尼崎キッズワークショップの報告3【子供達の震災語録 平成9年8月収録】ゆきさん (小学5年/3年)私は地震でぐらっとした時はまだすやすやと寝ていた。地震が治まると、お母さんにたたき起こされ、やっと目が醒めた。 目が醒めた時はボーとしていて、何があったか分からなかった。 それでお母さんに聞いてみると、地震があったと言っていた。 その時初めて何があったか知った。 その後はまず、外に出た。近所の人も外に出ていた。 近所の人は「地震すごいゆれたねぇ。」と言っていた。 地震で私の住んでいる三丁目と描いてる所も崩れていて、落ちそうで危なかった。 家の中もテレビが台から落ちていたり、食器棚の食器が割れていた。 私の机の台も落ちかかってっていたし、ガラスの破片とかも落ちていたから、 動く時危なかった。 ガラスの破片なども探すのが大変だった。 地震で一番困ったのは、水が出なかったことだった。 私の所はお母さんやお父さんが働いている店があったので、 そこから水を持って帰って使っていた。 店の方はあんまりゆれなかったそうだ。 だから水が出ないうちは、店の水が使えて良かった。 地震の時は寝ていたけど、お父さんやお母さん、友達から地震の話を聞いて、 地震はとてもゆれ、恐かったんだと思った。 ハムちゃん (小学3年/1年)私は小さなころのとき、じしんがおこりました。わたしは、じしんがくるとわかってて、ふとんにもぐりました。 じしんがきて、おねえちゃんたちのベッドがおちそうになったけど、 おとうさんがおきてベットをおさえてくれました。 おかあさんが「ちさはどこや」といいました。 「あっ、おった」といいました。 そんなことわたしはきずかずにねていました。 あやめさん (小学5年/3年)五時四六分「ドングラグラ」と大きな揺れが来た。私とお母さんと妹は、和室で、お父さんはひとり子供部屋で寝ていた。 私は少し寝惚けていたので、お母さんに起こされた時、何があったのかを初めて知った。 お父さんが寝ていた子供部屋は、うそだと思う光景があった。 本棚が倒れてガラスが一面飛び散っていた。 お父さんは無傷だったけど、もし私がひとり子供部屋で寝ていたら どんなことになっていただろう。 二階に降りてみると、テレビが落ちてたり食器が流しの所に散らばっていたりしていた。 でも私の家はそんなに大きな被害は無かった。 しかしもしまたあの大きな大地震がきたらと思うと「ぞっ」とする。 地震は自然が起こす自然災害だ。 人間がいくら科学を進歩さしても、地震には立ち向かえない。 そんな真実を目の前にして、自然はとてつもなく凄い力を持っているんだろうな。 と思う反面、少し自然がこわいと思った。 アリスさん (小学5年/3年)私は地震で、ぐらぐらっとした時に、目が覚めました。揺れている時はこわくなかったけど、家がくずれるかと思うとこわくなった。 停電になって、ローソクを探して火をつけた。 下に降りたら、お母さんが「お皿が割れて危ないから、こっちにきたらあかん」といった。 水道の水が出なかったので、出る所を探した。 いっときして、近所の家の水が出たので、そこの家の水をつかわしてもらった。 地震の後の学校で、クラスの子と地震の話でもりあがった。 先生も地震の話ばかりしていた。 学校で部屋のひび割れとかを直すために、全ての学年やクラス別に他の部屋で、 何日か給食や勉強をしたりしていた。 私はそこの部屋で勉強するのが楽しかった。 地震はいつゆれるか分からない。 用心、用心。 みみちゃん (小学3年/1年)じしんの時、お父さんのお茶わんがわれた。とてもこわかった。おかあさんがまもってくれた。 その時あんしんした。 おふろの水、おじいちゃんとお母さんといれてくれた。 ありがたいとおもった。 ももちゃん (小学3年/1年)「じしんの時のもも」じしんがゆれてこわかった。 だいどころをみたらもちゃわんやおさらがわれた。 ねているとき、おかあさんがおきて、まもってくれた。 ゆきこちゃん (小学3年/1年)なにがおこったのかな?めがさめたら、お母さんがよこに、そしてその上にお父さんがのって、 わたしをまもってくれた。 すごくこわかった。 まえの日、おじいちゃんからもらった水がとてもたすかったとお父さんがいった。 わたしもこの水がとてもおいしかった。 みずほちゃん (小学3年/1年)ゆれている時はねむっていて、わからなかったけれど、停電していてこわかった。明るくなったらテレビがたおれて、食器がわれていた。 すぐ近くの水道局から、水がでるときいて、お母さんと水くみになんどもいった。 なつきちゃん (小学3年/1年)ゆれたときこわかった。テレビがおちていた。 もうじしんがおきないでほしいとおもった。 悟空くん (小学5年/3年)地震がおきたとき、犬のクロがいつも寝ている箱みたいなところから布団に入ってきて、 地震が終わるまで布団のなかにいた。 終わってから、布団から出ると電気と電話がつかえなかった。 フロもひびがはいって当分入れない、学校もひびがはいった。 その日からすこしのあいだ、学校がなかった。 学校が始まって、友達も家がたおれたりして大変な子がいた。 地震の前の日に遊んだ子のお母さんが家のしたじきになって、亡くなった。 心配だった。 先生も被害が多かった。 |
キッズワークショップ | 阪神大震災後の子供達のワークショップ 表紙 |
98年 尼崎キッズワークショップの報告 | 当事者のワークショップレポート |
尼崎キッズワークショップの報告1 | こどもたちのワークショップの姿、井戸端会議より |
尼崎キッズワークショップの報告2 | こどもたちとのワークショップの姿、雑誌の記事より |
尼崎キッズワークショップを支えてくれた若い友人達 | 感謝を込めて |
キッズワークショップのプログラム | わたしたちの姿勢と原則 |
シアターワークスへ託された言葉 | うでまくり洗吉氏の言葉 |
NPO兵庫県子ども文化振興協会設立 | 引き継がれる神戸シアターワークス・キッズワークショップの志 |
TOPへもどる |
演劇の部屋 |
神戸シアターワークス |