通信社の歴史

 

 通信社と名の付く組織の発生は古いが、新聞には大分遅れて誕生する。明治20年代にはその名も見られるが、財源も現代のように株式会社[時事通信社]や、新聞社など報道機関の分担金による社団法人[共同通信社]ではなく、政府や政党がスポンサーになった言論機関である。新聞の発祥と似ており、政治や経済政策などの記事が1面に、社会記事や運動記事は後の面に載る傾向も、その影響か。

 

 政府や政党お抱えの「通信社」を名乗るものが沢山出来たり潰れたりしたが、主な動きを辿ってみたい。

 

1887 明治20 東京急報社 手旗信号などで米相場を速報 商況通信の元祖

1888 明治21 時事通信社(現在の同社とは異なる)

    最初の新聞通信社 三井物産の益田孝が出資

1892 明治25 新聞用達会社と時事通信社が合併、帝国通信社(帝通)創立

       米国AP・オブ・イリノイ(現APの全身)創立

       その後、ニューヨーク州法により非営利、共同ニュース編集機構に発展

1894 明治27年                             日清戦争   

1901 明治34 日本広告KK創立 電報通信社併置

1904 明治37年                             日露戦争   

1906 明治39 日本電報通信社(電通)創立 上の電報通信社を買収合併

1907 明治40年 米国にUP創立 日本電報通信社が契約

       日本電報通信社が日本広告KKと合併

1914 大正3年 3月 国際通信社(国際)創立

       社長:樺山愛輔 総支配人:ケネディー 資本金10万円

    明治43年に渋沢栄一が実業団訪米使節団、日本の記事が量・質とも貧弱

    対外通信社の必要性を痛感・・・設立の動機

                               第1次世界大戦勃発

        上海に東方通信社創立(社長・宗方小太郎) 対中国広報

1918 大正7年                           シベリア出兵

1925 大正14年 東京放送局(JOAK)試験放送開始  (大阪JOBK試験放送)

         愛宕山から本放送開始   

1926 昭和元年 東西8大新聞社が主体となり、国際通信社と東方通信社を合併して

    非営利新聞組合主義の日本新聞聯合社(聯合)創立 専務理事:岩永祐吉

           日本放送協会(NHK)設立

1927 昭和2年 国際が帝通への外電供給契約満期に伴い、地方紙へ直接配信

1929 昭和4年 帝通破産 東方通信社に代わり聯合が支那に進出

1931 昭和6年                            満州事変

         聯合が広告聯合社を合併、広告部の業務を継承

         聯合専務理事の岩永祐吉「満蒙通信社論」を関東軍司令部に献策

1932 昭和7年 上海事件で聯合は英文を含め日本側情報を現地で発行   515事件

                                  満州国建国

          満州国通信社(国通)が新京(長春)で創立・業務開始

1936 昭和11年 (社団)同盟通信社(同盟)発足  前年暮に聯合解散   226事件

           電通の通信部は同盟に、同盟の広告部は電通に合体

    1月に逓信省が国際放送電報の規則を改正、ニュース放送電報の発信と受信を

同盟のみに許可、電通は広告代理業専門の会社となる

1937 昭和12年 同盟が無線時事通信社 社長・伊藤正徳 を買収、船舶向け放送開始

    国通が満州弘報協会から分離、株式会社に(資本金50万円)支那事変(日中戦争)勃発

    同盟がニュース映画製作開始、北京支局の華文部を中心に中華通訊社創立

1939 昭和14年 同盟・国通を結ぶ日満専用電話開通         ノモンハン事件

1940 昭和15年 中華連合通訊社を解散、中央通訊社を設立     汪精衛新政府樹立

    朝日・毎日・読売・同盟が共同して(社団)日本ニュース映画社創立

                             紀元二千六百年記念式典

1941 昭和16年 太平洋戦争始まる             陸軍大臣「戦陣訓」示達

1945 昭和20年                      広島原爆 長崎原爆 ソ連参戦

    同盟が「ポッダム宣言受諾決定」を対外無線同報で全世界に報道

    1031日、同盟が解散。翌日の11月1日、次の2社に分かれて業務を継続した。

      社団法人 共同通信社(理事長・伊藤正徳)

      株式会社 時事通信社(代表取締役・長谷川才次)

 

 大まかにそれぞれの「寿命」を見ると次のようになる。

 

 帝国通信社(帝通)   1892(明治25)〜1929(昭和4)  37

 日本電報通信社(電通) 1906(明治39)〜1936(昭和11)  30

                  広告代理店業務は現存  100年以上

 国際通信社(国際)   1914(大正3)〜1926(大正15)  12

 日本新聞聯合社(聯合) 1926(大正15)〜1935(昭和10)  9年

 同盟通信社(同盟)   1936(昭和11)〜1945(昭和20)  9年

 共同通信社(共同)   1945(昭和20)〜現在       60年以上

 時事通信社(時事)   1945(昭和20)〜現在       60年以上

 

 国際以降の3社はそれぞれ約10年。戦後の2社が半世紀を続いているのは奇跡的とも言える。それにしても広告代理店「電通」は創立100周年を迎えたことになる。

 

 政治言論機関から不偏不党のニュース報道機関へ。しかし経営基盤(運営資金)の不安定から政治機関(政府・政党)からの資金援助に頼る。

そのため、国の衰退(国威・国力)と密接に関わる。

 

 第2次大戦までのヨーロッパにおける近代的通信社 3強の場合

 一時は世界をこの3社で分割独占体制にあり、アジアはロイター(Reuter)の領域とされた。

 米国のAPが対抗、いまやUPIと共に世 界通信社の一員に。

 

 フランス:アバス  1833(天保6)年  創立 (シャルル・アバス)

        1940(昭和15)年 フランスの降伏により消滅。

        1944(昭和19)年 連合軍による解放でAFPとして現存。

 ドイツ:ヴルフ   1849(嘉永2)年  創立 (ヘルンハルト・ヴオルフ)

   第1次大戦に敗れて国家通信社に転落。

        1933(昭和8)年 ナチ政権の国営通信DNBに吸収合併。

   第2次大戦に敗れて、1945(昭和20)年

      西:DPA、東:ADN に分断された。現在はDPAとして活動。

 英国:ロイター   1851(嘉永4)年  創立 (ユリウス・ロイター)

      英国の植民地を結ぶ電信ケーブルの伸張を追いかけるようにして世界へ進出、
      上海を経由して日本に最初に入ってきた通信社。

      世界最大の通信社で、最近では経費の9割がた経済通信からの収入。

 【注】ヴォルフ、ロイターの2人はアバスで働いていた人物。

 

通信社の部屋トップ  和の部屋トップ