高野山 山内

和歌山県伊都郡高野町

 

 

ビルマ戦没者慰霊

  

成福院 摩尼宝塔

建立趣意

霊峰高野の懐に抱かれるように聳える摩荷宝塔は第二次世界大戦のビルマ(現国名はミャンマー)作戦で、

再び祖国の土を踏む事も無く異国の山野に眠る戦没者の霊を慰めるために建立されたものです。

 ビルマの戦いは苦しく悲惨なものでした。三十万の日本軍が戦い二十万近い将兵がたおれました。敵も死に

ビルマ人も戦いの犠牲となりました。 敵も味方も祖国のために戦い、数多くの悲しみを残して終わった戦争を

いつまでも語り、忘れないた めに写真や遺品を展示し、戦没したすべての人々の鎮魂と共に世界恒久平和を

祈る摩尼宝塔でもあります。平和を愛する多くの人たちがお詣りし、毎年七月の第三日曜日にご遺族、戦友に

より、盛大な大法要 が行われ、ご冥福と世界平和をお祈りしています。

弔護國英霊

日東男子有驍名 奮躍赴難超死生 大陸戦塵屠巨鷲 大洋波浪討長鯨

遠征万里殉君国 遺烈千秋照八紘 勇士神霊今在此 至誠拝跪弔精英

 

遺骨収集団が持ち帰った遺品の一部

 

遺骨収集団が持ち帰った遺品の一部

 

奥の院

    

ビルマ戦没者納骨塔

建立由来記

先の第二次世界大戦では ビルマ方面の戦場に於いて十八万余の生命が失われ  その遺体の多くは心なら

ずも戦野に取り残された。これらの遺骨を収めてその霊を慰め且つ人類の叡智に背く戦争を永遠に抑止する事

は生き残った我等とその子孫の使命であると信ずる。夙に前官大僧正上田天端師は、戦没者慰霊のため戦後

十三年の歳月を費やして高野山に摩尼宝塔を建立し 毎朝英霊の護摩供養を祓修された。昭和三十一年には

宗教界を代表してビルマ国への遺骨収集団に参加され、同三十四年その御分骨の下付を受けられた。

更にその御分骨の永代奉安のため 納骨塔建立を発願されたが志し半ばにして同四十九年八月遷化されたこ

とは真に痛恨の極みである。昭和五十年より同五十三年の間九度に亘り日本政府派遣遺骨収集団がビルマ、

インド、タイの各地へ派遣され、収集された御分骨が摩尼宝塔に合祀された。

茲に於いて当奉賛会は 故上田天端大僧正の納骨塔建立の御意志を継承された仲下端法師の悲願に応え、

関係遺族 戦友会及び当時の在ビルマ民間団体 その他広く一般に呼びかけて有志の寄進を仰ぎ 戦争犠牲

者を慰霊すると共に 世界の平和を強く祈念し 此処にビルマのパコダ形式の納骨塔を建立した次第である

南無釈迦牟尼如来 大恩教主 南無戦没英霊 代受苦菩薩

昭和五十五年七月吉祥日  高野山摩尼宝塔奉賛会

 

高野山海軍航空隊(予科練)

  

本王院/高野山海軍航空隊適性部隊跡                        正智院/士官宿舎      

 

  

宝城院/111分隊宿舎                             明王院/112分隊宿舎

 

  

桜池院/113分隊宿舎                          清浄心院/134分隊宿舎

 

奥の院

  

高野山海軍航空隊 平和祈願供養塔

碑文

ここ聖地高野山は 太平洋戦争が熾烈を極め 風雲急を告げる昭和十九年八月十五日  三重海軍航空隊

高野山分遣隊として開隊 海軍飛行予科練習生が 日夜厳しい訓練に励んだ「予科練」基礎教育隊跡である

卒業した練習生は 特別攻撃隊員として各航空戦闘基地へ転隊 祖国日本の護りに身命を捧げ 空に 海に

陸に 散華した

此の供養塔は 戦死した戦友 焦土と化した日本再建のために尽くして来た物故者の慰霊と 悠久の世界平

和を祈願するため 高野山海軍航空隊菩提寺 本王院住職野中義孝和(高野空教員)の格別な御尽力と関

係者多数の御協力に依り建立した 合掌

昭和六十二年十月  高野山海軍航空隊供養塔建立委員会

 

海軍第十四期飛行予備学生

大円院

 

奥の院

    

海軍第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔  ああ同期の桜

碑文

第二次世界大戦の戦局が不利となり国家存亡の時に当たって、大学、高等専門学校の、主として文科系に

在学する学生全員が徴兵されて陸海軍に入隊した。このうち海軍の航空関係委員となったのが第十四期飛

行予備学生である。

彼等は互いに「貴様と俺とは同期の桜」とうたい、「散る桜、残る桜も散る桜」と語り合った仲であるが、この中

の四百余名の者が、訓練中の殉職、あるいは西太平洋各地において戦死、もしくは戦傷病死、はたまた神風

特別攻撃隊として散っていった。

その多くは戦争末期の十九四五年に戦死している。この塔はあたかもその二十三回忌にあたる十九六七年に

生き残った動機の桜によって建立された。塔は千手観音の慈悲と不動明王の怒りの炎をあらわしたもので、塔

内には戦没者が記名されている。

第十四期

 

  

鶴田浩二の墓/海軍第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔の傍らに建立されている

 

高野山 奥の院表参道   高野山 奥の院裏参道

 

鎮魂の霊地

更新日:2009/07/05