「鶴見川橋」は、以前は、「鶴見橋」呼ばれていたので「鶴見橋関門旧跡」となっている。

 文久2年(1862)の生麦事件後、その警備のために、川崎宿から保土ヶ谷宿の間に、20箇所の見張り番所が設けられました。鶴見村には、第5番の番所が鶴見橋(現鶴見川橋)際」に、その出張所が信楽茶屋向かいに、また、第六番の番者が京浜急行鶴見駅前に設けられました。
 「鶴見橋関門旧跡の碑」は昭和43年に建てられましたが、もともとの石碑は古く、明治の頃に作った碑の拓本が鶴見神社に残っておりこれを元に復元したものです。

 信楽茶屋は現在ラーメン屋さんになっていますが、江戸時代鶴見村で最も繁盛した茶屋でした。
 一度覗いてみては、http://www.shigaraki-dyaya.co.jp/


一つ前にもどる   次に進む   トップページへもどる