長島ダムの建設が決まると、ダム完成時には一部区間が水没する井川線は存続の危機に遭遇することになった。もともと赤字路線
であるから、これを機会に廃止したいのが本音であっただろうが、幸いにも、水没区間の付け替
えにより存続することになった。もともと山間部のスペースに余裕のないところを切り開いて敷設された線路だから、ダム湖
を大きく迂回する線を作るのも難しかったのだろう。河岸に張り付くような急勾配の線路でダムの高さを乗り越え湖面より上に達
する。この区間では、アプト式が採用されることになった。
アプト式は、2本のレールの他にラックを敷き、車輌のギアと組み合わせて急勾配を登るものであり、スイスの山岳鉄道のほかに、
かつては信越本線の碓氷峠越え
で使用されていたことで有名であるが、その区間だけ特別の機関車を接続しなければならないことから、運行ではボトルネックとな
ってしまう。そこで碓井峠では新線がつくられ、昭和38年で廃止されている。
一方、この井川線は運行本数も少なく、手間のかかることも特に問題はなかったようで、この方式をあえて復活させることになっ
た。日本唯一のアプト線を観光の目玉とし、南アルプスあぷとラインの愛称がつけられた。 |
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新線一の大掛かりな構造物、レインボーブリッジ。奥大井湖上駅を挟み2つのトラス橋が架かる。 |
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付け代えられた区間の急勾配を登るため、市代駅で最後尾、通常機関車の後ろにアプト用機関車が連結される。
アプト区間だけは電化されているので、この機関車は電気機関車。 |
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アプト市代駅を出た列車は、大井川をこの市代橋で右岸に越える。 |
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アプト化以降、機関車は常に千頭側に連結され、井川方面の運行では客車を押し上げる推進運転となっている。
アプト化区間以外でも、湖面を避けて、元々の経路とは異なった新線が敷設された。私がこの旧線跡を98年にたど
った試みは、こちらのページ。
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千頭駅に停車中の井川線。98年に撮影したもので、このときは、クリーム色と赤の塗装であった。現在は白と
赤の塗装に塗り替えられている。 現在の写真はこちらのページ
で見れます。 |
川根両国駅は、井川線の車輌基地であり、中部電力の施設もあり、線路脇に無蓋貨車がおかれていた。
これらは、昭和28年に製造されたものであるから、井川線とともに半世紀の日々を送ったことになる。中でも重量
物輸送用の貨車は発電所建設用であった井川線の特徴をよく示しているものであると思う。 |
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井川線の車内は狭い。シートは左側に1人、右側2人掛けの3列である。
特にその車高が低いので狭さが強調される感じだ。 |
奥泉駅に停車中の井川行き列車。この写真はアプト化以前の90年に撮影したもので、
機関車は井川側の先頭に連結されている。 |