入院から手術そして退院まで

9月 2日

入院当日。
 今日はいよいよ入院の日となった。この日を待ち望んでいたような、避けてきたような複雑な心境である。
 指定された午前10時に病院到着。受付で待たされて、10時30分病棟着。病室は4人部屋で、想像したより広くて明るく、清潔そうだ。色々やっているうちに昼となり、午前中に予定されていた看護師の聞き取り調査は午後からとなった。 
 午後面談室で看護師の聞き取り調査と病棟での生活の説明。
 夕方、男性の看護師が明日の予定と、手術前の準備のための薬を持ってくる。 午後5時半過ぎに夕食となる。 明日から普通食ではなくなるとの事で、暫くの間堅い物を食べられなくなるため、じっくりと噛みしめて味わう。
 食後、何もする事がなく、入院中はとにかく「暇」だということを実感する。

 なにせ、初めての入院のため、色々な勝手が分からず、ただうろうろするのみ。 周りの入院患者さんは、いつもの時間の流れで動いているので、妙にくつろいで見える。

9月 3日

手術前日。
朝から昼まで何もすることがなく、所在なく過ごす。 午前中麻酔科での簡単な問診を受ける。 
 夕食からは絶食となるので、昼食の鳥のささみの入ったうどんを噛みしめながらゆっくりと味わう。 
 午後2時過ぎから手術に備えて腸を洗浄するために「フレックス」という若干甘酸っぱい下剤を飲み始める。 この「フレックス」は以前直腸検査の際に一度飲んだことがあるが、1リットルまでは順調に飲めるのだが最後の1リットルがなかなか入っていかない。 やっとの思いで飲み干して、その後トイレとの往復の繰り返し。
 午後遅く家族と共に手術の概要の説明を受ける。 いわゆるインホームドコンセントというもので、もっと詳しい説明があるかと思ったが手術の際に取り出す組織や血液等を研究に使用する事に対する承諾書にサインを求めるのが主な目的のようだ。 難しい専門用語がびっしりと書かれた書類に何枚もサインをする。
 結論的には、手術により感染症、合併症の危険の説明及び場合によっては排尿障害、前立腺の障害が発生するとのこと。 手術中の出血が600cc以下であれば、輸血も行わないとのこと。
 夕方になって、明日の麻酔を担当するという麻酔科の研修医が訪れたが、いまいち頼りなく、少々不安である。
 午後9時の消灯を迎え、いよいよ手術は明日と覚悟を決めて就寝。

 麻酔科の問診は、あっけないほど簡単な物だった。 こんな簡単な説明であればわざわざ外来まで出かけて行く必要があるかいささか疑問。
 手術に関する説明も思ったより簡単なものだった。 もう少し実際の手術の内容の説明をしてもらいたかった。
 現在のチェック体制では感染症に対する不安が拭えない輸血も、場合によっては不要との事で少々安心する。

9月 4日

手術当日。
 朝五時半過ぎに目覚める。昨夜は眠れないかと思ったが、朝までぐっすり眠る事が出来た。
 早朝6時に若い看護師さんが浣腸に訪れる。 若い看護師さんと二人で身障者用の個室のトイレに入り、ズボンを下げて浣腸してもらう。 手術の準備として必要だと言うことは充分承知しているものの、何とも妙な気分である。
 八時半過ぎにドクターが訪れ、手術中何が起こるか解らないので、人工肛門を取り付けなければならない場合に備えて人工肛門を取り付ける場合の位置を決めるとのこと。 これまでの説明では、「人工肛門の必要は全く無い」との説明だったため、「えぇぇ〜っ」聞いていないよ〜!!状態。 左下腹部に油性マジックで大きく「×」の字を付けられてしまう。
 午前10時にいよいよ手術室に入る準備が始まる。 服を全部脱がされてストレッチャーの上に寝かされ、上からパジャマと毛布を掛けられる。 同じ病室の方から「頑張って来て!」との声援に送られて手術室へ向かう。 動く天井を見ながらやがて手術室に到着。

  手術室には優しい?!看護師さんが2名が待ち受けており、これからの手術の手順の説明を簡単に受ける。 その後、頭にキャップを被せられて、手術台へ移動し、術後の傷口の痛みを緩和するための、背中への硬膜外麻酔の準備が始まる。 
 背中をエビのように折り曲げて、脊髄に針を刺す痛みを和らげる局部麻酔薬を注射される。 いよいよ、硬膜外麻酔の針を刺し始めたのだが、例の頼りない研修医が、指導教官と思われる人物から「何をやっているんだ!」と大きな声で叱られており、研修医はひたすら「スイマセン」と謝っている。 何が起きているのか把握出来ぬまま、口を麻酔用のマスクで覆われ、不安を抱えながら意識が次第に遠のいていく。
 
 突然の明るい光で意識を取り戻すとストレッチャーに載せられて手術室から出るところだった。 どうやら、生きてはいるようである。
 全身麻酔から覚めたばかりというのに、意識はしっかりとしている。 家族の顔が見えたので、気になっていた人工肛門を取り付けたか否かを確認する。 人工肛門の必要はなかったとの事で、ひとまず安心する。
 全身に倦怠感を覚えるものの、麻酔が効いているのか手術後の痛みはほとんど感じない。 朝と同じように、動く廊下の天井を眺めながら病棟に戻る。
 戻された病棟は、重体の患者やICUへの入院は必要ないものの、しばらくは充分な介護が必要な手術後の患者が入る個室だった。 改めて自分の現在の状況を確認してみると、指には心拍計のセンサー、腹部には手術した場所から膿や排泄された体液を外に出すドレーンの太い管が出され、左腕には何本かの点滴のチューブ、尿道には誘尿管、鼻からは胃まで延びるチューブ、そして肛門にも縫合した腸に負担が掛からないようにするためのゴムの管が刺さっている。 そして、顔は酸素吸入用のマスクで覆われるという、絵に描いたような「スパゲティー」状態となっている。
 家族に時間を聞くと、午後5時過ぎということで、手術には麻酔に必要な時間を含めて6時間以上かかった計算となる。
 顔に付けている酸素マスクで呼吸がしにくく、酸素マスクを外してもらえるように医師にお願いするが、ダメだとのこと。 自分でも呼吸が乱れているのが解り、呼吸を監視しているモニターも不安定となっている。 医師が試しに酸素マスクを外すと呼吸が安定し、モニターの画面も安定する。 日頃登山で心肺機能を鍛えていたおかげで、かえって酸素マスクをすると酸素の摂取量が減るようである。 医師も結果に納得して、鼻のみへ酸素を供給するチューブに変更してくれる。 鼻から胃に入っているチューブも、チューブの一部が喉の敏感な部分に触っていて、喉が苦しいが、明日までは抜けないとのこと。
 しばらく休んでいると、肛門から何かが漏れ出すような感じがしてくる。 肛門には管が入っているため、自分の意志では止めることが出来ない。 看護師さんに見てもらうと、腸に残っていた残留物が出で来たとのこと。 その後、物心付いてから初めての経験となる「おむつ」を履かされる。 何とも、情けない格好となってしまった。
 次第に落ち着いて、自分の置かれている状況が把握出来る状況になった頃から、腰に強い痛みを覚えるようになる。 医師や看護師の話では、大腸の手術の場合は、手術中大きく足を開かせて、かなり無理な体勢で手術を行うので、腰に負担が掛かったのではないかとのこと。 
 その夜は、手術の疲れが出たのか、痛み止めの点滴を打たれるとすぐに眠くなり、寝てしまった。

 体にメスを入れられるというのは、初めての経験だった。 麻酔が効いていたので、何が何だか解らないうちにすべてが終わっていたというのが、正直な感想である。 手術後の痛みは、思っていたほどひどくなく、麻酔の技術の進歩に驚く。

9月 5日

手術後1日目。
 朝、五時過ぎに目が覚める。 体に沢山のチューブがあるために、体を自由に動かす事が難しい。
 若干熱があるところを見ると、白血球がバイ菌と戦ってくれているようだ。  手術の傷はほとんど痛くないが、腰痛がひどい。
 
 朝に、若い看護師さんが来て、汗で汚れた体を拭いてくれたり、体から出ているチューブから出た体液を捨てる等、いろいろと世話をしてくれる。
 手術前から「手術の翌日から歩いて自分でトイレへ行ってもらいます。」と言われていたが、もう尿を出す管を抜いてトイレへ行く準備をするとの事。 看護師さんの話では、普通立ち上がると傷口がかなり痛むということで、事前に点滴で痛み止めを打って、午後から歩いてみることとする。
 午後2時過ぎ、体から誘尿管と、鼻から胃へのチューブを抜かれ、いよいよ自力で立ってみることとなる。 さすがに起きあがる時に腹筋に力を入れると、切った傷口が痛く、体に入っているチューブもかなり邪魔である。 何とか立ち上がってみるが、腹筋に力が入らないため、前屈みの姿勢となってしまう。 それでも、看護師さんに付き添ってもらって、病棟を一周することが出来た。 看護師さんからは、体を起こして真っ直ぐな良い姿勢で歩きなさい、と言われるが、流石に無理。
 傷口の消毒の際に看護師さんから聞いた話によると、現在の手術では手術後の傷口は、昔のように縫うのではなく、事務用と同じようなホチキスで留めるだけで、私の場合もホチキスで留まっているだけだということである。
 しかも、昔のように傷口をガーゼ等で覆うのではなく、特殊なスプレーを傷口に噴射するだけとのこと。
家族に傷口をみてもらうと、一直線でとても綺麗で、まるでお腹の上に大きな「ムカデ」が乗っかっているようとのことである。

 夕方、トイレに行ってふんばると、抜けないはずの肛門のチューブが外れて肛門からぶら下がってしまった。 驚いてトイレの緊急連絡用のボタンを押すと、若い看護師さんが飛んできたが、どうすれば良いか解らず、先生を呼びに行く。 結局そのままの状態で病室まで何とか戻り、チューブを取り外すこととなった。 肛門に糸で留めてあるとのことで、肛門に留めてあった糸を抜糸したが、麻酔も何もかかっていなかったので、少々痛かった。

手術後はかなりの痛みがあるだろうと、覚悟していたが、意外と傷口が痛くないので、少々拍子抜け。 傷口よりはむしろドレインチューブの入っている左脇腹の傷口の方が痛い。 それでも今日は呼吸監視用モニター、尿道、鼻のチューブが抜けて多少楽になった。 これから体に入っているチューブの数が少なくなっていくと伴に、徐々に快復していくのであろう。

9月 6日
  〜
9月 7日

手術後2〜3日目。
 昨夜から、腰痛がひどくなり、ほとんど寝る事が出来ず、 久方ぶりに眠れない夜の長さを味わった。
 朝の回診時に担当医師に痛みを訴えたところ硬膜下麻酔の影響も考えられるので、背中に入れたままになっている麻酔用の針を抜いてみることとなる。
 医師の話では、稀にこういう副作用が現れる事もあるとのこと。
 麻酔の針を抜くことで、傷口の痛みを緩和する事が出来ず、激しい痛みに襲われるのではないかとの不安もあったが、とりあえずひどい腰痛の痛みから逃れられる可能性を考えて、抜いてもらうこととする。
 針を抜いた直後から、腰痛が徐々に快復してかなり楽になる。 やはり、硬膜下麻酔のための針が腰椎の神経に何らかの影響を与えていたようだ。
 腰の具合が快復するとは逆に、立ち上がると頭が圧迫されるような痛みを感じるようになる。 普通に寝ているときはあまり感じないのだが、頭の位置を高くすると、激しい痛みを覚え、トイレに立つのもやっとの状態となってしまった。 頭痛の原因として考えられることは、硬膜下麻酔を掛けるため脊髄に針を刺した際に「硬膜」の下の「くも膜」に穴を開けてしまい、立ち上がると髄液が開いたくも膜の穴から外へ漏れだして、脳の圧力が低下するのではないかとのこと。
 この時点で、手術前の硬膜下麻酔の際に覚えた不安が現実の形となって現れたようだ。

 ここ数日間、何も食べていなく、口から水分も全く摂取していないのだが、大量の点滴のせいで全く空腹感が無い。 何も食べていないはずなのに、手術日翌日から便として流動物が出る。 最初は、血液の固まったような物だったが、そのうち綺麗な緑色の液体が出るようになった。 看護師さんによると、腸の消化液だということで、普段見慣れない物なので若干気味が悪い。 まだ、肛門の調整が自分では難しく、おむつの世話になっているが、昨晩肛門のチューブが取れたことで、かなり楽になった。

9月 8日

手術後4日目。
 相変わらず、ひどい頭痛が続く。 寝ているとそれほどではないが、立ち上がると頭の中の圧力が急速に変化するような感覚に陥り、頭が割れるように痛く、トイレまで往復すると全身に冷や汗が吹き出る。 本当はもっと歩いてリハビリに努めなければならないが、歩くことが出来ない。
 午後から手術後初めて口から水を1日300ccまで飲んで良いこととなる
 
 ほぼ1週間ぶりに口から物を入れられるのは流石に嬉しいものである。 今まで喉の乾きを潤すためにうがいをした際に、このまま飲んでしまいたいという誘惑に襲われたが、実際に飲んでもかまわないと言われ、飲んでみると、さほど美味しくない。

9月 9日

手術後5日目。
 朝に看護師長が来て、差額ベットの個室へ入る事を薦められたので、家族と相談の上入ることとする。 どちらにしても病床の回転が速いので、あまり長い入院にはならないので、それほどの負担にはならないであろう。
個室は、バス・トイレ・流し台・応接セット付きの豪華版だった。 ちょっと、もったいなかったかな〜
 今日から、重湯の食事が始まる。 もともと、「おかゆ」が苦手なだけに、我慢して口へ運ぶが、糊を食べているようでひどくまずい。 何とか半分だけお腹に入れるが。今度は糊状の重湯が胃の内側に張り付いて気持ちが悪い。
 夕方、麻酔科の医師が訪問し、今回の頭痛が麻酔の影響か否か説明に訪れたが、実際に硬膜下麻酔をかけた当人が「ミスは無かった」と主張しているので、麻酔科としては何も出来ないとのこと。 簡単に病状を聞いただけで、実際の背骨の麻酔跡を確認もしなかった。 無責任な対応にただあきれるばかりである。

 今回麻酔の説明に来た医師は、多分上司に当たる医師から「こちらのミスとならないように、うまく説明してこい!」と言われてきたのであろう。 説明の途中で、「なかなか納得出来ない部分もあるかと思いますが..........」と思わずご本人の「本音」が出てしまっていた。 説明に来てくれた先生は、多分良心的な良い医師なのであろう。
 こちらは、特にミスを責めるつもりはなく、辛い頭痛の原因とその治療方法を知りたいだけなのだが..........。
たとえ、麻酔の際にミスがあっても、無かったとしても、このように治療(実験)の結果の検証すら行わないのは、科学者としての最低の義務を果たしていないのではないかと思ってしまう。
 多分このような隠蔽体質が、医療過誤や医療裁判の温床となるのであろうと、改めて思ってしまった。

9月 10日

手術後6日目。
 今日から、三分かゆとなる。 相変わらず頭痛がひどく、トイレに行くのが辛いので、一定の時間を決めて行くこととする。 午前中の回診で左脇腹に入っていたドレインチューブを抜く。 ドレインを抜いた後、黄色い大量の体液がしみ出て、傷口の上に50枚も重ねたガーゼが半日でどっぷりと濡れて、パジャマもひどく汚してしまう。

 処方された頭痛薬を飲んでいるが症状が改善されないため、日頃頭痛の時に愛用している乗り物酔いのアンプルを医者の許可を得て飲んでみる。 しばらくすると、頭痛がかなり収まり、立ち上がってもさほど辛くない状態となる。 体に合っているのか、劇的な効果だった。
 午後の回診で、傷口を留めていた「ホチキス」を半分だけ抜く。 専用の器械で抜くのだが、皮膚が引っ張られて少し痛い。 いままで、じっくりと手術後の傷口を観察していなかったが、意外と傷跡も細く綺麗な状態なので驚く

 午後遅く、看護師さんに傷口の処理をしてもらい、術後初めてシャワーを浴びる。 
 初めて、まじまじと手術の傷跡を眺めたが、細い筋がおへその上5センチ程上から、恥骨の下すれすれまで付いている。 やはり、巨大なムカデがお腹の上にいるようで、少々不気味。 長さは30センチ弱というところだろうか。
意外と傷口が綺麗なので、一安心。

 ドレインのチューブを抜いた「穴」は、基本的には縫わないそうで、抜いた後は普通の切り傷と同じように自然治癒するのを待つだけということである。 医者は「そのうち自然にふさがりますよ。」と言うのだが、早い話、お腹の途中に、内臓に届く傷があるということであり、ホチキスで留めてあった手術跡の傷より不安である。 そんなに簡単にくっつくのだろうか??

9月 11日

手術後7日目。
 頭痛が徐々に快復して、今朝はかなり歩き回っても大丈夫となった。 今日から五分かゆ。 おかずにも若干形がはっきりとしている物が多くなり、しばらくぶりに「噛む」感触を楽しむ。
 昨日に引き続き、残った半分の「ホチキス」を抜いたが、新人の研修医が抜いたため、ひどく痛い。 やはり抜く時の力のいれ具合にコツがあるらしい。 ドレインからの分泌物の流出は、相変わらず大量に続いていて、早く抜きすぎたのではないかと若干不安。

9月 12日

手術後8日目。
 今日から七分かゆ。 昨日まで溢れ出るほど出ていたドレインの傷口からの分泌物が急に少なくなる。 昨日と比べるとほとんど出ていないのと同じ状態となる。 午後から、分厚いガーゼが外され、絆創膏のみとなる。 これで今晩は楽に寝返りを打てそうである。

 体から、大きな「特記物」やチューブ等が全く無くなり、ようやく外見上は健康な人間と変わらなくなったのがとても嬉しい。 これで、今夜は久方ぶりに自由に寝返りが出来て熟睡出来そうである。

9月 13日

手術後9日目。
今日から全かゆ。 食べる他に楽しみが無いと、ついつい関心は食事に向いてしまう。 点滴をして口から食べ物を食べていない時は、全く体重が減らなかったのだが、点滴を止めて口から物を食べるようになると、どんどんと体重が減ってくる。 看護師さんに聞くと他の人もみそうらしい。 現時点で、手術前より4キロの体重減となった。

 苦労してダイエットするより、こんな機会に体重を減らしておきたいところだが、体力の回復も考えなくてはならないので辛いところだ。

9月 14日

手術後10日目。
 今日からようやく普通食。 外の患者さんと同じメニューなのが、とてもうれしい。 ようやく、人並みとなった気分。 ここ数日は、九月とは思えないような青空が広がっている。 主治医から薦められて初めて外出してみる。 病院の周辺を約1時間歩いたが、やはり少し歩くと腰が痛い。 少し歩いては腰を下ろして休憩できる場所を探しながらの散歩となった。 階段の登り降りなどを試してみたが、思ったより足は衰えていないようだ。

 久方ぶりの外出は、天気が良かったせいもあり、やはり気持ちが良かった。 足の筋肉の衰えも、思ったほどではなく一安心である。
9月 15日

手術後11日目。
 今日は、敬老の日で休日ということもあって、朝から病棟内もなんとなくのんびりした雰囲気。 今日は、昨日の外出で流石に疲れたので一日安静にしていることとする。
 穏やかな、ゆっくりとした時間が流れる。

9月 16日

手術後12日目。
 退院を明日に控え、身の回りの荷物の整理を始める。 短い期間の入院であったが、途中であわてて買い足した「おむつ類」を中心に荷物が増えてしまった。
 今日も、天気が良いので、一昨日に続き外出してみる。 今日は少し遠出をしてみようと、地下鉄駅からJRの中央駅まで出かけ、商店街を散策してみることとした。 思ったより足取りは軽く、順調にJR駅までたどり着いたものの、流石に疲れが出て駅の広場のベンチで行き交う人を眺めながらゆっくりと休憩する。

 しばらくぶりの喧噪に包まれ、「ようやく娑婆に出られたなぁ〜」と、しばし考えに浸る。

9月 17日

手術後13日目。 ようやく退院!!
 今日は、待ちに待った退院日。 手術からまだ2週間ということもあり、自宅での療養には若干不安はあるものの、やはり自宅に帰られるのは嬉しいものである。 昨日に引き続き荷物の整理をして家族が迎えに来るのを待つ。 最後の朝食を食べ、午前10時過ぎに迎えに来るはずの家族を待つ。
 月末に、外来で診察を受ける予約をした後、家族の運転する車でしばらくぶりの自宅に帰宅する。

 やはり、自宅は良い物である。 夜も狭く腰に良くない病院のベットから「解放」されて、慣れ親しんだ自分のベットでゆっくりと熟睡する。



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