1796年



 1795年に左右両派の蜂起を鎮圧したうえで成立した総裁政府は、政治的には極めて弱体なものだった。政府は絶えず暴力によって脅かされ、その度に対抗措置として軍という暴力組織に頼る割合を高めていく。公安委員会独裁時代のように、派遣議員が圧倒的な権力を握る時代は終わった。今や軍隊はそれ自体が独立した権力を持っているかのように振る舞いだした。

 イタリアにおけるボナパルト将軍の行動は典型的だろう。彼のイタリアでの地位は絶対君主と同じだった。名画を含めた数多くの財宝を奪ってフランスへ送り、総裁政府を手なずけると同時に、総裁政府からの指揮権を分割せよとの命令には抵抗した。彼がイタリアにいる限り、総裁政府はボナパルトの権力に手を出すことはできなかった。

 いずれにせよ、この年から祖国を守る戦争は他国を略奪する戦争へと変わっていった。フランスの将軍たちの大半は、こぞって己の欲望を満たすための行動を取り始めた。後にロシアのスヴォーロフ元帥から「吸血鬼」と呼ばれるような連中が、次第に大きな顔をしてのさばるようになった。


・1796年/戦線

[ライン戦線] [イタリア戦線] [西部フランス・アイルランド遠征] [植民地戦争]


・1796年/年表

4月28日フランスとピエモンテが休戦
5月9日フランスとパルマ・ピアチェンツァが休戦
5月15日ピエモンテがニースとサヴォワをフランスに割譲
6月5日フランスとナポリが休戦
6月23日フランスとローマ教皇が休戦
7月16日フランスとヴュルテンベルクが休戦
7月25日フランスとバーデンが休戦
8月16日ヴュルテンベルクが講和、フランスに領土割譲
8月18日スペインとフランスの同盟条約



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