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思い出したら日記
思い出したら書いていく気まぐれな日記
Last Update: 2005/09/25
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2001年までの事柄のみを記述しています
2001年以降の事柄は「KZY事件簿」に記述しています
3歳の時。私は家の神棚を見上げていた・・・そこに真鍮製の燈籠(とうろう)みたいモノがあって、それは電気のコードで下のコンセントでつながれていた。
私はなぜか、そのコードを引っ張った。
グイッ!
当然のごとく燈籠が落ちてきた。それが、私の額にザックリ。私は痛さのあまり、その場に倒れ、気絶・出血・・・近所のY病院へ・・・三針縫った。
未だに当時の傷跡が額に残ってる。
1986年頃、小2だった私はイワユル一つのゲームを考えた。
「ジャングルジムのてっぺんに4人が座る。そして、みんなでジャンケン。負けた人は一段下がる。そして、地面についた人から順につらい罰ゲームが課せられる。」
以上のようなモノを考えたが、2,3年後友達が「王様やろう」とか「命令やろう」と言った。私はなんのことかわからなかったので、尋ねるとどちらも先程の内容のゲームだった。
なんと、私の知らない所で名前がつけられていたのである。いや、もともとこのゲームが私が考案する以前に存在してたのかもしれない。
もしかして、このゲームが王様ゲームの原型?
小学4年生のときです。
家族と立山登山しました。
その帰り・・・足を滑らせて、体育座りの形で滑り落ちてった。すると目の前に大きな岩が!
「ごふっ!」ミゾオチに直撃!だけど痛くなかった・・・危なかったとです。
大学1年の冬、免許取って4ヶ月。
圧雪された呉羽山へ・・・
徐行してはいたが、ブレーキもハンドルも利かない状態に!
「ゴン!」ガードレールに衝突。もしこれがなかったら、転落だったね、間違いなく・・・
小学校6年生だったかな?道徳の時間。
その日は、市の教育委員会の見学とかなんとかで、授業を参観しておられる方々が10名ほど。クラスのみんなに緊張が走る。
静まりかえる中、「ぶっ・・・」という音。
誰かが”おなら”を・・・?
次の瞬間「○○君やろ?」と友達Aが後ろを振り返って一言。そう言われた友達Bは理解不能状態。
明らかに、友達Aがおならをしたことはクラスのみんなはわかっていた。よっぽど緊張して、なんとかごまかそうとしたんだね、きっと。
1999年5月頃、富山県の高岡の二上山に車で登ってった。その山はいわゆる「走り屋」のドリフトコースみたいなとこで、僕は別にそうゆうつもりじゃなかったけど、いつのまにかスピードを出してた。気づくと、登りなのに80Km/h出てて、且つ、雨が降り出していた。
雨が降り出した時の路面は非常に滑りやすい。
助手席に一人、後部座席に二人。いきなり急カーブが!「うわ!やば!」キキキキキキキッー!っと車が滑ってった。「ドーン!!」山肌に衝突。
・・・しかし、車は無傷。(謎
同乗者談・・・「崖に落ちる〜!」(助手席ZZZ君)。「ぶつかった時、めっちゃ痛かった。」(後ろ二人)
中学校2,3年のとき。
この日は天候が非常に悪かった。雷雨で風も強かった。
体育館には大抵、下の方に小さい窓があるよね。体育館で部活してたら、その窓から光が差し込んだ。と同時に「バシーッ」っていうものすごい音が!
雷がどこかに落ちたらしい。しかも近くだ。
そして、その帰り体育館の横の杉の木を見ると、木の皮がめくれてた。なんと、その杉の木に落ちてた!ちょっとずれて、体育館に落ちてたら、やばっかたんじゃねーの?
高校の部活で。
飛び込み用の台から、飛び降りることになった。高さは5m。下から見るのと、実際の高さから見るのでは全く違う。しかも、下が水だから遠近感がわからない。かなり、おそろしい。
だが、思い切って跳んだ!なぜか、落ちてる時間が長く感じられた。飛び降り自殺って、こんな感じなんだろうなぁ・・・
でも、さらに上の10mから飛び降りる飛び込みの選手は一体何者?なかなかのつはものでござるな・・・
高校3年、インハイ予選3日前。
ここにきて、急に左肩に激痛が・・・。学校を遅刻にして病院で見てもらうと、「スイマーズ・ショルダー」とのこと。
つまり、肩の腱がすれて肩が上がらないのだ。40肩に似た症状。
幸い、右利きなので、ボールを投げることはできるのだが、速く泳ぐことができない。
急遽、痛み止めの注射を打ってもらい、痛みは消えたがその効果がいつまで持つかわからない。座薬をもらって試合前日に○○した。
痛み止めってドーピングになるのかな?
自分は、眠いときは特に機嫌が悪い。かつ、低血圧ぎみに頭が「ぼぉー」っとする。
あるとき、ひどく眠くて居間で眠ってしまった。数時間後、ふと意識が戻るとなぜか階段を昇ろうとしていた。
これには、ビックリ!
やばいよ・・・夢遊病?そんなことはない。眠いときに発現する、自分も知らない人格??
ただ、寝ぼけてただけだとは思うけど・・・
台風の日。
買い物をして帰ってくると、物置小屋の屋根が「バタン、バタン」と揺れていた。
次の瞬間、風で屋根が吹っ飛んで行った。
「お〜ぃ・・・」。
中学生の頃?
学校から家に帰る途中のこと。夕方ぐらいで、空がまだほんのりと明るかった。
ふと、西の空を見ると光が一つ、北から南に動いていた。普通なら「飛行機かな?」と思うのだが、いつも飛行機が通る場所じゃない。だから「セスナかな?」と思った。
しかし、次の瞬間その光の後ろから光が徐々に増えだした。「あれれ??」と思いつつ、ずっと眺めていた。もしかして「UFO?」いや、単調な動きだからそれはないだろう・・・。
しばらく見ているうちに、「最初の光を後ろの三つの光が追跡している?」と思うようになってきた。
何しろ、不思議な感じがした。見てはならないものを見てしまったのか・・・?消されるかも・・・ワタクシ。
小学生2年の冬。この日は昨日からの大雪で道路が圧雪状態になってた。
学校へ登校するときにこのトゥルットゥルの道路を右側通行で歩いていたら、車が来て、自分のランドセルに「ドカン」。
おそらく、サイドミラーに当たったのだろう・・・。
車にコスられました。チャンチャン♪
小学生4年の避難訓練の日。
その日の朝、担任の先生が「今日の4限に避難訓練があります。で、そのときみんなは並んでグラウンドに行くんだけど、KZY君は教室に残ってなさい。それと、これを首から掛けて・・・」
と、手渡されたものがボール紙。そこには「逃げ遅れた人」と書いてあった。
(はぅあっ!まじっすか??)
はい、避難訓練が始まりました。だけど、自分は一人だけ教室に取り残されたまま・・・ぉぃぉぃ。
20分後ぐらいに先生が迎えに来て、「早く行こうか」と・・・。(アンタが残したんでしょ?)
そして、一人で遅れてグラウンドに・・・しかも首から変なボール紙。なんか、悪いことしたような雰囲気を感じた。俺は無実なんです、ハメられたんです・・・。
小学校二年生の夏。
児童クラブで立山登山が決定していた、前の日。
朝のラヂオ体操のときに、神社で体操していると足に激痛。ビンのかけらが足に刺さっていた。血がドバドバ出て、どこかのおっちゃんにおんぶされて帰宅。すぐに応急処置して(といっても、それだけで手当て終了)、包帯ぐるんぐるん巻いた。
この足じゃ翌日の立山登山は無理だろうと言われていたが、無理を押して出動。(涙)
みなさん、ゴミはきちんとゴミ箱に捨てましょう。
あれは、高校3年生のとき。
部活が始まる前に、部室(?兼プールの更衣室風)で待機していると、後輩が「KZYさん、外で人が腕から血を流して倒れています!」。
((・ω・)(。 。)(・ω・)(。 。)うんうん、そうかそうか・・・え!?)「何!?」。
ホントに倒れていらっしゃるぅぅぅ。
★ここから推理↓
この倒れている男性は近くのコンビニでお酒を買い、片手に酒の入った袋を持ちながら自転車を運転。横断歩道を渡って車道から歩道に行こうとしたときに、車道と歩道の間の段差に前輪を引っ掛けてしまい、転倒。その際に、酒瓶が割れ、右腕に刺さり出血。
★推理終わり
う〜ん、我ながら見事な推理でござる。よかったよかった・・・。
・・・ではなく、その後私は止血点である脇の下(確かそうだったような・・・未だ確認してない)を押さえるように後輩に指示。そして、腕を心臓より上に挙げさせ、救急車を呼ぶように指示。自分でも驚くほど、落ち着いていた。
その後、その人はどうなったかは知らない。
欲を言うなら、私達が高校生ということがわかるはずだから、高校にお礼の電話ぐらい欲しかったなぁ。
高校1年の春(3月)。
試合で東京の赤坂に宿を取ってた。
そのころ、オ○ム真理教の摘発が盛んで、かなり緊迫した状態・・・。
宿でTVを見てると、「幹部の○○が昨日、赤坂のビルで逮捕されました」と報道。
ぉぃぉぃ・・・すぐそこじゃねーかよ〜
高校生のとき、電車通学でした。その距離、2駅。
○第1話
リュックを片肩に背負って、ドア越しに乗車して立っていたときのこと。
途中で、重大なことに気づいた。
リュックの片方の肩帯びがドアに挟まっている!!
しかも、降りる駅までに自分のいる方のドアは開かない・・・。一駅乗り越して、次の駅でもそのドアが開く保証がない。
仕方ないので、車掌さんに頼んで、非常用ドアコックであけてもらった。
かなり、恥ずかしかった。
○第2話
部活の先輩と帰宅路の電車の中で。
またしても、ドア越しに立ってたのだが、どこからともなく「プシューッ!」って音がしていた。「まあ、よくある電車の音だな」と思いつつ、全く気にしていなかった。
すると、先輩が「おまえの足元、濡れてるぞ」と言われ、慌ててその場を退いた。
その濡れていた原因は、消火器らしい。自分のリュックが消火器に当たって、消火器の栓が緩んだらしい。消火器はノズルを下に向けたまま、中身を勢いよく噴射していた。
幸いにも、煙にはならなかったのだが、どこかの女子高生が「誰〜、こんなとこでおもらししたの!?」と。
違うっす。漏らしてないっす。許してください。ばれてなかったから、よかった。
駅員さん、ごめんなさい。
○第3話
またまた、部活の帰宅路。
ひどく疲れていたので、電車の中で寝てしまった。
ぱっと目がさめると、自分の降りる駅だった。慌てて、降りたのだがポケットの中に手をやっても定期がない。あれっと思いつつ、電車の中を覗くと、座席の上に定期が。
戻ろうとした瞬間、電車のドアが閉まり動きだしてしまった。
乗っている人に窓越しに声を掛けて、中のおっちゃんが気づいてくれて、窓から渡してもらった。なんとか、助かったっす。
この状況を替え歌にしてみた。
-「なごり雪」より-
動き始めた電車の窓に顔を付けて
僕は何か言おうとしている〜
僕の唇が「定期を」と動くことが
発車ベルの音で消えた〜
なのに苦にもそのことを知り
眠りすぎた電車の後で〜
今恥ずかしくて僕は赤くなった〜
小さい頃、2度同じ夢を見た。
将棋倒しってあるよね?
将棋の駒が順に倒れていくヤツ。
あれが、夢の中で順に倒れていくんだよ。
当然だけど。
それが、必ず20番目で止まっちゃうんだ。
これの意味することって
「20歳で死ぬ」
「20世紀で終わり」
だと思って、心配してた。
でも何にも起こらなかった。
そんなもんか・・・。
大学1年のとき。
中学生の水球コーチとして、プールにいたときのこと。
高校生のマネージャーが「KZYさん、ちょと来てください」と言うので、行ってみると見たことのない青年が。
ここは、水球選手限定のプールだったので、普通の人は泳いではならないプールなのだが、青年の話を聞くとプロ野球入団テストを受けに来たらしい。
確かに、富山にはアルペンスタジアムという野球場(プロ野球の試合もある)があるが、見当違いでしょ!!
富山にプロ野球チームはないし。
自分じゃ話にならないので、高校の先生に代わってもらうと、青年は家出してきたらしく、泊めて欲しいとまで言う。先生は、家に連絡するよう諭し、当然泊められないと断っていた。
かなりの野球ウマシカだね。
高校生のとき、プールの更衣室で裸足で歩いていると、
「ビビビビビビビビビビー」
と音がしたのと同時に何かを踏んだ感じがした。
足元を見てみると、蜂がいた。
足の裏を見ると、針がヒクヒク・・・。
ちょいと痛かったねぇ・・・。
小学生の時。
友達と、「自分はこんなラッキーなことがあったよ」と、話していた。
友達も負けじと話ていると、友達が「あっ!」と言った。
「え!どうしたの?」と聞くと、100円を拾ったらしい。
小学生の100円は大きい!
こんなことも、あるんだね〜
中学校のときには「○△級」という、ちょっと知能障害の生徒を対象にした教室があった。
中学生1年のときに、その級の3年生の中にはAさんという、よく叫ぶ人がいた。このAさんが、ベランダなどで叫び出すと、職員室から先生がぞろぞろ出てくるのだ。そして、一人の先生が止めに入る。
こんな状況だった当時、部活動中に友達が冗談で叫び出したから大変。別にAさんの真似をしたわけじゃないけど、職員室から先生が出てきてしまった。
「おい、やばいよ。先生出てきたよ。」
お騒がせしました。
小学校のときの体育の時間のこと。
その日はバスケットボールでした。
現在もなんですが、バスケはあまり得意ではないので、シュートも目茶目茶でした。
ゲームの中で、ゴールの右側に追い込まれてしまいました。周りには味方もいないし、ディフェンスに囲まれてしまったので、苦し紛れにシュートしました。
とはいっても、ゴールに背を向けたままで、頭の上から救い上げるように・・・適当だったのです。
すると、歓声が「おお〜!!」っと。
入ってたんです!
これには、ビックリでした。
小学校低学年のとき。
ある日下校しているとき、私は友達M君にいぢめられていました。私は腹がたったので、一人でさっさと帰っていきました。でも、どうしても気が治まらなかったので、半べそかきながら小石をM君に向かって投げました。でも、30mぐらいあったんです。当然、当たるとは思ってなかったんです。しばらくして、M君とN君がすごい形相でこっちに向かってきました。よくみると、腕から血がでていました。どうやら、小石が当たったらしいのです。
そこへ、上級生が来て「おまえら、やめろよ」といって治めてくれました。
そのときの上級生も素晴らしかったですね。
その後、M君はいぢめなくなり普通の友達となりました。逆に私が、からかったりしてたぐらいです。
あのときの血は、本当に私が投げた小石が原因なのかは未だ聞いていません。が、そのとき何か見えない力が働いたような気がします。
これは、嘘のような本当の話。
中学生1年のとき。
同じクラスで部活動も一緒の友達が2人いた。我ら3人は、あるとき「俺らってなんか3年間ずっと一緒のクラスになりそうな気がする」と話ていた。すると、「あ、俺もそう思う・・・」と同じことを感じていた。これは、話をあわせたわけではなく、本当に心から強くそう感じていた。確信に近いといっても過言ではなかった。
そして2年、3年と進級すると、やはり3人は一緒のクラスになった。自分はこのことに関して、何の不思議も感じていなかった。そうなると思っていたから・・・。
クラスはずっと一緒ではあったが、実際の我らの心は一緒ではなくなっていた。
2年になったとき、片方の友人Aと仲違いをしてしまった。仲直りをするつもりだったが、そのきっかけの言葉が他人の言葉により流れてしまい、声が届かなかった。それ以来、口をきかなくなってしまった。人間的には、嫌いではなかったのだが、仲違いの原因が相手側にあったので、自分としてはただ謝って欲しかっただけなのに・・・。しかし、それはムヅカシイ年頃。これから、先ずっと無視することになる。
その後、もう一方の友人Bとは仲良くしていたのだが、その友人Bも友人Aと口をきかなくなっていることに自分は気付いた。この段階で2対1となってしまった。
そして、2年の冬、友人Bとも口をきかなくなった。こちらが、話かけても相手にされなかった。彼が怒っている原因は定かではないが、ひとつだけ思い当たる節がある・・・。
と、まぁ3人はそれぞれバラバラになってしまったのである。だから、3年生のときはかなりつらかった・・・。
小学校4年生のときのクラスの女の子の話。
その日は、教室で誰かがフリスビーごっこしていた。
しかも下敷きで・・・(危ないから、よいこのみんなはマネしないでね)。
その女の子が、左手で後ろ髪をかきあげた瞬間、その手に下敷きが挟まった!
というより、その子の後ろから飛んできた下敷きを背面キャッチした!?
これは、すごい!!!
それだけでなく、その日の道徳の時間。
隣の席だったので、さっきのことについて「すごいなぁ〜」とか「超能力あるんじゃないの?」と話していた。その子も調子にのって「そうだよ♪じゃぁ、今日の道徳の時間はどのページの話をするか当ててあげようか?」と言って、ページを指した。
で、授業が始まって先生が指定したページは・・・
その子が指定したページだった。
この日はビックリし過ぎたね。
TV番組を見てたときのこと。
その番組は笑福亭鶴瓶さんと立川志の輔さんが司会をしていて、ゲストや司会者の昔の出来事について関係のある場所を訪ねるというもの(だったような気がする)。
そこで、志の輔さんが「自分は高校生のときに万葉線の電車に引かれた」と言って、高岡の万葉線を訪ねていった。
当時の事故記録では、「高校生が突然線路上に飛び出し、万葉線の電車に引かれた」とあった。志の輔さん本人もそれを認めていて、その時はかなり急いでいて、慌てて飛び出したらしい。
次のフレーズで、当時の車掌さんが出てきてビックリ!
隣の家の人だった。
またまた、他人の話。
友人A君の、人生ゲームをやっていたときの話。
あまりにも儲かりすぎて、笑いが止まらず
「あはははははは」と腹を抱えて頭を下げた瞬間、人生ゲームのボードの上の家の屋根におでこが刺さったらしい・・・。
5針縫ったそうな。
幼い頃の話。
家の向かいには、養鶏所の跡地があった。
当時はまだ小屋が2棟残っていて、あるときには、すでに1棟潰れてた。
「あれ?いつのまに無くなったんだろう・・・」と。
ある冬の日、家の中から何気なく残りの1棟を見ていると「ずささささーっ」と潰れてしまった。きっと雪の重みで潰れたのだろう。
その瞬間を見て、寂しい気持ちと嬉しい気持ちが入り混じっていた。
その後、跡地を歩いていると鶏の骨らしきものが、たくさん落ちていたことを覚えている。今は、もうありません。
小学6年生のとき、驚愕的なニュースが舞い込んだ。
T美が、資料室の壁をドリルで穴を開けたんだと。
どんな小学生だ・・・。
小学生のとき。
学校へ通学するときに、必ずといっていいほど目撃するおばさんがいた。
その人には、子供が4人いて幼稚園に送っていくのだ。
しかも、自転車で!
サドルの後ろに、2人、籠に1人、ハンドルに1人。
おぞましい光景だ・・・。
そして、自然とついたあだ名が「鬼ババ」。
今も元気ですか?
皆さん周知の通り、1995年1月17日午前5時46分、あの阪神大震災が起こった。
私は、前々日からの風邪で学校を休んでいた。
それなのに、こたつの中で寝ている始末・・・。
その日、私は5時45分に起きた。
この時間に起きると、大抵”二度寝”してしまうのだが、その日に限って何か胸騒ぎを感じて(マジで)テレビを点けてみた。
しばらくすると、テレビ画面がパッと変り、どこかのニュースセンターが映った。
「先程、兵庫県を中心に大きな地震がありました。繰り返します・・・」
え!!
嘘・・・。
ああ〜今日も学校休もう・・・。
小学校4年生のとき。
何ジャンボかは忘れたが、親が買った宝くじが当たった。
でもこれは、見逃していたかもしれないのだ。
というのは・・・
私が親に、
「宝くじ当たっとったけ?」
「なぁ〜ん、当たっとらん」
「ちょぅ、見せられま」
・・・あれれ?
当たってるぅぅぅぅぅ♪
¥100,000
「当たっとんねか!」
「ホントけ?」
「ほぅら」
「♪♪♪♪♪」
ということで、私が見つけたので5000円分頂き♪
確か、「ファミスタ’90」を買ったような気がする。
10万のほうは、ビデオデッキを購入。当時はまだ高かった。
(一部、富山弁でお送りしました。)
大学2年の時。
何気に買った、年末ジャンボ宝くじ。
30枚購入。
1月1日の新聞を見て、照らし合わせるとメインは当たってない。
しかし、最後の欄に「お年玉ラッキーナンバー(?)」というもので、
¥50,000
これは、半月後の成人式での呑み会(寿司・鍋)に消えた。
幼稚園児か小学生の頃。
母親の自転車の後ろに乗せられて、夜道を散歩していたときのこと。
母親は夜道を運転しているにも関わらず、ライトを灯火していなかった。
そして突然、体の自由が奪われた。
気が付いて時には、自分は用水のトンネルの上にしがみついていた。母親は、用水に落ちていた。なぜ、自分だけが、しがみついていたのかは不明。
いつのまにか、知らないおっさんがいて、助けてくれた。それも夜の暗闇でどうやって発見したのかも謎である。よくわからないまま、家に帰った。
後日、自分達が落ちた用水のトンネルの上にガードレールが設置されていた。
小学生のとき。
友人と二人で、スイミングスクールに向かっている途中の話。
その日は、送迎バスに乗り遅れて歩いていったのです。
プールにほど近くなったころ、ある工場の正門前に犬の白骨死体がありました。
二人はとりあえず、拝んどきました。
小学4年生のときの宿泊学習(地方によっては林間学校とか呼ぶアレ)のとき。
施設の庭に大きな池があり、その端にターザンごっこをするためのロープがぶら下がっていた。
みんな、順にぶらさがって遊んだ。
ある女の子の番になったのだが、かなり横幅のある子だった。
この子がロープにぶら下がって池に向かって跳んだと思ったら、自分の体重を腕で支えられなくて、ズルズルと下がってきてしまった。
池に飛んでいってはしなかったが、体半分が池に浸かってしまった。
自分ではもう、這い上がれないし、先生も助けようにも池の中で、助けにいけない。
2〜3分は、下半身が池に捕まって微動だにしない状況だった。
先生も諦めたのか(?)、池に入り、助けに行ったのだが、重いので苦労していた。
いや〜自分ではどうしようもできないことって、あるよな・・・
小学生の時。
親戚の地区の祭りがあって、親戚の家に泊まりに行ったときのこと。
従兄弟が轢き逃げにあってしまった。
祭りなのに可愛そうだったし、犯人は逃亡・・・。
ケガは足の骨折だけで、大事には至らずに済んでよかった。
それ以来、轢き逃げにあった小道では、足の形と「とまれ」の文字が路面に描かれた。
小学生低学年の時。
学校の帰り道、友人と歩いていた。
後ろから「ドンドン・・・」と聞こえてくる・・・。
と思った矢先に、「イエ〜イ!」叫び、と車の窓から僕らにピースサインを出しながら、過ぎ去っていった・・・。
かなりノリノリのねぇちゃん達だった。
今思えば、あれは赤のアルトワークスだったのか・・・?
そんなような車だった。
小学生6年生の時。
少年野球の監督の解散の挨拶を聞いているときに、目の前が緑色に暗くなってきて、聞こえてくる声もなにやら「耳に紙コップを当てている」ような感じで聞こえてきた。
もう、何を言っているのかもわからなくフラフラしていた。
所謂、貧血状態である。
その後、お腹が痛くなることがしばしばあり、病院で診てもらうことになった。
診断結果は「ヘルニア」。
といっても、よく聞く「椎間板ヘルニア」ではなく、「脱腸」の一種らしい。
手術のために1週間入院した。
そのときの跡が残っていたが、25歳くらいから消えていったような気がする。