知 覧
鹿児島県川辺郡知覧町
昭和17年、大刀洗陸軍飛行学校の知覧分教場として開設され、少年飛行兵や特別操縦見習士官が訓練
を重ねたが、戦局の悪化に伴い昭和20年、本土最南端の陸軍特攻基地となり多くの特攻隊員が出撃した。
知覧町護國神社
拝殿 招魂塚
特攻平和観音
由来
この地は昭和17年3月大刀洗陸軍飛行学校知覧分校が設けられて 連日隊員の訓練を重ねたところ
であったが 国際情勢の次第に緊迫し険悪となるにしたがい 遂に昭和20年本土最南端航空基地とし
て陸軍最後の特攻基地となり 凡そ一千の若き勇士が莞爾として雲流るる果て遥か逝きて 帰らざる
壮途につかれた思いで深い土地である これら若人の至情至純の精神を顕彰し 悠久空に散華せる御
霊のとこしえに安らかならんことを祈念し 以て祖国の久遠の平和復興に資せんため 関係旧将士の浄
財を集めてつくられた平和観音像を 今この念願を同じくする有志等の願望により このゆかりも深い知
覧町旧飛行場跡に奉安する
. 内閣総理大臣・小泉純一郎揮毫 至純 飛び立ちて生きて返らぬ若わしの み霊守らせ平和観音
. 玉砕のみ霊なぐさめとこしえに 守り給へや平和観音
神州不滅 神の加護
平和公園
特攻勇士の像 とこしえに 母の像 やすらかに
知覧教育隊之記念碑 知覧基地 特攻隊の歌
ああ薩南の此の地より 敵撃滅の命を受け まなじり決し若人が 翔び立つ姿尊しや その名特別攻撃隊 .
ああ明日はなき此の命 胸に秘めたるその覚悟 祖国の平和念じつつ 南の空に翔び立ちし その名特別攻撃隊
ああ今此処に銅像の 勇士の姿仰ぐとき 国を護りしつわものの 勲は永久に薫るらん その名特別攻撃隊 .
アリランの歌声とほく母の国に 念ひ残して散りし花花
忠魂蛍之碑 遺書の歌碑 生き残り隊員の歌碑
ほたる火と なりてきませう つはものを なこしまつらむ けふの祭りに .
帰るなき 機をあやつりて 征きしはや 開聞よ 母よ さらばさらばと
. 手を振りて 知覧翔び征く 特攻機 君の笑顔に 昭和責めらる
鳥浜とめ 顕彰碑
神坂次郎「今日われ生きてあり」文学碑
碑文
知覧・・・・・・。薩南の涯の山のなかの静かな町。と号(特攻)要員とよばれた若者や少年たちが、
青春の最後の幾日かを過ごした町。祖国の難に一命を捧げた隊員たちの特攻機が、二百五十
キロの爆弾を抱えてよろけるように飛び立っていった町。そんな隊員や、それを取りまいた人々の、
さまざまな暗い思いが篭められている町。知覧。
特攻平和会館
知覧特攻平和会館
陸軍四式戦闘機 疾風
昭和20年 1月、比島で米軍に捕獲された機体
零式艦上戦闘機五二丙型 震洋五型 .
甑島の手打港沖から引き揚げられた機体 第123震洋隊に配備された艇 .
基地遺構
三角兵舎の復元
三角兵舎の復元
給水タンク
更新日:2008/10/13