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No.176 -- No.200

 

 
 176 98.6.13 miyamo その8:第6回サマーピクニック
1986年、miyamoは就職して大阪にやってきた。
大阪じゃぁコンサートがいっぱいある。外タレさんもいっぱいやってくる。楽しみだねぇ。
最初に行ったのは、大阪城ホール、甲斐バンドの解散コンサート。
それから、ニューミュージック、ロック、クラシックとほぼ毎月コンサートに行けて嬉しかった。
ただ人気のチケットの入手はむずかしい。1回だけ、ビリージョエルの最前列をゲット。
電話予約だったんだけど、チケット取りに行った時、チケットぴあのおねえさんもビックリしてた。

会社は、大阪の桜島というところにあって、豊中(曽根)の寮から通ってました。
途中、JRの環状線で福島と野田を経由して桜島へ(へんなの)。今(1998年)はこんど桜島にユニバーサルスタジオが出来るので、ドームのある大正区に移転してます。

サマーピクニックだすが、入社当時は、まだ慣れてなくて、上司にまとめて夏休みをもらう勇気がなくて、とうとう前日の金曜日になってようやく出発。
就職1年目は、まだ貧乏だったので相も変わらず、「青春18きっぷ」でした。
途中何処に泊まったのかなぁ。博多の友達のところかなぁ。
記憶が定かじゃない。ウ〜ム、だいぶ脳が老化してきおった。

そして、土曜日の朝、西鉄電車(?)で恋の浦へ。そう、この年も会場は恋の浦でこれが最後。
これまでのサマーピクニックでは、会場の中程かそれより少し前あたりにシートを広げてたんだけど、
今回は、会場の後ろの方で見てました。積極的に参加するっていうより、見守るって感じ。
正やんの「あの唄はもう唄わないのですか」の心境。
miyamoにとっては、もう5回目で、なんとなくマンネリ化してきて、昔のような感動を味わうことが出来なくなってきた。
でも、だんだん夜が明けてきて、ラストの「あの日の空よ」では、大声で唄ったなぁ。
なんだか、少し淋しい気がした1986年でした。
名物の花火は会場の後ろの方から上がって、間近で見られて、とっても綺麗だった。

第6回サマーピクニックのゲストは、ハイ・ファイ・セット、ゼロスペクター、BOOWY、ラフ&レディ、下田逸郎、かまやつひろし、小堺一機、そしてメインがちー様こと松山千春。

余った「青春18きっぷ」で紀伊半島を1周して夏が終わったのさ。
<では、また来週>

 
 177 98.6.15 すだりん サマピ第6回
miyamoさん、長期連載ご苦労さまどす。
ボクがサマピに唯一参加した第6回がやってきました。
仕事の関係でそれまでは行けませんでしたが、こうせつファンとしては1度は行っておかないと・・・。
その思いで、ゲストの松山千春が出演するのを誘い文句に、彼女を誘いました。
会社には、先輩にだけ事情を説明して休みを3日(だったと思う)もらいました。
実は、その時は印刷・製本が出来上がって配送する作業で、わがセクションはてんやわんやだったんです。

そこは、それまでのまじめな勤務態度が功を奏して、その先輩が上司にもうまく話してくれたのです。
(本当は、休みなしで働いていたため、休日取得を迫られていたというラッキーな面もあった)

ずいぶん前から広島発のツアー予約を入れていたんすよ。
前日の8月1日夜に、仕事を終えてから彼女を拾って、愛車・ホンダ・シティで広島に。
深夜にホテル入りして、翌日、相当な数のファンが乗るだろうな、と思いながらツアーの下電バスを待ち受けたが、 20数人乗りの中型バスだったのを憶えていますよ。
僕らを載せたバスは、一路、福岡へ---。

夕方、何時だったろうか? バスを降りて仕出し弁当を手渡され、長い長い、緩やかな坂道を上っていきました。
高台から見る海が、真っ青できれいだったなぁ。
広かったですねぇ。夜店が出て、まさにお祭り気分。
そこで、最大の失敗は、売店でビールをおいていなかったことでした。
周りを見ると、クーラーボックスにビールを入れていたんですよ、みんな。
酒が切れると、生きていけない? ボクは、探しました。
あった、あった。ノンアルコールのビールが・・・。
仕方なく、それを数本飲み干して、何となく酔っぱらった気分になった。
でも、失敗だった。どんなに、横の人にわけてもらおうと思ったことか・・・。
今度、行くときは絶対にクーラーボックスだ、なんて決意しました。

いよいよ、コンサートが始まったのですが、何しろ、後ろの方でステージは豆粒にしか見えず、曲はほとんど憶えていません。
小堺一機さんのトークは記憶にあります。
こうせつさんのMCは、「まだまだ、お客さんは入っています」「さきほど2万人を突破しました」という言葉だったと思います。

そして、千春が出る頃には、彼女は眠ってしまいました。
ボクも、横になったら寝てしまった。

気が付いたら、もうラストに近かったですね。
それから、薄曇りの空が白み始めて、朝日がのぞいてきました。
本当に、あの日の空ですね。
大学時代によくバイトなどで夜更かししていましたが、いいですよね。
あの雰囲気を忘れられません。
最後の10回目にはクーラーボックスを持って行く決意でしたが、どうしても仕事があって断念。

でも、我が子には自慢しています(何を?)。
「お父さんとお母さんはこうせつのオールナイトコンサートに一回だけ行ったんだよ。いいだろう」

結婚は反対されました。いろいろありましたが、結局、彼女とゴールインできました。
ありがとー。こうせつさん。
あのときの上司には、帰ってから赤ちょうちんで飲みながら、コンサートに行ったことを話しました。
もちろん、その時は友達ということしか言っていません。
でも、「オールナイトコンサートに行く気が知れん。だれのコンサート? ああ、こうせつかぁ」と興味を持ってくれていました。

それから赤ちょうちんで飲むたびに、「岡ちゃん(ボクの当時のニックネーム。岡田監督ではないよ)はこうせつのコンサートに行ったんだよな。すごかったよなぁ。九州まで行って、たいしたもんだ」と 思い出してくれます。
理解がある上司で、今では役員のえらい方になられました。

またまた、休みがたまってきています。
子供も行きたがっているし、ね、こうせつさん。

では、再びmiyamoさんにバトンタッチ。

 
 178 98.6.16 miyamo その9:第7回サマーピクニック
1987年は第7回サマーピクニック、miyamoにとっては6回目。
昔のように感動できなくなってしまって、物足りなく思うようになったけれど、 ここまで来れば10回目までつき合うしかない。

そこで、この年は旅を変えようとフェリーで九州へ行くことに。
フェリーの2等席は船底にあり、結構振動が感じられるんだけど、それが眠りを誘うんだよねぇ。
てぇ訳で、フェリーでは意外とよく眠れた。船には、20代前半でハデハデの格好した若い奴がいた。
フェリーは、北九州に着き、そこからは、電車でサマーピクニックの会場へ。
すると、会場にフェリーのハデハデ野郎がいた。まっさかサマーピクニックの会場で会うとは。
ヘビメタかパンクなんかのコンサートに相応しく、サマーピクニックには合わないぞぉ。

会場は、博多の海の中道海浜公園。海には近いけど、超・ぶち・めちゃんこ・ごっつう町にも近い。
なんせ、福岡市内だし、横には大っきなリゾートホテルが立ってる。
ということもあってか、恒例の花火大会がなく残念。夏祭りに花火がないなんて。グスン。
今回は、会場に着いたのが開演の2〜3時間前だったので、会場の後ろの方に席をとる。
この頃は、燃えるものがなかったので、前の方には出ていかず、後ろで見守ることに。

そうそう忘れてたけど、1985年に阪神タイガースが優勝して、そのころから サマーピクニックの開演の時にもジェット風船を飛ばすようになった。
ファンが用意してたんだけどいくつ用意してたのかなぁ。
miyamoも、もらって飛ばしたことがあるよ。毎年、必ず始まる前に飛ばしちゃう人がいるんだなぁ。

本によると第7回サマーピクニックのゲストは、伊藤かずえ、CLAXION、安藤秀樹、高井麻巳子、伊勢正三、ふきのとう、そしてメインが吉田拓郎。
メインは、拓郎だったんですねぇ。'85のつま恋から休止しててこれが復帰ライブ。
「この指とまれ」で始まり「どうしてこんなに悲しいんだろう」や「ひらひら」を唄ったそうです。
ふきのとうも出てたんですねぇ。名曲「白い冬」をやったはずだけどほとんど記憶なし。
自分は、本当に現場にいたんだろうか。
私はだれ、ここは何処・・・(miyamoついに発狂か)
<では、また来週>

 
 179 98.6.16 NATSU 第7回サマーピクニック
第6回までは中学の時の友達と2人とか3人とかひとりでとか行ってましたが、 第7回は拓郎氏復活ということで会社の拓郎フリークの方々と一緒に行きました。
私以外のメンバーは熱狂的な拓郎ファンでサマーピクニックははじめて。
その中にひとり「拓郎さんを生で見るのははじめて」という私がまざっての参加でした。
中でも特に気合のはいっていた女の子と私の二人が先発で出発し、後のメンバーは当日現地で合流。
この時から現在にいたるまでの彼女と私の長い長いおつきあいがはじまった記念の旅です。
一緒に行くことになってから、私は手持ちの全てのこうせつさんのアルバムを彼女に貸し、彼女は手持ちの 全ての拓郎さんのアルバムを私に貸してくれて、お互い予習は完璧。

先発といっても前日に着いただけなので整理番号もそんなに若くはなかったけど。
その日は会場近くの海水浴場の「海の家」で夜を明かしました。テントとか持ってなかったもので。
テント持参の人達もそこの海水浴場かとなりの砂浜でキャンプしてて夜には花火をしたりしてました。

翌朝会社の人達と合流し、開場までの待ち時間をすごし、さらに長い長い開演までの時間をすごし・・・・
でもこの時間(朝から日が沈むまで!)、この長い待ち時間があればこそサマーピクニックというか。
長い人は1ヶ月も待ってるんだものね。
待ってるあいだのキャンプ生活(年に一度の同窓会!?)の方が主になってきちゃって、「あの日の空よ」で開演した時にはもう今年のサマーピクニックも半分終わったような そんな気にもなるくらい、この待ち時間というものはサマーピクニックにとっては意味あるものだった気がします。
第7回の時は開場後にものすごい雨が降ってシートの上が水たまりになっていた記憶があります。
けっこうこの「シートの上での素足の感触」というのは記憶に残っていたりします。
恋の浦では下が芝生だったのか心地よかったとか、海の中道では下が大きな石という感じで痛かったとか、沢水では泥に沈んで田植えみたいだったとか・・・。

初めて拓郎さんのステージを体験し、「かっこいーー」とすっかりしびれてしまった私。
拓郎さんはおしゃべりな人かと思っていたのに、この時のステージではほとんどしゃべらずひたすら歌い続けていたという印象。
一緒に行った彼女なんか、最初っから泣きっぱなしだった。ほんと、かっこよかったです。
これ以降、足繁く拓郎さんのコンサートに足を運ぶようになりました。もちろん彼女と一緒に。
こうせつさんのコンサートにもこれ以降は必ず彼女と行くようになり、そして二人はこうせつさん・拓郎さんだけでなく幅広くコンサート街道まっしぐら・・・。
ひまさえあれば誰かのコンサートに行くという仲になり現在に至っています。

 
 180 98.6.17 wako インドの娘について
話が前後するかと思いますが、インドの娘について少々お話したいと思います。
サマピでインドの娘が演奏されたのは、やはり5回、6回です。
5回は石川鷹彦と二人で、6回が石川鷹彦、石井宏太郎と3人で演奏されました。
またこの時期のツアーでも演奏されていました(レコーディングもされたらしいのですが何故かボツになってしまった。)が、86か、87の秋のツアーでメロディーが全く変わってしまって(こうせつにはよくある事です)その後は演奏されていないようですね。
以下に歌詞を書いておきます。

***** wakoさんに送っていただいた「インドの娘」の歌詞ですが 著作権に考慮し歌詞は載せない方針ですのであしからずご了承を。(NATSU)*****

 
 181 98.6.20 miyamo その10:第8回サマーピクニック
記憶喪失がはなはだしい今日この頃、みなさまお元気でしょうか?
ぼけ防止には、指先の運動が効果的って聞いたけど、パソコンで作文するのも有効なのかしらん。
ということで今回は、大幅に資料に頼るmiyamo。

この年は、大分県久住高原の沢水(そうみ)キャンプ場。沢水(さわみず)とばかり思ってた。
大分?から電車に乗って、何処で降りたかは忘れたけど、久しぶりに、山んなかで、なかなかいい感じ。
だいたい、「サマーピクニック」って名前のコンサートなんだから、町の近くでは雰囲気が出ない。
なんせ、前の年は、博多のリゾートホテル隣の空き地だったから。

miyamoは、フェリーで九州まで行き、そこから電車で向かう途中、前のおっさんの新聞を見るとなんとサマーピクニックの全面広告。
ゲストもばっちり書いてある。はじめて見たぞぉ。
(その新聞、大分合同新聞7月22日夕刊は今も手元に保存してあるのじゃ。)
チケットの前売りが少なかったためか。それとも、コーセツの地元大分で応援のためか。
電車は大分から熊本へ向かうやつで、途中、コーセツのふるさとの竹中を通っていった。のかなぁ
そして、私は、何処で降りたのでしょう。あいかわらず記憶なし。
とにかく、坂道を上って会場に向かったような・・・。

大きなトラブルもなく、毎年同じようにコンサートが進行してくと記憶に残らないんですねぇ。
第2回、第3回は旅が大変だったし、キャンプ、夕立、雷雨、ゴキブリ、そして開演前のお祭り状態。
みんな忘れられない大切な思い出。

3回目くらいまでは、ゲストは事前に公表されてたのが、それ以降は当日のお楽しみということに。
でも、地元の新聞とかがバラしちゃったり、前日にはリハーサルがあるので、キャンプしてる人には、飛び入り以外はわかっちゃうんだけど。
毎年、毎年キャンプして待ってた人たちは今頃どうしているんでしょ。夏は暇にしてるんかなぁ。

第8回サマーピクニックのゲストは、C−C−B、DE−LAX、真璃子、ZIG ZAG、ラフィン・ノーズ、ゆうゆ、ブレッド&バター、伊勢正三、そしてメインがジュリーこと沢田研二。

帰りも新聞に載ってるんじゃないかと買ったら予想通りのってた。デカデカと。
見出しは、「こうせつサウンド爆発、ファン大合唱」「高原の”夢一夜”満喫」
それから、開演直前のコーセツコールの写真には「手を打ち振り、身を躍らせフィーバーする若者たち」とある。ウ〜ン大分合同新聞!

この頃の想い出で印象に残っている人がいたらフォローしてちょ。ヨロシク!
<では、また来週>

 
 182 98.6.20 NATSU 第8回サマーピクニック
沢水はとってもいいところでした。ここが一番サマーピクニックってかんじの場所だったと思うなあ。
川にすいかとかビールとか冷やしてキャンプしたりして。沢水はキャンプ場だったからね。
私は貸しテントで泊まりました。第7回以来コンサートの友となった会社の女の子と2人で行きました。
私達は豊後竹田の駅でおりて商店で食料を買い込んでタクシーで行ったと思います。
貸しテントは大分の女の子2人と一緒に4人で泊まることになりました。
この人達は私達より整理番号が少し若かったのですが、一緒に見ようということになり彼女達と一緒に見ることになりました。
そして彼女達の整理番号と続き番号だったこれまた大分の人達のグループ(4〜5家族の大集団)とも合体して、たいへんな大人数で見ることになりました。
しかしこの時にはこの大分のみなさまとこんなにも長く深く家族ぐるみのおつきあいが続こうとは思ってもみませんでした。
運命の出会いですね。

第8回といえばこうせつさんちで作った「あまなつ」とかこうせつさんちの鶏の卵でつくった「ゆで卵」とか売ってましたよね。
しっかり買って食べたゾ。(たしか売上は寄付するとかだった)。
大分合同新聞が主催か協賛かなんかしてたんじゃなかったですか?。それで新聞にも載ってたし、おおいたCITYジャーナルとかいう名前だったと思うけど そういうタウン紙みたいなのにもいっぱい載ってました。
ゲストは毎回ちゃんと発表されてた記憶がありますが。
この年はラフィンノーズの久しぶりの復活とかですごいいでたちのファンの人達がこうせつファンにまじってテントに泊まってました。
ジュリーのステージの時、私は不覚にもぐっすり熟睡してしまいました。第3回からファイナルまで全部で8回の参加中眠ってしまったのはこのジュリーの時だけです。
仕事忙しくて相当疲れてたのです。
しかしそれ以外はいつもと同じくパワー全開の完全燃焼で私の場合マンネリとか感じたりしませんでしたし、毎回強烈な想い出とともに九州を後にしていたように思います。
(第9回だけはちょっと複雑でしたが)。

第8回はちょっとトイレにいくにもたいへんなくらい会場がぬかるんでひざくらいまで埋まりながら歩いてたよね。
翌朝は真っ黒な足をしたまま大分の女の子達と近くの温泉に行きました。どこの温泉かはわからないけど、寅さんのロケの写真とか貼ってある温泉だった。
会場の近くで朝きれいな虹を見ました。久住高原にかかる虹。緑の大地から大地まで180度の完全な虹がくっきり。徹夜明けということもありすごく感動したのでした。
久住は気に入ってその後も何度も訪れました。しばらく行ってないからまた行きたいです。

 
 183 98.6.24 1ppei おしえて!
6月22日 AM 1:20頃のことでした。
ふと、テレビを付けてみると、バンバンが屋外のコンサート会場で、歌ってたんです。
もしやと思って見てると、こうせつがでてるじゃないですか!
そう! 阿蘇での屋外ライブの放送だったんです。
たしか、どっかのメガネ屋さんの協賛で、毎年やってるやつだと思います。
あわてて録画して見てると、「わたしの花を咲かせたい」を歌うところでした。
はじめて聞いたんですが、想像してたとうり、いい歌ですねー。
後で調べたんですが、AM12:45〜 2:00までやってたみたいです。
最初の方を見てないんで、知ってる方おしえて!
尚、ここは北九州(ちなみに、こうせつの家まで約3時間)なんで、地区放送かもしれません。

 
 184 98.6.24 NATSU アスペクタみたい
九州の一部地区での放送だったみたいですね。アスペクタ音楽祭みたいですね。
月太郎さんの掲示板でちょっと話しが出てましたよ。月太郎さんも見逃したそうですけど。
ちなみに今、グリパラの放送中です。もちろん録画中。友人が何回もうつってるゾ。いい席だったんだなあ、うらやましい。

 
 185 98.6.29 miyamo その11:第9回サマーピクニック
第9回の話の前に。
最近サマーピクニックの連載をしてるので資料を探してると、FM放送の第8回の録音テープを発見。
聞いてみると、開演前は土砂降りの雨で開演前に止み、真夜中には星も出たといってたけどやっぱりほとんど記憶ないなぁ。
なっちゃんは、完全燃焼だったのに。ウー残念。
私の記憶は何処へ行ってしまったのぉ。
旅やキャンプでのトラブルや苦労、それに出会いが想い出になるんだよなぁ。
miyamoには出会いがなかった。
大雨や雷は、第2回、第3回で経験してるし、スコップは持ってかなかったけど、毎年雨具の準備は怠りなしだもんなぁ。
北陸出身だからなぁ。金沢には、「弁当忘れても傘忘れるな」ちゅうコトバがある。
そういえば、土砂降りの時は、靴が濡れるのを防ぐためにスーパーの買い物袋を履いて カバーしたような気もする。
てぇことで、トラブルもなかった。逆に言えば印象に残らなかったってことになるのかなぁ。

さて、第9回。1989年、ようやく第9回まで来ました。

miyamoはこの年6月、中国で天安門事件が起こった日に結婚。
ちゅうことで、嫁さん(関西では奥さんのことを嫁さんと呼ぶようです)のもりりんと2人でサマーピクニックへ。
金曜日の夕方、新幹線で出発して、博多に1泊、翌朝、会場の熊本県の荒尾へ。
結婚してすっかりリッチに。もう「青春18きっぷ」ともおさらば。
でも、キャンプしてないので正しいサマーピクニックではないかもしれない。

・・・いきなり閑話休題・・・
先月、出張で岩国へ行くことがあったので、昔、「青春18きっぷ」でサマーピクニックの途中で泊まった旅館を探してみた。
その名前は、「ビジネス旅館みなみ」。やっぱ「みなみ」には縁があるんです。
探してみると、ありましたぁ。岩国の駅前は、当時と変わってなくてすぐに見つかった。

こっちは憶えてても旅館の人は、全然知らないだろうから、外から見るだけに。
昔のまんま、ちゃんとあったのでとっても嬉しかった。
もう、15年も前になるんだなぁ〜。それだけ自分も年取ったって訳だねぇ。

サマーピクニックに戻ると、この年の会場は、三井グリーンランドていう遊園地の中にある。
コンサートの列に並んで、午前10時に開場、かと思ったら、午後2時?まで遊園地で遊んでくださいってことで、当時流行ってた巨大迷路なんかで時間つぶし。
開演にむけて気分を盛り上げていきたいのに、気勢をそがれて、なんか変な感じ。

第9回のサマーピクニックの模様は、NHKで1時間番組として放送された。
その中で、キャンプ村へコーセツが激励に行くシーンがあって、坊中の頃、仕切ってた人が写ってて懐かしかった。
別にその人と喋ったことがある訳じゃないんだけど。

第9回サマーピクニックのゲストは、THE TOPS、ANGIE、勝誠二、ピンクの電話、ZIG ZAG、永井真理子、伊勢正三、嘉門達夫、そしてメインがBAKUFU−SLUMP。

もりりんは、つかれて夜中寝てしまった。でも、嘉門達夫が突然現れて、ひたすらギャグソング連発してたら起きてきた。嘉門達夫は面白かったなぁ。
それに、サマーピクニックの後半は、正やんが毎年ゲスト出演。
そういえば、ジョンレノンのごとく、活動を休止してた時期があったんですよねぇ。
<では、また来週>

 
 186 98.6.29 NATSU 第9回サマーピクニック
第9回も会社の女の子ばかり3人で九州へ。
今回は第8回で一緒に見た大分の人達と一緒に見ることになっていた。
前日に到着して一晩だけだったけど大分の人達とキャンプ。

遊園地での自由時間は何してたんだろう?。たしか観覧車に乗って、上から会場をチェックしたりしたんだっけ。
やっとコンサート会場に入って場所をキープしてからは、ひたすら大分の人達と飲んでしゃべってまさにピクニック。
第9回はこの時間が個人的にとても楽しかった。それだけ。
BS生中継があって、もちろん家でタイマー録画してたけど、この生中継のせいかどこかこの年のサマーピクニックは魂を売り渡した ような、いつものサマーピクニックとは違うものがあった。
NHKのためのサマーピクニックって気がして、参加者のためのサマーピクニックではなかったような気がした。
それで特に後半はなんか楽しめなくて、みんな不完全燃焼状態で、あまり爽やかな朝ではなかったのだ。
というわけで、私にとっては第9回は大分の人達との楽しい夏の休暇。ってところですかね。

ちなみにコンサートの後は、荒尾の健康ランドみたいなところで入浴&爆睡!。いつまでも眠っていた。
起きてビールで乾杯してたら、NHKのスタッフの人達もいて「良かった!大成功!」なんて言って盛り上がってた。
それ聞いてフン!なんて思ってたのに、家に帰ったらやっぱりタイマー録画していったビデオを見てしまったのだった。

 
 187 98.7.2 NATSU TV ON−AIR情報他
7/1 ユイ発表の情報です。変更の可能性もあります。
・歌謡コンサート
  7/7(火)20:00-21:00 NHK
・青春のポップス
  7/12(日)又は 7/26(日) NHK
・思い出のメロディー
  8/8(土) NHK
・題名のない音楽会
  8/? テレビ朝日
・音楽大陸 北海道
  8/21(金) NHK

その他
・mini mini 8月号
  インタビュー掲載
・ベストカタログ8月号(ベスト電機店頭配布)
  インタビュー掲載

 
 188 98.7.2 Naoki RE:おしえて!
1ppeiさん初めまして。同じ北九州なんですね。
昨年に続いて南阿蘇でおこなわれた南こうせつアスペクタ音楽祭でした。
放送日は異なるけど九州ネットで放送されました。

放送曲目は
 風のように星のように南こうせつ
 風の竪琴  〃
 SACHIKOばんばひろふみ&南こうせつ
 HELLO AGAINばんばひろふみ
 ひだまりの詩ル・クプル
 男どうし杉田二郎
 戦争を知らない子供達杉田&ばんば&南こうせつ
 タペストリー白鳥英美子
 THERE IS A SHIP  〃
 わたしの花を咲かせたい南こうせつ
 神田川  〃
 うちのお父さん  〃
 夏の少女  〃
 あの素晴らしい愛をもう一度南こうせつ&ゲスト全員
・・・でした。

昨年はリハーサルは当日でしたが、今年は前日にありました。
内容がわかるからリハーサルは聴きたくない、という人もいるけど私はリハーサルも大好きです。
当日は時折小雨がぱらつくお天気と阿蘇の雄大な風景がサマーピクニックを思い出させました。
意外だったのは、アンコールが「歌って笑って」だけ(その後エンディングで「あの素晴らしい愛をもう一度」)だったこと。
ピクニック以降野外では「満天の星」「あの日の空よ」ははずしたことがなかったのに。
ゲストではばんばひろふみの「いちご白書をもう一度」が涙ものでした。
白鳥英美子のバックでアコギを弾いてた人が一曲だけ歌ったのもとても印象に残りました。
名前も忘れたけど誰か知りませんか?

7月20日の霧島野外コンサートのチケットを今日買いました。
会場は「みやまコンセール野外音楽堂」となってますが、どのあたりになるんでしょう?
誰か知りませんか?

 
 189 98.7.14 miyamo その12:大ピンチ!
1990年、いよいよサマーピクニック・ファイナルの年。
今年の会場は何処かなぁと思ってたら、4月頃、雑誌で博多の「シーサイドももち」と知る。
ファイナルだからちゅうことで気合いを入れ、妻のもりりんと2泊キャンプする計画を たてて意気込んでいた。

だが・・・・・・

どえりゃー情報を入手。7月の終わり頃、ラジオにコーセツ殿が出演してて、 な、な、な、んとサマーピクニックのチケットが売り切れたぁ〜と言ってた。ガーン。
なんてこったぁ。これまで、売り切れたことなんて一度もないぞぉ。
楽しみにしてたのにどうしてくれるんだぁ。トホホ。
友人知人を当たったり、イベンターに電話したけどチケット手に入らず。ぐすん。

ピーンチ。大ピーンチ。

しょうがない、もう九州までチケット探しに行ってみるっきゃない。
サマーピクニック1週間前の日曜、新幹線でまず小倉へ向かう、 プレイガイドを何カ所も回ったけどみんな売り切れ。
1カ所、あるよというので「ヤッタァ」と喜んだのもつかの間、返品してもうないという。ガックリ。
それから、博多まで、めぼしい町で途中下車して調べてけど、やっぱりない。
会場のシーサイドももちのキャンプ村まで行ってみたけど、そこでもチケットがない人がいて 困っているという。それで、チッケット入手は断念。
ファイナルが見られないなんて。これまでずーと見てきたのに・・・・
「熱心なファンを締め出してもいいのか、バカヤロー」と心の中で叫ぶ。

・・・・・・・
もし、チケットが手に入らなくても、付近にいれば音は聞こえてくるだろう。最悪それで我慢すっか。
ってことで、予定通り、木曜日の朝出発、新幹線にのって博多到着。
地下鉄の西新で降りて、キャンプ村へむかう。
でもこの日は、おひさまギラギラ輝いて暑いったらありゃしない。
大きな荷物かついで、はぁはぁいいながらやっと到着したのでありました。

<では、また来週>

次回予告:貴重な資料発見!miyamoの妻、もりりんが書いたサマーピクニック・キャンプ日記公開。
それから、果たしてmiyamoは無事チケットを手にすることができたのか?乞うご期待!!

 
 190 98.7.14 すだりん アコギは
Naokiさんの質問で、一つだけお答えします。
知っている人もいらっしゃると思いますが・・・。

僕は島根県に住んでいますが、「アスペクタ音楽祭」は、 テープを送っていただいて観ることができました。

****************************
Naokiさんへ。

白鳥英美子さんのバックでギターを弾いていたのは、 吉川忠英さんだったと思います。
アコギの名手で、かぐや姫のレコーディングでもバックで参加し ていました。
やはりうまいですね。

 
 191 98.7.27 miyamo その13:もりりんのキャンプ日記
1990年8月9日(木)
無事、ここキャンプベースに到着!しかし、暑かった!西新駅からここまでの道中は、ホント、 汗ダラダラ、もうちょっとで目まいがするところだった。テントを張る間もすごい暑さ。
おまけに水着にテントを閉めて着替えていると、ホトンドムシブロ。身体中を汗がダラダラ流れ落ちる。
こんな経験は、はじめてだ!と感動してしまうほど暑かった!即、海へ。
miyamoっちゃんは、おじさんのように浜辺でカキ氷を食べておりました。
シャワーを浴びて身体が冷えたと思ったケド、しばらくするとまた汗が!!

夕食の買い物も守備よく、ピークワンが大活躍でスムーズにおでん、ごはんも出来上がりパクパク!
5:30よりリーダー集合で点呼。6:15よりチケット?百枚もってる人がいるとのことで40分くらい待って ようやく入手!ヤッター!(※注 この人は、恐らくイベンターBEAの人。miyamoが推測するに、 チケットが売り切れそうになってBEAがあわててプレイガイドに残ってたのを回収した。 それを、キャンプして待ってる人に回してくれたのだろう。)
miyamoっちゃんは興奮のあまりセキこむわ、記入住所はまちがえるわ・・・うーん、今夜は眠れるのかな?

すぐ近くにマリゾンというレストラン群、福岡タワーがあって、ちょっと行くとリゾート気分いっぱいの なんともおかしい所。でも、タワーのミルキーウェイの照明はとってもきれい!
もちろん、夜の浜辺もとってもロマンチック★★★でもmiyamoっちゃんといるとなぜかロマンチックに ならずに、笑いHAHAHAになってしまう。色気のない2人でした。
夜は、あちこちでコーセツの歌が聞かれ、テントからも楽しい話声。ここちよい風もふいてきて、 あー久しぶりのキャンプ。来れて良かったなと思うmolilinでした。

1990年8月10日(金)くもり、一時雨のちはれ
6:30起床!といっても、ほとんど一睡もできなかったmolilin。miyamoっちゃんも4時間位かな。
頭がボーっとして、午前中、草むらでしばらくお休み。その後、タワーへ涼みに散歩がてら コンビニストアへと歩くと、西部ガスミュージアムを見つけ見学。涼しくてゆったりでとっても よかったよ!
お昼、miyamoっちゃんは、はんごうが心配、うまくできて食べられるかなって 言ってたけど、molilinは自信満々。見事、ちょっとシンありのごはんをたけて、ククレカレーと 缶詰、きゅうりをパクパク!!食欲のある2人です。つくるのにあつかったので、即、海へ。
今日はたっぷり泳げたよ。コーセツにも会えてmolilinのおしで、一緒に写真までとったよ!!
(※注 この写真は現在、我家の家宝となっちょります。)
miyamoっちゃんは、昨日で興奮エネルギーがきれたのか、今日は静かなのり・・・。話しかけたり、 握手すればよかったのにね!
それから、リハーサルのぞきがおもしろかった。海ぞくお兄さんごくろー様。
夜は、オープンしたてのロイヤルHでステーキとリッチ!!毎日いいもの食べてるね。
お水いっぱいもらって、要領のいい2人でした。ナイトタイムは、タワーで夜景とシャレこむつもり。
(※注 お金がいるのでタワーには上らなかった)
今日は、風があってきのうより涼しい。眠れるかなーZuZuZu。
PS、たくろーのバックが松尾さん、仁さんで大感激。叫んであげよーっと!
(※注 松尾さん、仁さんは解散したオフコースのメンバー。molilinは、大のオフコースファン、
会場に小田和正のツアートレーラーが停まってたので、小田さんが出るのではと期待したのだが・・・)

いよいよ次回は、ファイナルだぁ!!!!
<では、また来週>

 
 192 98.8.11 miyamo その14:第10回サマーピクニック(ファイナル)
8月11日、あれからもう8年になるんでんすねぇ。

話は、キャンプ場から始まり始まり・・・
1990年8月11日土曜日、その日は夜が明けて5時か6時には起床。
周りのテントの人が起きて話し始めると、声が響いてうるさくてとても眠れない。
前日も眠れなかったのに。
そんな状態でオールナイトコンサートの本番は、大丈夫かなぁと心配。それに、毎日毎日猛烈に暑い!!!

朝食とってテントをたたんで、それから会場への列に並ぶ。
確か整理番号は1000番を越えてたので先頭からは随分離れてる。
開場までの時間がやけに長く感じた。暑かったからかなぁ。
ようやく、開場となり、席取りのシートは、会場中央に立ってる照明の横くらい。
すぐ前のシートは、常連のハッピグループの託児場所になってた。
本体は、最前列に陣取ってるようで時々様子を見に来る人たちがいる。
そして、そこで富山県から来てるサマピ知人の大門君と再会。彼は、前の方に席があった。
それから、第3回の時、一緒に見た博多の久富君も仲間をつれてやってきて、miyamoたちと一緒に見た。
そして、グッズ購入。Tシャツやパンフは毎年購入。
ファイナルではTシャツを2種類購入して、第2回からファイナルまでぜーんぶ揃った。
それから、メモリアルブックとビデオの予約をしてポスターとバッジとメタルプレートをもらった。大散財。ま、いっかファイナルなんだから。

コンサート前には恒例の「コーセツ」コール。これも最後だから一段と盛り上がる。
ウエディングドレスを着た人がいたりして・・・
開演の時は、もりりんに促されて前へ。

ファイナルのゲストは、松山千春、五十嵐浩晃、中村あゆみ、檀太郎、吉田拓郎、井上陽水、 嘉門達夫、Dig it、チャゲ&飛鳥、ふきのとう、村下孝蔵、杉田次郎、小室等、 宇佐元恭一、永井龍雲、下田逸郎、石川鷹彦、風、イルカ、山本コウタロー。

多彩なゲストに楽しませてもらって、そして・・・
最後の、コーセツのステージは、なーんていうか、9回参加したサマーピクニックが、 これで終わってしまうんだっていう思いで涙がこみ上げてくる。
あーこれで終わりか、まだ終わらないで欲しい。夜が明けないで欲しい。
そう思いながらずっーと見てた。

そして、あのmiyamoの青春が凝縮された唄のイントロが流れてきた。
「あの日の空よ〜・・・」拳を突き上げ、涙が溢れるのに任せながら9年間の想いを込めて唄った。
もりりんは、「コンちゃん」って名前のキツネのぬいぐるみ人形を手にはめて振ってた。
ビデオにもちょこっとだげ「コンちゃん」が写ってたよ。
「君が好きだよ、歌が好きだよ、朝が好きだよ、ララララーラーラーラー・・・・・」
終わってしまった。とうとう終わってしまった。
miyamoの青春が終わってしまった。

オールナイトコンサートで朝を迎えるということは、通常のコンサートで味わえない感慨があります。
それは、その人の歴史に加味されるもの、つまり、歴史の一部という気がします。
miyamoは凡人だから、オリンピックやワールドカップに出場することはできません。
でも、遠くから旅をして、キャンプしてサマーピクニックに参加できたことは、miyamoの最大のイベントでした。
サンキューコーセツ。ありがとう!
<では、また来週>

 
 193 98.8.11 NATSU サマーピクニックファイナル
ファイナルの年、私はサマーピクニックのために辞めたのではないけど会社を退職しプー生活をしてました。
それでこの年は火曜日からキャンプすることにしました。ひとりでテント持っていざ、ももちへ。
駅からキャンプ村までの道ですれちがった男の人2人、みるからにサマーピクニックに来たといういでたちだったので、 彼らにキャンプ村の場所を尋ね、無事到着(あとできくと彼らはキャンプ村からパチンコに行くところだったとか)。
まずは整理券をもらい、それからテントをセット。地面が堅くてペグがささらなかったので近くのテントの人たちが手伝ってくれました。
その夜、手伝ってくれた近くのテントの人達が宴会するからと声をかけてくれたので仲間に入れてもらったところ、先ほど道を尋ねた男の人二人もいて、それから毎晩のように同じ面々で宴会をしたりごはん食べたり花火したり銭湯に行ったりして過ごしました。
キャンプし始めた時はまだステージができてなかったけど、キャンプしてる人はたくさんいました。さすがにファイナル。そしてチケット手にはいらなかった人がいっぱいいました。
miyamoさんのいうとうり、ほんとに暑かった。テントの中はサウナのようで明け方になると寝ていられないほど。 結局私はこのキャンプの仲間とは別に、第8回で知り合った大分の人達と、第3回〜第6回を一緒に見た中学の友達との合体グループで見ました。

毎回完全燃焼の私だったけどファイナルは燃えつきたヨ。涙がとまらなかった。
miyamoさんと同じ。ファイナルについては書いてもうまくあの時の感動が書けない気がするので、これくらいしか書けません。

この時のキャンプのお仲間との出会いは一生の宝物といってもいいでしょう。
大分の人たちとこのファイナルのキャンプ仲間と、どちらも今でもたいへん親しくおつきあいさせていただいております。

 
 194 98.8.11 由佳 やっと最近聴けるようになった。
今から7年前。当時婚約中だった私は、別のある人を好きになってしまいました。
その人は、こうせつの大ファンでした。
サマーピクニックには毎年参加し、最前列に座っていたようです。
私も、こうせつ好きでした。
でも、その恋は、一夏の思い出として、残っただけでした。
それがあまりに辛く、つい最近までこうせつを聞くことができませんでした。
その人との一番の思い出の曲は、「帰れない季節」。
どうして私たちのこと知っているのだろう?と、思ったくらいです。
その人と会えなくなって、結婚し、子供もできました。
その間7年。
こうせつは聴けませんでした。
・・・でも、時は流れました。
つい最近、ある事がきっかけで、その人との思い出から立ち直ることができました。
そしてこうせつを毎日聴いています。
もし、これを見ることがあったら、連絡ください。
大好きでした。
でも、立ち直りました。

 
 195 98.8.11 NATSU 人生、なんでもあり
由佳さんの人生、すてき。
どんな人だったんでしょうね。イメージがふくらんでしまいます。
若いうちに(若くなくてもいいけど)一回くらいは(何回でもいいけど)こういう濃い恋をしたいものです。その後の人生の輝きが増すのでは?。
連絡あるといいですね。

 
 196 98.8.15 加藤 はじめまして
はじめまして
私はコンサートのツアースタッフです。
皆さんの感想,意見などをコンサートに活かせるように頑張っていきますのでよろしくお願いします。

 
 197 98.8.15 NATSU 残暑お見舞い申し上げます
暑い毎日ですがみなさん体調は万全ですか?
私も産後1ヶ月を過ぎようやく少し日々の暮らしに余裕がでてきたところです。
このところ更新が遅れてしまっていましたが、また少しずつパソコンの前に座る時間を確保していくつもりです。
ツアースタッフの加藤さん、書き込みありがとうございます。
感想・意見など、みんなばしばし書きましょう。うれしいですねえ。

 
 198 98.8.21 NATSU BS日本のうた公開録画・相模大野
相模大野での「BS日本のうた 〜南こうせつとアコースティックフレンズ〜」公開録画に行くつもりです。 でも抽選なのであたるかどうか。
応募方法は以下のとうり。
  往復ハガキ(一枚で一名分)で申し込み
  住所・氏名・電話番号を明記
  宛先:〒228-0803 相模原市相模大野4−4−1グリーンホール相模大野
             「BS日本のうたフォークソング大集合98係」
  締め切りは9月24日(必着)・応募者多数の場合は抽選

 
 199 98.8.26 (無記名) 歌おしえて
ぶしつけに大変失礼ですが、質問があるのです。
南こうせつの歌で「僕の足音とセミの声が遠く・・・向こうから手を振る、向こうか ら声がする、昔と同じ元気なやさしいおばちゃんの声・・・」といったフレーズが入 っている歌のタイトルを教えていただけませんか?
私は昔、かぐや姫の大ファンで、よくひとり部屋でギターを持って歌っていたことが思い出されます。
もう終わりですが、今年の夏、公園を歩いていてこの歌が浮かんできたのです。
でも全部の歌詞が思い出されず、こうしてメールを出させていただいた次第です。
どなたか・・・教えてくださいませんか??

 
 200 98.8.26 NATSU 「幼い日に」です
それは「幼い日に」です。
名前が書いてなかったけどメールアドレスを書いてくれてあったので、メールで歌詞を全部送りましょう。
名曲ですよね。大好きです。

 


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