故勝山 淳海軍少佐 航海日記

発掘:平成15年 2月  日/勝山 忠男様(故人ご令弟)、小野 正実様(故人甥)

採稿:平成15年 3月 1日/峯  一央

校正:平成15年 3月 3日/峯 眞佐雄 (兵73、回天隊にて故人と同期・同僚)

校正:平成15年 3月15日/勝山 忠男様、小灘 利春様(兵72、全国回天会々長)

校正:平成15年 5月 3日/勝山 忠男様

 

七月十五日

ひねもす潜航 まさに海潜る代物なり 居住区に夜を日につぐ睡眠

青天井拝見の栄に浴せざるためか 午前午後もさだかならず 夕食と朝飯を誤る事度々なり

今一番元気なるは 往年海上に鍛へしだけありて余なり

荒川 高橋 少し元気なし

 

 

七月十六日

今日も平凡な航海は続く 唯際限もなき大海原相手の

併し 遠からず見参する大物を夢みつつ 斯く逝きて帰らざる最後の旅立ちをして

遥か大洋の彼方に乗り出し見て 始めて吾が神國の有難さ 懐しさ

人々に対する愛着の勃然として涌き出づるを禁ず能はず

今日までかく愛着を感ぜる事 何時の日ありしか

唯 愉快に過ぎ来りし二十二年の生涯も かく観ずれば通一偏な生活なりやと

併し 今此の通り一偏な生活の最後の締括りとして 神國護持といふ大なる任務を

死を以って完遂せんとす

嗚呼又快ならずや

遥かなる 都の方を 仰ぎ見て 堅く誓はん 必殺の雷

 

 

七月十七日

今潜水艦は 電波見張戦により犒を削り居るも 艦内寂として声なし

敵KDB本州近接の報に接す 無念の涙を呑む

されど会敵の機 刻々と近接しあるを覚ゆ

敵船団音聞ゆ 聴音を耳にするは近きにあり

今日始めて艦橋に出て 甘き海の香を胸一杯

 

勝山中尉が航海日誌に書いた伊53潜の勇姿

 

七月十八日

今日も一渺千里の大海原を相手に獲物を求めて 併し未だ見参の機会に接せず

脾肉の歎に暮れる

電探 20粁 潜航急げ 今日はいやに潜るものよ

今丁度本艦 沖縄、サイパン線上にあり 敵機の哨戒もちと念が入ってきたやうだ

今日もかく暮れなんとするか

かく必死必沈の攻撃を敢行すべく 敵を索めて洋上を航行数日に亘れば

如何に凡人なればとて世事に関心を覚ゆるなり

此の神國興廃の岐路に立てる秋 日本國内の状況如何

未だ火の足下に灯かんとするを感ぜざるが如し

口にて一億総特攻を云々する輩 黒山の如くあるも 之皆通一偏の旅役者なり

特攻と云ふも簡単なものにては毫もなし 最も困難なるものなり

唯命を捨つるのみならば 石に頭を打つけても同じなり

特攻の眞本髄は必死必沈の技を錬成し 以って必死必沈の体当り攻撃を敢行

一挙に敵を覆滅するにあり 

生易しきものにあらず 冀くは日本國民よ 皆此の気持を以って 皇運翼賛に進め

行くかはの 清き流に おのづから 心の水も 通ひてぞすむ

 

 

七月十九日

敵機の哨戒追々厳し 今日も潜航 一三〇〇頃浮上又も敵機 五機 潜航急げ

獲物も近し 見事驕艦のドテッ腹に 一撃喰はせん

敵の回避 之に対する研究怠るべからず

兎に角大東亜戦争の帰趨は 國民の精神力の強弱と 戦争に対する國民の熱意なり

眞正の日本人なれば 刀折れ 矢尽きるとも 絶対に弱音は吐かん筈なり

吾等には絶対他に対して誇り得る最策の武器あるなり

 

航海日記    2        

 

勝山  淳

更新日:2010/08/01