私の登った山 山行記録
その一

 山に囲まれた山梨県で育ったのに、学生時代はいろいろな意味で山に登る余裕がなかった。大学を卒業して就職、東京に住むようになってから、山に登りたくなった。交代制の仕事だったので、勤務明けから休日を挟んで次の出社時間までを利用すると、比較的に自由な時間を持つことができた。
 山といっても「山岳部」「山岳会」的な登山ができる筈がない。左手は子供の頃に煩った小児麻痺のため発育不順の気があるし、左足もその傾向が残っている。よじ登ることは無理だった。丘歩きの類である。
 山に登ると、その地域の地形図を求め、歩いた道のりを赤鉛筆で書き込んでおいた。それを引っぱり出してこの記録を作っているが、日時は不明な点が多い。(日記は3日続くと後は白紙になる癖がある)

「故郷の山は、遠くにありて想うもの」


磐梯山
  時:1957-08-24〜25    同行:江川利水氏(職場の先輩)

 猪苗代町のバス終点から上津(ハニツ)神社脇のスキー場を登る。赤埴山(1427)、弘法清水を経て火口壁の上へ、爆裂口を右に見ながら磐梯山(1818.8)山頂へ。中ノ湯の白く濁った湯に浸かった後、火口壁を下る。五色沼を散策。
 檜原湖湖畔のビア樽コテージに1泊、翌日は湖畔を散策して前日の下山地点へ。バスで国鉄猪苗代駅へ。
  【注】後日、代田教会青年会の1行と同じ経路で登山、曽原湖湖畔でキャンプ。

箱根外輪山(明神ケ岳・金時山) 時:1958-11-19  単独

 小田急松田からバスで関本へ、乗り継いで最乗寺終点下車。明神ケ岳(1169.1)へ。尾根伝いに矢倉沢峠を経て金時山(1213)、頂上には金時娘が2人(軒)。富士山を正面に眺めながら尾根を下り、乙女峠から姥ケ茶屋へ下山、仙石原からバスで湯本へ。

丹沢(長尾尾根・塔が岳・鍋割山稜)      時:1958-11  単独
丹沢(大倉尾根・塔が岳・丹沢山・三峯山稜)  篠山一恕・中井薔薇子(会社の仲間)・宮内良子(看護婦)氏
丹沢(表尾根)                    単独
丹沢(下社・大山・やびつ峠)            単独
丹沢(中川温泉・犬越路)             宮崎友衛氏(職場の仲間)

陣馬高原(陣馬山・景信山・高尾山)     時:     単独

那須連邦(茶臼岳・旭岳・三本槍・甲子山) 時:     同行:手塚旭氏、上田和明氏(職場の仲間)

 前夜は職場の慰安旅行で那須温泉に泊まり、嵐の一夜を過ごす。バスで終点の大丸温泉へ、鉱山事務所跡を見て峠の茶屋へ。昨夜の雨が雪となって白く彩り、各所に噴煙を上げる茶臼岳(1917)の火口を一周し、峠に戻って朝日岳(1903)へ。縦走路に従って三本槍岳(1915.2)、赤崩山(1835.2)、甲子山(1548)を経て甲子温泉に泊まる。翌朝は阿武隈川上流を下り、一番バスの到着を待っておにぎりで朝食。白川駅へ。

御坂山系(鬼ヶ岳・節刀ケ岳)   時:     単独

 紅葉台(1162)から樹海の中を、京都から来た画家氏と同道で西湖YHへ。1泊。
 翌日、根場集落から鍵掛峠へ、尾根伝いに鬼ヶ岳(1738)節刀ケ岳(1736.4)と縦走、大石峠(1527)から上芦川集落へ下山。鳥坂峠を越えて花鳥村奈良原集落へ。
 (1966=昭和41年9月25日の台風による土石流で念場集落の殆どが流失、住民に多くの被害を与えた。多くの住民は精進湖畔の新開地へ集団移住した)

富士山    時:1959-7        同行:手塚旭氏(職場の先輩)

 勤務明けで新宿から富士吉田へ。4駆バスで5合目古御獄神社へ。夜中中、吉田口登山道を登り、明け方に山頂へ。曇りでご来光は望めず。火口壁の雪渓を火口底の金明水へ、お鉢を左回りに富士山頂(2776.3)を経て銀明水へ。御殿場登山道を下り、宝永火山脇から砂走りを5合目まで下る。バスで御殿場へ。

甲斐駒ヶ岳(2965.6)    時:     同行:上田和明氏(職場の仲間)

 夜行列車で飯田線伊那市駅へ、薄暗い内に始発バスで戸台終点へ。戸台川を遡上して赤河原分岐へ、八丁坂を詰めて北沢峠(2032)を越え北沢長衛小屋泊まり。翌日は風雨交じりの天候、仙水峠から尾根伝いに駒津岳、六万石を経て駒ヶ岳(2965.5)山頂へ。ガスの為頂上を確認するのに苦労する。7合目小屋は前日に主人が下山して無人、先客1人と火を起こして炊飯、1泊。
 翌日は雨は上がり、黒戸山(2253.7)を経て柳沢の駒ヶ岳神社へ下山。

東北主稜縦走(八甲田・八幡平・秋田乳頭山) 時:1959-08-17〜20  同行:湯本浩氏(下宿の同居人)

 上野から常磐線・東北線経由の夜行列車で青森へ、後続の湯本氏を待つ間に支局(東奥日報社内)へ寄り、宿直者を起こしてしまう。
 国鉄バスで酸ヶ湯へ、湯本氏は卒論(東大4年)で宿へ直行。私1人で八甲田大岳(1584.6)へ上り展望を楽しむ。蔦温泉で追いつき、大町桂月の墓を散策。
  【注】後日、東北夫婦旅行の折、八甲田ロープウェーで田茂やち岳(1326)を訪れている。
 翌日はバスで休屋乗り継ぎ、十和田南へ。国鉄花輪線で陸中花輪下車、バスで玉川温泉へ。満杯のためバスで折り返し、トロコ温泉下車、後生掛温泉まで歩きオンドル式宿舎に1泊。
 翌日は尾根伝いに途中で地獄噴気、蒸ノ湯を覗いたりして八幡平山頂(1613.6)へ。
  【注】後日、光恵とアスピーデラインを松川からドライブしている。
尾根伝いにモッコ岳(1577.8)、諸桧(モロビ)岳(1516)、険阻森(1448.2)、大深岳(1541.4)、三石山(1466)と縦走、滝ノ上温泉(鳴声の滝)へ。最後の下りは懐中電灯の世話になり、右膝を倒木に当てて打撲、歩行がやっと。1日で28キロ歩く。元警察官だったという宿の主人と懇談。
 翌日は烏帽子岳乳頭山=1477.5)を越えて乳頭温泉群を片目に蟹湯バス停へ。秋北バス(都バスと同色)で生保内駅へ。国鉄生保内線で大曲、奥羽本線夜行急行列車で上野へ帰り翌日の出社時間に間に合う。

鳳凰三山(薬師岳・観音岳・地蔵岳)  時:     同行:塩沢寿美子・篠山一恕氏(会社の仲間)

 芦安バス終点から宿のバスで桃の木鉱泉へ、1泊。翌日も宿の車でトンネル入口まで。夜叉神峠(1770)から稜線伝いに辻山(2584.7)を経て南御室小屋へ、自炊泊。
 小屋裏から急登、薬師岳(2762)山頂の岩上でみそ汁を作って朝食、野呂川越しの白根三山の眺望に感激。観音岳(2840.9)、地蔵岳と過ぎて北御室(地蔵)小屋の主と話す。彼は天気図を付けているので有名、甲州弁には私の通訳が必要。ドンドコ沢を直に下り、青木鉱泉に泊まる。

八ヶ岳(硫黄岳・横岳・赤岳)   時:1958-8    同行:小川道雄・三和紀夫氏 (教会青年会の仲間)

 小海線小海駅からバスで稲子湯へ。本沢温泉を経て夏沢峠硫黄岳(2760)から石室泊まり。
 翌日は大同心小同心の岩峰を横目に鎖に掴まりながら横岳(2825)へ。最高峰赤岳山頂(2899.2)から県界尾根を美し森山(1542.4)へ下山、清泉寮での青年会修養会に参加。

石老山               時:1962-04-    同行:多数(会社の仲間)

 その年の1月、谷川天神平スキー場で右足腓骨を骨折、世田谷の大蔵病院に入院治療をうけた。その全快祝いとして山の仲間が計画してくれた。全行程を踏破し、全快を確認した。


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