満蒙開拓団

殉難者拓魂 長野県 ・上伊那

 

伊那公園

長野県伊那市

満蒙開拓青少年義勇軍招魂碑

碑文

満州国開拓青少年義勇軍は 昭和十二年我が国の国策にして 満州国の広大にして肥沃なる未開の

原野を開拓し 食糧の増産と友好国大満州国建設の夢に強健なる体力と精神力を得た青少年による

移民団であり 又の名を鍬の戦士と呼ばれた 昭和十二年先遣隊渡満以来 終戦まで数百万の青少

年が大望を懐いて渡満した 然るに昭和二十年八月十五日終戦により日本引揚を余儀なくされた 

この間異郷にありて大理想郷建設の為日夜激務精励し 其の尊き犠牲となりん 又不幸にして病魔

に仆れ 又は大東亜戦争に出征し命を戦場に散した 全県下の拓友の尊い数多の御霊を慰めんがた

め 戦後三十一年を迎えた今日 生還せし同志相集いて此処に碑を建立し 其の聖霊を祀る

 

吾等の魂

碑文

吾等の魂を 永遠に 此処に刻む

昭和十六年三月 青少年は満蒙開拓の国策による■■■■建設を夢みて 上下伊那 南北■■ 諏訪

の五郡より 二百三十六名が内原訓練所に入所 同年六月渡満 寧安訓練所に於て三ヶ年の農事軍事

訓練を終て 十九年寧安県■■■西海浪龍川義勇隊開拓団として入植す 同年に■川団長病魔に斃れ

団員相ついで軍に召され 二十年発月ソ連軍侵入 敗戦と混乱の中に団を放棄し 団友は戦火に散り

病魔におそわれ シベリヤ奥地に囚われの身となり 苦難筆舌に尽し得ず かくして三十年の歳月が

流れ 生存者今ここに集い友を偲びつつ 真に平和を希って止まない 世界少年史上に比類なき可憐

にして壮烈な拓士達の青春の譜として 吾等の魂を此処に刻む

昭和四十六年十月十七日  龍川会

 

少年の塔

碑文

太平洋戦争中 いくたの若い生命が満蒙開拓青少年義勇軍として また学徒動員として 祖国の平和を

願いながら消えていった

その若くして散った霊をなぐさめるために この塔をたて 永遠の平和を祈念するものである

昭和三十六年四月建立

上伊那町村会 伊那市 駒ヶ根市 上伊那教育会 満蒙開拓青少年義勇軍遺族会

 

解説

太平洋戦争中、満州を開拓して我が国の食糧不足を補い、併せて満州の治安維持を図るという国の政策

に添って、全国で満蒙開拓青少年義勇軍が十代(十四 五才)の少年によって編成され、上伊那からの

参加者は八百名にも及んだ。

茨城県内原訓練所での研修を終えてそれぞれの地に入植し満州の開発を目指した少年達は、祖国のため

に尽くそうとする純粋な気持で不眠不休の努力を続け激動に耐えてきたのであるが、そのうち九十一名

は不幸にして祖国の平和を願いながら異郷の地で帰らぬ人となった。

また国策により学業を休み厳しい勤労に動員された学徒たちも含め、若くして散っていった上伊那郡下

における物故者の霊を慰め、永遠の平和を祈念するため、上伊那の市町村会を始め、上伊那教育会他各

種団体の協力により、伊那谷の生んだ芸術家、瀬戸団治先生の大作「鍬を持ち彼方大陸より望郷の念に

ふける少年の像」を昭和三十六年四月、ここに建立した。

上伊那満猛開拓青少年義勇軍 並 動員学徒遺族会

 

満光寺

長野県上伊那郡高遠町

満州三峯郷開拓団 拓魂碑

嗚呼痛恨 満州開拓の詞

資源乏しく狭い国土に溢れた日本人は 第一大戦後の経済恐慌に我国民の生活をも困難にした たまたま

満州国独立以来その発展と開拓とは国策として取り上げられた 長野県の県情かんがみ開拓団送出県とな

った 我三峯郷開拓団も地域の発展と食糧増産を図るために 昭和十六年旧高遠町 伊那里村 三義村

美和村 藤沢村 河南村 美琴村 冨県村 手良村 東春近村の一町九ヶ村を母体として結成され 同年

十月に基幹先遣隊の入植を見た その後第二次先遣隊引続き 本隊として入植した者二百九十三名であっ

た 祖先伝来すみなれた日本を捨てがたき郷土に袂を分ちて 茫々たる大陸の広野を北満のの地に鍬を振

ること四星霜 その間冬は寒風肌を裂き 夏は炎熱身をこがし 千辛万苦 協力一致して 入植 日尚浅

きにもかかわらず優良開拓団としての受賞にも聊かも怠慢の念なく ひたすら祖国に報いんものと開拓に

努力したものであった しかし戦火は益々拡大し若き団員は戦線に 年老いた者や婦女子は

増産に苦闘を続けたが 日本民族が夢にも想はない敗戦となった

そのため第二の故郷とたのむ成吉思汗開拓地にも安住することを得ず 安全地帯をさがし求める道すがら

植えて食なく宿するに家なく 雨の日も暗き夜も泥ねいになやみ 疲れ果てたる羊の群れの如く大陸を彷徨

い 漸くチチハルにたどりついたのであった これより約一ヶ年内地引揚までの抑留生活中 病に倒れた殉

難者は実に百二十三名 大業の夢も空しく懐かしの土を踏むことあたわず 異国の土となる 嗚団員同志の

無念如何ばかりか

ここに謹んでその霊を慰め ご冥福も祈る次第である 合掌

昭和三十二年九月  元満州三峯郷開拓団永和会

 

戦没者、満蒙開拓殉難者 位牌堂

説明版

この位牌堂には満州事変以来大東亜戦争にいたる、かの大戦において祖国日本の繁栄を信じつつ尊い命を国に

捧げた一一九柱戦没者英霊と、国策の満蒙開拓に命を捧げ国に殉じた五〇柱殉難の霊が奉祀されています。

春の彼岸、八月のお盆、秋の彼岸中は、この位牌堂は開扉されますのでご自由に御焼香 御礼拝ください。

平成七年一月一日  高遠地区遺族会

 

常秀院

長野県駒ヶ根市

第十一次伊南郷開拓団 犠牲者慰霊塔

碑文

第十一次伊南郷開拓団 昭和四十三年十一月二十七日建立

 

銀河ドーム

長野県上伊那郡中川村

満蒙開拓殉難慰霊碑

碑文

満州事変直後 満州開拓の国策に順応して逐次渡満せる 本村出身者は農業移民四十数家族 青少年義勇軍

参加者二十数名に達せり 未開の大地に我々建設の鍬を振ひて築きあげし楽土は 其の基礎愈々確立し新た

なる第二の故郷として漸く安固なるものあるに至れるは 等しく衆の讃する所なり 然るに太平洋戦争の末

期即ち昭和二十年八月八日 突如ソ連軍の宣戦侵入により 楽土は一瞬にして修羅の巷と化し 軍指定の地

域に避難中の者 或は凶刃に斃れ 或は栄養失調に倒れ 或は悪疫に死し 或は自決して終はん 又洵に悲

惨の極痛恨永久に消えざるなり 仍ち茲に碑を建て以て殉難諸霊を慰むると共に 開拓の先駆者として祖国

に一身一家を献けたる遺功を不朽に伝えんとす 是れ■■諸霊に報いんとする所以なり

昭和二十九年十一月三日建立  南向村

 

北    信  東   信  中    信

諏    訪  上 伊 那  下 伊 那  木   曽

 

満蒙開拓団    拓魂・長野県

更新日:2011/11/03