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No.151 -- No.175

 

 
 151 98.5.27 miyamo その3:いっちばぁーん感動した日
それは、高校合格の日でもなく、大学合格の日でもなく
早稲田がラグビー日本一になった日でもなく(私、早稲田ファンです)
結婚した日でもなく、子供が産まれた日でもなく
それは、1982年8月7〜8日の第2回サマーピクニック。
その日で私の人生は、変わった。(と、本人は思っている)
すごーい、すんごい、体験でした。

普通、雑誌などでサマーピクニックが紹介されるときは、
(1)それぞれの人々の九州までの旅
(2)キャンプをして待つ日々
(3)ゲストを含めたコンサートの雰囲気
の素晴らしさが語られることが多いのですが、
第2回のサマーピクニックは、それ以後のサマーピクニックとは比較にならないほど
(4)開演前の盛り上がり(&夕方の雷雨)
が凄かったのです。
miyamoも、初めての一人旅で、これまで書いてきたように想い出深いことが多かったのですが、
それ以上に、開演前の空前絶後の盛り上がりには度肝を抜かれました。

開演時間が夕方7時からなのに、なんと5時間も前からコーセツコールが開始。
ハッピを着たいくつかのグループが、「コーセツ」「コーセツ」と連呼しながらノボリや旗を持って
会場を次々と練り歩き、コーセツコールの渦があちこちで沸き上がってきます。
そんな状態が、断続的に続き、みんなの興奮は高まるばかり。
こんな状態では、開演前に疲れ切ってしまいそう。
ところが、そのうちに突然雷雨。凄まじい響きとともに近くに雷が落ちて、今年も中止か!
と危ぶまれたほど。傘を持ってない人は、キャンプ場の建物に避難してたけど、
中には、入場の時に配られたゴミ袋を着たロボット君も出現。
30分ほどして、小止みになって一安心。それが午後6時頃だったでしょう。

それからの、コーセツコールは凄まじく、前の方だけでなく、後ろの方までみんな立ち上がり、
会場が一体となっての盛り上り。およそ2万もの人々のコーセツコールが阿蘇の山に響きわたって、
開演予定時間前だけど今にもコーセツが登場してコンサートが始まるのではといった感じでした。

1時間以上コーセツコールが続く中、夕方の雷雨から小雨になっていた雨も上がり、
星も見え始めてきた午後7時、いよいよコーセツが登場!!!!!
会場の大歓声の凄いの何の、開演の時点でもう最高潮。ステージにコーセツが登場しただけで
涙が溢れそう(涙もろいmiyamo)。そして、最初の曲は、忘れもしない「Tears」。
コーセツの「朝までやるよぉー」に、会場は「ウォー、ウォー、ウォー」と大歓声。
みんな若くて燃えていたんです。凄いエネルギーじゃ!

そして素晴らしいコンサートは進んでいきました。
コーセツの曲の中では、特に印象に残っているのが「幼い日に」。
歌詞の「一人でここまで来たのは、はじめて」で、初めて一人旅した自分を重ね合わせ
涙がこみ上げてきました。

それから、ゲスト陣も、バラエティーに富んで面白かった。
とぼけた雰囲気の高田渡、当時はフォークグループだったアルフィー、
その他に、阿呆鳥とロブバード、そして、人気抜群の山下久美子で盛り上がり、
続いて、サザンオールスターズの登場で連続ノリノリ。

コーセツの最後のステージは、お祭り状態。
そして、何といってもラストの「あの日の空よ」。出演者全員がステージに立ち、
会場のすべての人の大合唱がはじまる。miyamoも飛びはねながら大声で唄ったよぉ〜。
旅の始まりから今朝までのすべての想いを込めて。
以来、「あの日の空よ」のイントロを聞くと血が沸騰してしまう。

あの素晴らしい体験を二度と忘れることができません。
第2回サマーピクニックで、価値観とか人生観が変わった感じ。
本当に、サマーピクニックに参加できて幸せでした。

それからは、サマーピクニックが1年の中心となり、
毎年、夏になると欠かさず九州へ足を向けました。
・・・1990年までは・・・
サマーピクニックのファイナルが終わった1991年から、
私にとって夏は物足りないものになってしまいました。
心のどこかに、ぽっかり穴が空いた感じっていうんでしょうか。
もう一度、21歳の夏の熱い経験を、サマーピクニックを蘇らせてください。
是非、お願いします、コーセツさん!!!
<では、また来週>

 
 152 98.5.27 NATSU 2回目に行けなかったのが残念無念
miyamoさんのレポートを読んでいると、2回目を知らないのがものすごく残念です。
私も初めて行った3回目の印象は強烈でそこで人生がかわったと思う。
初めてのサマーピクニックって、特別強烈なのかもしれないですねえ。
2回目、(もちろん雷の1回目も)、なぜ行かなかったのかとくやまれます。

 
 153 98.5.27 1ppei 思えば19年前...
思えば19年前、(当時8歳)家族でドライブに行ったとき、はじめてこうせつの曲を聴いたのを覚えています。
その時「神田川」を聞いてすごく感動しました。
たしかそのテープの中には「神田川」「ヘンゼルとグレーテル」「100万マイル気分」「葡萄の季節」「街」「風の竪琴」等々。
母親に、「これを歌っているのは誰?」と聞いて教えてくれたのが南こうせつでした。
そして,初めてこうせつを、テレビで見たのが欽ちゃんの番組で(番組名は忘れました)欽ちゃんバンドと言うコーナーがあって出演してました。
女の子からキャァキャァ言われてたのでおじさんなのに人気があるんだなあという印象でした。(誰か見てた?)
皆さんも,こんなエピソードがあったら教えてください。
ではまた。

 
 154 98.5.28 ひらひら(富岡) 1982年の出来事
2回目投稿の ひらひら(富岡)です。
miyamoさんの連載、楽しみに読ませてもらっています。
私は第2回サマーピクニックには行きませんでしたが、あの年(1982年)の東京日比谷野外音楽堂の「プライベートパーティ」に行きました。
このコンサートも野外コンサートだったのですが、前半大雨で、びしょぬれになったのを思い出しました。
当時、私は18歳。miyamoサンも書いていたように、当時のファン(私も含めて?)のパワー凄かった!
大雨にもみんなへっちゃらで 「こーせつ!こーせつ!」 の大合唱。
今や33歳の子持ちの父となってしまった私でして、ここしばらくコンサートには行っていないのですが、今でもあのようなコンサートってあるのでしょうか?
そして、あの頃、一緒に大声出して盛り上がった若者達は今頃どうしてるのでしょうか?
こんな事を書いてたら、私も青春に帰って、もう一度皆さんと一緒に歌いたくなってしまいました。
今の流行の歌は、歌詞にソウルが無い! 軟弱な歌ばかりで聴く気になれません。
かぐや姫&たくろう の嬬恋コンサートを是非もう一度!

 
 155 98.5.28 kakuse sachiko 二回目です
前のログを読ませていただいていました。
日吉ダムの話が出ていたのを見て、なつかしいなあって2回目の投稿とあいなりました。
日吉ダムのコンサ−トには姉一家と我が家の計9人で行きました。
夜中に出発する時に眠そうな我が子をみていて、親の趣味のせいで、かわいそうかな?とも思いましたが、いいや!これが我が家流なんだと心に決め、出発!
早朝7時には現地に到着。
何もない山の中だし、開演時間はお昼・・・「どうしよう」・・・遊ぶにも何もない。
そこはさすがの子供たち!
造成中のだだっ広い工事現場のような仮駐車場の中で走り回り遊びまわり、と結構な時間を楽しんでくれていました。
疲れはててコンサ−トを見る余裕も無くなるのではないか?と心配しましたが そこはそれ!さすがの胎教のおかげか、真剣に聞いててくれました。
小学生になった息子に「今、自分が座っているこの場所がダムになるんだよ」と話して聞かせました。
あれから日吉での野外コンサ−トの思い出は、記憶としては私の中に残っていたのですが、
先日、学校でダムのことを聞いてきた息子が突然「あの日吉の里はダムになったんだよねえ」と言い出しました。
ああ、覚えててくれたんだととてもうれしく思いました。
長男は、サマピのファイナルの時には6ヶ月の赤ん坊でした。
こんな赤ちゃんを野外に連れて行くなんて。。。という周りの意見は重々承知しながらも
親がこんなに感じることの出来るこうせつさんのコンサ−トの素晴らしさを我が子にも 体感させてやりたいとの一心で連れて行きました。
今、次男は自分がサマピの経験者でないことをとても悔しがります。
小学生なのに思いっきりこうせつファンの子供たちは「満天の星」が大好きです。
去年からグリ−ンパラダイスも一家で参加するようになりました。
和歌山からでは交通手段も時間もお金もかかり、大変ですがその度に電車の乗り方、キップの買い方、地下鉄などを経験しながら少しずつ勉強していくようです。
普段忙しく、仕事を持つ母のため、じっくり一日中関わることの少ない生活の中で このイベントだけは一日中の時間をかけて関わりながら、子供の成長を肌で感じる瞬間でもあります。
こうせつさんのコンサ−トへ行くことそのものが家族のコミュニケ−ションになりつつある我が家です。
子供が本当のところ、どう感じてくれているのかは分からないけれど、 いつか子供と同等に一ファン同士として「南こうせつ」について語りあえる日が来ることを、願っています。

 
 156 98.5.28 NATSU 子供連れでのコンサート
私ももうすぐ母親。この次こうせつさんのコンサートに行く時からはいつも子供をどうするか考えなくてはいけなくなります。
来年サマーピクニックをという発言があったときくと、果たして自分は行けるのだろうかと考えてしまいます。
でもここに書き込みしてくれる多くの方がもう既に子持ちであり、子供連れでコンサートに行ったという話を聞くにつれ、心強く思います。
親の趣味のせいで、かわいそうかな?と思う面もたしかにあるけど。
でも今後子供と一緒に野外コンサートとかに行ったら、ひとりの時とは絶対違うスタンスでの楽しみ方をちゃんとできるような気がします。

 
 157 98.5.29 miyamo その4:かえり道
サマーピクニックは、いつも「おはようおやすみ日曜日」の朝に終わります。
第二回サマーピクニックのとき、miyamoが持っていたのは「青春18きっぷ」のみ。
鈍行電車にしか乗れないのっす。でも体はもう限界。3日間というものろくに眠ってない。
だって、前日は、オールナイトコンサート、前々日は、慣れないキャンプ場でのキャンプ、
その前の日は、岩国の安宿、枕が変わると全然眠れないmiyamoでした。(いまは、ちゃうけど)

それなのに、あーそれなのに、コンサートの終わりには、みんな一斉に帰ります。
もちろん、電車の本数はいつもと同じ。で、どうなるかというと、都会の通勤電車並の混雑。
3泊5日の旅で荷物が多いんだよぉー。Tシャツやトレーナーも買ったし。
仕方なく、熊本まで、立って帰る。でも、立ちながら眠ってましたねぇ本当に。
電車は、20分も遅れてようやく到着。熊本から博多までは、そんなに混んでなかった。
てぇのは、熊本から博多方面には、特急電車が走っているんだよね。
でも、特急電車なんて関係ないもんねぇ。「青春18きっぷ」だもんねぇ。

おまけに、手の皮が薄い。妻のもりりん(すだりんとは無関係)よりも皮が薄くて
まるで女の子のようなんですぅ。コンサートで思い切り、力の限り手拍子しまくりだったので
手がパンパンに腫れてしまって荷物を持つのさえ苦しい。トホホ。
眠いし、手は痛いし、それでもって、金沢までは2日がかり。
帰りは、京都にいた中学時代の友達のところに転がり込んで泊めてもらって
、 意識朦朧となりながらもなんとか金沢までたどり着いたのでした。
ちなみに、手の腫れが完全に引いたのは一週間後。

・・・おまけだよーん・・・
第2回サマーピクニックの後の話。
1982年の10月に金沢でコーセツのコンサートがあったとさ。
コンサートは、サマーピクニックとは無関係の静けさで、盛り上がることなく進行。
最前列で見ていたけど、一人だけ立ち上がることもはばかれ、
超盛り上がりオールナイトコンサートを経験した身には、欲求不満の状態。
でも、映画「海峡」の主題歌「友ありて」では、一人だけ拳を突き上げてしまった。
アンコールでもみんな座ったまま。このまま終わってしまうのぉーと思ったら
「あの日の空よ」をやってくれました。
即、血が逆流、「あの日の空よ」を座って見るなんて考えられない。
やっと総立ちになって、その中で、後ろの席から一人階段を駆け下りて来る奴がいる。
見るとmiyamoと同じサマーピクニックのTシャツを着てるじゃないですか、
それで、その人と一緒に大声で唄いましたよぉ。
コンサートが終わって、その突撃男、富山からやってきた大門君と友達になったです。
そして、二人は勢いでコンサートの関係者の打ち上げ会場の店に行き、
着ていたサマーピクニックのTシャツの背中に何とコーセツ本人にサインしてもらったのです。
ヤッタァー!!!(宝物その1だぁ)
<では、また来週>

 
 158 98.5.30 あいこ やったー!
今日の「LOVE LOVEあいしてる」にやっと、こうせつがゲスト!今から楽しみです。
明日のBS−2でやる番組も楽しみだ!!
こうせつ万歳!

 
 159 98.5.30 ゆうこママ はじめまして!
私も主人や子供を巻き込んでのこうせつファンの一人です。
昨年は、2ヶ月に1回のペースで追っかけたのに今年のツアースケジュールを見てガックリです。
だって関西では ないんですもの!(もし私の情報が間違ってたらぜひ教えて下さい)
長男は(小5)幼稚園からドラムを習っているので もちろん三浦さんの大ファンです。ビデオも買いました。面白い人なんですね!
コンサートに行けない分 テレビのO・Aは、しっかり見ますね。
グリーンパラダイスも前から4番目だったから24日のO・Aも楽しみです。
“LOVE LOVEあいしてる”を見終わってとっても幸せな気持ちでおやすみなさーい!

 
 160 98.5.31 kakuse sachiko ちょっと優越感・・・・
投稿される方の年齢層が結構若くて・・・・・
うらやましい反面、サマピを知らない(経験してない)世代だと思うと
サマピ経験をした自分に・・・少し優越感。
一歳にも満たない長男が、サマピ経験者であることにもっと優越感。
子供が大きくなってこうせつの音楽に感動する年頃になったら、
おまえはサマピファイナルを経験してるんだ!って自信もてよ!って言ってやりたいですよね。
ついでにファイナルは衛星放送の収録&同時放送もあったんだ。
人込みの最前列の中で暑さしのぎにおっぱいをふくませながら・・・
それでも歌いまくった母の心を体で感じたと信じたい。
放送の中で「さっきおっぱいもあげてましたよねえ」ってインタビュ−まで受けちゃって・・
全国放送で息子の後頭部をさらした母のこの優越感????(笑)
そのころいつもサマピツア−で一緒に行く友達も何人か子供が居て、
最前列の集団の中に子供は危ないからといって、少し後ろにもう一所場所を確保して
そこで数人で交代で子守りをしました。
安心して親が思いっきり楽しめたのも、そんな工夫が自然とんみんなの中で出来たからだと思います。
子供を連れた野外のコンサ−トもこんなところからまた違った感動が得られるのだと思います。
子供連れてても何とかなるさ!と変に自信の持てた経験でした。

子供から感動をいただくなんて・・・他ではなかなか得られない貴重な経験だとおもっています。
こうせつさんのコンサ−トはグリパラでも「子供はみんなで子守りすりゃあいい!」
といつも安心させてくれますよね。
子供連れは遠慮願います。って言うのは子供に感動を少しでも多く体感させてやりたい私にとってはとてもさみしいことです。
良いものは子供も分かると信じてますから。
他のお客様への迷惑・・・・もわかりますが、感動するのに子供も大人もないのだとおもうから。

 
 161 98.6.1 NATSU LOVE LOVE おもしろかったね
「LOVE LOVEあいしてる」とってもおもしろかったね。
「ある雨の日の情景」という選曲もGOODだったし。
いつも思うけど、なんて贅沢なメンバー!!。
(KINKI KIDSがえらそうなのも、なんかおもしろい。)
BS−2アコースティックフレンズよりも意外によかったです。
BSはもう少し選曲に凝ってほしいところ。でも次回が楽しみです。

 
 162 98.6.2 miyamo その5:第3回サマーピクニック
1983年、miyamoは、工学部4年。進路を決めなくちゃ。
ということで、両親も大学院への進学を望んでたので、進学しました。
フッフッフッー。miyamoが大学院へ進んだ本当の訳は、そう、皆さんご察しのように、
サマーピクニックに自由に行けるためでしたぁー。(両親にはヒミツ)
これで、2年間就職せずにすむ。ムフフ。

サマーピクニックの旅は、この年も「青春18きっぷ」で3泊5日。
学生といっても、4年生で卒業研究があるので寄り道なしの旅。
でも、前年の帰り道があまりに辛かったので、「青春18きっぷ」のお世話になったのは往きだけ。
帰りは、新幹線でさっさと帰りました。
前回と同じ木曜日に出発し、全く同じコースで岩国に一泊して、金曜日の午後、阿蘇駅に到着。
早速、第2回と同じ坊中キャンプ場に行って整理券を入手、912ばぁーん。
(第2回の整理券は紛失したので、何番だったのかは不明)
整理券は、熱烈コーセツファンのグループが発行していて、
彼らは1ヶ月前くらいからキャンプしてるんです。学校や仕事は一体どうしてたんだぁ!

でも、この年、miyamoには空いているテントがなくて阿蘇駅に戻って駅舎に泊まったのでした。
駅で夜を明かす人も多くて、良い場所があまりない。この晩、5cm位の虫が飛んでるので、
何かいなぁーと思ってよく見ると、な、な、なんとゴキブリさんではありましぇんかぁ。
北陸のゴキブリは飛ばないぞぉー。それに、そんなにでっかくないし。
ゴキブリさんとは、お友達になりたくないなぁなどと考えたりして
ほとんど眠れぬうちに夜が明けてしまった。

朝になり、会場へ登っていく列に並んでいる時に、博多から来ていた4人組と仲良くなって、
彼らと一緒に見ることになりました。
会場へ入場後、山なのに阿蘇は、ものすごーく暑かった。すっごくいい天気。
でもやっぱり、夕立。阿蘇に夕立はつきもの。てぇ訳だと思うけど、翌年から会場が恋の浦に変更。
坊中キャンプ場は、山んなかでサマーピクニックにぴったりだったんだけど残念。

会場は、ノボリと旗がひしめき、ハッピの種類も多いこと多いこと、みんな準備がいい。
miyamoはいつもTシャツ姿。
この年は、夕方5時頃からコーセツコールがはじまり、ノボリと旗を持った連中が通路を回って
コーセツコールを広げていく。そうして、日がだんだん傾いて、徐々に雰囲気も高まって
コーセツの登場!!!サマーピクニックはオープニングが盛り上がるんだよねぇ。
今年のオープニングは、何かなぁと楽しみにしてたけど、イントロでもうぶっ飛びました。
第2回でラストだった「あの日の空よ」で始まった。

それからゲストの登場、伊藤さやか、岩崎雄一それに欽ちゃんバンドの小西博之と清水由貴子、
ギター1本の加川良、松山千春そして我らが正やん。メインは、長渕剛。

フィナーレは出演者全員による「あの日の空よ」。うーんやっぱりいいねぇ。
「あの日の空よ」に始まり、「あの日の空よ」に終わるサマーピクニックのスタイルが出来上がった年でした。

・・・後日談・・・
何年かして旅行で阿蘇に行ったとき、たまたまサマーピクニックの会場だった場所を通りました。
車から降りて見ると、草っ原で、ずいぶんせまいなぁって感じ。
この場所で2万が夜を明かしたなんて・・・「夏草や兵どもが夢の跡」
<では、また来週>

 
 163 98.6.3 WAKO はじめまして
はじめまして。WAKOといいます。投稿欄に友だちの名前を見つけたりして、楽しく拝見させていただいてます。
ようやくサマピの懐かしい話が出てきたようで嬉しく思っていますが、坊中キャンプ場の事で思い出した事が有ったので書きます。
FINALの翌年に行ったのですが、場長さんが優しく迎えてくれていろいろ話を聞かせてくれました。
コンサートをやった場所は「高節広場」と名前をつけて、アスペクタができるまでは会場を貸して欲しいという話が随分あったらしいのですが、 『こうせつにしか貸さない』といって断わったのだそうです。
また2年続けてやったおかげで、あの場所は草も生えない状態になってしまったそうなんですが、そのために他から(場所は忘れてしまった)土を持って来たところ、 土の中に天然記念物の蝶の卵が入っていたらしくて、その蝶の生息地になってしまったんだそうです。
それからは密猟者に目を光らせる仕事が増えて大変だ、と仰っていました。
それからうどんまでごちそうになってしまいました。
部屋には2回の時のこうせつやアルフィーのサインが飾ってあったな。
場長さん元気でいるかなあ?
長々とすいませんでした。

 
 164 98.6.3 NATSU 今はどうなっているのだろう
FINALからこの夏で8年。今は「高節広場」はどうなっているのだろう?
それから「ももち」なんかはどうなっているのだろう?
なんかマンションが建っているとかきいたような気がするけど。
「卑弥呼の里」はゴルフ場になったとか?
沢水キャンプにはその後2回くらい行ったことがあるけど、あまり変わってないみたいだった。
九州へ旅立たれる方、報告をお待ちしております。

 
 165 98.6.6 miyamo その6:第4回サマーピクニック
1984年、miyamoは大学院の1年、いわゆるM1になってました。
春には、コーセツのツアーがあって、北陸では福井と富山だけで金沢は素通り。
金沢からはちょっと時間がかかるけど、そこは学生の強み。足を延ばして両方行くことに決定。
コンサートのイベンターが金沢にあり、そこの会員になってたので両方最前列をゲット。
そして、あー神様、福井のコンサートでは、コーセツが客席に投げたギターの
ピック「K'KORO HOUSE」をよろけながらも拾うことができたのです(宝物その2だぁ)。
サマーピクニック'83のトレーナーを着て行った甲斐がありやした。

そして、サマーピクニック。学生の強みで、1週間前からキャンプして待つことに決定。
一人用のテントを買って、寝袋もって大荷物で勇んで出発。
でも、買ってあったチケット\4000を忘れてしまって博多で買い直すことに。トホホ・・・。
第4回のサマーピクニックの会場は、博多から電車で20〜30分それから徒歩?分の
海沿いにある彫刻の岬「恋の浦」。阿蘇の山から海の恋の浦へ変わって、キャンプ村も浜辺。
1週間前に出発して、整理券は311ばーん。てぇことは、それより前に大勢来てたんですねぇ。
そのままキャンプするつもりだったけど、整理券をゲットしたので、第3回サマーピクニックで
知り合った博多の人のところに泊めてもらって待つことに。
志賀島や油山、元祖長浜ラーメンの長浜屋など案内してもらった。
テレビではロサンゼルスオリンピックでカールルイスが大活躍してましたなぁ。
で、実際にキャンプしたのは、2晩か3晩だけ。
そして、いよいよ当日、と、ここまできて、コンサートの内容は、うーん思い出せない。
第2回、第3回は印象が強くてそれなりに憶えてたんですが・・・すいましぇーん。

ところで、サマーピクニックといえば、旗とノボリとハッピ、それにホイッスルが欠かせませんが、
初めてHPを読む人にはハッピはまだしも、旗とノボリはピンと来ないかもしれませんねぇ。
これらは、サマーピクニック=夏祭りの道具なのです。開演前に、祭りの主役ハッピ姿の若者たちが、
旗やノボリをもって、「ワッショイ、ワッショイ」の替わりに「コーセツ、コーセツ」と
かけ声をかけ、ホイッスルでリズムを取りながら会場じゅうを回って歩くわけです。
座って待っている人たちは、彼らがやってくると「コーセツ、コーセツ」で盛り上げるわけ。
このノリは他にはなーい。何処にもなーい。だからもう一度行きたーい。

本によると、「開演前に空から飛び降りてきた美女たち」。そういえば、開演の直前に
パラグライダーみたいので会場に降りてくる演出があったような・・・
ゲストは、中原めいこ、畑正憲・明日美、武田鉄矢、小室等、チャゲ&飛鳥、宇佐元恭一。
メインは、チャゲ&飛鳥で、まだ人気爆発の前だったけど地元博多出身で、そのときだけ
前に突進していく女の子がやけに多かった。こんなことは憶えてるんだよなぁ。

エンディングの「あの日の空よ」ではゲストも飛び出してきて、一緒に歌う。
会場全体が一緒に歌う。そして、みんなで「バンザイ」を合唱して夏が終わったのさ。
<では、また来週>

 
 166 98.6.6 NATSU 4回目のサマーピクニック
たしか4回目といえば・・・最後の「あの日の空よ」の時に、歌っても歌ってもいつまでも夜が明けず、
ひたすら続いて結局明けきらぬうちにおわったんではなかったっけ?
鉄矢さんが「人間なんて」をやったんだよね、たしか。
チャゲ&飛鳥も好きだったから、ステージよーく覚えてます。

 
 167 98.6.7 月太郎 サマーピクニック第4回
miyamoさん&なっちゃん、こんにちわ。

その時同じ場所で同じ気持ちを共有していた我々が、今こうしてネットを
通じて会うことができるなんて、時代の流れを感じてしまいますね〜。

おいちゃんのサマーピクニックで、僕が唯一見に行ったのが第4回でした。
中学時代のギター仲間と一緒に、団体で行ったのです。
オールナイトの野外コンサートなんて後にも先にもこの時きりなのですが、
当時のことをとても懐かしく思い出します。
そういえば宇佐元恭一さんは、僕が通っていた大学の、フォーク同好会の出身だったんですよ。

サマーピクニックについては「かぐや姫ML」のほうにも書き込んでいますので、
よかったらこちらにもアクセスしてみて下さいね。

http://www.ml.nnf.ne.jp/lists/kaguyahime/199804/msg00062.html

 
 168 98.6.7 NATSU CM見た!!
今日初めて「ユニバーサルホーム」のCM見た!!
突然だったからびっくり。
あの歌はなんていう曲だろう?。びっくりしたからよくわからなかった。
歌だけじゃなくて、おいちゃん本人も出演してたよ。

 
 169 98.6.8 ゆうこママ ユニバーサルホームのCMまだ見てないよ
今日私の手元に届いたユイ音楽工房様からの資料によりますと BGMは「おかえりなさい」
CM用の書き下ろし曲だそうです。
神戸では まだ見てません。
6月中旬からOA開始!ってことですよ。
早く見たいですね。楽しみです。

 
 170 98.6.8 山内孝政 おろろん伝説
先日NHKのある番組でこうせつさんが「おろろん伝説」という歌をうたっていました。
作詞作曲は南こうせつです。なかなかいい歌でした。
話によるとテレビ番組で歌うのはこの番組が初めてだといっていました。

 
 171 98.6.10 miyamo その7:つま恋と第5回サマーピクニック
1985年、miyamoは大学院2年で学生最後の年でした。
そして、なんとこの年は、2週連続でオールナイトイベントがあったのです。
一つはご存じサマーピクニック、もう一つは吉田拓郎の「One Last Night In つま恋」
拓郎は、1975年に「かぐや姫」と静岡県のつま恋でオールナイトを初めてやり、
4年後の1979年には愛知県の篠島という島で2回目のオールナイトをやりました。
拓郎ファンの間では、拓郎オリンピックといって次は、1983年にイベントがあると 信じられていたのですが、実際には、2年遅れて1985年、拓郎40歳の区切りとして 開かれたのです。
このイベント後、活動を休止すると宣言してました。
miyamoは、拓郎のロック調のアレンジが好きで金沢でのコンサートには、毎回行ってました。
青山のギターには痺れますねぇ。「落陽」は青山と呼ばれていたそうです。
てぇわけで、学生最後の年、2週続けてオールナイトコンサートを経験することに。ラッキー。

相変わらず、貧乏学生に変わりなく、「青春18きっぷ」のお世話に。
でも、金沢からつま恋のある掛川駅までは1日で行けるので、九州までに比べれば楽なもんだす。
同じオールナイトイベントでも開演前の雰囲気は、サマーピクニックと全然違う。
みんな割とおとなしく待ってて盛り上がりは全然なし。開演直前になって、やっと 「タクロー」「タクロー」って野太い声があっちこっちから飛ぶ。声は、男ばっかり。
まあ、来てるのが、圧倒的に男が多いから仕方ないかも。
コンサート中は、拓郎の唄に合わせて唄う人が多かったけど、唄うっていうより怒鳴ってるって感じで 音も完全にはずれてて凄い状態だった。完全に自分の世界に入っとる。
コンサートでは、「ファミリー」の拓郎の絶唱、「落陽」の高中のギターは圧巻でした。
それにゲストで「かぐや姫」を見られたのは、何といっても良かった。コーセツと正やんはアコギ、 パンダさんはウッドベースで正調かぐや姫っていう感じで3曲演奏。もっと、もっと聴きたかった。
つま恋では、「人間なんて」がなかったけど、結構満足できた。

そして、翌週、今度は九州へ向かって出発。もうすっかり慣れた道程。
今年のサマーピクニック会場は、前年に続いて福岡県の恋の浦。同じ九州でも阿蘇よりは楽。
ステージを見るとなんだか、拓郎のつま恋のセットとよく似てる。
多分、配置を変えて共用したんじゃないだろか。

大のかぐや姫ファンであるmiyamoのサマーピクニックの注目は、ただ一点、かぐや姫の出演。
拓郎のイベントにゲストで出たんだから、サマーピクニックには必ず出るに違いない。
拓郎のゲストで3曲なら、サマーピクニックでは10曲〜20曲はやって欲しいなぁ。
・・・と期待が大きすぎた。いつ出るかいつ出るかと待っていたが、最後まで「かぐや姫」の 登場はなし。ガックリ。

第5回サマーピクニックのゲストは、長渕剛、ZIG ZAG、近藤正臣、中村あゆみ、 杉田次郎、倉橋ルイ子、そしてメインは杏理。

その他のことは完全に記憶が飛んでますねぇ。なっちゃん、皆さんフォローお願いします。
<では、また来週>

 
 172 98.6.10 NATSU つま恋と第5回サマーピクニック
85年、私は大学4回生。就職活動の頃でした。
当時まだ私は拓郎さんにはまる前でしたので、「One Last Night」は行きませんでした。
この年はサマーピクニックとかけもち参加したお客さん、けっこういましたよね。
会場でも拓郎Tシャツ着てる人をたくさん見ました。
この年のサマーピクニックのゲストは拓郎さんだという噂が当時ありませんでしたっけ?
「One Last Night」で燃え尽きちゃって、ゲストに来られなくなったとか、みんないろいろ勝手な噂してました。

私はこの年、初めてひとりでサマーピクニックに行きました。
初めての参加だった第3回とその翌年の第4回は、中学の時の友達と二人で行ってたんだけど、 この年なぜかその友達が行けなくなって、初めてひとりで行ったのです。
それでかもしれないけど85年のサマーピクニックは特別よかった気がします。
サマーピクニックはコンサートだけじゃなくてその行き帰りや待ってるあいだのキャンプや、全部を含めてのもの。
そしてなんといっても人生最初のひとり旅ですからね。
(この年は私はまだキャンプなどできる用意はして行かなかったんですけどね。)

でも85年のサマーピクニックは、そういう個人的な要素をのけても、すごくよかった!!。最高だった。
もう最後は号泣でしたもの、私。完全燃焼でした。

 
 173 98.6.12 ひらひら(富岡) 「人間なんて」もやりました
ちわっす!
なぜか拓郎ファンの ひらひら です。
miyamoさんの第5回サマピレポートに 「拓郎の One Last Night では(人間なんて)をやらなくて残念」 みたいな書き込みがありましたが、実はあの日「人間なんて」やったんですねぇ!
でも拓郎は歌いませんでした。「ビートボーイズ」ことアルフィーの坂崎くんが歌ったのです。
しかも「インゲンなんて」と言う替え歌で!!!  覚えてる人いるかなぁ!?
「インゲンなんてエンドウ豆みたいだ〜〜、人参なんてゴボウみたいだ〜〜」
この前の Love Love でもやってたけど坂崎の、おいちゃんの物マネはホントそっくりですねぇ!

と、こと拓郎の事になるとムキになってしまう ひらひら ですが
これからも時々書き込みしたいと思いますので、管理者さんどうぞよろしくお願いいたします。

P.S.
 ご出産間近だそうですが、お身体には十分ご注意下さい。
 赤ちゃん誕生、楽しみですね! うちの息子は6ヶ月です。

 
 174 98.6.12 wako つま恋と第5回サマーピクニック
miyanoさんへ
OneLastNightでかぐや姫以外のところでこうせつが出たのをおぼえていらっしゃいますか?
ハッキリとは覚えていませんが、「君の街へ行くよ」のなかの『OneLastNight OneMoreNight』というコーラスの部分だったかな?違っていたらごめんなさい。
この日は夜、東京厚生年金会館でムツサントというムツゴロウさんとこうせつのコンサートがありましたが、とても眠かったのをおぼえています。

拓郎のサマーピクニックのゲストの話ですが、これは噂ではなくて正式に発表されていて、ステージでこうせつが拓郎が来られなくなった旨のコメントをしましたよ。(長淵がピンチ・ヒッターでしたね)
またこの年はブルース・スプリングスティーンの初来日の年だったのですが「朝がくるまで」がブルースの曲の『キャデラック・ランチ』そのままのアレンジ(というのかな?)で演奏されブルース・ファンは大喜びしていました。
かぐや姫の登場はありませんでしたが、「アビーロードの街」をこうせつがうたいましたね。
個人的にはこうせつと石川鷹彦の「インドの娘」がサマーピクニック史上に残る名演奏だったと思っています。
長々とすいませんでした

 
 175 98.6.12 NATSU インドの娘
「インドの娘」を2度聴いた記憶があるのですが・・・?
第3回と第4回で聴いたのかと思っていましたが、第5回でしたっけ?
いろんなことを忘れていて悲しいです。
『キャデラック・ランチ』風の「朝がくるまで」なんて是非今もう一度聴いてみたいです(残念ながら全然記憶にありません)。
「インドの娘」も雰囲気だけ覚えてるけど、とても歌詞とか思い出せません。
あの頃は若かったはずなのに・・・・?

 


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