はじめに
日本における公私分離の原則は、GHQの指導の下、当時の厚生省が作成したものであり、社会福祉事業法は、その結実でもあるといえる。そうした視点から、社会福祉事業法の成立に到るまでの経緯を中心に論述し、その中における措置制度、社会福祉法人について述べる。

A.戦後社会福祉の形成について
我が国の戦後の福祉改革は、ニューディール救済体制を経験したGHQから見ると、戦前の我が国の救済体制は、軍人を優遇して軍国主義化に寄与するとともに、国民に対する政府の救済責任を曖昧にした恩恵的・慈恵的なものであり、国民が行政を監視するという民主政治を阻害しているものと映り、非軍事化・民主化政策とは相容れないものと考えられたのである。
そのため、我が国を支えてきた軍国主義や国家神道や超国家主義思想の政治的影響力を除去し、軍人優遇や財閥優遇を排することを目的に進められた。この目的の下に、「恩給制度」や「軍事扶助法」などの軍人優遇制度の廃止や見直しが求められ、また、従来救済制度の対象とされなかった「失業者」や「引揚者」をも対象とするため、「無差別平等」の原則に基づいて救済を行うことが求められた。
また、戦前から行われてきた各種の社会事業のうち、特に戦前及び戦時下に制度化された児童及び身体障害者対策を再編する一方、他の多くの社会的弱者に対する救済・保護的サービスを生活保護事業として制度化し、それをいわゆる福祉三法として法制化し、社会事業の政策範囲を明確化する。このように我が国における社会福祉の政策化はまず戦後の国民の生存権保障のための一手段として位置づけることからはじまる。

B.社会福祉事業法の成立とその内容
昭和26年3月法律第45号をもって公布された社会福祉事業法は、占領軍当局もまた日本厚生行政当局にとっても、占領期の経験の総括のような形で成立した。
社会事業法は昭和21年10月の民間団体に対する公基金援助のストップなどで死文化した。国家責任や民間機関の国家責任代替の限定、さらに公私分離は占領社会事業の基本政策であった。特に憲法89条により、戦後民間社会事業は徹底的に打撃をうけた。

社会福祉事業法成立の直接の契機になったのは、昭和24年11月29日のPHWの「1950年から51年までの福祉の主要目標に関する厚生省職員との会議」である。この会議で六項目提案が中心議題となった。

六項目提案とは
1.厚生行政地区制度、
2.市厚生行政の再組織、
3.厚生省により行われる助言的措置及び実施事務、
4.公私社会事業の責任と分野の明確化、
5.社会福祉協議会の設置、
6.有給専任吏員の現任訓練の実施である。

法の理念
1.社会福祉の種類を対象に対する影響を見て第一種および第二種に区別したこと。
2.社会福祉事業の主旨を援護・育成または更生の処置においたこと。
3.社会福祉主事制度の確立と査察及び現任訓練の制度を設けて職員の資質の向上を図ったこと。
4.社会福祉法人の制度を設けて公共性を高めたこと。
5.福祉事務所を置いて公的扶助行政の経済的合理化を図り福祉三法などの施行に関する現業行政機関としたこと。
6.共同募金と社会福祉協議会の表裏一体関係を規定したこと。である。

問題点
理念的定義が困難なため、概括主義をとらず列挙主義をとったのは社会事業法と同じである。
第2条の「定義」で第一種・第二種に区分し、第一種は国としても重大がある事業で、原則として経営主体は国・地方公共団体または社会福祉法人に限った。列挙主義によったので適用除外を設けたのもの社会事業法と同じである。除外したのは対象者のニーズや歴史的伝統、あるいは社会福祉理念や人権的価値からではなく、法の施行上の便宜であったから、更生緊急保護法のように歴史的に社会事業の範囲にあったものや、小規模の故にかえって福祉処遇に適当なものも外されている。

C.社会福祉法人と措置制度について
社会福祉法人について

背景として、それまでの社会福祉事業の実践(経営)主体としての公私の社会福祉(事業)を政策的に組み入れるためには、その事業の設置・運営主体を明確化し、許可制を導入する一方、これに対する公の指導監査を可能にする途を切り開いた。

措置制度について
このような社会福祉の経営主体を政策的に組み入れる場合に、財政面からのコントロールが必要である。それが措置および措置委託制度である。
措置とは、社会福祉行政に置ける対象者処遇に関するものであり、措置委託制度とは、その措置を民間社会福祉事業へ委託することを意味している。もともとこの措置委託制度は、憲法89条の「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のために、又は公の支配に属しない慈善、教育もしくは博愛の事業に対し、これを支出し、または利用に供してはならない」という規定を逃れるために考えられたものであるとされているが、その点はともかく、この措置委託制を通して、社会福祉の実践現場において大きな役割を果たしてきた民間社会事業に対して、公の費用の支出を正当化したのであった。そしてこの措置制度を通して同時に社会福祉の実践過程を政策的に組み入れることを財政の面から可能にしていったのである。このようにして、社会福祉の充実と確保について建前は国としながらも、実際的には社会福祉の様々な実践領域を国の制度に組み入れるという形で制度化が行われたのである。

社会福祉事業法における社会福祉法人と措置制度の規定について
社会福祉事業法において、公私分離の原則により、第5条で社会福祉事業経営上の責任明確化のため「事業経営の準則」を出している。
GHQの当初からの方針であった無差別平等の原則は生活保護法の全面的改正で、公私分離の原則は社会福祉事業法によってその仕上げが行われた。
要は無差別平等の公的責任と、画一的・固定的サービスでない民間の事業経営の準則を定めたものであった。

ところで第5条2項で措置委託を認めたことに批判がある。木村忠二郎は経営は別として、措置委託は「サービスを買い入れるだけである」と割り切っている。岸野駿太は、法は経営委託は厳密にいえば第5条などに反するが、現実問題として委託先・委託料・委託契約の内容が適性で、責任転嫁のおそれがない場合、例外的に委託を認めているとしている。これに対し右田紀久恵は措置委託の場合は、一方的予算と利用者の生存権保障をしていない最も低い委託条件で責任転換をし、経営委託の場合は社会事業団などで実質的責任転嫁をしていると批判している。民間社会事業に被保護者の収容その他の措置を委託し、施設長は正当な事由が無い限りその措置を拒否できないとしておきながら、その独立性の名の下に財政的援助を受けることを慎ませるのは、実質的な責任転嫁ということになろう。
公私分離は確かに戦後社会事業近代化の道標の一つである。しかし、現実問題として社会福祉事業法第56条などの社会事業経営へ公金支出をしているのは、憲法89条に抵触するのでないかという疑問がある。それを巡って違憲説・合憲説がある。前者の厳密な解釈に対し、後者は現実的・実効的解釈である。

終わりに
日本の社会福祉は、敗戦国であり、軍国主義から平和主義への転換、天皇制や宗教に対する社会事業の偏重から公共性を強調したものとなっている。これは、アメリカ的な福祉の導入というよりも、抑止力としての当時のGHQなどの戦略(もっとも欧米的社会事業近代化の民主化や国家責任など、核心としてのエッセンスが含まれている)が働いていた面もあると思われる。しかしながら、社会政策的に考えると、社会資源の欠乏が社会不安を増大させるという観点に立てば、既存の民間福祉施設などを活用せざるを得ず、GHQなどの戦略と当時の厚生省の取り組みの中からどのように民間福祉施設を取り込むかという答えが、社会福祉法人の設立であり、措置委託制度であったといえる。
このように日本的な特質として、こうした公共的性格が強いこと、財源が措置制度であり、様々な捉え方があるが、中央集権的であったことなどが挙げられる。

参考文献
配本された書籍の他
『現代日本社会事業史研究』(吉田久一,川島書店,1990)
『現代福祉学の構図』(京極高宣,中央法規出版,1990)
参考にしたサイト
立教大学坂田研究室
梶藤修論第1章
東京都福祉局ホームページ
現代社会福祉の方法など
『現代日本社会事業史研究』〜トップをクリックすると迷うので注意
断片〜措置費や社会福祉法人について

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