からは楽な試合となり、初の勝利です。


続いて光陵中。今までに攻撃して点は取れていないだけに、向かっていくように檄を飛ばしました。生徒は、今までになく向かっていく姿勢は見えました。それでもさすがに県大会出場はだてではなく、7点、12点しかとれませんでした。まあ、それでも形を作って点が取れるようになりました。
光陵中相手に、アタックをして点が取れたシーンは滅多にありません。貴重な場面を見たい方は、「ハイ」をクリックしてください。
「ハイ」
チームの力としては、差は大きい。しかし、素人のチームがここまでやれるようになったことを喜びたい。試合後の様子です。生徒なりには頑張れたという思いが表情に出ています。夏に向けて弾みになることでしょう。



ラストは直方三中。今まで練習試合で負けたことないので、あまり心配はしていませんでしたが、始まってみると意に反して1セット目から14対7とリードされてしまいました。弱気になる気持ちを奮い立たせるために大きな檄を飛ばしてもダメ。打つ手がなくなってきたところで、朝美のサーブが連続して入り、14対15と逆転。しかし安心はできません。それでも相手に助けられて、25対20でこのセットをとりました。2セット目は最初にリードしたけど、うちのサーブが入らない。相手も入らないので助かったけど、終わってみれば、25対22でした。ここまで点を取られたのは初めてでした。この試合に勝つと2日目に残れるという思いがあったようで、弱気になり普段しないミスを重ねて相手を生き返らせてしまいました。気持ちが弱いとつくづく思いました。
3年ぶりの2日目ですが、相手は小竹中。うちの実力ではとてもかなわない。10点がいいとこと思っていたら、7点、10点でした。点数よりも内容が悪い。要するに、2日目に闘う体力がないことが一番ダメ。夏までにこれを補うのは大変ですが、やるしかありません。5・6位決定戦では、鞍手南中。いつもサーブでやられていますが、1セット目は、今までのように声を張り上げての指示はしないで静かに見ました。20点までいけましたが、それが2セット目に持続できない。今までと同じ結果でした。
やはり3年生2人の力がない、気持ちが弱い。夏に向けて、さらに厳しい練習をしていくしかないな。
7月になり期末考査も終わって、いよいよ夏季大会に向けての最後の練習が始まりました。
部活動激励会での宣誓の様子ですが、3年生2人というのは何とも淋しいものがありました。
練習試合も後2回しかありません。ところが、2週間前というのに6人揃っての練習ができない。朝美が風邪で3日間も休むかと思うと、レシーブの要の1年生が足を捻挫し、セッターも突き指を悪化させ、菜緒も膝の炎症で十分に飛べないという具合で、さすがに気が滅入りました。
1週間前の練習試合が終わっても、チームの志気は上がらずこのままでは闘わずして負ける気がしました。かといってあきらめるわけにはいかないので、放課後を利用して3日連続で試合前日まで練習試合に出かけました。こんなことは初めてのことでしたが、チームのためになると思われることはすべてやって、後悔しないようにしました。
<7月19日>夏季大会初日
前日の夜は、明日の作戦を考えて床につきました。
6時前に起こされて家の外を見ると、なんと一面、湖状態です。車は水没しているし、水が床上にまで来ることを覚悟しなければならないほどの大雨です。
頭の中が真っ白になりました。すぐに大会委員長に電話すると、会場のところはそんなことになっていないので、試合はありますということでした。
キャプテンの家に電話して、朝の練習と車の手配をお願いして、教頭に連絡を取って急に監督をしていただくようにお願いしました。とにかく試合に出かけるどころではありません。さすがにまいりました。後は生徒の力を信じて待つしかないと決めました。
9時を過ぎた頃から雨も上がって、水の上昇も止まり少しずつ引き出しました。幸い我が家は、ぎりぎり床上手前でしたので、家族には申し訳なかったけど、自衛隊のボートに乗って脱出して、来れるところまでおやじに迎えに来てもらって、試合会場に向かいました。途中ものすごい渋滞でした。飯塚市内の被害も相当なものでしたが、宮田に入ると晴れ間も出ていて、雨が降ったのかなという感じでした。何ともやるせない気持ちになりました。
前の試合が長引いたので、第1試合に間に合いました。しかし、会場では会う人会う人から言葉をかけられるものだから、遅れた説明をしなければならなくて、試合を冷静に見るどころではありませんでした。
第1試合は、前回1位の鞍手北中との対戦です。力の差は歴然とある上に、自分の頭の中が試合をするという風になっていなくて、適切なアドバイスもできずに負けてしまいました。まあ直方三中よりも点が多く取れたことは望みが持てると思いました。
第2試合は、明日の決勝トーナメントをかけて直方三中です。練習試合では負けていないのですが、勝って当たり前の試合はやりにくいものです。相手も必死で来るし、春の大会のような試合はしたくないと思って今日までやってきましたが、この1週間のことを思うと不安材料も多い。練習量からすれば負けるわけはないと、生徒だけでなく自分にも言い聞かせて、ついつい弱気になりがちな生徒にハッパをかけました。しかし、いきなり朝美が膝が痛そうにしていて、やばいと思いましたが、「言い訳するな」と励まして試合開始です。
「普段通りに、3年生の2枚エースにつないで、3年生が打つ。うちはこれしかない。相手は、打たれるのが一番いやなのだから、強気で攻めろ。」ということを、繰り返し繰り返し、言い続けて送り出しました。緊張感が顔に出ていましたが、序盤から朝美のサーブで相手を崩して、菜緒も打ちまくり、朝美も膝の痛みなど微塵も見せることなく打ちまくり、2年生のサーブは連続して入るし、サーブカットもセッターに上がって、1セット目は西中のいいとこばかりで、25対13で、あっさりととりました。
しかし、2セット目に入る前の時間で気楽にしていたので、これは危ないと思い、「2セット目が勝負だ。気を抜かずに普段通りやれ。」を、繰り返しました。
2セット目は、最初から一進一退の状態が続きました。相手も必死です。3年生チームは、開き直ると強いので、ここで乗せないようにしなければならないのですが、サーブが1セット目のように入らない。連続して失敗する。苦戦を覚悟しました。しかし、いつもに増してつなぎのボールが、よくつながっていました。
今日は1セット目から横に教頭先生がおられて、大きな声で声援していただいたので、黙って戦況を見つめるということに徹することができていました。追いつかれても大丈夫と内心思っていました。そして、19対18までもつれましたがリードされることなく、最後はやはり練習量の差が出ました。20点を超えてから冷静に試合できたと思います。24点目を相手のサーブ失敗でもらって、25点目にエースにトスが上がった瞬間に、「よし」と思い、アタックが決まった瞬間に、思わずガッツポーズをしてしまいました。

25点目が決まって、試合に勝った瞬間
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3年ぶりの2日目が決まって、生徒も応援団も大喜びでしたが、私自身、ホッとしたと同時によくここまでやれたなあと思いました。自分にとってもホントにうれしかったですね。水害を押してきた甲斐がありました。
学校に帰ってからのミーティングの時、やはり朝美の膝は腫れていました。明日のメンバーをどうするかということを考えながら、家に帰って水害の後はどうなっているだろうかということも気になりながら、ミーティングを終わり急いで帰りました。
家の近くに来ると、水害のすごさをまざまざと見せつけられました。家財道具や畳などを出したり、家の周りや車の手入れをしている人ばかりでした。我が家は、車だけの被害にとどまりました。(その車が困るんですが。)
<7月20日>
一夜明けて、決勝トーナメントです。相手は小竹中。春の大会では、10点までしかとれていない相手です。さらに朝から、やはり朝美の腫れはひいていませんでした。無理はできないし、こういうこともあろうかと1年生を時々使っていたので、1年生を入れて練習しました。しかし、荷が重すぎでこれではチームになりません。
朝美と話して、いけるところまでいくことにしました。「勝てば筑豊大会。あきらめるな。」と、檄を飛ばして試合開始。
1セット目。序盤からサーブで点を取られるパターンが多いのですが、今日はいきなり4点連取しました。すぐに4点取り替えされましたが、そこから反撃して一進一退が続き、15対12になったところで相手が先に作戦タイムをとりました。今日は普段以上にボールがつながるし、ボールに対する集中力があり、ラリーをしてそれを点に結びつけています。気持ちがひいていません。こんなにいい試合は初めてです。
その後、さすがに力があるチームで18対20と逆転されました。それでも必死に声を出して、レシーブしてトスしてアタックして20対23になりましたが、ここで足が止まってしまい、第1セットが終わりました。


第2セットは、朝美の膝が気になりましたが、本人がいくというので、変えずにそのままいきました。いきなり1対7とリードされて、このまま切れてしまうのかと思いましたが、タイムの後、第1セットの勢いが戻ってきて、3点差まで追い上げてそのままゲームが進んでいきました。途中では、長いラリーがいくつかあり、それがとれる毎に、素人チームで負けてばかりだったけど追いついたなあとつくづく感じました。最終的には19点までいき、結局0対2で負けてしまいましたが、2セット連続して納得の試合を、最後の最後に見せてもらえて、とてもうれしかったです。
練習試合結果(公式戦含む)
試合を終えて、全員での昼食会です。これまでたくさんの保護者の協力のおかげで、ここまで来ることができました。
最初は5人しかいなくて試合に出られないチームが、夏の大会で決勝トーナメントに出場して納得の試合をしてくれたことで、この1年の苦労が報われた気がします。
負けたので悔しさは残りますが、思い返せば4月から本格的なチームとしての練習を開始して、アタッカーはいるけど、セッターがいない状況の中で、素人の2年生にそれを任せてのチーム作り。怪我をしていなくて元気のいいのは3人だけで、いつ何が起きても不思議でない状況でありながら、2週間前になってフォーメーションを変えたりと、生徒に無理を言いながらやってきました。練習量だけは負けたくないということで、昨年よりも体育館に行くことを優先して、一人顧問状態は辛かったですが、私も選手もよく頑張ったと思います。
新チームになってもこの状況は変わるどころか、さらに厳しい状況の方が多いわけですが、自分に負けることなく1・2年生が伝統を受け継いで欲しいと思います。
常に2日目に残っていないと分からないことがあるだけに、今年の成果をしっかり引き継ぐことによって、一つ上の壁を突き破ることを目標に練習をしていけば、次の段階が見えてきます。
また、明日から一から始まります。
第48回卒業生 お別れ会





今年もバレー部で頑張れたのは、この2人の卒業生のおかげでした。
夏の大会後、卒業式までには学校生活の中で、勉強面や友人関係のことで、まさかあんなにバレーでがんばってきたのにそんなことをするのかと腹の立つこともありました。
しかし、やっぱり3年間一緒にバレーをしてきて、この2人のことがかわいいし、気持ちの通じることも多かったことで、今日のように感動的な卒業式やお別れ会を迎えることができたと思います。とても心温まる気持ちのよい一日になりました。
記念の盾の中に込められた3年間の汗と涙の思い出が、これからの生き方に生かされるとうれしいですね。