万 世

鹿児島県加世田市

 

特攻慰霊碑「よろずよに」

 

鹿児島県の陸軍航空基地は知覧のみであったが、南方戦線の激化につれ運用に支障を来たすよう

になり、知覧の補助飛行場として急造された。

万世基地から201柱の特攻隊員が、祖国を守る為に沖縄へ出撃して行った。

略史

昭和19年 8月  日 陸軍万世飛行場完成

昭和20年 3月26日 飛行第66戦隊 万世飛行場に展開

昭和20年 3月28日 飛行第66戦隊 徳之島へ前進

昭和20年 4月 6日 特攻第一陣(第62振武隊) 出撃

昭和20年 4月 9日 飛行第55戦隊 万世飛行場に展開

 

加世田平和祈念館

鹿児島県加世田市

万世陸軍航空基地 戦没者殉職者 慰霊之碑

 

特攻慰霊碑「よろずよに」

碑文

昭和十九年太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、すでに決定的段階を迎えんとしていた。ここ加世田市

吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく地元民学徒ら軍民一致の協力によって、本土防衛沖縄決戦

の基地万世飛行場が建設された。昭和二十年三月二十九日より終戦に至るまで、陸軍特別攻撃隊の諸

隊、飛行第六十六戦隊、飛行第五十五戦隊の若き勇士たちは、祖国護持の礎たらんと、この地より雲

表の彼方へと飛び去った、一機また一機と。

征きて帰ざるものあまた、あるいは空中に散華。あるいは自爆。壮烈にして悲絶。その殉国の至誠は

鬼神もこれに哭するであろう。

終戦以来幾星霜、ここに祖国はその輝かしき復興をとげた。われら生き残りたるものと心ある人々は

英霊の魂魄を鎮め、その偉勲を称えんがために、ここにこれを建立する。

昭和四十七年五月二十九日

 

青雲南溟の碑

碑文

生きてしあらば青雲の志に燃え祖国を興隆し翔いたであろう若者に 国の危急存亡の時操縦桿を握らせ

あたら南溟に散華せしめたこの哀惜と痛恨を後世に伝う

 

横田健一関西大学教授 歌碑

碑文

若鷲は 湧き立つ雲指し 翔け入りぬ

 

営門

 

加世田平和祈念館 万世沖から引き揚げられた海軍零式三座偵察機

経緯

この機は第六三四海軍航空隊・偵察三◯二飛行隊の所属機で、昭和20年6月4日福岡の基地(玄海基地)

から沖縄方面の夜間索敵のため発進。帰途に敵機の追撃をうけ応戦し、燃料切れで吹上浜沖に不時着、塔

乗員3名は田布施海岸に泳ぎ着いた。

機体は平成 4年 8月に引き揚げられた。

 

陸軍特攻隊

更新日:2013/08/04